祖父が立てた誓い

祖父は、五十年のあいだ、薬を一粒も飲まなかった人でした。

頭痛でも、熱でも、腰をひどく痛めた冬でも。

家族はそれを、古い人の意地だと思っていました。

私もずっと、そう思っていました。

あの手紙が届いた日までは。

祖父は、北関東の古い町で、「松の湯」という小さな銭湯をやっていました。

木の下駄箱に、豆タイルの浴槽に、天井の高い湯気抜き。

番台に座る祖父は、常連さんの顔を見ただけで、その日の調子を言い当てる人でした。

「今日は肩か。ゆっくり浸かってけ」

「あんた、また夜更かししたな。目の下に書いてある」

言われたほうは苦笑いして、のれんの奥に消えていく。

子どもの頃の私は、その番台の隣が、世界でいちばん偉い場所だと思っていました。

風呂上がりに一本だけ許されるラムネの、ビー玉を鳴らしながら飲む冷たさ。

薪の爆ぜる音と、湯気のむこうで誰かが歌う鼻歌。

松の湯の夜は、いつも同じ匂いがしました。

薪の煙と、石鹸と、祖父の煙草がすこし。

常連さんたちのことも、書いておきたいのです。

夕方いちばんに来るのは、屋根屋の辰さんでした。

背中に大きな彫り物があって、初めて見た日は泣きそうになったけれど、辰さんは私を見るなり湯桶を裏返して、太鼓みたいに叩いてみせる人でした。

「坊、湯ぅ入る前に、かかり湯三杯。じいさんの言いつけ、守っとるか」

八百屋のおばちゃんは、いつも売れ残りの蜜柑を番台に置いていきました。

祖父はそれを断らず、そのかわり、おばちゃんの湯銭をこっそり木箱の裏に戻していました。

「取っとき」と「返しとき」を、あの番台は毎晩、静かにやり取りしていたのです。

夜の九時を過ぎると、脱衣所の古い扇風機が、首を振りながらカタカタと鳴きました。

その音と、ビー玉の音と、誰かの下駄の音。

私の子ども時代は、ぜんぶ、あの湯気の中にあります。

祖父には、ひとつだけ、妙な癖がありました。

毎朝、湯を沸かす前に、釜の前で長いこと手を合わせるのです。

火の神様に挨拶する釜屋は珍しくないけれど、祖父のそれは、挨拶にしては長すぎました。

小学生の頃、一度だけ聞いたことがあります。

「じいちゃん、毎朝なにをお願いしとるん」

祖父は火かき棒を持ったまま、少し黙って、それから言いました。

「お願いやない。報告じゃ」

「報告?」

「釜の神さんにな、毎朝、今日の報告をしとるんじゃ」

何の報告かは、教えてくれませんでした。

ただ、その背中がいつもの祖父より小さく見えて、私はそれ以上聞けなかったのです。

祖母は、私が小学五年の冬に、先に逝きました。

最後の頃、病院の帰り道で、祖母が一度だけ、妙なことを言ったのを覚えています。

「あんたのじいちゃんはな、あんたが生まれた冬から、変わったんよ」

「変わった? どう?」

「さあ。……ただ、あの人が何を抱えとっても、あんたはじいちゃんを嫌いにならんといてな」

意味はわからないまま、頷きました。

祖母はそれきり、その話を二度としませんでした。

いま思えば、祖母は気づいていたのだと思います。

問い詰めもせず、暴きもせず、五十年の半分を、隣で黙って歩いた人でした。

祖父の医者嫌い、薬嫌いは、町でも有名でした。

四十度の熱を出しても、濡れ手拭いと梅干しで治してしまう。

薪割りで腰をやられた冬も、番台に座布団を三枚重ねて、涼しい顔で釣り銭を数えていました。

祖母が生きていた頃は、湯呑みの脇にそっと置かれた風邪薬が、翌朝そのままの形で残っているのが常でした。

「石頭」と祖母は言いました。

「頑固もあそこまでいくと、業じゃわ」と伯母も言いました。

私はといえば、中学に上がる頃には、祖父のそれを笑えなくなっていました。

正直に言えば、疎ましかったのです。

せっかくの家族旅行を、湯治だ何だと理由をつけて断る祖父が。

