親父が死んで、もうすぐ一年になる。
それなのに俺は、いまだに、親父のことを思い出すと、うまく息ができなくなる。
悲しいからではない。
その逆だ。あれほど憎んだ男を、最後に少しだけ、好きになってしまったからだ。
俺の親父は、どうしようもない我儘な男だった。
小遣いは働き者の母親から好きなだけせびり、そのくせ下手な競艇でスっては、不機嫌な顔で帰ってきた。
そして安酒を浴びるように飲んでは、家じゅうに怒鳴り散らすのだ。
幸い、手を上げることはなかった。
だが、子どもの俺にとって、酔って吠える親父は、まぎれもない暴君だった。
親父の口癖は、「世の中、運や」だった。
その運に、ついぞ一度も恵まれなかった男の、それが言い訳だったのだと、今なら分かる。
働き者で気立てのいい母親が、なぜあんな男と所帯を持ったのか、今でも分からない。
とにかく、そんな二人のあいだに、俺は生まれた。
育ったのは、北陸の、河口に開けた小さな鋳物の町だ。
冬は鉛色の空から、いつも湿った雪が落ちてきた。
工場の煙突から、白い煙が、力なく立ちのぼっていた。
川の向こうに競艇場があって、親父は週末になると、決まってそこへ消えた。
勝った日は機嫌がいいが、そんな日は、滅多になかった。
※
小学生の頃、休日が来るのが、俺は何より嫌だった。
昼過ぎになると、負けた親父が、酒臭い息で家に居座るからだ。
だから母親と二人、わざと用事をこしらえては、外で時間をつぶした。
商店街の軒先で、母親が買い物を終えるのを、俺はいつまでも待っていた。
「父ちゃん、今日も負けたかな」
俺がそう言うと、母親は決まって、困ったように笑った。
「いいんよ。あの人も、外で気晴らしせんと、やっとられんのやろ」
母親は、どんなときも、親父をかばった。
その横顔が、俺には、ひどく不憫に見えた。
俺が小学三年の、運動会のことだ。
父兄リレーに出ると約束していた親父は、当日、競艇場から帰ってこなかった。
俺は、誰も座っていない親の席を、何度も振り返った。
「お父さん、お仕事やもんね」と、母親は、俺の頭を撫でた。
だが俺は、親父が競艇場にいることを、ちゃんと知っていた。
その夜、酔って帰った親父に、俺は布団の中で、背を向けたまま泣いた。
参観日には、母親が、仕事の合間を縫って来てくれた。
両親そろっている子を、俺は、いつも横目で見ていた。
それでも、親父が来ないことを、内心では、ほっとしていた。
酔った姿を、級友に見られるのが、何より怖かったからだ。
家には、いつも、安酒と煙草の、饐えた匂いが染みついていた。
母親は、昼は弁当屋、夜はスナックの皿洗いと、二つの仕事を掛け持ちしていた。
それでも親父は、その金を、平気で競艇に注ぎ込んだ。
「ちょっと貸せ。今度こそ、当てたるから」
そう言って母親の財布から札を抜く親父を、俺は何度も見た。
雪の朝、俺の長靴のつま先に穴が空いているのを見て、母親は、自分の手袋で、そこを塞いでくれた。
親父は、そんな俺たちには、見向きもしなかった。
家計が苦しいことは、子ども心にも、よく分かっていた。
だから俺は、欲しいものを、ねだったことが一度もなかった。
ねだれば、母親がまた、無理をする。それが分かっていたからだ。
正月に、親父が有り金を全部スって帰った年があった。
その年の雑煮には、餅が、一人一個ずつしかなかった。
母親は、自分の分を、そっと俺の椀に移した。
「母ちゃんは、餅、好かんのよ」
そんなはずが、ないことくらい、子どもの俺にも分かっていた。
夜、家に帰ると、親父はもう、こたつで酔いつぶれていた。
テレビの相撲を見ながら、誰にともなく、文句を垂れている。
「おい、飯はまだか」
ろくに働きもしないくせに、声だけは大きかった。
母親が黙って膳を出すと、それにもまた、難癖をつけるのだ。
「こんな冷めた飯が、食えるか」
