これは、私が十代の半ば、反抗期のまっただ中にいた頃の話です。もう二十年近くも前のことなのに、今でも、ふとした拍子に、鮮やかに思い出します。
私は、物心がついたときから、父と二人きりで暮らしていました。母のことは、ほとんど覚えていません。
父は、町はずれの小さな鉄工所で働いていました。手のひらはいつも、機械油の匂いがして、節くれだって、ひび割れていました。けれど、その手は、誰よりもあたたかい手でした。
父は、まわりの誰から見ても、私を、それこそ宝物のように、大切に育ててくれました。親戚は、よく「お前の父さんは、たいしたもんだ」と口をそろえました。
私の願いごとは、たとえ無理をしてでも、自分のことを後回しにしてでも、父は必ず叶えてくれました。
小学三年生の冬、私が高熱を出して、何日も寝込んだことがありました。
父は、迷わず仕事を休み、つきっきりで、看病してくれました。氷枕を取り替え、汗をぬぐい、うとうとしては、また私の額に手を当てて、熱を確かめていました。
夜中にふと目を覚ますと、父は、私の枕元で、椅子に座ったまま、こくりこくりと、舟をこいでいました。
「お父さん、ベッドで寝ていいよ」と言うと、父は、はっと目を開けて、「平気だ、お前のそばにいる」と、笑いました。
翌朝、熱が下がった私のために、父が作ってくれた、おかゆの味を、今でも覚えています。少し水っぽくて、塩のきいた、不器用なおかゆでした。けれど、あれほど、おいしいおかゆを、私は、ほかに知りません。
二人きりの食卓でも、クリスマスや誕生日は、毎年、欠かさず祝ってくれました。不格好でも、父の焼いたケーキが、いつもテーブルの真ん中にありました。
幼い頃の思い出は、たいてい、父の背中とともにあります。
自転車に乗れるようになった日のことを、よく覚えています。父は、仕事で疲れているはずなのに、休みの日の夕方、近所の公園で、何度も、何度も、私の自転車の荷台を支えて、一緒に走ってくれました。汗だくになりながら、「もう少しだ、その調子だ」と声をかけ続けてくれました。
ようやく一人で漕げるようになったとき、振り返ると、父は、遠くで、子どものように、両手を上げて喜んでいました。
授業参観の日には、父は、いつも、少し早めに仕事を切り上げて、来てくれました。作業着のまま駆けつけることもあって、幼い私は、それが少しだけ恥ずかしかったのを覚えています。
今思えば、機械油の匂いのするその作業着こそ、父が、私のために流してくれた汗の、何よりの証だったのに。
運動会の二人三脚も、遠足のお弁当も、父は、不器用ながら、精一杯、母の分まで、やろうとしてくれていました。卵焼きは、いつも少し焦げていましたが、私は、それが好きでした。
欲しい参考書があると言えば、父は、自分の昼食を抜いてでも、お金を工面してくれました。
私が「修学旅行の積立金」と言うと、父は、いつも、しわくちゃになった封筒から、丁寧にお札を数えて、渡してくれました。あとから知ったのですが、父はその頃、自分の作業靴が、つま先に穴が空いたまま、何ヶ月も買い替えずにいました。
私のためなら、父は、いくらでも自分を後回しにできる人でした。それが、当たり前ではないということに、私は、ずいぶん長いあいだ、気づけませんでした。
私に、寂しい思いだけは、させまいとしてくれていたのだと、今ならよく分かります。
※
けれど、十代の半ばにさしかかった頃から、私は、変わってしまいました。
父の優しさが、急に、うっとうしくて、たまらなくなったのです。
「今日はどうだった」と聞かれることも、「気をつけて帰るんだぞ」と言われることも、何もかもが、鬱陶しくて仕方ありませんでした。
私は、毎晩のように、夜遅くまで遊び歩くようになりました。父が、玄関の明かりを灯したまま、心配して起きて待っていても、私は、ろくに口もきかず、ときには、ひどい言葉を投げつけました。
「うざいんだよ、ほっといてよ」
そんな言葉を、何度、父にぶつけたことでしょう。
友達と過ごす時間ばかりが楽しくて、私は、だんだんと、家にも帰らなくなっていきました。父の作るごはんよりも、外の世界のほうが、まぶしく見えたのです。
ある晩、門限を大きく過ぎて帰った私を、父は、玄関で、静かに待っていました。
「こんな時間まで、どこに行ってたんだ。心配したんだぞ」
その、決して怒鳴るわけでもない、低い声が、当時の私には、何より煩わしく聞こえました。
「友達といただけでしょ。いちいち、うるさいなあ」
私は、そう言い捨てて、自分の部屋のドアを、力いっぱい、叩きつけるように閉めました。
壁の向こうで、父が、小さくため息をついた気配がしました。けれど、私は、聞こえないふりをしました。
学校から、私の素行について電話がかかってきた日もありました。父は、職場に頭を下げて早退し、先生に、何度も「すみません」と謝っていたと、あとから聞きました。