学校で「おまえんち、まだ薪で湯ぅ沸かしとるんか」とからかわれる、古くさい松の湯が。

高校を出るとき、私は祖父に、継がない、と言いました。

薪の湯なんて時代遅れだ、僕は町を出て働く、と。

言ってしまってから、番台の祖父の顔を見られませんでした。

けれど祖父は、怒りませんでした。

「ええよ」

「……ええの」

「お前が達者で息しとるなら、どこにおっても、それでええ」

あのときは、負け惜しみだと思いました。

孫より湯を取った人の、精いっぱいの強がりだと。

違ったのです。

あの言葉は、祖父の五十年の、いちばん短い要約でした。

祖父の体の奥に悪いものが見つかったのは、私が高校三年の秋でした。

進行していて、もう手術はできない、と医者は言いました。

それでも、痛みを抑える手立てはいくらでもある時代です。

父が頼み、伯母が泣いて頼み、医者も何度も膝を折りました。

「治す治療やない。楽になるだけの薬です。せめてそれだけでも」

祖父は、首を縦に振りませんでした。

「わしの体のことは、わしが決める」

それだけを、静かに繰り返しました。

怒鳴りもせず、遮りもせず、ただ、岩のように。

私は一度だけ、病室で祖父に食ってかかったことがあります。

「意地はって、なんになるん。痛いんやろ。みんな見とられんのやで」

祖父は窓の外の煙突を見たまま、言いました。

「意地やない。約束じゃ」

「誰との」

「……湯ぅ冷めるぞ。帰って、風呂入れ」

それが、祖父とかわした、最後らしい会話になりました。

見舞いに行くたび、祖父は痩せていきました。

それでも祖父の枕元には、薬袋の一つもありませんでした。

あるのは、湯温計と、常連さんたちの見舞いの果物ばかり。

祖父は父の顔を見ると、体の具合より先に、湯加減を聞きました。

「今日の一番湯、何度で出した」

「四十二度」

「ぬるい。辰が来る日は、あと一度上げえ」

病室でまで番台に座っている人でした。

祖父は最後の春まで、番台に座り続けました。

痛みで脂汗をかきながら、常連さんには「今日はぬるめじゃ、ゆっくりしてけ」と笑ってみせる。

見かねた父が店を閉めようとすると、その日だけは大きな声を出しました。

「湯を止めるな。楽しみにしとる人がおる」

年が明けた雪の日、祖父は釜場で倒れました。

救急車に乗せられるあいだも、祖父が言ったのはひと言だけでした。

「火ぃ、見といてくれ」

自分の体より、湯の温度でした。

担架の毛布から出た祖父の手が、それでも富さんの手を探して、強く握ったのを覚えています。

言葉にしなかったものが、あの握力の中に、ぜんぶ入っていたのだと思います。

桜の散る頃、祖父は眠るように逝きました。

最後の朝も、動かない体で釜のほうへ行こうとして、父に抱きとめられたそうです。

医者と看護師さんが顔を見合わせるほどの痛みに、最後まで、薬の一粒も入れないままでした。

私は葬儀のあいだ、ずっと、怒っているような気持ちでいました。

あんなに痛がって、あんなに耐えて、いったい何を守ったのだと。

頑固の一言で、家族をこんなに泣かせて、と。

通夜の晩、松の湯の入口には、五十年で初めての休業の札が下がりました。

筆を持たされた父は、「本日休業」の四文字を、何度も書き損じていました。

斎場には、常連さんたちが、湯上がりみたいにきれいな顔で並びました。

辰さんは祭壇の前で何か言おうとして、結局、深く頭を下げただけでした。

八百屋のおばちゃんは、棺に蜜柑をひとつ、そっと入れました。

「あっちで、湯上がりに食べり」

みんな、祖父の湯で温まった人たちでした。

それなのに私は、隅の席で、まだ怒りに似たものを握りしめていたのです。

四十九日の少し前、松の湯の常連だった理髪師の富さんが、家を訪ねてきました。

祖父と五十年付き合った、将棋敵ならぬ「湯敵」のような人です。

