寒漉きの朝に聞こえる音
その朝も、家の奥から、簀桁の水が落ちる音がしていました。
しゃら、しゃら、と二度。
それから、ざっと一度。
雪の深い二月の、まだ外が暗いうちのことです。
僕の家は、福井の越前で、代々和紙を漉いてきました。
山あいの、川に沿った小さな集落です。
冬になると、どの家の裏手からも、同じ音が聞こえてきます。
水が冷たいほど、紙は締まる。
いちばん寒い時期に、いちばん良い紙が漉けるのだと、祖父は言っていました。
僕は当時、高校二年生でした。
両親と、祖父と祖母と、部活ばかりしている兄と、六人で暮らしていました。
家は、屋根の雪が下ろせないほど古く、廊下を歩くと、決まって同じ場所が鳴りました。
その音を、僕は目をつぶっていても言い当てられました。
祖母は、数年前から、手足が思うように動かなくなっていました。
立ち上がるだけでも、腰を二度ためて、それから息を吐きます。
お手洗いに一人で行くことは、もうずいぶん前から難しくなっていました。
だから普段は、祖父が朝から晩まで、つきっきりで世話をしていました。
祖母は、祖父以外の人に下の世話をされることを、どうしても嫌がりました。
「年寄りのみっともないところを、若い子に見せたくないんだよ」
いつも、そう言って笑うのです。
僕は、その笑い方が少し苦手でした。
何かしてあげたい気持ちはあっても、どこから手を出せばいいのか分かりませんでした。
思春期の僕には、祖母が弱っていく姿を正面から見ることが、どこか怖くもあったのです。
※
祖母が数えなかった一枚
祖母が漉き場に立てなくなってからも、仕事場の隅には、祖母の道具が置いたままになっていました。
使い込まれた簀が一枚と、木の枠がひとつ。
祖父はそれを、毎年秋になると、水で洗って干していました。
使わないのに、と、僕は思っていました。
祖母がまだ漉けていた頃のことは、断片のようにしか覚えていません。
ただ、ひとつだけ、はっきりと残っている光景があります。
祖母は、漉き上げた紙を数えるとき、必ず一枚だけ、脇へよけました。
百枚数えて、九十九枚を重ね、残りの一枚を、板の端に置くのです。
子どもの僕は、それを失敗した紙なのだと思っていました。
「これ、破れてるの」
そう聞いたことがあります。
祖母は、指先を前掛けで拭いてから、答えました。
「破れてはいないよ」
それだけでした。
理由を聞き返す前に、母に呼ばれて、僕は台所へ走っていってしまいました。
子どもというのは、そういうものです。
聞くべきことを、いちばん聞ける時期に、聞かずに終わらせてしまう。
※
ぼたん雪の日に祖父が倒れた
その日は、朝から、ぼたん雪が静かに落ち続けていました。
音を吸い取ってしまう降り方で、川の音さえ遠くなります。
夕方近くになって、祖父が突然、胸のあたりを押さえて、その場にうずくまりました。
楮を煮た大鍋の前で、しゃがみこんだまま動かなくなったのです。
顔が紙のように白くて、僕は慌てて救急車を呼びました。
母と父が付き添って病院へ向かい、部活帰りの兄も、連絡を受けて直接そちらへ回りました。
気がつくと、広くて古いその家に、僕と祖母の二人きりが残されていました。
外はもう真っ暗で、窓の外を、雪が縦に落ちていくのが見えました。
居間でテレビをつけてみても、音も映像も、まるで頭に入ってきませんでした。
ストーブの上のやかんが、しゅんしゅんと頼りない音を立てていました。
僕は何度も携帯電話を握りしめては、母からの連絡を待ちました。
祖父がしゃがみこんだときの、あの白い顔がまぶたの裏に貼りついて離れません。
こういうとき、自分は何の役にも立たないのだと、そればかりを思っていました。
※
連れて行ってもらえないかい
