受け継がれた情熱

受け継がれた情熱

夜明け前の詰所で、私は山靴の紐を結び直していました。

要救助者一名、沢筋で滑落、意識あり。

無線の声を聞きながら、指は勝手に動きます。

締めすぎず、緩めず、二重に結んで端を仕舞う。

この結び方を教えてくれた人のことを、出動のたびに思い出します。

父です。

父もまた、この山域の救助隊員でした。

そして十二年前の冬、山で亡くなりました。

※

私が育ったのは、北の山脈の麓にある、谷あいの小さな町です。

屋根の向こうにいつも稜線があって、天気は山が決める。

町の誰かが山で迷えば、父たち救助隊が呼ばれました。

父は、口数の少ない人でした。

食卓で仕事の話をすることは、ほとんどありません。

ただ、夜の土間で山靴を磨いている背中だけは、毎晩のように見ていました。

革に蝋を擦り込む、規則正しい音。

石油ストーブの匂いに混ざる、蝋と革の匂い。

「靴は命を預ける道具だ。手入れを怠る奴は、山に入る資格がない」

珍しく口を開いたと思えば、そんなことばかり言う人でした。

そして、もうひとつ。

「情熱だけは持ち続けろ。何かに本気になってみろ」

通信簿が悪かった日も、部活を辞めたいと零した日も、父の説教はいつもこの一言に行き着きました。

子どもの私には、正直、意味がわかりませんでした。

情熱という言葉は、無口な父にいちばん似合わない言葉だと思っていたのです。

母は笑って言いました。

「お父さんはね、言葉が下手なだけ。山ではいちばん喋るらしいわよ」

「山で? 何を喋るの」

「さあ。遭難した人を励まし続けるんですって。声が嗄れるまで」

家では仏頂面の父が、山では声を嗄らしている。

うまく想像できないまま、私はその話を聞き流しました。

一度だけ、小学生の頃に、父の訓練を見に行ったことがあります。

隊の裏山で、岩場に張ったロープを、隊員たちが何度も昇り降りしていました。

父の順番になると、動きがひとつだけ違って見えました。

速いのではありません。

むしろ誰より遅いのに、迷いというものが、どこにもないのです。

手の置き場、足の運び、ロープを握り替える一瞬の間。

同じ動作を、同じ丁寧さで、何十回でも繰り返す。

見ていた若い隊員が、ため息まじりに言いました。

「あれで現場だと化けるんだから、敵わないよなあ」

化ける、の意味を、当時の私はまだ知りませんでした。

それから、うちの玄関には時々、見知らぬ人が立ちました。

リンゴの箱を抱えたおじさん。

深々と頭を下げる、若い夫婦。

父に山で助けられた人たちが、季節の折々に礼に来るのです。

父はいつも困った顔で、「仕事ですから」と繰り返すだけでした。

客が帰ると、母は決まって上機嫌になり、夕飯のおかずが一品増えました。

「お父さんはねえ、ああ見えて命の恩人なのよ、何人もの」

「知ってるよ、それくらい」

口ではそう返しながら、玄関先の父の困り顔が、少しだけ誇らしかったのを覚えています。

冬の出動の朝、母は必ず、熱い味噌汁を水筒に詰めました。

具は入れず、味噌を濃いめに溶いただけの、湯気の立つやつです。

「山では、これがいちばん沁みるんですって」

出動の車の音が角を曲がって消えるまで、母は玄関の外に立っていました。

どんなに寒い朝でも、です。

あれは見送りというより、祈りに近いものだったのだと、同じ仕事に就いた今は思います。

台所に立つ母の背中と、土間で靴紐を結ぶ父の背中。

あの二つの背中の間で、私は育ったのだと思います。

※

小学六年の夏、一度だけ、父と二人で山に登りました。

母が「たまには連れて行ってあげたら」と、半ば無理やり送り出したのです。

登山口で、父はまず私の靴紐を結び直しました。

「締めすぎず、緩めず。下りで泣くのは、だいたい紐のせいだ」

歩き出すと、驚いたことに、父はよく喋りました。

