親父からの感謝の言葉

親父が死んで、もうすぐ一年になる。

それなのに俺は、いまだに、親父のことを思い出すと、うまく息ができなくなる。

悲しいからではない。

その逆だ。あれほど憎んだ男を、最後に少しだけ、好きになってしまったからだ。

俺の親父は、どうしようもない我儘な男だった。

小遣いは働き者の母親から好きなだけせびり、そのくせ下手な競艇でスっては、不機嫌な顔で帰ってきた。

そして安酒を浴びるように飲んでは、家じゅうに怒鳴り散らすのだ。

幸い、手を上げることはなかった。

だが、子どもの俺にとって、酔って吠える親父は、まぎれもない暴君だった。

親父の口癖は、「世の中、運や」だった。

その運に、ついぞ一度も恵まれなかった男の、それが言い訳だったのだと、今なら分かる。

働き者で気立てのいい母親が、なぜあんな男と所帯を持ったのか、今でも分からない。

とにかく、そんな二人のあいだに、俺は生まれた。

育ったのは、北陸の、河口に開けた小さな鋳物の町だ。

冬は鉛色の空から、いつも湿った雪が落ちてきた。

工場の煙突から、白い煙が、力なく立ちのぼっていた。

川の向こうに競艇場があって、親父は週末になると、決まってそこへ消えた。

勝った日は機嫌がいいが、そんな日は、滅多になかった。

小学生の頃、休日が来るのが、俺は何より嫌だった。

昼過ぎになると、負けた親父が、酒臭い息で家に居座るからだ。

だから母親と二人、わざと用事をこしらえては、外で時間をつぶした。

商店街の軒先で、母親が買い物を終えるのを、俺はいつまでも待っていた。

「父ちゃん、今日も負けたかな」

俺がそう言うと、母親は決まって、困ったように笑った。

「いいんよ。あの人も、外で気晴らしせんと、やっとられんのやろ」

母親は、どんなときも、親父をかばった。

その横顔が、俺には、ひどく不憫に見えた。

俺が小学三年の、運動会のことだ。

父兄リレーに出ると約束していた親父は、当日、競艇場から帰ってこなかった。

俺は、誰も座っていない親の席を、何度も振り返った。

「お父さん、お仕事やもんね」と、母親は、俺の頭を撫でた。

だが俺は、親父が競艇場にいることを、ちゃんと知っていた。

その夜、酔って帰った親父に、俺は布団の中で、背を向けたまま泣いた。

参観日には、母親が、仕事の合間を縫って来てくれた。

両親そろっている子を、俺は、いつも横目で見ていた。

それでも、親父が来ないことを、内心では、ほっとしていた。

酔った姿を、級友に見られるのが、何より怖かったからだ。

家には、いつも、安酒と煙草の、饐えた匂いが染みついていた。

母親は、昼は弁当屋、夜はスナックの皿洗いと、二つの仕事を掛け持ちしていた。

それでも親父は、その金を、平気で競艇に注ぎ込んだ。

「ちょっと貸せ。今度こそ、当てたるから」

そう言って母親の財布から札を抜く親父を、俺は何度も見た。

雪の朝、俺の長靴のつま先に穴が空いているのを見て、母親は、自分の手袋で、そこを塞いでくれた。

親父は、そんな俺たちには、見向きもしなかった。

家計が苦しいことは、子ども心にも、よく分かっていた。

だから俺は、欲しいものを、ねだったことが一度もなかった。

ねだれば、母親がまた、無理をする。それが分かっていたからだ。

正月に、親父が有り金を全部スって帰った年があった。

その年の雑煮には、餅が、一人一個ずつしかなかった。

母親は、自分の分を、そっと俺の椀に移した。

「母ちゃんは、餅、好かんのよ」

そんなはずが、ないことくらい、子どもの俺にも分かっていた。

夜、家に帰ると、親父はもう、こたつで酔いつぶれていた。

テレビの相撲を見ながら、誰にともなく、文句を垂れている。

「おい、飯はまだか」

ろくに働きもしないくせに、声だけは大きかった。

母親が黙って膳を出すと、それにもまた、難癖をつけるのだ。

「こんな冷めた飯が、食えるか」