それでも父は、家に帰った私を、責めませんでした。ただ、「お前が元気なら、それでいい」と、それだけ言いました。
その言葉の優しさが、当時の私には、まるで、分かっていませんでした。
当時の私は、友達の家が、うらやましくてたまりませんでした。
両親がそろっていて、新しい服を買ってもらい、流行のものを、いくらでも持っている同級生たち。それに比べて、うちは、いつも父の作業着の匂いがして、食卓には、簡単なおかずが並ぶばかり。
「どうして、うちはお父さんしかいないの」
そんな、残酷な言葉を、父にぶつけてしまった夜もありました。父は、しばらく黙ったあと、「すまんな」と、ただ一言、謝りました。
謝らなければならないのは、私のほうだったのに。あのときの父の、寂しそうな背中を思い出すと、今でも、胸が締めつけられます。
父が、どんな顔で、私の帰りを待っていたのか。当時の私は、考えようともしませんでした。
※
そんな毎日を、どれくらい繰り返したでしょうか。
ある晩、久しぶりに、深夜近くに家へ帰ると、台所のテーブルに、私の分の夕飯が、きちんと並べてありました。
ラップのかかった焼き魚と、煮物。そして、その隣に、小さなショートケーキが、一つ。
その日は、私の誕生日から、もう二、三日も過ぎていました。それなのに、ケーキは、そこに置かれていたのです。
父は、毎晩、いつ帰るとも知れない私のために、ごはんを作って、待っていてくれたのでした。誕生日のケーキも、私が帰ってくる日を信じて、買って、置いておいてくれたのです。
そう気づいたとき、切なさと、申し訳なさと、やりきれなさが、いっぺんに押し寄せてきて、涙が、止まらなくなりました。
※
あの夜、台所のテーブルに置かれていた、数日遅れのケーキのことを、私は、何度も思い返します。
ろうそくも立っていない、小さなショートケーキ。父は、それを買うとき、お店で、どんな気持ちだったのでしょう。娘が、今夜こそ帰ってくるかもしれない。そう信じて、レジに並んだのでしょうか。
帰ってこない日が続いても、父は、文句ひとつ言いませんでした。ただ、毎晩、私の席に、ごはんを並べて、待ち続けてくれただけでした。
あの一皿の温かさが、頑なになっていた私の心を、静かに、溶かしてくれたのです。
そのとき、テーブルの隅に、無造作に置かれた、古い定期入れが、目に入りました。
布でできた、ぼろぼろの、すっかり色のあせた定期入れ。
それは、私が小学校の家庭科の時間に、初めて針と糸を使って、縫った定期入れでした。縫い目はがたがたで、角もよれていて、お世辞にも上手とはいえない代物です。
父の日に、私が、照れながら渡したもの。
あれから、もう何年も経つのに、父は、それを、まだ使ってくれていたのです。
毎朝、その色あせた定期入れを手に、機械油の匂いのする鉄工所へ、出かけていたのです。
父にとって私は、本当に、何よりも、誰よりも、かけがえのない宝物なのだということが、胸に、深く突き刺さりました。
そんな父に、優しい言葉一つ、かけてあげられなかった自分が、情けなくて、私は、また泣きました。
※
あとになって、知ったことがあります。
父は、私が幼い頃に書いた、父の日のカードも、肌身離さず、財布の中に入れて、持ち歩いていました。
クレヨンで「おとうさん、ありがとう」とだけ書いた、たどたどしいカード。それを、何年も、大切にしまっていたのです。
私が、あんなにひどい態度をとっていたあいだも、父は、ずっと、私を、変わらずに愛してくれていました。
その夜を境に、私は、ちゃんと家に帰るようになりました。
「ただいま」と言うと、父は、いつも、ほっとしたように、「おかえり」と返してくれました。たったそれだけのやりとりが、どれほど尊いものだったか。
次の朝、私は、いつもより早く起きて、台所に立ちました。
父が出かける前に、味噌汁くらい、作っておきたかったのです。生まれて初めての、不格好な味噌汁でした。
出勤前の父は、それを見て、ひどく驚いた顔をしてから、何も言わずに、ただ、一口すすって、「うまいな」と、ぽつりと言いました。
その目が、少し赤くなっていたことに、私は、気づかないふりをしました。
父は、あの色あせた定期入れを手に取って、いつものように、鉄工所へと出かけていきました。
玄関の戸が閉まったあと、私は、その背中に向かって、心の中で、何度も「ごめんね」とつぶやきました。
※
それからの私は、少しずつ、父と、まともに話すようになりました。
夕食のあと、父が、いれてくれた渋いお茶を飲みながら、その日にあったことを、ぽつぽつと話す。たったそれだけの時間が、かけがえのないものに、変わっていきました。
「お父さんも、若い頃は、やんちゃだったの?」
あるとき、そう聞いてみると、父は、照れくさそうに頭をかいて、「まあ、それなりにな」と笑いました。その横顔を見て、私は、もっと早く、こうして話せばよかったと、心から思いました。
それでも、私は、父に、面と向かって「ごめんなさい」と言うことが、ついに、できませんでした。
