笑顔でいるんだ

公開日: 心温まる話

ラムネ(フリー写真)

俺が小学生の頃、家のすぐ近くにお好み焼屋があったんだ。

その店はお婆さんが一人でやっているお店で、細々と続いていた。

俺はその頃いじめられててさ、でも家に帰っても家族には何も言えなかったんだわ。

母に「何かあった?」と悟られそうになっても「何も無かった」と言い訳してさ。

言うのが辛かったのか言えなかったんだ。

ある日、いじめられて帰る時にそのお好み焼屋のお婆ちゃんと出会した。

泣き腫らした顔で沈んでいたからだろうな、

「どうしたんよ? これでも飲みながらばあちゃんに話してみな?」

と言う。

親しかった訳じゃないけど、大泣きして全部話した。

その婆ちゃんは何も言わずに頭を撫で続けてくれたんだ。

売り物のラムネを出して来てくれてさ、優しくなだめてくれたんだ。

その日から、お好み焼屋を覗いては遊びに行く日々が続いたんだ。

お婆ちゃんは笑顔で迎えてくれてさ、コーヒーゼリーとか色々出してくれた。

でも俺は相変わらずいじめられる日々で、泣いてはなだめてもらっていた。

笑顔の日と泣き顔の日があるから「今日は笑ってるねぇ」とか「泣いてるなぁ」と言われていた。

俺はそんな婆ちゃんになだめられていた。

ある日、婆ちゃんがいつになく真剣な顔で言ったんだ。

「笑顔でいるんだ。笑い飛ばせばいいんだ」

何のことか解らなかった。でも俺は頷いていた。

それから程なくして、婆ちゃんは引っ越してしまった。

老人ホームに入ったのだそうだが、俺は凄く寂しくなったよ。

あれから十年、大学生になった俺に婆ちゃんの家族から手紙が届いた。

大往生で命を全うしてお亡くなりになったそうだ。

婆ちゃんは最期まで俺のことを覚えていてくれたらしい。

一緒に手紙が付いていた。

中身は優しい言葉と、思い出に詰った日々を語る婆ちゃんの文字だった。

もうすぐ、僕は二十歳です。

笑顔で笑い飛ばしたよ、婆ちゃん。いじめもそれでなくなったんだ。

あのラムネがもう一回飲みたいよ。大きくなった僕を見て欲しかったな。

ありがとうございました。僕は笑顔で生きて行けます。

関連記事

家族の手(フリー写真)

幸せな家族

私は長女が3歳になった時に長男を出産した。 長男が生まれるまで、私と長女は殆どずっと一緒に居た。 夫が居ない平日の昼間は、二人だけの時間だった。 でも子供が二人になる…

花嫁

娘の手紙と、父になれた日

土曜日、一人娘の結婚式だったんさ。 ※ 俺が彼女と出会ったのは、俺が25歳のとき。嫁は33歳だった。娘は、当時13歳。 つまり、娘は嫁の連れ子だった。 大きく…

親子の手(フリー写真)

自慢の息子

これを書いている私は今、38歳の会社員です。 私は30歳の時にうつ病を患いました。 父が自殺、その後、高校の同級生である友人が自殺。 仕事は忙しく、三ヶ月休みが無い…

受験(フリー写真)

おばあちゃんの愛情

俺の家庭は自分と母親、それとおばあちゃんの三人で暮らしている。 親父は離婚していない。パチンコなどのギャンブルで借金を作る駄目な親父だった。 母子家庭はやはり経済的に苦し…

チューリップ(フリー写真)

立派なお義母さん

結婚当初は姑と上手く噛み合わず、会うと気疲れしていた。 意地悪されたりはしなかったけど、気さくでよく大声で笑う実母に比べ、足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は喜怒哀楽…

朝焼け空(フリー写真)

自衛隊最大の任務

「若者の代表として、一つだけ言いたいことがあります…」 焼け野原に立つ避難所の一角で、その青年は拡声器を握り締め話し始めた。 真っ赤に泣き腫らした瞳から流れる涙を拭いながら…

手を繋いで歩く夫婦(フリー写真)

たった一つの記憶

私の夫は、結婚する前に脳の病気で倒れてしまい、死の淵を彷徨いました。 私がそれを知ったのは、倒れてから5日も経ってからでした。 夫の家族が病院に駆け付け、携帯電話を見て私の…

蒸気機関車(フリー写真)

まるで紙吹雪のように

戦後間もない頃、日本人の女子学生であるA子さんがアメリカのニューヨークに留学しました。 戦争直後、日本が負けたばかりの頃のことです。人種差別や虐めにも遭いました。 A子さ…

満員電車(フリー写真)

子供を大切に

父が高校生の時に、僕の祖父が死んだ。 事故だった。 あまりの唐突な出来事で我が家は途方に暮れたらしい。 そして父は高校を卒業し、地元で有名な畜産会社に入社した。 …

イチゴのショートケーキ(フリー写真)

イチゴショートと女の子

俺がケーキ屋で支払いをしていると、自動ドアが開いて、幼稚園児くらいの女の子が入って来た。 女の子は一人で買い物に来たらしく、極度の緊張からか、頬を赤く染め真剣な眼差しで店員に …