おばあちゃんの深い愛

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 | 祖父母 | 長編

祖母の手(フリー写真)

幼い頃から両親が共働きで、俺の面倒を見てくれたばあちゃん。

俺は癇癪持ちだったからめちゃくちゃ怒られたけど(笑)。

あまりにも怒らせると、トイレに閉じ込められたりもした。

わんわん泣きながら、

「ごめんなさい」

とよく謝っていた(笑)。

小学校高学年になると、力では完全に俺の方が強くなっていたっけ。

中学生になった頃には、荒れに荒れて、頭では解っているけど歯止めが効かない。

と言うか、解っていたけど解りたくないと言うか、そんな自分が許せないと言うか。

思春期と癇癪が合体したような地獄絵図だったと思う(笑)。

そんな反抗期を過ごしていたので、当然のようにばあちゃんにも当たり散らしたこともあった。

不満があるような家庭でもなく、寧ろ幸せな家族だったと思う。

なのに、歯止めが効かず、特にばあちゃんを泣かせ過ぎた。

なのに、ばあちゃんはずっと優しかった。

やがて18歳になり実家を出て、住み込みで働きながら部屋を借りるお金を貯めていた。

偶に実家に帰ると、必ず祖母が出迎えてくれる。

住み込み先に戻る時も、毎回握手をして、最後まで見送ってくれる。

「何で握手なんだよ」と聞いたら、元気が貰えるのだとか何とか(笑)。

いつも笑顔で握手を求めてくるばあちゃん。

口には出せなかったけど、そんなばあちゃんが大好きだった。

ばあちゃんと会うと、何故か解らないけど安心できた。

そんなある時、住み込み先に帰る時、ばあちゃんと一つ約束をした。

次の給料で少しだけお金が余るから、ラーメンと焼肉を奢ってあげる、と。

そしたらばあちゃんめっちゃ泣き出して、その気持ちだけで十分だからお金は自分のために使いなさいってさ。

本当に優しいばあちゃん。

でもそこは俺が我を通して約束してもらった。

そして、給料日の一週間前に実家に帰った。

次の週でラーメンと焼肉に行く打ち合わせをするために。

しかし、実家にばあちゃんの姿はなかった。

母に訊ねたら、急に体の具合が悪くなって入院したのだとか。

急いで病院へ向かった。

病院に着きばあちゃんの病室へ行くと、いつも元気なばあちゃんの姿はそこにはなかった。

疲れ切ったような、何か我慢しているような。

でも、俺の存在に気が付くと嘘のような、でも精一杯の笑顔で迎えてくれた。

あと三日もすれば退院できるだろうと、穏やかな笑顔で話していた。

沢山お喋りして、日も暮れて来たので、

「また明日から仕事だからそろそろ帰るね。来週までには治しておいて!」

と言いながら俺から握手した。

でも、その握手がいつもと違った。

全く力が入っていない。

それでも全力で笑顔だから、気付かない振りをしていたけど、嫌な予感しかなかった。

そして次の日の朝。

仕事中に兄から電話が来た。

いつも何か用事がある時は、仕事が終わった時間を見計らって連絡して来るはずの兄からの電話で、何となく予想できた。

上司に言って早退させてもらい、急いで病院へ向かった。

病院に着いた時にはもう意識もなく、機械に繋がれ、投薬を止めたら時間はそうかからず死んでしまう状態だった。

そんなばあちゃんを見て頭が真っ白になった。

覚悟はしていたけど、色々な想いが込み上げて来て、そこから先の記憶があまりない。

ただその中で、はっきりと覚えていることがある。

集まった家族や親戚の前で泣きじゃくりながら、

「ラーメンと焼肉行くんやろ!」

「約束したやん!」

「全然足りんけど…少しだけでも恩返しぐらいさせてくれや!」

「昨日も話したやろ!」

と、声にならない声を振り絞ってばあちゃんに言った。

すると、意識はもうないはずなのに突然、顔を無理矢理俺の方に向けて、

「ありがとうね」

その場に居た全員がハッキリと聞いた。

本当に苦しそうな声で、でも苦しそうだった顔が嘘のように、凄い笑顔で…。

その後は投薬が終わり、それと同時にばあちゃんの呼吸が弱くなり、すぐに止まった。

投薬を止めてからは、本当に早かった。

俺は医者と看護師さんに引き離されるまで、ばあちゃんにしがみついて泣いていた。

胃ガンだったらしい。

進行も速かったらしいし、見つかった時には既に手の施しようがなかったそうだ。

俺は何も知らなかった。

俺だけが知らなかった。

それは、ばあちゃんが死ぬまで黙っていてくれと、お願いしていたからだ。

苦しかっただろうな…。

早く楽にしてあげられなくてごめんね。

最後まで俺の事を気にかけてくれてたばあちゃん。

本当に本当にありがとう。

強さと優しさに溢れていたばあちゃんが大好きです。

あなたの深い愛を俺は息子達に伝えて行きます。

こんな俺を最後まで愛してくれて、本当にありがとう。

関連記事

パソコン(フリー写真)

母からのメール

私が中学3年生になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。 当時の自分は受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なのだろうか、お金は大丈夫なのだろう…

手紙を書く手(フリー写真)

寂しい音

ある書道の時間のことです。 教壇から見ていると、筆の持ち方がおかしい女子生徒が居ました。 傍に寄って「その持ち方は違うよ」と言おうとした私は、咄嗟にその言葉を呑み込みまし…

猫(フリー写真)

息子が教えてくれた

ある日、子供が外に遊びに行こうと玄関の戸を開けた。 その途端、まるで見計らっていたかのように、猫は外に飛び出して行ってしまいました。 そして探して見つけ出した時には、あの子…

猫(フリー写真)

猫のアン

私が小学生の時、野良猫が家に懐いて子猫を生んだ。メス一匹とオス三匹。 その内、オス二匹は病気や事故で死んだ。 生き残ったメスとオスには、アンとトラという名前を付けた。 …

アイスクリーム(フリー写真)

アイスクリーム

中学3年生の頃、母が死んだ。 俺が殺したも同然だった…。 ※ あの日、俺が楽しみに取ってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった。 学校から帰り冷凍…

蛍(フリー写真)

蛍は亡くなった人の魂

祖父が死んで、もう12年になる。 幼い頃から、 「蛍は亡くなった人の魂だから、粗末に扱うな」 と祖父に教えられてきた。 ※ 去年の8月15日の夜、父と俺とで家族総…

ちゃぶ台(フリー写真)

色褪せた家族写真

一昨年、ばあちゃんが死んだ。 最後に会ったのは、俺が中学生の時だったかな。 葬式の為に20年越しで、ばあちゃんの住んでいた田舎に行った。 次の日、遺品の整理をする為に…

おむすび(フリー写真)

母の意志

僕が看取った患者さんに、スキルス胃がんに罹った女性の方が居ました。 余命3ヶ月と診断され、彼女はある病院の緩和ケア病棟にやって来ました。 ある日、病室のベランダでお茶を飲み…

犬

隅っこの守護者

家で可愛がっていた犬が亡くなって、もう何年経っただろう。当時はまだ子育て中で、二人の小さい子供たちと忙しい日々を送っていました。ある日、夫が「番犬にもなるし子供たちにもいい」と突然犬…

赤ちゃんの手を握る母(フリー写真)

お母さんありがとう

昨日、午前4時22分に母が亡くなった。 風邪ひとつ引かない元気な母だった。 僕が幼稚園に入る頃には、もう父は居なかった。 借金を作って逃げたらしい。 母は早朝4…