照れくさくて、きっかけをつかめないまま、時間だけが過ぎていきました。
せめて、これから、たくさん親孝行をすればいい。そう思っていました。
けれど、人生は、いつも、こちらの都合を待ってはくれないものです。
※
やがて、私は、好きな人と、結婚することになりました。
結婚式の日、バージンロードを、父と二人で、ゆっくりと歩きました。
父の腕は、少し、震えていました。あんなにたくましかった手が、いつのまにか、ずいぶん細く、小さくなっていることに、私は、そのとき初めて気づきました。
「お父さん、今まで、本当にありがとう」
歩きながら、私は、小さな声で、そう言いました。
父は、前を向いたまま、「……ああ」と、それだけ返しました。けれど、その横顔は、くしゃくしゃに、泣き笑いの顔になっていました。
祭壇の前で、父は、私の手を、夫となる人に、そっと託しました。その手のひらの、変わらないあたたかさを、私は、一生、忘れません。
父は、私が嫁ぐのを見届けてくれたあと、まるで、肩の荷を下ろしたかのように、静かに、旅立っていきました。
病院のベッドで、最後に交わした言葉も、覚えています。
やせ細った手で、父は、私の手を握って、こう言いました。
「お前が、笑って暮らしてくれてるのが、わしの、一番の自慢だ」
私は、もう、こらえきれませんでした。子どもの頃のように、父の手を握り返して、声を上げて泣きました。
あの色あせた定期入れは、最後まで、父の鞄の中に、大切にしまわれていました。
今になって思えば、あの反抗期は、父の愛情の深さを、私が、いちばん試してしまった時期でした。
どれだけひどい態度をとっても、父の愛は、少しも揺らぎませんでした。むしろ、揺らがないからこそ、私は、安心して、甘えていられたのかもしれません。
親の愛とは、きっと、そういうものなのでしょう。受け取る側が、その大きさに気づくのは、いつも、ずっとあとになってからなのです。
※
※
父が亡くなったあと、遺品を整理していて、押し入れの奥から、古い菓子箱を見つけました。
蓋を開けると、中には、私の成長の記録が、ぎっしりと詰まっていました。
幼稚園の頃の、私の手形。小学校の、点数の悪いテストまで。運動会のプログラム。私が描いた、下手な似顔絵。
そして、私が反抗期にぶつけた、あのひどい言葉の数々を、父は、一度も、私を責める材料にはしませんでした。それなのに、こんなに小さなものまで、宝物のように、取っておいてくれたのです。
箱の一番下には、私が幼い頃に書いた、あの父の日のカードが、入っていました。クレヨンの「おとうさん、ありがとう」の文字が、今にも消えそうなほど、薄くなっていました。
私は、その箱を抱えて、声を上げて、泣きました。
そして今、私は結婚をして、もうすぐ、自分の子どもが生まれます。
おなかに手を当てると、小さな命が、確かに、そこにいるのを感じます。
父が、私に注いでくれた、あの、惜しみない愛情を。今度は、私が、これから生まれてくるこの子に、たっぷりと、注いでいこうと思います。
叱られたら、きっと、この子も、いつか反抗するのでしょう。うっとうしいと、私を突き放すのでしょう。
それでも、私は、玄関の明かりを灯して、待っていようと思います。父が、そうしてくれたように。
先日、おなかが大きくなった体で、父のお墓に、報告に行ってきました。
「お父さん、もうすぐ、おじいちゃんになるよ」
墓石に、そっと手を当てると、不思議と、あの、機械油の匂いのする、あたたかい手のひらを、思い出しました。
風が、すっと吹いて、近くの木の葉が、さらさらと鳴りました。まるで、父が「そうか、よかったな」と、笑ってくれているようでした。
※
おなかの子が、ときどき、ぽこりと、私のおなかを蹴ります。
そのたびに私は、父が、私のためにしてくれた、数えきれないことを、思い出します。荷台を支えて走ってくれた、あの汗ばんだ手のひらを。焦げた卵焼きを。色あせた定期入れを。
親というものが、どれほどの愛情を、見返りも求めずに、子に注ぐものなのか。私は、自分が親になろうとして、ようやく、その大きさの、ほんの入り口に、立てた気がしています。
この子が、いつか反抗期を迎えて、私を疎ましく思う日が来ても。私は、決して、灯りを消さずに、待っていようと思います。
お父さん。
あんなにひどい娘だった私を、最後まで、見捨てずに育ててくれて、ありがとう。
言えなかった「ごめんなさい」と、「ありがとう」を、今、ここで言わせてください。
私は今、とても、幸せです。
どうか、これからも、空の上から、私たち親子のことを、見守っていてください。
そして、いつか生まれてくるこの子にも、おじいちゃんがどんなに優しい人だったか、たくさん話してあげるね。
大好きだったよ、お父さん。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。