あの沢の水は飲める、この崖は春に崩れた、あの鳥はもうすぐ渡る。

山の中の父は、家の中の父の三倍は口を開きました。

「なんで山だと喋るの」

思わず聞くと、父は少し黙ってから答えました。

「山は、黙ってると死ぬ場所だからだ。知ってることは、全部口に出して渡す。それが山の礼儀だ」

頂上で食べた握り飯の味と、味噌の焦げた匂いを、今も覚えています。

帰り道、疲れて足の止まった私を、父は急かしませんでした。

ただ半歩前を、私の速さで歩き続けました。

あの半歩の距離が、父の優しさの距離だったのだと、今ならわかります。

※

中学に上がる頃から、私は父の仕事が嫌いになりました。

きっかけは、同級生の何気ない一言です。

「救助隊って、好きで山に登った人の尻拭いでしょ。命懸けなのに、割に合わなくない?」

言い返せませんでした。

言い返せなかった自分が悔しくて、その悔しさは、なぜか父に向かいました。

思えば、あれは怖さの裏返しでもありました。

父の仕事が危険だと、本当はいちばん知っていたのは私です。

冬の夜に無線が鳴るたび、布団の中で天井を見つめていたのは私です。

心配だと言えないから、嫌いだと言う。

子どもの意地とは、そういう不器用な形をしています。

進路希望の紙に「公務員」とだけ書いて出した三者面談の日、担任は父の仕事を褒めました。

「お父さんのような仕事も立派ですよ」

隣の父は、何も言いませんでした。

帰り道も、二人とも無言でした。

バス停の前で、父が一度だけ口を開きました。

「なんでもいい。ただ、逃げて選ぶな」

あのときは、嫌味にしか聞こえませんでした。

逃げていたのは進路ではなく、父と向き合うことだったのに。

参観日に来ない父。

約束していた釣りが、出動でつぶれる日曜日。

夕飯の途中で無線が鳴ると、箸を置いて立ち上がる背中。

「行くなよ」と言ったことがあります。

高校一年の冬でした。

「今日は俺の誕生日だぞ。他の隊員でいいだろ」

父は上着に腕を通しながら、少しだけ振り返りました。

「山で待ってる奴には、今日しかないんだ」

それだけ言って、雪の中に出て行きました。

帰ってきた父と、私はろくに口をききませんでした。

ケーキの残りを黙って食べる父に、母が苦笑いしていたのを覚えています。

翌朝、食卓に小さな包みが置いてありました。

中身は、登山用の厚手の靴下でした。

のし紙も何もない、山道具屋の袋のまま。

誕生日おめでとうの一言もない。

私はそれを、突っ返すように簞笥の奥に押し込みました。

あの靴下を初めて履いたのは、父の葬儀から十年後、入隊試験の朝です。

あの頃の私に、教えてやりたいのです。

父と食卓を囲める日は、あと数えるほどしか残っていなかったのだと。

※

その夜も、無線は鳴りました。

二月の未明、単独行の登山者が尾根で動けなくなっている、という通報でした。

物音で目が覚めた私は、部屋のドアを細く開けました。

土間で山靴の紐を結ぶ父の背中が見えました。

締めすぎず、緩めず、二重に結んで端を仕舞う。

いつもの手順、いつもの背中。

声は、かけませんでした。

行ってらっしゃいの一言を、思春期の意地が喉の奥で握りつぶしたのです。

それが、私が見た最後の父になりました。

※

父は、要救助者を確保した直後の二次雪崩に遭いました。

自分の体をロープごと男性の上に被せ、男性は肋骨の骨折だけで生還しました。

父は、還りませんでした。

朝、母と一緒に聞いたとき、私は現実の音が遠くなるのを感じました。

いつもみたいに疲れた顔で帰ってきて、「風呂」とだけ言うのではないか。

土間に立てば、蝋と革の匂いがするのではないか。

けれど安置室で対面した父の顔は、静かで、白くて、もう二度と目を開けない顔でした。

手だけが、父のままでした。

節が太くて、蝋の染み込んだ、あの手のままでした。

