父への反抗期

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 |

誕生日ケーキ(フリー写真)

これは反抗期の頃の話なのだけど、今でも忘れられない。

幼い頃からずっと片親で育って来た私は、父親と二人暮らしをしていた。

父は友達や親戚から見ても、誰から見ても、私を大事に宝物のように可愛がってくれていた。

そして何より、一生懸命働いてくれていた。

私の願い事は例え無理してでも、自分を犠牲にしてでも叶えてくれた。

風邪の時には仕事を休んででも傍に居てくれた。

私に寂しい思いはさせなかったと思う。

二人きりだけどクリスマスや誕生日も毎年してくれた。

でも十代半ばになった私は反抗期に入り、父の優しさが凄くうざくなってきたんだ。

心配される事とか、口を聞く事も、全てが鬱陶しくなったんだ。

私は毎日夜遅く帰って来て、父が心配してくれていても、私は父に罵声しか浴びせなかった。

友達と遊ぶ事が楽しくなり、家にも段々帰らなくなった。

そんな毎日を繰り返し、また夜遅くに久しぶりに帰ったら、私の分のおかずや小さなケーキが置いてあったんだ。

もう誕生日も二、三日過ぎていたのに、置いてあって…。

毎日ご飯を作って、いつ帰って来るのか分からない私を、ずっと待っていてくれたんだ。

そう思ったら、切なくて悲しくて申し訳なくて涙が溢れてきた。

そして無造作に置かれていた小銭入れ。ボロボロな汚い小銭入れ。それは私が幼稚園の頃、父の日にあげたやつ。まだ使ってたんだ。

父にとって私は、本当に誰よりも何よりも大切な宝物なのだという事が胸に突き刺さって、父に優しくしてあげられなかった事に、また泣いた。

また、後から知った事だけど、私が小さい頃に書いた父の日のカードも肌身離さず持っていました。

あの一件以来、私はちゃんと家に帰るようになりました。

現在、私は結婚をして、もうすぐ子供も産まれます。

私は父がくれたあの愛情を、これから産まれてくる子供にたっぷり注ぎます。

そんな私をこれからも空から見守っていてください。

お父さん、こんな私を育ててくれてありがとう。

私はとっても幸せです。

大好きだったよ。

関連記事

花(フリー写真)

母心

ちょっとした事で母とケンカした。 3月に高校を卒業し、4月から晴れて専門学生となる私は、一人暮らしになる不安からか、ここ最近ずっとピリピリしていた。 「そんなんで本当に一人…

献花(フリー写真)

課長の笑顔

私の前の上司(課長)は無口、無表情。雑談には加わらず、お酒も飲まず、人付き合いをしない堅物でした。 誠実公平、どんな時でも冷静なので頼もしい上司なのですが、堅過ぎて近寄り難い雰囲…

猫の寝顔(フリー写真)

猫が選んだ場所

物心ついた時からずっと一緒だった猫が病気になった。 いつものように私が名前を呼んでも、腕の中に飛び込んで来る元気も無くなり、お医者さんにも 「もう長くはない」 と告げ…

赤ちゃん(フリー写真)

本当に価値がある存在

君がママのお腹に居ると判った時、ママは涙ぐんでいた。 妊娠したと聞いて僕は、 「おーそうか」 なんて冷静に言おうとしたけど、すぐに涙が出たんだ。 決して口には出…

グラス

真っ直ぐな友へ

私たちの友情は、中学時代から始まりました。彼は素直で一途、趣味に没頭するタイプでした。中学、高校、大学と一緒の学校に通い、彼は私にとって唯一の親友でした。 大学4年になり、就職…

親子(フリー写真)

お袋からの手紙

俺の母親は俺が12歳の時に死んだ。 ただの風邪で入院してから一週間後に、死んだ。 親父は俺の20歳の誕生日の一ヶ月後に死んだ。 俺の20歳の誕生日に、入院中の親父から…

ゲーミング(フリー写真)

母の愛、信じる笑顔

幼い頃、父が交通事故で亡くなり、母一人で私を育ててくれた。 我が家は裕福ではなく、私は県立高校を落ちてしまった。 私立には通うことができず、定時制高校に進学した。 …

公園のベンチ(フリー写真)

出会いの贈り物と感謝の気持ち

私の名前は佐々木真一、中学3年生です。 ある日のこと、私は学校から帰ると家の前に見知らぬ男性が立っていました。 その男性は私に向かって微笑みながら手を振り、名前を呼びまし…

学校の机(フリー写真)

君が居なかったら

僕は小さい頃に両親に捨てられ、色々な所を転々として生きてきました。 小さい頃には「施設の子」とか「いつも同じ服を着た乞食」などと言われました。 偶に同級生の子と遊んでいて、…

ベース(フリー写真)

やりたいこと頑張りなさい

三年前のある日、両親が離婚。俺と弟が母さんに付いて行きました。 母さんは今まで専業主婦だったから、仕事なんて全然出来ない。 パートを始めるも、一ヶ月も経たない内に退職の繰り…