富さんは、仏壇に長いこと手を合わせたあと、鞄から古い封筒を出しました。

「親方から、預かっとったもんです。わしが先に逝ったら、湯船に流してくれと言われとったんですがね」

富さんは、笑おうとして、失敗しました。

「家族の誰かがわしを恨んどるようなら、そんとき渡してくれ、と。……坊、あんた、恨んどるじゃろ」

私は、答えられませんでした。

封筒の中には、便箋が三枚。

祖父の、定規で引いたような四角い字が並んでいました。

手紙は、詫びから始まっていました。

痛む姿を見せて、皆を苦しめたこと。

それでも治療を受けられなかった理由を、墓まで持っていくつもりだったこと。

けれど誰かがわしの頑固を恨んだまま生きるなら、それがいちばんの心残りだから、書いておく、と。

そして手紙は、五十年前の冬の話になりました。

生まれたばかりの初孫が、重い病気にかかったこと。

助かる見込みは、二割もないと言われたこと。

その初孫が、私であったこと。

私は、便箋を持つ手が止まりました。

自分が赤ん坊の頃に大病をしたことなど、聞かされたこともなかったのです。

手紙は、あの晩のことを、こう書いていました。

外は吹雪で、病院からの電話は、覚悟をしておいてくれ、という中身だった。

わしは病院に行きかけて、行けなんだ。

保育器のガラス越しに、親指ほどの手ぇを見たら、膝が立たんようになると思うた。

気がつけば、夜中の松の湯におった。

火の消えた釜の前が、わしにはこの世でいちばん、神さんに近い場所やった。

冷たい灰の匂いの中で、わしは生まれて初めて、額を土間にすりつけた。

差し出せるもんを、探した。

金もない。学もない。命は、家族を路頭に迷わすけん、出せん。

ほんなら、わしの体の残りぜんぶや、と思うた。

手紙には、こうありました。

あの晩、わしは松の湯の釜の前で、火の神さんに手をついて頼んだ。

「どうかあの子を助けてください。代わりにわしは、この先いっさい、医者にも薬にも頼りません」

命を差し出すと言えたら格好がついたが、わしには湯を沸かす仕事があった。

だから、わしにやれる いちばん大きいものを差し出した。

それからの五十年、約束を破らずに済んだのは、わしが強かったからやない。

お前が毎年、ちゃんと大きくなってくれたからじゃ。

熱を出すたび、わしは釜の前で震えとった。

薬を飲まんことなんぞ、屁でもなかった。

怖かったのは、お前の熱のほうじゃ。

毎朝の「報告」の意味も、そこに書かれていました。

毎朝、釜の前で申し上げてきました。あの子は、今日も息をしております、と。

五十年で、一日も欠かしとらん。

わしはこの報告のために、生きてきたようなもんじゃ。

そして最後の一枚に、あの字で、こうありました。

わしの体は、お前が生まれた冬に、もう神さんに差し上げてある。

じゃから痛みは、わしのもんやない。預かりもんを返しただけのことじゃ。

お前は何も背負うな。

わしは五十年、お前の顔を見るたび、約束が効いとるわいと嬉しかった。

こんなに得な取引は、なかったぞ。

読み終えたとき、私は畳に手をついて、声も出せずにいました。

五十年です。

私が生まれてから今日までの全部が、そのまま、祖父の誓いの長さでした。

熱を出した夜、氷枕を替えに来てくれた祖父の手。

あれは、震えていたのだと思います。

家族旅行を断ったのは、旅先で倒れて、医者にかけられることを恐れたからでした。

風邪薬を頑なに残したのは、意地でも業でもなく、私の命の対価だったからでした。

高校の春の、あの言葉も、手紙を読んでからやっと届きました。

お前が達者で息しとるなら、どこにおっても、それでええ。

祖父が五十年欲しがったものは、最初から最後まで、それひとつきりだったのです。

父は手紙を胸に当てて、長いこと天井を見ていました。