母はその手を両手で包んで、ひとことだけ言いました。

「おつかれさま」

三十年分の言葉が、その五文字に入っていました。

悲しくて、涙が止まりませんでした。

そして情けないことに、最後に見た背中に声をかけなかった自分を、責めることしかできませんでした。

通夜の晩は、よく雪が降りました。

斎場の外に、制服姿の隊員たちが整列していました。

誰も傘を差さず、肩に雪を積もらせたまま、身じろぎもしません。

棺が運び出されるとき、全員が一斉に敬礼をしました。

焼香の列は、夜が更けても途切れませんでした。

杖をついた老人、登山服のままの若者、赤ん坊を抱いた母親。

みんな、父がいつかの雪や沢から連れて帰った人たちと、その家族でした。

あの光景を見て、私は初めて、父が生きていた世界の輪郭を見た気がしました。

家の食卓では見えなかった、父の人生の半分がそこにありました。

通夜の晩、父の同僚の坂口さんが、私の隣に黙って座りました。

父より若いのに白髪の多い、無線係の人でした。

「最後の交信、聞くか」

坂口さんは、句読点を打つようにゆっくり言いました。

「要救助者確保、意識良好、これより降下。……その後にな、雪の音が入って、一言だけ残ってる」

私は黙って頷きました。

「『任せた』って。それだけだ。慌ててもいない、いつもの声だ」

任せた。

誰に、何を。

坂口さんは、私の顔をまっすぐ見て言いました。

「あの人はな、隊でいちばん臆病だった。誰よりも怖がるから、誰よりも準備をした。夜中に靴を磨くのも、結び方に煩いのも、全部そうだ」

「情熱ってのはな、坊主。熱くなることじゃない。怖くても、手入れを続けることだ。あの人の受け売りだがな」

父の靴の手入れの音が、耳の奥で蘇りました。

毎晩のあの規則正しい音は、無口な父の、いちばん雄弁な言葉だったのです。

※

葬儀から半月ほど経った夕方、うちの呼び鈴が鳴りました。

玄関に立っていたのは、腕を吊った中年の男性でした。

父が最後に助けた、あの登山者の方でした。

男性は上がり框に膝をつき、額が床につくほど頭を下げました。

「私のせいで」

その先が、言葉になりませんでした。

母は静かに首を振り、男性を仏壇に案内しました。

線香を上げたあと、男性はぽつりぽつりと、あの晩のことを話してくれました。

「尾根で動けなくなって、正直、諦めかけていたんです。そこに、声が聞こえた」

「吹雪の下から、ずっと私の名前を呼ぶんです。大きな声で、何十回も。……お宅のお父さんでした」

「そばに来てからも、励ましっぱなしでした。あんた運がいい、もう大丈夫だ、飯は何が好きだ、って。嗄れた声で、ずっと」

家ではあんなに無口だった父が。

母から聞いた話は、本当だったのです。

男性は帰り際、吊っていないほうの手で、私の手を強く握りました。

「君のお父さんの声を、私は一生忘れません」

私は、頭を下げることしかできませんでした。

憎むべき相手など、どこにもいませんでした。

父は最後の晩も、いつも通りに、自分の仕事をしただけだったのです。

※

四十九日が過ぎて、母と遺品を整理しました。

押し入れの奥から、真新しい箱がひとつ出てきました。

開けると、山靴でした。

父のものより一回り小さい、まだ蝋の匂いも新しい革の山靴。

箱の蓋の裏に、鉛筆の走り書きがありました。

「二十五・五。あいつの分。歩き方は俺が教える」

二十五・五は、私の足のサイズでした。

母が、口元を押さえました。

「お父さん、あんたがいつか山に来るって、勝手に決めてたのね」

反発ばかりしていた息子の足のサイズを、父は黙って測っていたのです。

箱の下からは、使い込まれた手帳も出てきました。

開くと、細かい字がびっしりと並んでいました。

出動の日付、天候、雪質、ロープの結び、反省点。

そして頁の隅には、必ず名前が書いてありました。

