祖母が一年に一枚だけ漉く紙

寒漉きの朝に聞こえる音

その朝も、家の奥から、簀桁の水が落ちる音がしていました。

しゃら、しゃら、と二度。

それから、ざっと一度。

雪の深い二月の、まだ外が暗いうちのことです。

僕の家は、福井の越前で、代々和紙を漉いてきました。

山あいの、川に沿った小さな集落です。

冬になると、どの家の裏手からも、同じ音が聞こえてきます。

水が冷たいほど、紙は締まる。

いちばん寒い時期に、いちばん良い紙が漉けるのだと、祖父は言っていました。

僕は当時、高校二年生でした。

両親と、祖父と祖母と、部活ばかりしている兄と、六人で暮らしていました。

家は、屋根の雪が下ろせないほど古く、廊下を歩くと、決まって同じ場所が鳴りました。

その音を、僕は目をつぶっていても言い当てられました。

祖母は、数年前から、手足が思うように動かなくなっていました。

立ち上がるだけでも、腰を二度ためて、それから息を吐きます。

お手洗いに一人で行くことは、もうずいぶん前から難しくなっていました。

だから普段は、祖父が朝から晩まで、つきっきりで世話をしていました。

祖母は、祖父以外の人に下の世話をされることを、どうしても嫌がりました。

「年寄りのみっともないところを、若い子に見せたくないんだよ」

いつも、そう言って笑うのです。

僕は、その笑い方が少し苦手でした。

何かしてあげたい気持ちはあっても、どこから手を出せばいいのか分かりませんでした。

思春期の僕には、祖母が弱っていく姿を正面から見ることが、どこか怖くもあったのです。

祖母が数えなかった一枚

祖母が漉き場に立てなくなってからも、仕事場の隅には、祖母の道具が置いたままになっていました。

使い込まれた簀が一枚と、木の枠がひとつ。

祖父はそれを、毎年秋になると、水で洗って干していました。

使わないのに、と、僕は思っていました。

祖母がまだ漉けていた頃のことは、断片のようにしか覚えていません。

ただ、ひとつだけ、はっきりと残っている光景があります。

祖母は、漉き上げた紙を数えるとき、必ず一枚だけ、脇へよけました。

百枚数えて、九十九枚を重ね、残りの一枚を、板の端に置くのです。

子どもの僕は、それを失敗した紙なのだと思っていました。

「これ、破れてるの」

そう聞いたことがあります。

祖母は、指先を前掛けで拭いてから、答えました。

「破れてはいないよ」

それだけでした。

理由を聞き返す前に、母に呼ばれて、僕は台所へ走っていってしまいました。

子どもというのは、そういうものです。

聞くべきことを、いちばん聞ける時期に、聞かずに終わらせてしまう。

ぼたん雪の日に祖父が倒れた

その日は、朝から、ぼたん雪が静かに落ち続けていました。

音を吸い取ってしまう降り方で、川の音さえ遠くなります。

夕方近くになって、祖父が突然、胸のあたりを押さえて、その場にうずくまりました。

楮を煮た大鍋の前で、しゃがみこんだまま動かなくなったのです。

顔が紙のように白くて、僕は慌てて救急車を呼びました。

母と父が付き添って病院へ向かい、部活帰りの兄も、連絡を受けて直接そちらへ回りました。

気がつくと、広くて古いその家に、僕と祖母の二人きりが残されていました。

外はもう真っ暗で、窓の外を、雪が縦に落ちていくのが見えました。

居間でテレビをつけてみても、音も映像も、まるで頭に入ってきませんでした。

ストーブの上のやかんが、しゅんしゅんと頼りない音を立てていました。

僕は何度も携帯電話を握りしめては、母からの連絡を待ちました。

祖父がしゃがみこんだときの、あの白い顔がまぶたの裏に貼りついて離れません。

こういうとき、自分は何の役にも立たないのだと、そればかりを思っていました。

連れて行ってもらえないかい

どれくらいの時間が経った頃でしょうか。

