
動物病院の玄関の三和土に、折りたたみの椅子を自分で持ってきて座る人がいました。
待合の長椅子は空いているのに、そちらへは決して上がらないのです。
その理由を知ったのは、あの人がうちへ来なくなってから、ずいぶんあとのことでした。
虹の松原のそばの小さな病院
私が動物看護士として勤め始めたのは、佐賀の唐津にある小さな動物病院でした。
二十二歳の春です。
病院というより、平屋の民家に看板を掛けただけのような建物でした。
窓を開けると松の匂いがしました。
海沿いに、細くて黒い松がどこまでも続いています。
虹の松原と呼ばれる林です。
あの林の松は、勝手に生えたものではありません。
四百年前に、風と潮から田畑を守るために植えられたものだと、地元の人は当たり前のように知っています。
だから、いまでも町内の当番で下草を刈り、落ちた松葉をかき集めます。
春の朝に道を歩くと、熊手の音があちこちから聞こえてくるのです。
院長は五十代の、無駄口をきかない人でした。
診察の説明だけは、必ず飼い主の目を見て、最後まで言い切る人でした。
※
大谷さんという人
大谷さんが最初に来たのは、私が入って三ヶ月目の六月でした。
七十を過ぎた、背の低い男の人です。
作業ズボンの膝に、いつも松葉の粉のようなものがついていました。
連れていたのは、白い毛の混じった中型の雑種でした。
名前はシロといいました。
安直な名前でしょう、と大谷さんは笑いました。
「拾うたときは真っ黒やったけんね」
「黒いのに、シロ、ですか」
「そう。年取ったら白うなるやろうと思うて、先につけとったとよ」
そのとおりになりました。
シロは、口のまわりも背中も、ほとんど白くなっていました。
カルテを書きながら、私は生年月日の欄で手が止まりました。
二十二歳です。
犬としては、ほとんど聞いたことのない年でした。
※
診察のたびに外す首輪
大谷さんには、変わったところがありました。
大谷さんは、診察のたびに首輪を外して、自分の手首に巻きました。
診察台にシロを乗せる前に、必ずです。
革の、だいぶくたびれた首輪でした。
穴が四つも五つも増やしてあって、いちばん端の穴で留めていました。
それを、二重にして自分の手首に巻くのです。
私は最初、なくさないためだろうと思っていました。
「大谷さん、こちらでお預かりしますよ」
「よかとよ。うちのは、ここに巻いとくとが決まりやけん」
決まり、という言い方が、少し引っかかりました。
けれど、そのときは深く考えませんでした。
飼い主さんには、みなさん、それぞれの決まりがあるものです。
※
玄関から上がらない
もうひとつ、大谷さんは待合室に上がりませんでした。
うちの病院は古い民家なので、玄関で靴を脱いで上がる造りでした。
待合には長椅子が二つあります。
大谷さんはそこへは座らず、いつも自転車の荷台に括りつけてきた折りたたみの椅子を、三和土に広げて座るのです。
「上がってくださいよ」
「よかよか。ここで」
「雨のときくらい」
「ここがよかとよ。外の音の聞こゆるけん」
その言葉の意味も、あとで分かることになります。
そのころのシロは、まだ自分で歩いていました。
のろのろと、それでも四本の足で。
※
歩けなくなってから
秋の終わりに、シロは立てなくなりました。
大谷さんは、木で作った台車のようなものにシロを乗せて連れてくるようになりました。
自転車の後ろに紐で引いて、松林の道を来るのです。
ほとんど寝たきりでした。
けれど、床ずれの数は少ない方でした。
院長が驚いていたのを覚えています。
「二時間おきに、寝返り打たせよるとですか」
「三時間ですたい。夜は目覚まし鳴らして」
「夜もですか」
「昼だけ寝返らせても、意味なかろうもん」
ご飯も、大谷さんが手で食べさせていました。
粥のような、白いものです。
市販の介護食かと思って聞いたら、違いました。
自分の弁当に入れる白身魚を、少し多めに焼いて、骨を抜いてすり潰したものでした。
「毎朝、ですか」
「毎朝も何も、自分の弁当作るついでですたい」
そのついでを、大谷さんは二十二年やっていたのです。
拾った日から、二人ぶんの弁当を作り続けていたことになります。
※
本当に、ただ生きるだけです
その冬、院長が大谷さんに説明をしました。
私は、カルテを持って横に立っていました。
「体は、もう動きません」
「はい」
「ただ、心臓が丈夫です。この子は、まだしばらく生きられます」
大谷さんは、うなずきました。
院長は、そこで少し間を置きました。
「けれど、本当に、ただ生きるだけです」
言葉を選ばなかったわけではないと思います。
選び抜いた末に、いちばん短いものを置いたのだと思います。
大谷さんは、返事をしませんでした。
手首の首輪を、指で一度だけ、なでました。
それから、「考えます」と言って、台車を引いて帰りました。
三和土の椅子は、たたんで自転車に括りつけていきました。
※
悩んだ一日
大谷さんが次に来たのは、翌日の夕方でした。