救助した人の名前です。

助かった人の名前には丸が、間に合わなかった人の名前には、小さな線が引いてありました。

線の引かれた名前の横には、決まって同じ言葉がありました。

「忘れない」。

父は、ひとりも忘れていなかったのです。

助けられなかった人の重さを全部背負ったまま、それでも次の出動の朝、靴紐を結んでいたのです。

手帳を閉じた夜、私は自分の進路を決めました。

大学のパンフレットを机の端に寄せ、隊の採用案内を引き寄せました。

母には、しばらく言い出せませんでした。

夫を山に取られた人に、息子まで山に行くと告げるのですから。

意を決して打ち明けた晩、母は味噌汁の椀を置いて、長いこと黙っていました。

やがて顔を上げた母は、泣き笑いのような顔をしていました。

「あの新しい靴、無駄にならなくてよかったわね」

母もまた、押し入れの箱のことを、ずっと知っていたのです。

私はその夜、初めて父の靴に蝋を塗りました。

見様見真似の、不格好な手つきで。

石油ストーブの匂いの中で、いつまでも、いつまでも磨きました。

※

あれから十二年、私は父と同じ隊にいます。

入隊の日、坂口さんは私の靴を一瞥して、にやりと笑いました。

「結び方だけは、もう教えることがないな」

初めて要救助者の担架を握った日のことは、忘れられません。

沢で足首を折った、大学生の男の子でした。

顔が恐怖で強張っているのを見た瞬間、考えるより先に、口が動いていました。

名前を呼び、あんた運がいい、もう大丈夫だ、と繰り返していました。

下山し終える頃には、声が嗄れていました。

詰所に戻ると、坂口さんが笑いを噛み殺していました。

「血だな。教わってないのに、そっくりだ」

今も出動の朝は、実家に寄れるときは寄ります。

母が、あの濃いめの味噌汁を水筒に詰めてくれるからです。

「気をつけてね」とは、母は言いません。

「ちゃんと嗄れるまで呼んであげなさいよ」と言って、送り出してくれます。

吹雪の中で味噌汁を啜るたび、二つの背中に挟まれて育った台所の温度を思い出します。

何年働いても、出動の朝は怖い。

それは今も変わりません。

むしろ、怖さは年々深くなります。

雪の重さも、沢の冷たさも、無線が沈黙する数秒の長さも、知れば知るほど怖くなる。

けれど父の言う情熱の意味を、今の私は体で知っています。

怖くても、手入れを続けること。

怖いまま、それでも一歩を踏み出すこと。

要救助者の名前を呼び続けて、声を嗄らすこと。

あの無口な人は、それを情熱と呼んでいたのです。

父がくれた山靴は、とうに履き潰しました。

けれど紐の結び方と、夜の手入れの習慣だけは、父のものが私の中に生きています。

夜の詰所で靴を磨いていると、後輩が横に来て、見様見真似で蝋を擦り込むことがあります。

「結び方、教えてください」と言われるたび、私は父の言葉をそのまま渡します。

締めすぎず、緩めず。

下りで泣くのは、だいたい紐のせいだ。

言葉は、こうやって山を降りていくのだと思います。

先月、父の墓に、手帳の書き方を真似た私の一冊目を供えました。

丸のついた名前が、少しずつ増えています。

線を引いた名前は、まだありません。

このまま一本も引かずに終えることが、私の目標であり、父への何よりの報告だと思っています。

詰所の窓の外が、白み始めました。

ヘルメットを被り、私は立ち上がります。

ありがとう、親父。

あんたの背中を見ていたから、今も雪の中へ踏み出して行けます。

任せた、の続きは、私が引き受けました。

今日も、誰一人死なせずに連れて帰ります。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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