俺は、そのたびに、布団の中で耳をふさいだ。
早く大人になって、この家を出ていきたい。
そればかりを、子どもの俺は、考えていた。
親父が一度だけ、俺に何かを買ってくれたことがある。
競艇で珍しく勝った帰り、屋台のたい焼きを、一つだけ握らせてきた。
「ほら、食え」
ぶっきらぼうに差し出されたそれは、もう、冷めて固くなっていた。
それでも俺は、それを、最後まで大事に食べた。
親父からの贈り物は、後にも先にも、その冷めたたい焼き一つきりだった。
※
中学、高校と背が伸び、力で親父に勝るようになると、恐れる気持ちは消えていった。
代わりに芽生えたのは、冷たい軽蔑だった。
こんな男には、絶対になるまい。
そう自分に言い聞かせて、俺は勉強に打ち込んだ。
高校を出る頃には、親父とは、ほとんど口をきかなくなっていた。
同じ屋根の下にいても、互いに、いないものとして暮らした。
母親だけが、その冷えた家の、たった一つのかすがいだった。
大学は、わざと、家から遠い土地を選んだ。
少しでも、あの男の影から、逃れたかったのだ。
帰省するたび、家は荒れていった。
親父の借金で、母親が頭を下げて回っているという噂も、耳に入った。
大学三年の正月、酔って絡んできた親父と、俺はとうとう殴り合いになった。
「お前なんか、産まなきゃよかった」
親父がそう吐き捨てたとき、俺の中で、最後の糸が切れた。
「こっちのセリフだ。あんたみたいな父親、いらなかった」
母親が、二人のあいだに割って入って、泣いていた。
その晩、俺は荷物をまとめ、夜行バスで、町を出た。
卒業すると、俺はそのまま県外で就職した。
盆も正月も、ほとんど帰らなかった。
親父の声を聞くのも、顔を見るのも、まっぴらだった。
母親には悪いと思ったが、あの家に近づくと、息が詰まるのだ。
電話口で、母親はいつも、「無理せんでええよ」と言った。
その声が年々、細くなっていくのを、俺は気づかないふりをしていた。
一度、母親が体を壊して入院したと聞いたときも、俺は、すぐには帰らなかった。
帰れば、親父の顔を見なければならない。それが、嫌だったのだ。
今思えば、俺もまた、ずいぶん、薄情な息子だった。
※
就職して三年が経った、梅雨どきのことだった。
母親から、親父が入院した、という連絡が入った。
長年の糖尿が悪化し、右足の付け根から、切らねばならないという。
血が回らず、足が腐りはじめている、と医者に言われたらしい。
疎んじてきた男とはいえ、血のつながった親だ。
俺は仕事を休み、何年ぶりかで、あの鉛色の町へ帰った。
手術の日、待合室で、俺と母親は、ひとことも喋らなかった。
長い時間が過ぎて、ようやく病室に通された。
ベッドの上の親父は、片方の足を失い、別人のように痩せていた。
あれほど大きく見えた体が、シーツの下で、ひどく小さかった。
「よう来たな」
親父は、それだけ言って、窓の外へ目をそらした。
病室の窓の外には、あの競艇場の照明塔が、小さく見えていた。
親父は、それを、ぼんやりと眺めていた。
もう、二度とあそこへは行けないのだと、その横顔は言っていた。
俺も、かける言葉が見つからず、ただ突っ立っていた。
暴君の面影は、もう、どこにもなかった。
病院の帰り、俺は一人で、子どもの頃に通った川べりを歩いた。
競艇場の歓声が、風に乗って、かすかに聞こえてきた。
あの音を、親父はどんな気持ちで、聞いていたのだろう。
実家は、見ないうちに、すっかり古びていた。
雨漏りの跡が、天井に、黒く広がっていた。
母親が一人で、この家を、ずっと支えてきたのだ。
気まずいまま帰省を終え、県外へ戻って、しばらくした頃だった。
また、母親から電話があった。
「お父さんがな、湖畔の旅館に泊まりたいんやって」
その旅館は、俺がまだ小さい頃、家族三人で一度だけ行った、山あいの温泉宿だった。
