住宅展示場で二回叩いた柱

モデルルーム

柱は、二回叩く。

一回目で音を聞き、二回目で確かめる。

それが、私が家というものについて知っている、ほとんど唯一のことだった。

九月の日曜日、私たち家族は住宅展示場にいた。

高松の郊外、空港へ向かう県道沿いに、旗が何十本も立っている場所だ。

父が六十で現場を退くのを機に、四十年住んだ家を建て替える。

その話が出たのは、お盆の食卓だった。

両親と、二つ下の妹と、私。

妹は去年、婚約者と一度この住宅展示場に来ている。

初めてなのは、私だけだった。

三十を目前にして、まだ実家の二階に住んでいる娘。

家を建てるという話に、自分の席があるのかどうか、よく分からなかった。

それでも、新しい家という言葉には、勝手に胸が動いた。

今の家は、父が二十代の終わりに建てた。

塗装職人の父は、外壁を五年ごとに自分で塗り直した。

だから家の色は、私が覚えているだけで四回変わっている。

白、薄い灰色、また白、そして今の生成り色。

色は変わっても、縁側の柱だけは、ずっと同じ木のままだった。

正門を入ると、焼き菓子の甘い匂いがした。

どの家も、玄関を開けると同じ匂いがする。

妹が「営業の匂いや」と笑った。

父は笑わなかった。

父は、どの家でも黙って床を踏み、壁を撫でて、何も言わなかった。

塗装職人にとって、家は仕上がりを見るものだ。

刷毛の跡が残っていれば、父の目はそこで止まる。

一軒目も、二軒目も、父の目は止まらなかった。

母は台所ばかり見ていた。

両腕を広げて、流し台の幅を測る。

四十年、同じ幅の流しで家族の皿を洗ってきた人の測り方だった。

妹は二階の子ども部屋で、婚約者に電話をしていた。

私だけが、どこにいればいいのか分からずに、廊下に立っていた。

三軒目の家だった。

白い外壁で、二階の窓が大きい。

玄関に、焼き菓子の匂いはなかった。

代わりに、木の匂いがした。

父が、和室で立ち止まった。

部屋の真ん中に、一本の太い柱が立っていた。

今どきのモデルハウスには珍しい、化粧を施していない檜の大黒柱だった。

父はその柱に手を当てて、しばらく動かなかった。

「ええ檜や。」

それだけ言って、母のほうを見た。

母は、何も言わなかった。

ただ、ハンドバッグの持ち手を、両手で握り直した。

私は、二人のあいだにある何かを見た気がしたが、そのときは分からなかった。

私は、癖で柱を叩いた。

こん、こん。

二回。

乾いた、芯のある音がした。

「まほちゃん。」

背後で、名前を呼ばれた。

まほちゃん、という呼び方をする人は、もう家族にもいない。

振り向くと、紺のスーツを着た男の人が立っていた。

名札に、新開、とあった。

「新開、拓。」

私が名札を読むより先に、彼が言った。

「小学校、四年まで一緒やった。」

記憶が、順番を飛ばして戻ってきた。

教室の窓際の席。

四年生の秋に、挨拶もなく転校していった男の子。

その顔が、目の前の人の笑い方の中にあった。

変わっていないのは、笑うと片方の眉だけが下がるところだった。

「なんで分かったん。」

「柱、二回叩いたやろ。」

彼は、私が叩いた場所を、自分の指で軽く叩いた。

こん、こん。

「二回叩く子、一人しか知らんけん。」

妹が、私の袖を引いた。

母は、彼の名札を見て、それから父を見た。

「新開さんの……」

母がそこまで言って、口を閉じた。

彼は、母に向かって深く頭を下げた。

「息子です。」

父は、柱から手を離さなかった。

「この柱は。」

父が、初めて営業の人に質問をした。

「どこの材や。」

「うちの倉庫の材です。」

彼はそう答えて、一瞬だけ私を見た。

それ以上は、何も言わなかった。

父も、それ以上は聞かなかった。

卒業アルバムの空欄

その夜、私は押入れから卒業アルバムを出した。

六年生の写真に、彼はいない。

四年で転校した子は、クラス写真の隅に「転出」と小さく名前が並ぶだけだ。

新開拓、の四文字が、小さな活字で載っていた。

