救助活動

公開日: 悲しい話 | 震災に関する話

震災(フリー写真)

東日本大震災。

辺りは酷い有り様だった。

鳥居の様に積み重なった車、田んぼに浮く漁船。

一階部分は瓦礫で隙間無く埋め尽くされ、道路さえまともに走れない。

明るくなると周りは更に悲惨な状態だった。

少し現実離れした光景に、

『夢の中に迷い込んだのか?』

と思われる程だった。

夜に現地入りしたが、そのまま寝ずに準備に明け暮れた。

人影は無く、電線は切れてバチバチ火花を出し、プロパンガスも開栓されたまま転がっている。

余震や津波の二次災害に内心恐怖を感じたのを覚えている。

生存者救助は、絶望的だと思われた。

数日が経ち、それでも僅かな望みを願いながら腰まで水に浸かり、泥の中を探っていた。

そこに一人の女性が現れ、

「すみません、息子があちらに居るんです!助けてもらえませんか?」

と声を掛けてきた。

流され必死で金網にしがみついたが力尽き、息子の手を離してしまったと泣きながら頼んできた。

総勢20名程で重なる瓦礫をよけ、泥を掘り返し休まず探すと、泥にまみれた衣服の端が見えた。

急ぎ掘り返すと小学校低学年くらいの子が見つかった。

母親は静かに傍らにしゃがみ、息子に声を掛けた。

「良かったね、自衛隊のお兄ちゃんたちが見つけてくれたよ、良かったね…。

本当に有り難うございます」

何度も頭を下げられたが…。

水で綺麗にしてあげて、布で包み、仮設安置所行きの車に乗り込む。

皆手を合わせ泣いていた。

多くの人々のご冥福を心より念願し、少しでも早く復興しますことを御祈りしております。

関連記事

アイスクリーム(フリー写真)

アイスクリーム

中学3年生の頃、母が死んだ。 俺が殺したも同然だった…。 ※ あの日、俺が楽しみに取ってあったアイスクリームを、母が弟に食べさせてしまった。 学校から帰り冷凍…

戦闘機

戦場の軍医と従兵の絆

先日、私は大伯父の葬儀に参列しました。読経の声が静かに流れる中、私は大伯父がかつて語った、唯一の戦争の話を思い出していました。 医師であった大伯父は軍医として従軍し、フィリピン…

手のひら(フリー写真)

出会い

昔、美術館でバイトをしていた。 その日の仕事は、地元の公募展の受け付け作業。 一緒に審査員の先生も一人同席してくれる。 その時に同席してくれたのは、優しいおじいちゃん…

雪(フリー写真)

プライド

私には自分で決めたルールがある。 自分が悪いと思ったらすぐに『ごめんなさい』と言うこと。 私は元々意地っ張りで、自分が悪いと思っても『ごめんなさい』の一言が出ない。 …

青空(フリー写真)

彼女に会いに行きたい

俺も元カノを亡くしたよ。もう何年も前だけど。 中学の頃に親父が死んでも大して泣かなかったが、これはボロ泣きした。 彼女とは3年ちょい付き合って、俺の我侭で上手く行かなくなり…

親子の後ろ姿(フリー写真)

育ての親

私には、お母さんが二人居た。 一人は、私に生きるチャンスを与えてくれた。 もう一人は……。 ※ 私の17歳の誕生日に、母が継母であることを聞かされた。 私を生んで…

和室(フリー写真)

お父さん頑張ろうね

俺の会社の友人は、4年前に交通事故で奥さんと当時4歳の長男を亡くした。 飲酒運転の車が歩行中の二人を轢き殺すというショッキングな内容で、ワイドショーなどでも取り上げられたほど凄惨…

夕日が見える町並み(フリー写真)

幸せだった日常

嫁と娘が一ヶ月前に死んだ。 交通事故で大破。 単独でした。 知らせを受けた時、出張先でしかも場所が根室だったから、帰るのに一苦労だった。 でもどうやって帰ったの…

ピアノ

最後の演奏会

8年前、九州の西日本新聞に掲載され、映画化された物語があります。これは特攻出身の学徒兵たちの話です。 当時東京に住んでいた私は、銀座の東映でその映画を軽い気持ちで観に行きました…

カップル(フリー写真)

最後の時を過ごす二人

従兄弟が大腸癌で亡くなった。27歳だった。 その彼女は、従兄弟が癌と判ってから、仕事もあったのに毎日病室を訪れ付き添っていた。 結婚の約束もしていたんじゃないかな。 …