奥の部屋から、祖母のとても遠慮がちな声が聞こえてきました。

「はると……ごめんね、悪いんだけど、お手洗いに、連れて行ってもらえないかい……」

その声を聞いた瞬間、僕は自分のことを、本当に馬鹿だと思いました。

祖母が一人でお手洗いに行けないことを、僕はちゃんと知っていたはずなのに。

祖父がいないあいだ、ずっとそばについているべきだったのに。

孫の、それも男の僕に頼むのは、祖母にとって、どれほど勇気のいることだったでしょう。

きっと、ぎりぎりまで、一人で我慢していたに違いありません。

そう思うと、胸の奥が、きゅうっと縮みました。

僕は祖母の背中に手を回して、ゆっくりと支えながら、廊下を歩きました。

いつも鳴る場所が、その晩もきちんと鳴りました。

祖母の体は、子どもの頃に背負ってもらった記憶より、ずっと軽くなっていました。

下着は、もうずいぶん前から汚れてしまっていました。

声をかけるきっかけをつかめないまま、長いあいだ、つらい思いをさせてしまっていたのです。

僕は気づかれないように、奥歯をぐっと噛みしめました。

わざと明るい声で話し続けた

祖母が少しでも気を楽にできるように、僕はわざと明るい声で、学校の話をし続けました。

友達が廊下で派手に転んだ話。

先生が授業中に大きなくしゃみをして、入れ歯が飛びそうになった話。

できるだけ、おかしく話しました。

祖母は、「ふふ」と小さく笑ってくれました。

その笑い声に、僕のほうが救われていました。

話しながら、僕の頭の中には、いくつもの古い場面が浮かんでいました。

まだ小さかった頃、雪が積もると、祖母は庭の隅に小さなかまくらを作ってくれました。

赤くなった手で、せっせと雪を固めて、中にろうそくを灯してくれたものです。

「はると、ここなら風が当たらんから、あったかいろ」

そう言って、二人でみかんを食べた、あのオレンジ色の灯りを、僕は今でも覚えています。

あんなに大きく感じた祖母の手が、今はこんなに細くなってしまった。

体をあたたかいタオルで拭いて、新しい下着をはかせると、祖母はようやく、ほっとした顔になりました。

その顔を見て、僕も少しだけ、肩の力が抜けました。

同時に、祖父がこれを毎日、当たり前のように繰り返しているのだと思うと、何とも言えない気持ちになりました。

愛するということは、こういうことなのかもしれない、と思いました。

言葉にすればきれいですが、その中身は、こんなにも地道で、こんなにも根気のいるものなのです。

がま口から出てきた三千円

布団に戻った祖母が、ふいに、枕元の小さな引き出しに手を伸ばしました。

取り出したのは、長いあいだ使い込まれた、古いがま口でした。

留め金のところだけ、真鍮の色が抜けて白くなっていました。

祖母はその中から、きれいに折りたたんだお札を取り出して、僕のほうへ差し出しました。

「ごめんね、ありがとう。これで、何か好きなものでも買いなさい」

震える手で、三千円を渡そうとしたのです。

僕は、おばあちゃんも馬鹿だなあ、と思いました。

もちろん、心の中で、ですが。

僕がまだ赤ん坊だった頃、両親は紙の仕事と畑で、朝から晩まで忙しく働いていました。

そのあいだ、僕のおしめを替えて、ミルクを飲ませて、育ててくれたのは、祖母でした。

熱を出して泣いた夜、一晩じゅう、冷たい手のひらを額に当てていてくれたのも。

自転車に乗れるようになるまで、何度も後ろを支えて走ってくれたのも。

遠足の弁当に、僕の好きな卵焼きを、毎回いちばん大きく焼いてくれたのも。

数えきれないほどの場面に、いつも祖母がいてくれました。

その大きな恩を、たった数枚のお札で清算してしまうことなど、できるはずがありません。

「いらないよ」

僕は、できるだけ落ち着いた声で、そう言いました。

「おばあちゃんからお金なんて、もらえるわけないだろ」