妹が、後ろから覗き込んだ。

「お姉ちゃん、その人のこと好きやったん。」

「小四やで。」

「小四でも好きは好きやろ。」

私は答えなかった。

答えない代わりに、四年の学級写真を見た。

私の隣で、片方の眉を下げて笑っている子がいた。

思い出したのは、転校の日のことだった。

彼は朝の会で挨拶をしなかった。

先生が「新開くんは今日でお別れです」と言い、彼はうつむいて、それで終わった。

帰り道、私は校門の前で彼を待った。

何を言うつもりだったのか、覚えていない。

彼は裏門から帰ったらしく、会えなかった。

その日の夕方、家の縁側の柱に、小さな傷が付いていた。

小刀で削ったような、短い線が二本。

母は「猫やろ」と言った。

私は、猫ではないと思った。

思っただけで、誰にも言わなかった。

その傷は、今も縁側の柱にある。

父が外壁を四回塗り替えても、柱の傷だけは誰も触らなかった。

アルバムを閉じたとき、階下で父が風呂から上がる音がした。

「まほ。」

廊下から、父が声をかけた。

「あの家の柱、どう思た。」

「ええ檜やった。」

父の言葉を、そのまま返した。

父は少し笑って、二階へは上がってこなかった。

階段の下で、父が立ち止まっている気配だけが、しばらく続いた。

翌週の夕方、父は縁側で缶ビールを開けていた。

私が隣に座ると、父は柱の傷を親指で撫でた。

「新開はな。」

父は、私に話すというより、柱に話していた。

「木の値段を、人の懐に合わせる大工やった。」

二十代の父は、新開さんの現場で外壁を塗っていた。

大工と塗装屋は、同じ家を、順番を待って仕上げる。

その順番のあいだに、二人は何年分もの弁当を並べて食べたのだそうだ。

「ええ大工やった。」

父はそう言って、ビールを飲んだ。

「やった」という言い方が、私の胸に引っかかった。

聞かなかった。

聞かないまま、私も柱を二回叩いた。

商店街の柱時計の下

数か月後、私は駅前の商店街で彼と会った。

アーケードの真ん中に、古い柱時計がある。

その下で、彼は缶コーヒーを持って立っていた。

スーツではなく、作業着だった。

膝に、木くずが付いていた。

「現場もやるん。」

「営業は昼まで。午後は現場。」

彼は、そういう会社だと言った。

自分で建てて、自分で売る。

だから住宅展示場に、化粧をしない柱が立てられる。

「うちの親父、大工やったけん。」

その一言で、私はもう一つ思い出した。

彼の父親が、私の家の縁側を建てた人だということ。

五歳の夏、私の家は縁側を増築した。

現場に一か月、職人さんが通った。

私は毎日、その人の後ろをついて歩いた。

弁当のたくあんを、一切れ分けてもらった。

墨壺の糸を、指で弾かせてもらった。

糸は、いつでもまっすぐだった。

柱は二回叩け。

一回目で音を聞け。

二回目で確かめよ。

それを教えてくれたのは、私の父だと思っていた。

父は職人だから、そういうことを言う人だと。

「違うで。」

彼は、缶コーヒーを持ったまま言った。

「それ、うちの親父の口癖や。」

柱時計が、三時を打った。

「親父、三年前に、先に逝ったんや。」

彼は、時計を見上げたまま言った。

私は、何と言えばいいのか分からなかった。

言えないまま、私も時計を見上げた。

三時を打ち終えた時計は、それきり何も言わなかった。

父の「やった」は、そういう意味だった。

その日から、連絡を取り合うようになった。

何気ない日常を送り合うだけの、短いメールだった。

現場の昼飯。

妹の結婚式の日取り。

父が図面を三度描き直したこと。

母が、新しい家の台所の向きで、父と一週間口をきかなかったこと。

ある夜、私は縁側の柱の傷を写真に撮って送った。

返事は、三日来なかった。

四日目の朝に届いたのは、四文字だけだった。

「まだあるんか。」

それ以外の返事の最後は、いつも同じだった。

「柱、叩いとる?」

(想いを声にせず、文面だけで届け続ける話は、妻からの初メールにも書かれている)