旅行も外泊も嫌っていた親父が、なぜ今さら、そんなことを言い出すのか。
そのときは、まるで、見当もつかなかった。
だが、母親の声があまりに切実で、俺は連れていくことにした。
※
旅行会社に勤める同級生に頼んで、なんとか宿を手配した。
親父を抱えて車に乗せ、車椅子を畳んでトランクに積んだ。
宿に着いてからは、俺がずっと、その車椅子を押して回った。
段差のたびに、俺は車椅子の前を、慎重に持ち上げた。
「すまんな」と、親父が小さく言った。
その言葉にも、俺は、うまく返せなかった。
露天風呂までの道は、急な石段だった。
俺は親父を背負って、その石段を、一段ずつ下りた。
背中の親父は、驚くほど軽く、まるで子どもを背負っているようだった。
「重いやろ。下ろせ」
「いいから、じっとしてろ」
二十数年ぶりに触れた親父の体温が、背中ごしに、じんわりと伝わってきた。
湖を見下ろす湯に、俺は親父の背中を流してやった。
痩せた背中は、骨の形が、はっきりと浮いていた。
こんなに小さかったか、と、胸の奥が、ざらりとした。
「気持ちええなあ」
湯につかった親父が、ぽつりと、そう漏らした。
宿の女将が、車椅子の親父に、そっと膝掛けを差し出してくれた。
「お父さん、ええ息子さんやねえ」
その何気ない一言に、親父は、照れたように、小さく笑った。
そんな顔を、俺は、生まれて初めて見た気がした。
夕餉の膳は、山の幸が、これでもかと並んでいた。
だが親父は、体が弱って、ほとんど箸をつけられなかった。
頼んだ瓶ビールも、一口だけ飲んで、あとは全部、俺に押しやった。
「お前が飲め。もう、俺はええ」
昔は、ビール一本のことで、母親を怒鳴りつけた男がだ。
その変わりように、俺は、なんと言っていいか分からなかった。
「昔、ここで、お前が湖に石を投げとったな」
親父が、ふいに、そんなことを言った。
「水切りや。お前、何回も跳ねさせて、得意げに自慢しとった」
俺は、そんな昔のことを、まるで覚えていなかった。
覚えていたのは、いつも不機嫌だった、親父の顔ばかりだった。
だが親父は、俺の知らない優しい記憶を、ずっと抱えていたらしい。
夜、布団を三つ並べて、俺たちは同じ部屋で眠った。
親父と母親と俺。家族三人、川の字になって寝るのは、二十年ぶりだった。
障子の向こうで、虫の声がしていた。
暗がりの中で、親父の、苦しげな寝息が聞こえた。
その音を聞きながら、俺は、なかなか寝つけなかった。
俺は、そっと手を伸ばして、親父の布団の端を、直してやった。
親父は、気づかぬふりをして、寝返りを打った。
けれど、その背中が、かすかに震えていたのを、俺は見た。
幼い頃、耳をふさいで聞いていた、あの怒鳴り声を思い出した。
あれほど嫌っていた男の寝息が、今は、妙に心細く聞こえた。
翌朝、母親は、久しぶりに、声をあげて笑っていた。
親父が、若い頃の失敗談を、ぽつぽつと話したのだ。
そんなふうに笑う親父を、俺は、初めて見た気がした。
朝食のあと、俺は親父の車椅子を押して、湖のほとりまで出た。
風が、水面に、細かいさざ波を立てていた。
「きれいやな」と、親父が言った。
「ああ」と、俺も短く答えた。
たったそれだけの会話が、不思議と、心に染みた。
親父は、しばらく、黙って湖を見ていた。
その横顔は、もう、俺の知っている暴君ではなかった。
ただの、疲れて、小さくなった、一人の老人だった。
「もう、思い残すことは、ないわ」
ぽつりと漏らしたその一言を、俺は、聞き流してしまった。
今思えば、あれは、別れの言葉だったのかもしれない。
※
宿を発って、病院まで送っていく、その車の中でのことだった。
助手席の親父は、ずっと窓の外の、流れる景色を見ていた。
湖が遠ざかり、見慣れた鉛色の町並みが、近づいてくる。
赤信号で車を止めたとき、ふいに、親父が口を開いた。