俺は、そのたびに、布団の中で耳をふさいだ。

早く大人になって、この家を出ていきたい。

そればかりを、子どもの俺は、考えていた。

親父が一度だけ、俺に何かを買ってくれたことがある。

競艇で珍しく勝った帰り、屋台のたい焼きを、一つだけ握らせてきた。

「ほら、食え」

ぶっきらぼうに差し出されたそれは、もう、冷めて固くなっていた。

それでも俺は、それを、最後まで大事に食べた。

親父からの贈り物は、後にも先にも、その冷めたたい焼き一つきりだった。

中学、高校と背が伸び、力で親父に勝るようになると、恐れる気持ちは消えていった。

代わりに芽生えたのは、冷たい軽蔑だった。

こんな男には、絶対になるまい。

そう自分に言い聞かせて、俺は勉強に打ち込んだ。

高校を出る頃には、親父とは、ほとんど口をきかなくなっていた。

同じ屋根の下にいても、互いに、いないものとして暮らした。

母親だけが、その冷えた家の、たった一つのかすがいだった。

大学は、わざと、家から遠い土地を選んだ。

少しでも、あの男の影から、逃れたかったのだ。

帰省するたび、家は荒れていった。

親父の借金で、母親が頭を下げて回っているという噂も、耳に入った。

大学三年の正月、酔って絡んできた親父と、俺はとうとう殴り合いになった。

「お前なんか、産まなきゃよかった」

親父がそう吐き捨てたとき、俺の中で、最後の糸が切れた。

「こっちのセリフだ。あんたみたいな父親、いらなかった」

母親が、二人のあいだに割って入って、泣いていた。

その晩、俺は荷物をまとめ、夜行バスで、町を出た。

卒業すると、俺はそのまま県外で就職した。

盆も正月も、ほとんど帰らなかった。

親父の声を聞くのも、顔を見るのも、まっぴらだった。

母親には悪いと思ったが、あの家に近づくと、息が詰まるのだ。

電話口で、母親はいつも、「無理せんでええよ」と言った。

その声が年々、細くなっていくのを、俺は気づかないふりをしていた。

一度、母親が体を壊して入院したと聞いたときも、俺は、すぐには帰らなかった。

帰れば、親父の顔を見なければならない。それが、嫌だったのだ。

今思えば、俺もまた、ずいぶん、薄情な息子だった。

就職して三年が経った、梅雨どきのことだった。

母親から、親父が入院した、という連絡が入った。

長年の糖尿が悪化し、右足の付け根から、切らねばならないという。

血が回らず、足が腐りはじめている、と医者に言われたらしい。

疎んじてきた男とはいえ、血のつながった親だ。

俺は仕事を休み、何年ぶりかで、あの鉛色の町へ帰った。

手術の日、待合室で、俺と母親は、ひとことも喋らなかった。

長い時間が過ぎて、ようやく病室に通された。

ベッドの上の親父は、片方の足を失い、別人のように痩せていた。

あれほど大きく見えた体が、シーツの下で、ひどく小さかった。

「よう来たな」

親父は、それだけ言って、窓の外へ目をそらした。

病室の窓の外には、あの競艇場の照明塔が、小さく見えていた。

親父は、それを、ぼんやりと眺めていた。

もう、二度とあそこへは行けないのだと、その横顔は言っていた。

俺も、かける言葉が見つからず、ただ突っ立っていた。

暴君の面影は、もう、どこにもなかった。

病院の帰り、俺は一人で、子どもの頃に通った川べりを歩いた。

競艇場の歓声が、風に乗って、かすかに聞こえてきた。

あの音を、親父はどんな気持ちで、聞いていたのだろう。

実家は、見ないうちに、すっかり古びていた。

雨漏りの跡が、天井に、黒く広がっていた。

母親が一人で、この家を、ずっと支えてきたのだ。

気まずいまま帰省を終え、県外へ戻って、しばらくした頃だった。

また、母親から電話があった。

「お父さんがな、湖畔の旅館に泊まりたいんやって」

その旅館は、俺がまだ小さい頃、家族三人で一度だけ行った、山あいの温泉宿だった。

旅行も外泊も嫌っていた親父が、なぜ今さら、そんなことを言い出すのか。