伯母は「なんで言うてくれんかったん」と繰り返して、富さんに支えられて泣きました。

富さんは、洟をかんで言いました。

「親方らしいわ。五十年、湯ぅ沸かしながら、いちばん熱いもんは釜やのうて、あの人の腹ん中にあったんやな」

松の湯は、いま、父と私が続けています。

私は大学を出て、いちど町の会社に勤めて、それから戻りました。

誰に頼まれたわけでもありません。

町を出ていた数年のことも、少しだけ。

就職した街には、大きなスーパー銭湯がありました。

仕事帰りに一度だけ入って、広くて、明るくて、何もかも揃っていて、湯船の中で、なぜだか泣きそうになりました。

かかり湯三杯、と胸の内で数える癖が、抜けていなかったのです。

盆に帰省するたび、番台の祖父は小さくなっていました。

それでも常連さんの顔を見れば、「今日は肩か」とやっている。

あの背中が消えた町を、私はうまく想像できませんでした。

戻ると決めた朝、父は何も聞かず、「ほうか」とだけ言いました。

祖父とおんなじ言い方でした。

ただ、あの湯を止めたくなかったのです。

楽しみにしとる人がおる、と言った祖父の声が、耳に残っていたのです。

戻って最初の朝、釜の焚き方を教えてくれたのは、富さんでした。

「親方はな、細い薪から組んで、火が立ったら太いのを寝かせよった。せっかちに燃やすと、湯が尖るんやと」

「湯が、尖る?」

「わしもわからん。わからんが、親方の湯は、たしかに丸かった」

火が立つまでのあいだ、富さんは煙突の煙を見上げて、目を細めました。

「この煙が上がっとるとな、町のもんは、今日も松の湯は生きとる、て安心するんよ」

祖父が守っていたのは、湯だけではなかったのだと思います。

番台に座ると、常連さんが教えてくれます。

「あんたのじいさんはな、あんたが熱出した晩は、湯がぬるかったんよ」

「釜の前から離れんでな。わしらはみんな知っとった」

みんな知っていて、誰も、祖父の秘密のほうは知らなかった。

言われて、思い出した夜があります。

小学二年の冬、ひどい流行り風邪で、私は三日三晩、熱にうかされました。

夜中にふと目を開けると、枕元にいつも祖父がいました。

氷枕を替える、大きな乾いた手。

薪の匂いのする褞袍の袖。

「じいちゃん、お店は」

「ええんじゃ。今夜は、ぬるうしといた」

あのとき祖父は、一晩じゅう、私の額と釜のあいだを往復していたのだそうです。

熱が下がった朝、祖父が釜の前で長いこと動かなかったと、あとになって富さんが教えてくれました。

報告が、詫びと願いに変わった晩だったのだと思います。

私はそれを、五十年分の朝の、たった一晩しか知りません。

冷蔵ケースのラムネは、いまも置いています。

近所の子が風呂上がりに一本開けて、ビー玉を鳴らして飲んでいると、番台の私は、つい長く見てしまいます。

「にいちゃん、なに笑っとるん」

「ん。……うまそうやなあ、思うて」

五十年前の冬に始まった約束の、いちばん端っこに、あの子たちの喉の音が鳴っている。

そう思うと、この古い商売も、悪くないのです。

それでよかったのだと、いまは思います。

今朝も私は、火を入れる前の釜の前で、手を合わせました。

お願いではなく、報告です。

じいちゃん、私は今日も、息をしております。

あなたのくれた五十年を、今日も一日、使わせてもらいます。

祖父の凄さを、私はまだ、うまく言葉にできません。

ただ、薪をくべるたびに思うのです。

人ひとりの命を、五十年黙って支え続けた火が、ここにあったのだと。

湯気の向こうで、今日も誰かが、気持ちよさそうに息を吐いています。

それがそのまま、祖父への供養だと信じて、私は今日も湯を沸かします。

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