精一杯の強がり

公開日: 仕事 | 友情 | 悲しい話 | 長編

終電(フリー写真)

彼とは中学校からの付き合いでした。

中学校の頃から素直で、趣味などでも一つのことをとことん追求するような奴でした。

中学、高校、大学と一緒の学校に通い、親友と呼べる唯一の友達でした。

そんな二人も大学4年生になり、就職活動を開始。

そして、先に就職が決まったのは僕でした。

友達は決して頭が悪い訳ではないのですが、解りやすく言うと要領の悪い奴でした。

そんな友達の就職が決まったのは10月下旬で、今はよく知りませんが、当時は周りから比べるとかなり遅い方でした。

だからこそ、心の底から

「やったなぁ」

と、祝ってやりました。

友達も、無邪気な笑顔で

「ありがとう」

と言っていました。

なかなか就職できない彼は、弱音を言葉にはせず、

「まあ、頑張れば何とかなるよ」

と、口癖のように言っていました。

それは、精一杯の強がりだとすぐに解るようなものです。

だからこそ、内定をもらった彼を見て、自分のことのように嬉しかった。

素直で要領の悪い友達が、本当に好きだったんですよね。

そして僕達は無事に卒業することができ、晴れて社会人になりました。

お互い仕事が始まると、普段の生活になかなか余裕ができず、会う機会も段々減って行きました。

一ヶ月に一回は会っていたのが、三ヶ月に一回、半年に一回となって行きました。

新人だったので、とにかく僕も仕事を覚えるのに必死だったし、一人前になるのを優先したいというのがあります。

それでも、普通は社会人3年4年となってくると、仕事にも慣れ徐々に働き方のリズムみたいなものができ始めると思うんです。

僕もそれくらい経つと、若干余裕ができて、平日でも同僚や友達と飲むことができるようになりました。

当然、親友である友達とも飲みたいので、ちょくちょく誘っていたのですが、彼は

「すまん、忙しくて飲み行けない」

という返答ばかりでした。

業種も違っていたし、『まあ、他は違うのかもな』くらいにしか思っていませんでした。

そんな友達の働き方がおかしいと思ったのは、社会人5年目になった年の冬でした。

忙しい忙しいと言う友達と、半ば強引に約束を取り付け、夜の22時から彼の会社の近くのお店で飲みました。

久しぶりに会えた親友に、

「俺ともうちょっと飲めよ」

と文句を言いながら、お互いの近況を報告し合っていました。

よくよく彼の聞いてみると、彼は朝の6時には家を出て、毎晩0時過ぎまで働いていると言うのです。

しかも、休日(日曜日)もちょくちょく上司から呼び出しがあるとかで、寝る時間は殆ど無いのではないかと思う程です。

聞いている内に、友達のことが心配になり、

「お前の会社ってブラックじゃない?」

と冗談混じりに言うと、友達は

「ブラックじゃねぇよ。俺、今楽しいもん」

と言っていました。

『いやいや、楽しいとかじゃなくて、そんだけ働いていたらブラックだろう』

と突っ込まずにはいられなかったのですが、久しぶりに会った友達の会社を貶して、その場の雰囲気を悪くするのも嫌だったので、グッと言葉を引っ込めました。

それに友達は、やっと内定を出してくれたその会社に恩義を感じていたようで、何があってもそこで頑張るつもりとのことでした。

その日は金曜だったので、帰ろうとする彼を無理やり連れ回し、朝まで飲みました。

流石に友達も朝はやばかったようですが、昼過ぎから会社に出掛けて行きました。

そしてそれが、彼と飲んだ最後の日でした。

彼は、それから一年後に病で倒れ、呆気なく亡くなりました。

僕は過労を疑いましたが、どうやら直接の原因は過労によるものではないようでした。

ただ、体調を崩していたにも関わらず、仕事が忙しく病院も行くことができなかったということを、後から聞きました。

正直、僕は彼の会社を憎んでいます。

大切な親友をこき使い、挙句の果てに彼の葬式には、その会社からは彼を慕う後輩数人と、已む得ずといった感じの上司が一名、姿を見せただけでした。

葬式の夜、僕は彼が亡くなった悲しみと悔しさで涙を流しました。

彼が亡くなったこともそうですし、彼が自分の命を削ってまで働いた会社の扱いがこれかと。

ただ、僕はその会社の実態を追求したり、訴えたりするようなことは何もできませんでした。

ただただ、その会社を憎むことしかできませんでした。

結局僕も単なる泣き虫で、何も行動できない弱虫です。

彼が僕と飲む時に姿を見せた時、大学生の頃より痩せていたのが分かりました。

彼が、

「ブラックじゃねぇよ。俺、今楽しいもん」

と言った後、精一杯の強がりだということを気付いていました。

ブラック企業だと気付きながら、その場を楽しく過ごすためだけに、彼を止めてやることができませんでした。

友達が亡くなる前に、彼のシグナルをいくらでも受け取れていたんです。

喧嘩してでも、彼を一旦立ち止まらせることができたんです。

それができなかった自分が情けなくて仕方ありません。

僕は、ブラック企業自体をとやかく言うつもりはありません。

嫌なら会社を辞めてしまえば良いだけだと思っているから。

ただ、どこかの企業の成功者が『死ぬほど働く』ことを絶賛しているような記事を見たことがありますが、あれは自分の臨界点を知っている人の言葉ですよね。

『死ぬほど働く』と言いながら、自分の限界を知っていて、その臨界点より手前で自分を制御できているから、言える言葉なんじゃないでしょうか。

僕の友だちは、昔から素直で真っ直ぐな奴でした。

『死ぬほど働く』と『死ぬまで働く』の境界線が見えていなかったんでしょうね。

ただ、ひたすらに自分がやるべきことを、真っ直ぐに突き進んでいました。

その先に、超えられない壁があったとしても。

友達は飲みの時に、

「俺、結婚したら妻と子どもには、何不自由ない生活をさせてやる。

だから今、自分が頑張ってお金を貯めて、出世しておくんだ」

と言っていました。

その時、彼女なんて作る暇は一切無かった癖に。

馬鹿ですよね。

でも、そう語る友達を僕は心底応援していました。

『今がブラックでも、友達の夢が現実になれば、そこに幸せが待ってるから』

と、僕も思っていましたから。

そんな別れから、10年が経ちました。

僕も結婚して、家庭を持ちました。

僕は今、普通に仕事をして、残業はほどほどに休日は必ず子どもと一緒に居ます。

とても幸せな時間を過ごしています。

もし今、友達と会うことができたら、

「お金も無いから不自由な生活も多いし、出世もしていないけど、妻も子どもも、もちろん俺も幸せだよ」

と教えてやりたいです。そして友達に、

「じゃあ、俺も先に仕事休んで恋人作るか」

と、言わせてやりたいです。

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