特攻隊員の方の手紙

公開日: 悲しい話 | 戦時中の話

椅子と聖書(フリー写真)

お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならない時が来ました。

晴れて特攻隊員に選ばれ出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けて来ます。

母チャン、母チャンが 私を頼みに必死で育ててくれたことを思うと、何も喜ばせることが出来ずに、安心させることも出来ずに、死んでゆくのが辛いです。

母チャンが私にこうせよと言われたことに反対して、とうとうここまで来てしまいました。

私として希望通りで嬉しいと思いたいのですが、母チャンの言われるようにした方が良かったかなあと思います。

でも私は技倆抜群として選ばれたのですから喜んでください。

私ぐらいの飛行時間で第一線に出るなんて、本当は出来ないのです。

ともすれば、母チャンの傍に帰りたいという考えに誘われるのですけれど、これはいけないことなのです。

洗礼を受けた時、アメリカの弾に当たって死ぬより前に、汝を救うものの御手によりて殺すのだと言われましたが、これを私は思い出しております。

全てが神様の御手にあるのです。

神様の下にある私たちには、この世の生死は問題になりませんね。

私はこの頃、毎日聖書を読んでいます。

お母さんの近くにいる気持ちがするからです。

私は聖書と賛美歌を飛行機に積んで突っ込みます。

お母さんに祈って突っ込みます。

出撃前日

関連記事

青空(フリー写真)

命懸けの呼び掛け

宮城県南三陸町で、震災発生の際に住民へ避難を呼び掛け、多くの命を救った防災無線の音声が完全な形で残っていることが判りました。 亡くなられた町職員の遠藤未希さんの呼び掛けが全て収録…

日記帳(フリー写真)

親孝行したい時に

高校を卒業してから4年間、何もせずに家でお金を使うことしかしていなかった。 オンラインゲームをしたりゲームを買ったり。偶に親に怒鳴り散らしたりもした。 そんな駄目な俺が2…

洗濯バサミ

そのままの部屋

4年前、会社の友人が交通事故で奥さんと4歳の長男を失いました。飲酒運転の車が彼らを轢いたのです。ニュースでも大きく取り上げられるほどの痛ましい出来事でした。加害者家族も辛い日々を過ご…

夕焼け(フリー写真)

少年との約束

俺が入院していた時、隣の小児科病棟に5歳くらいの白血病の男の子が入院していた。 生まれてから一度も外に出られていない子だと聞いた。 ※ ある日、大声で泣く声がするので病室を覗…

戦時中

靖国での再会

俺の爺さんは戦地で足を撃たれたらしい。 撤退命令が出て皆急いで撤退していたのだが、爺さんは歩けなかった。 隊長に、「自分は歩けない。足手まといになるから置いて行って下さい…

手をつなぐカップル(フリー写真)

未来への遺言

私の初恋の人、かつての彼氏がこの世を去りました。 若さゆえに我儘を尽くし、悔いが残る行為ばかりでした。 ある日、突如として「別れて欲しい」と告げられ、私は意地を張って「い…

手作りハンバーグ(フリー写真)

最後の味

私が8歳で、弟が5歳の頃の話です。 当時、母が病気で入院してしまい、父が単身赴任中であることから、私達は父方の祖母の家に預けられていました。 母や私達を嫌っていた祖母は、…

お見舞いの花(フリー写真)

迷惑掛けてゴメンね

一年前の今頃、妹が突然電話を掛けて来た。家を出てからあまり交流が無かったので、少し驚いた。 「病院に行って検査をしたら、家族を呼べって言われたから来て。両親には内緒で」 嫌…

手を取り合う友(フリー写真)

友達からの救いのメール

僕の友達が事故で亡くなった。 本当に突然のことで何が何だか解らず、涙など出ませんでした。 葬式にはクラスのみんなや友達が沢山来ていました。 友達は遺影の中で笑っていま…

渓流(フリー写真)

お母さんと呼んだ日

私がまだ小学2年生の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。 特に苛められたとかそういうことは無かったのだけど、何だか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べない…