焼津の冬は、朝がいちばん白い。
いぶし小屋の煙出しから漏れた煙が、まだ暗い路地に低く溜まっている。
その中を、私は毎朝五時に歩いていた。
鰹節の焙乾(ばいかん)は、突き詰めれば火の番だ。
薪をくべ、煙を回し、節から少しずつ水を抜く。それを十日も二十日も繰り返す。
急げば身が割れる。緩めれば黴が来る。
だから焙乾室の前には、一日じゅう誰かが座っている。
薪の爆ぜる音と、天井から落ちてくる煤の匂い。
耳のなかにいつも低い唸りがあって、家に帰っても、しばらくは消えない。
港のほうから、水揚げの声が風に乗って届く朝もあった。
親方の榊原さんは、私が薪を放るたび、こちらを見もせずに怒鳴った。
「一本ずつ入れるな」
「樫は一本じゃ熾(おこ)らん。二本、向かい合わせに置け」
「片方はな、隣の熱で燃えとるんじゃ」
小屋に入って七年経っても、その一点だけは毎朝叱られた。
手は覚えているのに、急ぐと頭のほうが先に動いてしまう。
家に帰ると、妻の佐和子が鼻をつまんで笑った。
「また猫が寄ってくるよ、あんた」
本当に、路地の三毛が玄関先で待っていることがあった。
作業着に染みた燻しの匂いは、風呂に二度入っても抜けない。
枕にも、財布の中にも、その匂いがした。
あのころの私たちの暮らしで、いちばん確かなものは、たぶんその匂いだった。
※
子供のことは、長く待っていた。
一度目は、結婚して二年目の秋だった。
ちょうど新節(あらぶし)を仕込む時期で、私は三晩、家に帰らなかった。
帰ったとき、佐和子は洗濯物をたたみ終えていて、小さな肌着だけが畳の隅に残っていた。
買ったのは、その前の月だ。
気が早いと私が笑ったら、佐和子は「安かったの」と言い訳をした。
肌着はその晩のうちに、押し入れの奥の紙袋に入った。
紙袋の口を折る音を、私は布団のなかで聞いていた。
二度目は、その翌々年の梅雨。
雨の日は煙が抜けない。小屋の中がいつまでも白い。
あの年の梅雨のことを思い出すと、今でも視界が白くなる。
そのたびに私は「また頑張ろう」と言った。
言うたびに、佐和子の返事が少しずつ短くなっていくのに気づいていながら、ほかの言い方を知らなかった。
佐和子は缶詰工場で検品をしていた。
ベルトの上を流れる缶を、一日じゅう目で追う仕事だ。
蓋の縁に髪一本ぶんの傷があれば、それを弾く。
「見つけようと思って見たら、見えんのよ」と佐和子はよく言っていた。
「ぼうっと見とるほうが、傷のほうから出てくる」
私はその話が好きで、火の色を見るときにも、同じことを考えるようになった。
二度目のあと、職場で若い子の妊娠がわかったらしい。
その日の夕飯のとき、佐和子は誰よりも大きな声で「よかったねえって言ってきた」と笑った。
笑いながら、白飯を三度よそって、三度とも半分残した。
その晩、佐和子は隣の順子さんに借りていた雑誌を返しに行った。
戻ってくるまで、いつもの倍かかった。
玄関で靴を脱ぎながら「風が冷たいわ」と言った顔が、少し腫れていた。
私は何も言わずに、風呂の栓を抜きに行った。
言葉を探す時間が、そのぶんだけ稼げると思ったのだ。
※
二度目のあと、私の妹が家に来た。
台所で洗い物を手伝いながら、妹は悪気なく言った。
「お義姉さん、働きすぎなんじゃないの」
「うちなんか、なんも気にせんでもぽんぽん生まれたよ」
佐和子は「そうかもねえ」と言って、皿を拭き続けた。
拭き終わった皿を、もう一度拭いていた。
私はその場で妹を怒鳴りつけた。
それから今日まで、妹夫婦とはほとんど行き来がない。
怒鳴ったのが妹に対してだったのか、何も言えなかった自分に対してだったのか、今でもよくわからない。
その夜、佐和子は布団のなかで一度だけ、こう言った。
「あの子、悪気ないんよ」
「知っとる」