終業の時刻を少し過ぎていました。
外は小雨でした。
私はそのとき、この人はまる一日、苦しんで考えたのだろうと思っていました。
そうではなかったと知ったのは、何年もあとです。
大谷さんが一日置いたのは、迷っていたからではありませんでした。
バスタオルを洗って、干していたからです。
あの日、大谷さんの家の軒下には、大きなバスタオルが一枚だけ掛かっていたそうです。
松林の風は、海から来て山へ抜けます。
その風の通る側の軒に、前の晩から掛けておいたと聞きました。
洗剤の匂いを残したくないので、二回すすいだそうです。
決めるのに一日かかったのではありません。
決めたあとに、しなければならないことが一日ぶんあっただけでした。
※
その朝、松葉をかいていた
その日の朝、大谷さんは町内の松葉かきの当番に出ていました。
あとで近所の人から聞いた話です。
誰も、事情を知りませんでした。
いつもどおり熊手を持って、いつもどおり二時間、松葉を集めて帰ったそうです。
なぜ休まなかったのか。
のちに一度だけ聞く機会がありました。
大谷さんは、こう答えました。
「今日休んだら、明日も休みとうなるけん」
それだけでした。
※
小雨の夕方
台車を病院の前に置いて、大谷さんはシロを抱いて入ってきました。
そのときだけ、三和土の椅子を出しませんでした。
そのまま、診察室へ来ました。
心電図を付けました。
薬を静脈に入れるまでの時間を、私はいまでも正確に思い出せます。
シロは、最後まで大谷さんの顔を見ていました。
目だけは、はっきりしていました。
大谷さんは、名前を呼びませんでした。
ただ、手首に巻いた首輪を外して、シロの首にもう一度つけました。
いちばん端の穴で。
そして、静かになりました。
院長が、深く頭を下げました。
私は、カルテを持ったまま、動けませんでした。
※
タクシーを呼びましょうか
外の雨は、まだ細いままでした。
院長が言いました。
「大谷さん、タクシーをお呼びしましょうか」
大谷さんは、静かに首を横に振りました。
「歩いて帰ります」
「濡れますよ」
「濡れてよかとです」
大谷さんは、持ってきたバスタオルにシロを包みました。
膝をついて、丁寧に、端をきちんと折り込んで。
抱き上げて、玄関を出て行きました。
台車は、そのまま置いていきました。
「あとで取りに来ます」
そう言って、松林の道を歩いて行きました。
私は、玄関の外まで出て、その背中を見ていました。
傘は差していませんでした。
差せなかったのです。
両手がふさがっていましたから。
※
首輪の内側
大谷さんは、三日後に台車を取りに来ました。
そのとき、首輪を私に見せてくれました。
裏返すと、内側に糸で文字が刺繍してありました。
名前と、住所です。
私は、迷子になったときのためだと思いました。
「よかね、こういうのは。うちも勧めよるとです」
大谷さんは、少し笑って、こう言いました。
「これはね、犬のためやなかとよ」
首輪は、犬がはぐれないための道具ではありませんでした。
大谷さんは、五十を過ぎたころから夜の目が利かなくなっていました。
暗くなると、松林の道で自分の家の方向が分からなくなるのだそうです。
そういうとき、シロが先に歩きました。
紐を持っているだけで、家に着きました。
刺繍の名前と住所は、シロのためではなく、大谷さんのためのものでした。
もし途中で分からなくなって、誰かに声をかけられたとき、犬の首輪を見せれば済むように。
「情けなか話ですたい」
「情けなくないです」
「二十二年のうち、後の十年は、こっちが連れて行ってもろうとったとです」
だから、診察のたびに首輪を手首に巻いていたのです。
シロが台の上にいるあいだ、大谷さんは、自分の帰り道を手首に巻いて待っていました。
※
刺繍の住所
私は、その住所を見て、少しおかしいと思いました。
大谷さんの家の住所と違ったのです。
カルテに書いてあるのは、松原の北側の集落でした。
刺繍は、南側の、川に近い番地でした。
聞いてみると、それは二十二年前に住んでいた借家の住所でした。
シロを拾った場所です。
橋のたもとの、段ボールの中にいたそうです。
「引っ越したなら、書き直さんばですね」
「書き直したら、あれが拾われた場所の、なくなってしまうけん」
私は、そこで初めて理解しました。
あの日、大谷さんが歩いて帰ったのは、倹約でも意地でもありません。
あの人は、二十二年前に抱いて歩いた道を、もう一度、同じだけ歩いて帰ったのです。
橋のたもとから、借家まで。
雨の日でした。
拾った日も、小雨だったのだそうです。
※
拾った日のこと
台車を取りに来た日、大谷さんは珍しく長く話しました。
雨がまだ残っていて、帰るに帰れなかったのだと思います。
二十二年前、大谷さんは五十を少し過ぎたところでした。
奥さんを見送って、三年目だったそうです。
「そのころは、飯も作らんかったとですよ」
「作らないと、困りませんか」
「困らんとです。困らんかったけん、いかんかったとよ」