どれくらいの時間が経った頃でしょうか。
奥の部屋から、祖母のとても遠慮がちな声が聞こえてきました。
「はると……ごめんね、悪いんだけど、お手洗いに、連れて行ってもらえないかい……」
その声を聞いた瞬間、僕は自分のことを、本当に馬鹿だと思いました。
祖母が一人でお手洗いに行けないことを、僕はちゃんと知っていたはずなのに。
祖父がいないあいだ、ずっとそばについているべきだったのに。
孫の、それも男の僕に頼むのは、祖母にとって、どれほど勇気のいることだったでしょう。
きっと、ぎりぎりまで、一人で我慢していたに違いありません。
そう思うと、胸の奥が、きゅうっと縮みました。
僕は祖母の背中に手を回して、ゆっくりと支えながら、廊下を歩きました。
いつも鳴る場所が、その晩もきちんと鳴りました。
祖母の体は、子どもの頃に背負ってもらった記憶より、ずっと軽くなっていました。
下着は、もうずいぶん前から汚れてしまっていました。
声をかけるきっかけをつかめないまま、長いあいだ、つらい思いをさせてしまっていたのです。
僕は気づかれないように、奥歯をぐっと噛みしめました。
※
わざと明るい声で話し続けた
祖母が少しでも気を楽にできるように、僕はわざと明るい声で、学校の話をし続けました。
友達が廊下で派手に転んだ話。
先生が授業中に大きなくしゃみをして、入れ歯が飛びそうになった話。
できるだけ、おかしく話しました。
祖母は、「ふふ」と小さく笑ってくれました。
その笑い声に、僕のほうが救われていました。
話しながら、僕の頭の中には、いくつもの古い場面が浮かんでいました。
まだ小さかった頃、雪が積もると、祖母は庭の隅に小さなかまくらを作ってくれました。
赤くなった手で、せっせと雪を固めて、中にろうそくを灯してくれたものです。
「はると、ここなら風が当たらんから、あったかいろ」
そう言って、二人でみかんを食べた、あのオレンジ色の灯りを、僕は今でも覚えています。
あんなに大きく感じた祖母の手が、今はこんなに細くなってしまった。
体をあたたかいタオルで拭いて、新しい下着をはかせると、祖母はようやく、ほっとした顔になりました。
その顔を見て、僕も少しだけ、肩の力が抜けました。
同時に、祖父がこれを毎日、当たり前のように繰り返しているのだと思うと、何とも言えない気持ちになりました。
愛するということは、こういうことなのかもしれない、と思いました。
言葉にすればきれいですが、その中身は、こんなにも地道で、こんなにも根気のいるものなのです。
※
がま口から出てきた三千円
布団に戻った祖母が、ふいに、枕元の小さな引き出しに手を伸ばしました。
取り出したのは、長いあいだ使い込まれた、古いがま口でした。
留め金のところだけ、真鍮の色が抜けて白くなっていました。
祖母はその中から、きれいに折りたたんだお札を取り出して、僕のほうへ差し出しました。
「ごめんね、ありがとう。これで、何か好きなものでも買いなさい」
震える手で、三千円を渡そうとしたのです。
僕は、おばあちゃんも馬鹿だなあ、と思いました。
もちろん、心の中で、ですが。
僕がまだ赤ん坊だった頃、両親は紙の仕事と畑で、朝から晩まで忙しく働いていました。
そのあいだ、僕のおしめを替えて、ミルクを飲ませて、育ててくれたのは、祖母でした。
熱を出して泣いた夜、一晩じゅう、冷たい手のひらを額に当てていてくれたのも。
自転車に乗れるようになるまで、何度も後ろを支えて走ってくれたのも。
遠足の弁当に、僕の好きな卵焼きを、毎回いちばん大きく焼いてくれたのも。
数えきれないほどの場面に、いつも祖母がいてくれました。
その大きな恩を、たった数枚のお札で清算してしまうことなど、できるはずがありません。
「いらないよ」
