大好きなパパへ

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 |

ラーメン(フリー写真)

私の両親は私が小さい頃に離婚し、私はずっとお父さんと生きて来た。

お母さんとお父さん。

どっちに行こうか迷っていた時、お父さんは

「ここに残りなよ」

と言ってくれたね。

今思えば、あれが最後の我が儘だったね。

私の体調が悪い時は、不器用ながらも心配してくれたり。

私がイライラしてて八つ当たりした時も、いつもニコニコして理解してくれていた。

何かあるといつも笑っていて。冗談ばっかりで。馬鹿な事ばっかりで。我慢強くって。

あたしが母と喧嘩した時、頭撫でてくれて慰めてくれた事。全部大好きだったよ。

週一で好きなラーメン屋に通ったり、ファミレスで食べまくったり。

お互いお金がある時は外食ばっかしてたね。

お父さんと一緒に行く外食はとっても楽しかった。一番楽しみだった。

そんなある日。

貴方は倒れて病気しましたね。

入院した日から、あたしはお仕事しながら毎日お見舞に行った。

貴方は食事や煙草は勿論、水分までをも制限されていて、車椅子で病院内を散歩した時、ジュースを飲みたいって。

買ってあげたかったけど、ダメだよとしか言えなかった。

ご飯もろくに食べられず、苦しく寝ているばかりで。

段々衰えて行く姿を見るのが、苦しくて。

「退院したら美味しい物をまた食べに行こう」「パパが居ないお家、一人で寂しいよ」

って、そんな言葉しか掛けられなかった。

それでも段々と回復して行って、ご飯も沢山食べられるようになり、退院する日が決まった矢先。

寝ている間に息を引き取ったね。

何の苦もない。ただ、本当に寝ている顔で。

最初、何があったか解らなくて。触って、揺すって、冷たくて。

『何で?』

それしか頭になかった。

退院が決まって、やっとこのお家に帰って来る。

『もうこれで寂しくない!これからはゆっくりしてもらわなくっちゃ!』

と思っていたのに。

違う形で帰って来るなんて夢にも思わなくて。

ずっとずっと、狂ったように泣くしかできなかった。

私を一人にさせないで。

まだ話したい事、一緒に行きたい所、これからの人生、孫の顔。いっぱいいっぱい見せたいものがあったのに、一瞬でなくなってしまった。

そこからは真っ白の中、喪主を務めて、片付けをして、親戚同士で揉めて、忙しくて、挙げ句の果てには拒食症になって。

お父さんがやっていた事、真似して少しでも近付きたくて。

真似したら戻って来てくれるような気がして。

でも。

もう。

言葉を交わす事はないんだね。

もう。

お父さんと一緒に食べていたラーメンも食べれなくなっちゃって。

もう、ファミレスで食べていた量も食べられないよ。

それでも、

『お父さんと一緒なら食べれるかな?』

なんて思ったりして。

願いが叶うなら、少しでも一瞬でも、夢でもいい。

話さなくていいから、会って抱き締めて欲しいな。

パパ、ずっと大好きだよ。

お誕生日おめでとう。

関連記事

親子の手

またあなたの子供になりたい

私が6歳のとき、父が再婚し、新しい母親がやって来ました。 「今日からこの人がお前のお母さんだ」と父が紹介したその日から、彼女は私を本当の子供のように可愛がってくれました。 …

カップルと夕日(フリー写真)

国境と愛

彼女と俺は同じ大学だった。二人とも無事四年生になってすぐの4月、連日のように中国での反日デモがニュース番組を賑わしていた頃のこと。 中国人の彼女とはどうしても険悪なムードになるか…

親子(フリー写真)

育ててくれてありがとう

中学生の頃はちょうど反抗期の真っ最中だった。 ある日、母と些細な事で喧嘩になり、母から 「そんな子に育てた覚えはない!」 と言われました。 売り言葉に買い言葉で…

手を繋ぐ夫婦(フリー写真)

最愛の妻が遺したもの

先日、小学5年生の娘が何か書いているのを見つけた。 それは妻への手紙だったよ。 「ちょっと貸して」 と言って内容を見た。 まだまだ汚い字だったけど、妻への想いが…

誕生日ケーキ(フリー写真)

父への反抗期

これは反抗期の頃の話なのだけど、今でも忘れられない。 幼い頃からずっと片親で育って来た私は、父親と二人暮らしをしていた。 父は友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に…

結婚式(フリー写真)

もしもし、お母さん

私が結婚を母に報告した時、ありったけの祝福の言葉を言い終えた母は、私の手を握り真っ直ぐ目を見つめてこう言った。 「私にとって、みおは本当の娘だからね」 ドキリとした。 …

駅のホームに座る女性(フリー写真)

貴女には明日があるのよ

彼女には親が居なかった。 物心ついた時には施設に居た。 親が生きているのか死んでいるのかも分からない。 グレたりもせず、普通に育って普通に生きていた。 彼女には…

シロツメグサ

手話で結ぶ絆

私たちの娘は3歳で、ほとんど聞こえません。 その現実を知った日、私と妻はただただ涙に暮れました。繰り返し泣きました。 難聴という言葉が娘を別の世界の生き物に見せてしまうほ…

炊き込みご飯(フリー写真)

母の炊き込みご飯

俺は小学生の頃、母の作った炊き込みご飯が大好物だった。 特にそれを口に出して伝えた事は無かったけど、母はちゃんと解っていて、誕生日や何かの記念日には、我が家の夕食は必ず炊き込みご…

東京ドーム(フリー写真)

野球、ごめんね

幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。 学も無く技術も無かった母は、個人商店の手伝いのような仕事で生計を立てていた。 それでも当時住んでいた土地にはまだ人…