そのときは、まるで、見当もつかなかった。

だが、母親の声があまりに切実で、俺は連れていくことにした。

旅行会社に勤める同級生に頼んで、なんとか宿を手配した。

親父を抱えて車に乗せ、車椅子を畳んでトランクに積んだ。

宿に着いてからは、俺がずっと、その車椅子を押して回った。

段差のたびに、俺は車椅子の前を、慎重に持ち上げた。

「すまんな」と、親父が小さく言った。

その言葉にも、俺は、うまく返せなかった。

露天風呂までの道は、急な石段だった。

俺は親父を背負って、その石段を、一段ずつ下りた。

背中の親父は、驚くほど軽く、まるで子どもを背負っているようだった。

「重いやろ。下ろせ」

「いいから、じっとしてろ」

二十数年ぶりに触れた親父の体温が、背中ごしに、じんわりと伝わってきた。

湖を見下ろす湯に、俺は親父の背中を流してやった。

痩せた背中は、骨の形が、はっきりと浮いていた。

こんなに小さかったか、と、胸の奥が、ざらりとした。

「気持ちええなあ」

湯につかった親父が、ぽつりと、そう漏らした。

宿の女将が、車椅子の親父に、そっと膝掛けを差し出してくれた。

「お父さん、ええ息子さんやねえ」

その何気ない一言に、親父は、照れたように、小さく笑った。

そんな顔を、俺は、生まれて初めて見た気がした。

夕餉の膳は、山の幸が、これでもかと並んでいた。

だが親父は、体が弱って、ほとんど箸をつけられなかった。

頼んだ瓶ビールも、一口だけ飲んで、あとは全部、俺に押しやった。

「お前が飲め。もう、俺はええ」

昔は、ビール一本のことで、母親を怒鳴りつけた男がだ。

その変わりように、俺は、なんと言っていいか分からなかった。

「昔、ここで、お前が湖に石を投げとったな」

親父が、ふいに、そんなことを言った。

「水切りや。お前、何回も跳ねさせて、得意げに自慢しとった」

俺は、そんな昔のことを、まるで覚えていなかった。

覚えていたのは、いつも不機嫌だった、親父の顔ばかりだった。

だが親父は、俺の知らない優しい記憶を、ずっと抱えていたらしい。

夜、布団を三つ並べて、俺たちは同じ部屋で眠った。

親父と母親と俺。家族三人、川の字になって寝るのは、二十年ぶりだった。

障子の向こうで、虫の声がしていた。

暗がりの中で、親父の、苦しげな寝息が聞こえた。

その音を聞きながら、俺は、なかなか寝つけなかった。

俺は、そっと手を伸ばして、親父の布団の端を、直してやった。

親父は、気づかぬふりをして、寝返りを打った。

けれど、その背中が、かすかに震えていたのを、俺は見た。

幼い頃、耳をふさいで聞いていた、あの怒鳴り声を思い出した。

あれほど嫌っていた男の寝息が、今は、妙に心細く聞こえた。

翌朝、母親は、久しぶりに、声をあげて笑っていた。

親父が、若い頃の失敗談を、ぽつぽつと話したのだ。

そんなふうに笑う親父を、俺は、初めて見た気がした。

朝食のあと、俺は親父の車椅子を押して、湖のほとりまで出た。

風が、水面に、細かいさざ波を立てていた。

「きれいやな」と、親父が言った。

「ああ」と、俺も短く答えた。

たったそれだけの会話が、不思議と、心に染みた。

親父は、しばらく、黙って湖を見ていた。

その横顔は、もう、俺の知っている暴君ではなかった。

ただの、疲れて、小さくなった、一人の老人だった。

「もう、思い残すことは、ないわ」

ぽつりと漏らしたその一言を、俺は、聞き流してしまった。

今思えば、あれは、別れの言葉だったのかもしれない。

宿を発って、病院まで送っていく、その車の中でのことだった。

助手席の親父は、ずっと窓の外の、流れる景色を見ていた。

湖が遠ざかり、見慣れた鉛色の町並みが、近づいてくる。

赤信号で車を止めたとき、ふいに、親父が口を開いた。

「お前には、世話になったな。ありがとう」

俺は、ハンドルを握ったまま、固まった。