僕は、できるだけ落ち着いた声で、そう言いました。
「おばあちゃんからお金なんて、もらえるわけないだろ」
祖母は、しばらく黙ったまま、僕の顔をじっと見ていました。
それから、しわだらけの手で、そっと、がま口の口を閉じました。
「……そうかい」
その声は、少しだけ震えていました。
僕は、それを、恥ずかしさのせいだと思っていました。
※
問屋の吉村さんが教えてくれたこと
祖父が入院してから、四日目のことです。
紙を引き取りにくる問屋の吉村さんが、いつものように軽トラックで山を上がってきました。
祖父がいないので、僕が数を数えて、荷台に積む役をしました。
百枚ひと束を、十束。
数え終えたところで、吉村さんが、板の端を指さしました。
「はるとくん。そこの一枚は」
見ると、束の脇に、紙が一枚だけ置いてありました。
いつの間に置かれていたのか、僕には分かりませんでした。
「これ、失敗したやつじゃないんですか」
吉村さんは、少しのあいだ黙ってから、荷台の縁に腰を下ろしました。
「あんた、ほんとに何も聞いとらんのか」
そう言って、煙草に火をつけずに、指のあいだで転がしました。
「あれはな、おばあさんの紙や」
吉村さんの話は、こういうことでした。
この土地では、昔から、漉き手の名前で紙を納められるのは、家の当主だけと決まっていました。
嫁いできた女の人は、どれだけ腕が良くても、夫の名前の下で漉くことになります。
けれど吉村さんの先代が、ずっと前に、祖母に一つだけ約束をしていたのだそうです。
一年に一枚だけ、祖母の名前で納めていい。
それは記録に残るものではなく、二人のあいだの、口だけの約束でした。
「その一枚のぶんの手間賃が、三千円や」
僕は、荷台に手をついたまま、動けなくなりました。
※
断ってしまったもの
よけていた一枚は、売り物にならない紙ではなく、祖母の名前で納める、その年のたった一枚でした。
祖母が、自分の名前で受け取れるお金は、一年に三千円だけだったのです。
あの晩、祖母が僕に差し出したのは、小遣いではありませんでした。
僕が断ったのは、お金ではなく、祖母の一年でした。
吉村さんは、続けて、こんなことも言いました。
祖母が手を悪くしてからは、簀を持てなくなった。
それでも寒漉きの日には、祖父が祖母を工房に座らせて、後ろから手を添えて、一枚だけ漉くのだと。
「じいさんが揺すって、ばあさんが持っとる。二人で一枚や」
「今年の分は、正月明けに、もう漉いてあった」
祖父が倒れたのは、その日の下ごしらえを、一人で全部やった後のことでした。
楮を煮て、叩いて、水に晒す。
本当なら二人がかりの仕事です。
祖母がお手洗いを我慢していたのも、僕に世話を頼むのを渋っていたのも、恥ずかしさだけではなかったのだと思います。
祖母は、まだ、渡す側の人でいたかったのです。
誰かにしてもらうばかりの人になってしまうことが、こわかったのだと思います。
それなのに僕は、いらないよ、と言ってしまいました。
やさしさのつもりでした。
けれど僕は、祖母の一年を、いらないと言ったのです。
※
紙を一枚ください
その晩、僕は祖母の部屋の襖を開けました。
祖母は、枕元の小さな灯りをつけたまま、天井を見ていました。
僕は座って、しばらく何も言えませんでした。
言葉を選ぼうとすると、どれもうまく口から出てこないのです。
それで、僕は結局、いちばん簡単な言い方をしました。
「おばあちゃん。お金はいらないから、紙を一枚ください」
祖母の目が、ゆっくりとこちらに動きました。
「……あんた、聞いたんかね」
「うん。吉村さんに」
祖母は、しばらく天井を見たまま、瞬きを何度もしました。
それから、細い声で言いました。