祖母は、しばらく黙ったまま、僕の顔をじっと見ていました。

それから、しわだらけの手で、そっと、がま口の口を閉じました。

「……そうかい」

その声は、少しだけ震えていました。

僕は、それを、恥ずかしさのせいだと思っていました。

問屋の吉村さんが教えてくれたこと

祖父が入院してから、四日目のことです。

紙を引き取りにくる問屋の吉村さんが、いつものように軽トラックで山を上がってきました。

祖父がいないので、僕が数を数えて、荷台に積む役をしました。

百枚ひと束を、十束。

数え終えたところで、吉村さんが、板の端を指さしました。

「はるとくん。そこの一枚は」

見ると、束の脇に、紙が一枚だけ置いてありました。

いつの間に置かれていたのか、僕には分かりませんでした。

「これ、失敗したやつじゃないんですか」

吉村さんは、少しのあいだ黙ってから、荷台の縁に腰を下ろしました。

「あんた、ほんとに何も聞いとらんのか」

そう言って、煙草に火をつけずに、指のあいだで転がしました。

「あれはな、おばあさんの紙や」

吉村さんの話は、こういうことでした。

この土地では、昔から、漉き手の名前で紙を納められるのは、家の当主だけと決まっていました。

嫁いできた女の人は、どれだけ腕が良くても、夫の名前の下で漉くことになります。

けれど吉村さんの先代が、ずっと前に、祖母に一つだけ約束をしていたのだそうです。

一年に一枚だけ、祖母の名前で納めていい。

それは記録に残るものではなく、二人のあいだの、口だけの約束でした。

「その一枚のぶんの手間賃が、三千円や」

僕は、荷台に手をついたまま、動けなくなりました。

断ってしまったもの

よけていた一枚は、売り物にならない紙ではなく、祖母の名前で納める、その年のたった一枚でした。

祖母が、自分の名前で受け取れるお金は、一年に三千円だけだったのです。

あの晩、祖母が僕に差し出したのは、小遣いではありませんでした。

僕が断ったのは、お金ではなく、祖母の一年でした。

吉村さんは、続けて、こんなことも言いました。

祖母が手を悪くしてからは、簀を持てなくなった。

それでも寒漉きの日には、祖父が祖母を工房に座らせて、後ろから手を添えて、一枚だけ漉くのだと。

「じいさんが揺すって、ばあさんが持っとる。二人で一枚や」

「今年の分は、正月明けに、もう漉いてあった」

祖父が倒れたのは、その日の下ごしらえを、一人で全部やった後のことでした。

楮を煮て、叩いて、水に晒す。

本当なら二人がかりの仕事です。

祖母がお手洗いを我慢していたのも、僕に世話を頼むのを渋っていたのも、恥ずかしさだけではなかったのだと思います。

祖母は、まだ、渡す側の人でいたかったのです。

誰かにしてもらうばかりの人になってしまうことが、こわかったのだと思います。

それなのに僕は、いらないよ、と言ってしまいました。

やさしさのつもりでした。

けれど僕は、祖母の一年を、いらないと言ったのです。

紙を一枚ください

その晩、僕は祖母の部屋の襖を開けました。

祖母は、枕元の小さな灯りをつけたまま、天井を見ていました。

僕は座って、しばらく何も言えませんでした。

言葉を選ぼうとすると、どれもうまく口から出てこないのです。

それで、僕は結局、いちばん簡単な言い方をしました。

「おばあちゃん。お金はいらないから、紙を一枚ください」

祖母の目が、ゆっくりとこちらに動きました。

「……あんた、聞いたんかね」

「うん。吉村さんに」

祖母は、しばらく天井を見たまま、瞬きを何度もしました。

それから、細い声で言いました。

「あれは、あんたのじいさんが、無理を言うて残してくれた仕事でな」

「わたしがこの家でしたことの、証文みたいなもんや」

証文、という言葉を、僕はそのとき初めて聞きました。