その言い方が、私にはよく分かりませんでした。
分かるようになったのは、自分が三十を越えてからです。
困らなくなることのほうが、ときには危ないのだということが。
橋のたもとの段ボールの中に、黒い子犬がいました。
一匹だけです。
大谷さんは、しばらく見ていて、通り過ぎたそうです。
「一回、通り過ぎたとですか」
「通り過ぎた。橋渡って、百歩くらい行って、戻った」
「なんで戻ったんですか」
「百歩数えとる自分に気づいたけん」
数えていた、ということは、戻る気だったということです。
大谷さんは、それを、そのとき初めて自分で知ったのだそうです。
抱き上げて、上着の中に入れて、借家まで歩きました。
小雨でした。
その晩から、大谷さんは自分の飯を作るようになりました。
子犬に食べさせるものを作るついでに、自分のぶんもできてしまうからです。
「あれが、わしを困らせに来たとですたい」
そう言って、大谷さんは笑いました。
※
院長が言えなかったこと
もうひとつ、あとから知ったことがあります。
「本当に、ただ生きるだけです」
あの言葉を、院長は獣医師としての淡々とした説明として言ったのだと、私は長く思っていました。
違いました。
院長は、その前の週に、自分の犬を同じ状態で見送っていました。
誰にも言わずに、休診日にひとりで。
私がそれを知ったのは、退職の日に、奥さんから聞いたからです。
「あの人、あのころ、うちで一言もしゃべらんかったとですよ」
院長は、自分に言えなかった言葉を、大谷さんに言ったのだと思います。
だから、あんなに短かったのです。
長く話すと、崩れる言葉というものがあります。
※
二十二歳の私が泣いた場所
あの夕方、大谷さんが帰ったあと、私は受付の裏で泣きました。
院長には見られないようにしたつもりでした。
けれど、しばらくして、湯呑みが一つ、机の端に置かれました。
院長は何も言いませんでした。
翌朝、着替えているときに、後ろから一言だけ言われました。
「泣いてよかとよ。ただ、飼い主さんの前ではいかん」
「はい」
「あの人らは、こっちが泣くと、遠慮しなさるけん」
私はその言葉を、二十年以上、守っています。
守れなかった日も、何度かあります。
それでも、努めています。
私たちが泣いてしまうと、飼い主さんは、自分の悲しみを小さくして帰ろうとします。
そんなことをさせてはいけないのです。
その人の悲しみは、その人のものです。
丸ごと持って帰ってもらわなければいけません。
※
外の音が聞こえるということ
三和土の椅子のことも、そのとき腑に落ちました。
「外の音の聞こゆるけん」
大谷さんは、待合に上がってしまうと、外の道の音が聞こえなくなると言っていました。
松林の道は、自転車が通ると砂の擦れる音がします。
その音の間隔で、大谷さんは自分がどのあたりにいるかを覚えていたのです。
目が利かなくなった人の、覚え方でした。
玄関の三和土は、その音がいちばんよく届く場所だったのです。
誰にも説明せず、ただそこに座り続けていました。
私は、上がってくださいと何度も言いました。
あの人は、そのたびに笑って断りました。
親切のつもりの言葉が、ときどき、その人の道具を取り上げてしまいます。
私は、いまでもそのことを忘れないようにしています。
※
二十年後の受付で
私はいま、自分の小さな動物病院を持っています。
唐津ではなく、少し内陸の町です。
去年、三十代くらいの男性が、子犬を連れて来ました。
初診の問診票を書いてもらっていると、犬の首輪の内側に、糸で何か縫ってあるのが見えました。
名前と、住所です。
その番地に、見覚えがありました。
松原の南側、川に近い番地です。
「失礼ですが、大谷さんの」
「祖父です。よくご存じですね」
お孫さんでした。
大谷さんは、十年ほど前に亡くなったそうです。
「その住所、いまはもう、おうちはないですよね」
「ないです。祖父が、必ずここを書けって」
「理由は、聞かれましたか」
「拾うたところは書いとかんば、って。意味はよく分からんとですけど」
私は、少しだけ説明して、途中でやめました。
説明しなくても、この人はもう、その通りにしているからです。
※
三和土に置いてある椅子
私の病院の玄関は、土間になっています。
設計のときに、わざとそうしました。
私の病院の三和土にも、折りたたみの椅子が一脚、置いてあります。
誰も使わない日もあります。
けれど、待合の椅子に座りたくない人が、たまにいます。
その人たちは、何も言わずにその椅子を広げて座ります。
理由は聞きません。
聞かないほうがいい理由が、必ずあります。
雨の日は、玄関の戸を少しだけ開けておきます。
外の音が聞こえるように。
年を重ねた家族との別れが近い方には、愛のかたちやピーちゃんとの思い出のような話も、そっと置いておきたいと思っています。
あの日の小雨は、いまも私の中で降り続いています。
けれどそれは、冷たい雨ではありません。
二十二年ぶんの道を、もう一度歩いて帰った人の背中に降っていた雨です。