「あれは、あんたのじいさんが、無理を言うて残してくれた仕事でな」
「わたしがこの家でしたことの、証文みたいなもんや」
証文、という言葉を、僕はそのとき初めて聞きました。
祖母の目から、涙がひとすじ、静かにこぼれていきました。
つられて、こらえていた僕の目からも、落ちてしまいました。
二人して、しばらくのあいだ、何も言わずにいました。
言葉は、もう、ほとんど必要ありませんでした。
窓の外では、雪が、何も言わずに、ただ静かに降り続けていました。
※
二人で一枚を漉いた日
祖父の病気は、軽い発作でした。
処置が早かったので、命に別状はないと、母から電話がありました。
その知らせを伝えると、祖母はまた、ほろりと涙を流しました。
「おじいさんが、いてくれて、よかった」
そう言って、何度も何度も、小さくうなずいていました。
六十年近く連れ添った人を思う気持ちが、その横顔に、深くにじんでいました。
祖父が退院したのは、雪がゆるみはじめた頃でした。
まだ重いものは持てません。
だからその年の寒漉きの最後の一枚は、僕が簀桁を持ちました。
祖母を工房の椅子に座らせて、その手を、僕の手の上に重ねてもらいました。
手のひらは冷たく、指の節は、木の瘤のようにごつごつしていました。
「もっと、前や」
祖母の声が、すぐ耳のうしろで聞こえました。
「揺すったら、待つ。待ってから、また揺する」
僕はその通りにしました。
しゃら、しゃら、と二度。
それから、ざっと一度。
子どもの頃、布団の中で聞いていたあの音が、自分の腕から出ていました。
祖父は、少し離れたところで、腕を組んで見ていました。
何も言いませんでした。
ただ、一度だけ、鼻をすすったのが聞こえました。
※
一年に一枚だけの証文
その年から、僕の家には、ヘルパーさんが来てくれるようになりました。
祖母も、少しずつ、家族に頼ってくれるようになりました。
あれほど嫌がっていた身の回りの世話も、僕や母が手伝うのを、受け入れてくれるようになったのです。
あの雪の夜に二人で泣いたことが、祖母の中の、固く結ばれた何かを、そっとほどいてくれたのかもしれません。
それでも祖母は、一年に一枚だけは、譲りませんでした。
手を添えるのが僕になっても、名前の欄は祖母のままです。
吉村さんは今も、その一枚を、他の束とは別の紙に包んで持ち帰ります。
そして、次に来るときに、三千円を持ってくるのです。
誰かに何かをしてもらうことは、たしかに、ありがたいことです。
けれど人は、してもらうだけでは、自分を保てないのだと思います。
渡す側でいられること。
それが、あんなにも大事なものだとは、あの晩の僕は知りませんでした。
家族のあいだで、渡すものが金銭の形をとるとき、その重さを取り違えてしまうことがあります。父の側から同じことを書いた話として、父が渡した十二年分の通帳も、あわせて読んでいただけたら嬉しいです。
また、年老いた親の毎日の習慣に、ずっと後になって気づく話としては、父より一歩先を歩いた山守の犬があります。
※
まだ何も書いていない紙
祖母が僕にくれた一枚は、今も僕の机の引き出しに入っています。
薄くて、少し青みがかった、雁皮の紙です。
光に透かすと、繊維がまっすぐに並んでいるのが見えます。
祖母の手が、そこを何度も往復した跡です。
その一枚に、まだ何も書いていません。
書いてしまうのが惜しいのではありません。
書くべき言葉が、まだ見つからないだけです。
あの晩、僕が言うべきだったのは、いらないよ、ではありませんでした。
ありがとう、でもなかったように思います。
たぶん、いただきます、のひとことでした。
いつかその四文字を、この紙に書けたらいいと思っています。
そのときは、祖母の名前を、隣に並べて書くつもりです。