「お前には、世話になったな。ありがとう」
俺は、ハンドルを握ったまま、固まった。
二十五年生きてきて、親父の口から「ありがとう」を聞いたのは、それが初めてだった。
何か返さなければと思ったが、喉の奥が、つかえて声にならなかった。
「……何だよ、急に」
やっと出たのは、そんな、ぶっきらぼうな一言だけだった。
親父は、それきり、また黙って、窓の外を見ていた。
信号が青に変わり、俺は、にじむ視界のまま、車を出した。
帰りの車で、親父は、俺の運転に、一度も文句を言わなかった。
昔なら、「もっと飛ばせ」と、怒鳴っていたはずだ。
あのとき、もっと、ちゃんとした言葉を返せばよかった。
それだけが、今でも、悔やまれてならない。
※
その家族旅行から、一週間後のことだった。
親父は、脳梗塞で倒れ、口がきけなくなった。
半身が麻痺し、もう、言葉を交わすことは、二度とできなかった。
そして、そのわずか二週間後、弱った心臓が止まり、親父は逝った。
結局、あの車の中で聞いた「ありがとう」が、俺が聞いた、親父の最後の言葉になった。
葬式のあいだ、俺は、不思議と涙が出なかった。
涙が出たのは、家に帰って、親父の財布を開けたときだ。
擦り切れた財布の中に、俺の、子どもの頃の写真が、一枚だけ入っていた。
競艇の予想紙の切れ端と、一緒に、ずっと挟まれていたのだ。
その瞬間、俺は、台所にしゃがみ込んで、声をあげて泣いた。
あの暴君が、こんなものを、後生大事に持っていたなんて。
親父の遺品を整理していて、古い貯金通帳が出てきた。
ほとんど残高はなかったが、最後の月に、一度だけ、入金の記録があった。
それは、ちょうど、あの旅行の費用と、同じ額だった。
親父は、なけなしの金を、最後の家族旅行のために、貯めていたのだ。
俺が立て替えたつもりでいた、あの宿代を。
通帳を握りしめて、俺はまた、声を殺して泣いた。
※
今になって、思う。
親父は、自分の死を、どこかで勘づいていたのではないか。
だから最後に、家族の思い出の地へ行きたいと言った。
そこで、一人前になった俺の姿を、その目に焼きつけたかったのだ。
そして、生涯ただ一度の、感謝の言葉を、俺に遺した。
疎んじてきた暴君ではなく、年老いた、ただの父親に。
俺は、最後の最後に、ささやかな親孝行が、できたのだと思う。
あの湖畔の二日間は、今では、俺の一生の宝物だ。
親父が遺したものは、借金と、古い家と、たった一度の「ありがとう」だけだった。
けれど、その一言は、どんな財産よりも、重かった。
人は、最後の最後に、本当の言葉を、遺すのかもしれない。
四十九日の夜、母親が、ぽつりとこう言った。
「あの人なりに、不器用に、家族を想うとったんやと思うよ」
俺は、その言葉に、ただ黙って頷いた。
暴君のいなくなった世界は、思っていたより、ずっと静かで、ずっと寂しい。
それでも俺は、あのとき返せなかった言葉を、胸の奥で、何度も繰り返している。
こちらこそ、ありがとう、と。
母親は今も、あの町で、一人暮らしている。
電話をするたび、俺は必ず、最後に「ありがとう」と言うようにしている。
そして、いつか俺も親になったら、子どもには、ちゃんと伝えようと思う。
照れずに、酔ってもいないときに、「ありがとう」と。
親父が、最後にやっと言えた、その一言を。
季節は巡り、また、湿った雪の降る冬が来た。
俺は、ひとり、親父の月命日に、線香をあげる。
「親父、元気か」と、写真に話しかける。
返事は、もちろん、ない。
それでも、煙がまっすぐ立ちのぼる日は、なんだか、聞こえている気がするのだ。
あれから一年。俺は、あの湖に、もう一度行ってみようと思っている。
今度は、親父の写真を、ポケットに入れて。
川の向こうの競艇場は、今日も、変わらず灯りをともしている。
その灯りを見るたび、俺は少しだけ、あの不器用な男に、会いたくなる。