「知っとるのに、怒ってくれてありがとうね」
私は返事の代わりに、掛布団の端を引き上げた。
あのとき、もっと違う言葉があったはずだと、今でもときどき思う。
※
三度目は、平成七年の二月だった。
その朝、佐和子は珍しく弁当を作った。
「病院、昼で終わるでしょ。帰りに海でも見て食べようよ」
私は「そうだな」と言って、それを鞄に入れた。
浜通りの佐野産科の待合室は、その日やけに空いていた。
灯油ストーブの上で、薬缶がずっと同じ音を立てていた。
壁には、母子手帳の交付の案内と、色の褪せた予防接種の紙が貼ってあった。
二階へ上がる階段が、ときどき軋んだ。
誰かが上がっていく音は聞こえるのに、下りてくる音は、なかなか聞こえなかった。
診察室から出てきた佐和子は、長椅子の端に座って、膝の上のかばんを両手で押さえた。
それから、声を殺して泣いた。
人目もはばからず、というのとは違う。
はばかる余力が、もう残っていなかったのだと思う。
「ごめんね」
「でも、もう、頑張れんかもしれん」
私は「佐和子が悪いわけじゃない」と言った。
「こういうのは、運だから」
そう言いながら、頭の片隅で、子供のいない人生のかたちを、もう測り始めていた。
診察室から廊下に出たあの数歩の間に、私はすでにそれを考えていたのだ。
情けない男だと思う。
そのことを、私は佐和子に一度も言えていない。
弁当は、結局その日の夜に、二人で黙って食べた。
海で食べようと言った浜には、寄らなかった。
台所の蛍光灯の下で蓋を開けたら、卵焼きが四切れ入っていた。
いつもは三切れだ。
佐和子は自分の分から一切れ、私の側に寄せて、それきり何も言わなかった。
※
その待合室に、小さな男の子が来た。
四つか五つ。今どき珍しい五分刈りで、目だけが妙に大きかった。
男の子は佐和子の隣に、当たり前のような顔をして座った。
「あのね、これあげるから、もう泣かないで」
差し出した手のひらに、指輪が二つ載っていた。
駄菓子のおまけの、うすいプラスチックのやつだ。
水色と、赤。
受け取った佐和子の手のなかで、私はそれを間近に見た。
水色のほうだけが、爪で擦ったように白く曇っていた。
そのときは、古いのを一つ混ぜたんだな、としか思わなかった。
「水色のは、泣かないお守り」
「赤いのは、お願いできるお守り」
私は膝を折って、その子と目の高さを合わせた。
「いいの。ボクのお守りでしょう」
「いいよ。ボクね、これ使ったら泣かなくなったから」
「もう強い子だから、いらないの」
「赤いほうは? お願いが叶うんでしょう。これは持っときな」
男の子は、少し困った顔をした。
それから、しっかりした声で言った。
「これね、二つないとパワーが出ないんだって」
「おとうさんが言ってた」
そして佐和子の頭を、二回だけ撫でた。
撫で方が、大人の真似をしている手つきだった。
廊下の奥から、男の人の声がした。
「ゆうきー、帰るぞー」
男の子は佐和子の膝に指輪を二つ置いて、走っていった。
「じゃあね、ばいばーい」
私はその背中を、角を曲がるまで目で追っていた。
隣を見ると、佐和子は二つの指輪を、両手で包むように握っていた。
お守りだの願かけだのを、私たちは信じたことがない。
それでもその日から、佐和子はサイズの合わない指輪に紐を通して、かばんに下げるようになった。
紐を通したのは、その晩のうちだった。
裁縫箱から出した細い赤糸を、二本の指輪に別々に通し、それをひとつに結んだ。
「離すと、なくすでしょ」
結び目を歯で締める音が、台所に小さく響いた。
帰りぎわ、私は受付の看護婦さんに、あの子のことを訊いてみた。
「さっきの五分刈りのお子さん、どちらの」
「さあ、どなたのお子さんでしょうねえ」
それ以上は訊かなかった。