祖母の目から、涙がひとすじ、静かにこぼれていきました。

つられて、こらえていた僕の目からも、落ちてしまいました。

二人して、しばらくのあいだ、何も言わずにいました。

言葉は、もう、ほとんど必要ありませんでした。

窓の外では、雪が、何も言わずに、ただ静かに降り続けていました。

二人で一枚を漉いた日

祖父の病気は、軽い発作でした。

処置が早かったので、命に別状はないと、母から電話がありました。

その知らせを伝えると、祖母はまた、ほろりと涙を流しました。

「おじいさんが、いてくれて、よかった」

そう言って、何度も何度も、小さくうなずいていました。

六十年近く連れ添った人を思う気持ちが、その横顔に、深くにじんでいました。

祖父が退院したのは、雪がゆるみはじめた頃でした。

まだ重いものは持てません。

だからその年の寒漉きの最後の一枚は、僕が簀桁を持ちました。

祖母を工房の椅子に座らせて、その手を、僕の手の上に重ねてもらいました。

手のひらは冷たく、指の節は、木の瘤のようにごつごつしていました。

「もっと、前や」

祖母の声が、すぐ耳のうしろで聞こえました。

「揺すったら、待つ。待ってから、また揺する」

僕はその通りにしました。

しゃら、しゃら、と二度。

それから、ざっと一度。

子どもの頃、布団の中で聞いていたあの音が、自分の腕から出ていました。

祖父は、少し離れたところで、腕を組んで見ていました。

何も言いませんでした。

ただ、一度だけ、鼻をすすったのが聞こえました。

一年に一枚だけの証文

その年から、僕の家には、ヘルパーさんが来てくれるようになりました。

祖母も、少しずつ、家族に頼ってくれるようになりました。

あれほど嫌がっていた身の回りの世話も、僕や母が手伝うのを、受け入れてくれるようになったのです。

あの雪の夜に二人で泣いたことが、祖母の中の、固く結ばれた何かを、そっとほどいてくれたのかもしれません。

それでも祖母は、一年に一枚だけは、譲りませんでした。

手を添えるのが僕になっても、名前の欄は祖母のままです。

吉村さんは今も、その一枚を、他の束とは別の紙に包んで持ち帰ります。

そして、次に来るときに、三千円を持ってくるのです。

誰かに何かをしてもらうことは、たしかに、ありがたいことです。

けれど人は、してもらうだけでは、自分を保てないのだと思います。

渡す側でいられること。

それが、あんなにも大事なものだとは、あの晩の僕は知りませんでした。

家族のあいだで、渡すものが金銭の形をとるとき、その重さを取り違えてしまうことがあります。父の側から同じことを書いた話として、父が渡した十二年分の通帳も、あわせて読んでいただけたら嬉しいです。

また、年老いた親の毎日の習慣に、ずっと後になって気づく話としては、父より一歩先を歩いた山守の犬があります。

まだ何も書いていない紙

祖母が僕にくれた一枚は、今も僕の机の引き出しに入っています。

薄くて、少し青みがかった、雁皮の紙です。

光に透かすと、繊維がまっすぐに並んでいるのが見えます。

祖母の手が、そこを何度も往復した跡です。

その一枚に、まだ何も書いていません。

書いてしまうのが惜しいのではありません。

書くべき言葉が、まだ見つからないだけです。

あの晩、僕が言うべきだったのは、いらないよ、ではありませんでした。

ありがとう、でもなかったように思います。

たぶん、いただきます、のひとことでした。

いつかその四文字を、この紙に書けたらいいと思っています。

そのときは、祖母の名前を、隣に並べて書くつもりです。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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