二十五年生きてきて、親父の口から「ありがとう」を聞いたのは、それが初めてだった。

何か返さなければと思ったが、喉の奥が、つかえて声にならなかった。

「……何だよ、急に」

やっと出たのは、そんな、ぶっきらぼうな一言だけだった。

親父は、それきり、また黙って、窓の外を見ていた。

信号が青に変わり、俺は、にじむ視界のまま、車を出した。

帰りの車で、親父は、俺の運転に、一度も文句を言わなかった。

昔なら、「もっと飛ばせ」と、怒鳴っていたはずだ。

あのとき、もっと、ちゃんとした言葉を返せばよかった。

それだけが、今でも、悔やまれてならない。

その家族旅行から、一週間後のことだった。

親父は、脳梗塞で倒れ、口がきけなくなった。

半身が麻痺し、もう、言葉を交わすことは、二度とできなかった。

そして、そのわずか二週間後、弱った心臓が止まり、親父は逝った。

結局、あの車の中で聞いた「ありがとう」が、俺が聞いた、親父の最後の言葉になった。

葬式のあいだ、俺は、不思議と涙が出なかった。

涙が出たのは、家に帰って、親父の財布を開けたときだ。

擦り切れた財布の中に、俺の、子どもの頃の写真が、一枚だけ入っていた。

競艇の予想紙の切れ端と、一緒に、ずっと挟まれていたのだ。

その瞬間、俺は、台所にしゃがみ込んで、声をあげて泣いた。

あの暴君が、こんなものを、後生大事に持っていたなんて。

親父の遺品を整理していて、古い貯金通帳が出てきた。

ほとんど残高はなかったが、最後の月に、一度だけ、入金の記録があった。

それは、ちょうど、あの旅行の費用と、同じ額だった。

親父は、なけなしの金を、最後の家族旅行のために、貯めていたのだ。

俺が立て替えたつもりでいた、あの宿代を。

通帳を握りしめて、俺はまた、声を殺して泣いた。

今になって、思う。

親父は、自分の死を、どこかで勘づいていたのではないか。

だから最後に、家族の思い出の地へ行きたいと言った。

そこで、一人前になった俺の姿を、その目に焼きつけたかったのだ。

そして、生涯ただ一度の、感謝の言葉を、俺に遺した。

疎んじてきた暴君ではなく、年老いた、ただの父親に。

俺は、最後の最後に、ささやかな親孝行が、できたのだと思う。

あの湖畔の二日間は、今では、俺の一生の宝物だ。

親父が遺したものは、借金と、古い家と、たった一度の「ありがとう」だけだった。

けれど、その一言は、どんな財産よりも、重かった。

人は、最後の最後に、本当の言葉を、遺すのかもしれない。

四十九日の夜、母親が、ぽつりとこう言った。

「あの人なりに、不器用に、家族を想うとったんやと思うよ」

俺は、その言葉に、ただ黙って頷いた。

暴君のいなくなった世界は、思っていたより、ずっと静かで、ずっと寂しい。

それでも俺は、あのとき返せなかった言葉を、胸の奥で、何度も繰り返している。

こちらこそ、ありがとう、と。

母親は今も、あの町で、一人暮らしている。

電話をするたび、俺は必ず、最後に「ありがとう」と言うようにしている。

そして、いつか俺も親になったら、子どもには、ちゃんと伝えようと思う。

照れずに、酔ってもいないときに、「ありがとう」と。

親父が、最後にやっと言えた、その一言を。

季節は巡り、また、湿った雪の降る冬が来た。

俺は、ひとり、親父の月命日に、線香をあげる。

「親父、元気か」と、写真に話しかける。

返事は、もちろん、ない。

それでも、煙がまっすぐ立ちのぼる日は、なんだか、聞こえている気がするのだ。

あれから一年。俺は、あの湖に、もう一度行ってみようと思っている。

今度は、親父の写真を、ポケットに入れて。

川の向こうの競艇場は、今日も、変わらず灯りをともしている。

その灯りを見るたび、俺は少しだけ、あの不器用な男に、会いたくなる。

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