訊いてはいけない気がした、というより、あの日はもう、何かを追いかける力が残っていなかった。
※
三度目のあと、しばらく私は仕事にならなかった。
薪を組む手が止まる。煙の色を見誤る。
節の表面を指で撫でても、乾き具合が読めない。
榊原さんは何も訊かなかった。
ただ、私が来ない朝の火だけは、自分一人で守っていた。
ある晩、片づけをしながら、親方がぽつりと言った。
「おまえ、まだ一本で熾そうとしとるな」
「火のことじゃないぞ」
それだけ言って、先に帰っていった。
あとで知ったことだが、榊原さんのところにも子はいなかった。
奥さんは早くに亡くなって、それから四十年、あの人は毎朝いちばんに小屋の鍵を開けている。
一度だけ、親方が焙乾室の柱を撫でながら言ったことがある。
「ここの火はな、四十年、一遍も落としとらん」
「落としたら、また熾すのに三日かかる」
その言い方で、私はなんとなく、この人が何を落とさずに来たのかがわかった気がした。
私はその晩、佐和子に、あの廊下で考えたことを話そうとした。
結局、味噌汁の実のことを話して終わった。
それでも、自分から話しかけたのは、ずいぶん久しぶりだった。
翌朝、佐和子は弁当を二つ作った。
「親方の分。いつも代わってもらってるでしょ」
その冬、一度だけ火が落ちかけた晩がある。
雨が横なぐりに入って、煙道が湿った。
私は明け方まで薪を組み直し続けた。
二本ずつ、向かい合わせに。
朝、様子を見に来た榊原さんは、火の色を一目見て「うん」とだけ言った。
それが、七年でいちばん嬉しかった。
※
娘が生まれたのは、それから二年半後の二月九日だった。
二七七〇グラムの女の子。
妊娠がわかった日、佐和子は喜ばなかった。
台所に立ったまま、しばらく蛇口の水を出しっぱなしにしていた。
「怖いね」
「うん」
その日から生まれるまでの月日を、私たちはほとんど何も言わずに過ごした。
安定期に入っても、佐和子は何も買わなかった。
肌着も、名前を書く紙も、用意しなかった。
ただ、かばんの指輪だけは、毎晩ふきんで拭いていた。
私は私で、小屋の帰りに遠回りをして、産科の前を通るようになった。
二階の窓に明かりがついているのを確かめて、それから家に帰った。
何を確かめていたのか、自分でもよくわからない。
生まれた晩、私は小屋の当番だった。
榊原さんが「行け」と言って、火の前の丸椅子に座った。
病院に着いたときには、もう終わっていた。
看護婦さんに渡された小さな包みが、思っていたより重かった。
重い、と口に出したら、佐和子が布団の中で笑った。
翌朝、小屋に寄ると、丸椅子に座ったままの親方が、こちらを見ずに言った。
「節、上がっとるぞ。見てこい」
名前は、生まれる前から決めていた。
男でも女でも、ゆうき。
字は有紀にした。
出生届は、私が持っていった。
窓口の人が字を確かめて、「有る、紀(のり)でよろしいですか」と訊いた。
「はい」と答えた声が、思ったより大きかった。
帰り道、自転車を漕ぎながら、一度だけ、産科のほうを見た。
退院の日、病室の窓から港のほうを見ながら、佐和子が言った。
「あの子に、お礼を言いたいねえ」
「どこの子かも、わからんのにね」
有紀は一つになる前から、かばんの指輪を狙うようになった。
口に入れようとして、佐和子が慌てて取り上げるのを、何度も見た。
「これはねえ、あんたのじゃないの」
「あんたを、連れてきてくれた人の」
妹からは、出産祝いが届いた。
佐和子は礼状を書き、包みは開けないまま押し入れにしまった。
そのことについて、私は何も言わなかった。
※
有紀が六つになった夏。
焼津神社の祭りの夜だった。
屋台の並びで、佐和子のかばんをじっと見ている男の人がいた。
四十半ばくらいの、日に焼けた人だった。