住宅展示場の三軒目の夜

半年後、初めて二人で食事に行った。

駅裏の小さな店で、彼は魚を、私は肉を頼んだ。

会話は、ほとんど家の話だった。

そのあとで、彼が「見せたいもんがある」と言った。

夜の住宅展示場は、旗が全部下ろされて、別の場所のようだった。

彼は鍵を開けて、三軒目の家に私を通した。

和室の灯りだけを点けた。

大黒柱が、昼間より濃い色をしていた。

「裏、見てみ。」

柱の裏側に、墨で文字が書かれていた。

職人が材木に書く、あの太い字だった。

五十八年、と読めた。

その下に、名字があった。

松田様。

私の家の名字だった。

「親父の字や。」

彼は、柱に手を当てて言った。

「昭和五十八年、まほちゃんの家の縁側を建てた年。」

「その年に、親父はこの檜を買うた。」

「まほちゃんの家の柱にする、言うて。」

縁側の増築は、予算の都合で、柱を安い材に変えたのだという。

私の父が、そう頼んだ。

職人だから、無理をしない値段が分かる。

彼の父は、買ってしまった檜を、二十年以上、倉庫に寝かせた。

使わずに、松田様の墨書きも消さずに。

「大きゅうなったら、まほちゃんの家の柱、わしが立てたる。」

五歳の私に、そう言ったらしい。

私は、覚えていなかった。

覚えていないのに、柱を二回叩く癖だけが残っていた。

「親父が逝って、倉庫を片付けたとき、これが出てきた。」

ほかの材木は、全部売られていた。

その一本だけが、布をかけられて、奥に残っていたのだという。

布を外したとき、彼は墨書きを読んで、しばらく倉庫を出られなかった。

「捨てられんかった。」

「せやから、会社に頼んで、ここに立てた。」

「まほちゃんが、いつか見に来るかもしれん、思て。」

私は、柱を叩いた。

こん、こん。

二回。

音は、昼間と同じだった。

芯のある、乾いた音。

それが、二十年以上のあいだ、私の家の柱になるのを待っていた音だった。

「初恋の相手やったんや。」

彼は、柱を見たまま言った。

「転校の日、言えんかった。言えんまま、縁側の柱に傷つけて帰った。」

猫ではなかった。

やっぱり、猫ではなかった。

私は、返事の代わりに、もう一度柱を叩いた。

今度は、彼も一緒に叩いた。

四回の音が、和室に落ちた。

春の上棟の日

父に話したのは、その週の日曜だった。

父は、湯呑みを置いて、長いあいだ黙っていた。

それから、母のほうを見た。

「知っとった。」

母が言った。

「新開さんが、あんたのために檜を買うたこと。」

「お父さんは、それを断った。断って、ずっと気にしとった。」

父は何も言わなかった。

ただ、住宅展示場で柱に手を当てたときと同じ顔をしていた。

あの日、父は柱を見て、すぐに分かったのだ。

ええ檜や、という一言に、三十年近い借りが詰まっていた。

(父親が黙ったまま抱え続けた借りの話は、送り状の控えを数えた朝にもある)

秋、私の家は三軒目の家の会社と契約した。

モデルハウスは五年で取り壊される。

その前に、大黒柱だけを譲り受けたいと、父が頭を下げた。

彼は「親父が喜びます」と言って、それ以上は何も言わなかった。

契約書に判を押したあと、父は彼に向かって、初めて頭を下げた。

「お父さんに、詫びを言えんかった。」

「柱が立ったら、言うてください。」

彼は、そう答えた。

上棟は、翌年の四月だった。

古い家は、冬のうちに解体された。

縁側の柱だけは、父が自分で外して、倉庫に運んだ。

傷の付いた面を、上にして。

上棟の朝、クレーンが大黒柱を吊り上げた。

柱は、ゆっくりと立った。

裏側の墨書きが、朝日に照らされて、一度だけ見えた。

五十八年、松田様。

柱の裏の墨書きは、彼のお父さんの字で、私の家の名字だった。

父は柱の根元に手を当てて、小さく言った。

「新開さん、遅うなった。」

それだけだった。

彼は、父の隣で、帽子を脱いで立っていた。

私は、柱を二回叩いた。

こん、こん。

その隣で、彼も二回叩いた。

四十年待った柱が、やっと家になった。

その家に、彼の席があるのかどうかは、まだ誰にも言っていない。

言わないまま、私は今日も、住宅展示場で覚えた癖のとおり、柱を二回叩いている。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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