娘からの愛情弁当

公開日: 子供 | 家族 | 心温まる話

父と娘(フリー写真)

俺は高校まで都立でずっと給食だったし、大学のお昼も学食やコンビニで済ませていた。

母親の手作り弁当の記憶など、運動会か遠足くらいだ。記憶が遠過ぎて覚えていない。

就職しても社食が当たり前で、妻も俺に弁当を作ったことはない。

俺自身も弁当箱を持って歩くのは荷物になるし、弁当への思い入れも何もなかった。

そんなある日、中学生になった娘が、

「はい。オヤジさん(娘は俺をこう呼ぶ)」

と、バンダナで包まれた弁当箱を俺に手渡した。

「何じゃ? これ?」と俺が言うと、

「だって、今日オヤジさんの誕生日じゃん」と言う。

俺、絶句。

「何だ、お前、弁当作ってくれたのかよ。食えるのか?」

と、恥ずかしさのあまり悪態をついてしまった。

だが娘は、

「一生懸命、早起きして作ったよ」

と笑顔だった。

会社に着いてから気になって弁当箱の中身を確認すると、ご飯には鮭フレークでハートが描いてあった。

おかずはハンバーグとウインナー、そしてベーコンポテト。俺の好きなチーズも入っていた。

胸が詰まった。

2450グラムと小さく生まれて来た日のこと。

夜中に熱を出して夜間診療所に駆け込んだこと。

運動会の徒競走で転んだこと。

父の胸に幼い日の娘の姿が過る。

あいつ、こんなに大きくなりやがって。

食べた弁当の味は、しょっぱい。俺の涙の味だ。

関連記事

花束

深く、不器用な愛情

私は先天性の障害を持つ足で生まれました。 幼い私が、治療で下半身がギプスに覆われた時のことです。 痛みで泣き叫んだ夜、疲れ果てて眠った私を見て、強がりの父が涙を流していま…

お手玉(フリー写真)

私のこと忘れないでね

遠い昔、私が小学4年生の頃の話です。 当時の僕は人見知りで臆病で、積極的に話しかけたりするのが出来ない性格でした。 休み時間、みんなは外に出て遊んでいても、僕は教室の椅子…

結婚式(フリー写真)

もしもし、お母さん

私が結婚を母に報告した時、ありったけの祝福の言葉を言い終えた母は、私の手を握り真っ直ぐ目を見つめてこう言った。 「私にとって、みおは本当の娘だからね」 ドキリとした。 …

レジ(フリーイラスト素材)

一生懸命に取り組むこと

その女性は、何をしても続かない人でした。 田舎から東京の大学に進学し、サークルに入ってもすぐに嫌になって、次々とサークルを変えて行くような人でした。 それは、就職してからも…

結婚式

父娘の絆

土曜日の太陽が、一人娘の結婚式を温かく照らしていた。 私が彼女たち母娘と出会ったのは、私が25歳の時でした。妻は33歳、娘は13歳というスタートでした。 事実、彼女は私の…

診療所(フリー写真)

今は亡き僕の先生

僕は幼い頃から病弱で、いつも何かしらの病気にか罹っていた。 例えば、喘息、熱、インフルエンザなど。 そのような時はいつも診療所の先生に診ていただいていた。 その先生…

学校の教室(フリー素材)

伝説になった校長先生

中学生の頃、同級生に本屋の娘さんがいた。 その娘の本屋さんで万引きをして警察に突き出された生徒達が、 「お前の親のせいで希望の高校に行けなくなるかもしれない!お前が責任を…

桜(フリー写真)

大切な5つの言葉

1. 今、辛い人はそのことで頭がいっぱいになるが、辛さや悩みはいつか必ず終わる。 終わることが分かっていれば、今の辛さも軽くなる。 過ぎてしまえば大したことなかっ…

婚約指輪(フリー写真)

例外の入籍手続き

彼は肺がんで入院していて、余命宣告されていました。 本人は退院後の仕事の予定も入れ、これからの人生に気力を振り絞っていました。 私と彼は半同棲状態、彼はバツイチ、そして大分…

渓流(フリー写真)

お母さんと呼んだ日

私がまだ小学2年生の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。 特に苛められたとかそういうことは無かったのだけど、何だか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べない…