屋台の裸電球が、その人の頬に濃い影を作っていた。
有紀は少し離れたところで、金魚すくいの前にしゃがみこんでいた。
「すみません。それ、どこで」
佐和子が事情を話すと、その人は口を手で押さえて、しばらく何も言わなかった。
それから、少し離れて立っている中学生を、あごで示した。
もう五分刈りではなかったが、目だけは、あのままだった。
「うちの子です」
中学生はこちらに気づいて、軽く頭を下げた。
そして、すぐに視線を屋台のほうへ逃がした。
照れているのだと、その仕草でわかった。
宮野さんという人だった。
あの日、宮野さんの奥さんは、同じ産科の二階にいた。
宮野さんの家も、三度目だった。
奥さんはその後、体を悪くして、長く入院していたという。
今は元気で、この夏も一緒に来ているのだと、宮野さんは屋台の奥を指した。
白い帽子をかぶった小柄な人が、りんご飴を二つ持って立っていた。
二つ、と私は思った。
「あの指輪はね、二つで一組で買ったんです」
「兄妹(きょうだい)で、一つずつ持てって」
妹は、来なかった。
それでも宮野さんは、息子に同じことを言い続けたという。
二つないと力が出ない、と。
「水色だけが白う曇っとったでしょう」
「あれ、あの子が一年半、握っとった跡です」
私は、あの待合室の手のひらを思い出した。
赤いほうには、傷ひとつ付いていなかった。
あの子は、泣かなくなったから水色をくれたのではない。
一年半、それを握りしめて、泣かないでいたのだ。
そして、渡す相手のいなくなった赤いほうを、ずっと持っていた。
あの子は、自分の分と、妹に渡すはずだった分を、いっぺんに置いていったのだ。
宮野さんは笑って言った。
「あいつ、帰りの車で、二つとも渡したって言うもんで」
「わし、叱ったんです。片方は妹のだろうって」
「そしたら、あの子が」
そこで宮野さんは、少し黙った。
「二つないと、パワーが出ないんだよ、って」
祭り囃子が、やけに遠かった。
私の後ろで、有紀が綿あめの袋を破けずに、ひとりで大騒ぎをしていた。
※
別れぎわ、私はその中学生に近づいて、名乗った。
覚えていますか、とは訊けなかった。
代わりに、こう言った。
「うちの娘、ゆうきっていうんだ」
彼は少し考えてから、綿あめと格闘している有紀のほうを見た。
「二人いるんですね」
そう言って、笑った。
あの日の子が、そこにいた。
※
あれから、また何年か経った。
指輪は二つとも、有紀のへその緒と同じ桐の箱に入れてある。
水色は、あれ以上は曇らない。
誰も握らなくなったからだ。
曇りというのは、握った手のぶんだけ増えるものらしい。
桐の箱を開けるのは、年に一度、二月九日だけと決めている。
去年の暮れ、有紀を小屋に連れていった。
火の前にしゃがませて、薪の置き方を教えた。
「一本じゃ熾らんのよ」
「二本、向かい合わせに置くの」
「片方は、隣の熱で燃えとるだけ」
有紀は「ふうん」と言って、真面目な顔で樫を二本、きちんと向かい合わせに寝かせた。
私が七年かかったことを、その子は一度でやった。
帰り道、有紀が訊いた。
「ねえ、ゆうきって、だれの名前なん」
私は少し迷って、こう答えた。
「おまえが来るまえに、母さんの隣に座ってくれた子だよ」
「その子のなまえ、もらったの?」
「借りたんだ」
有紀は「かえすの?」と言って、真剣な顔をした。
「かえさんでいい。二つないと、力が出んから」
意味はわからなかったと思う。
それでも有紀は、うん、と大きくうなずいた。
ゆうきくん。
あの日のお礼を、私はまだ、まっすぐには言えていない。
言えばあの夏の夜が終わってしまう気がして、ずっと言いそびれている。
だからせめて、この子には、二本の置き方を教えている。
二本目を置く手つきだけは、もう私よりうまい。