自衛隊の方への感謝

雨は、うるさいあいだは、まだいい。

音が急に遠のいたときが、いちばん危ない。

それを教えてくれたのは学校でも母でもなく、十四の夏に俺の家を呑んだ谷そのものだった。

野尻谷は、中国山地の背にへばりつくようにしてある集落だった。戸数は三十ほど。椎茸のほだ木を組む家がいくつかと、あとは山を見ながら暮らす家ばかりだ。

俺の家は谷底の道から少し上がった、赤土の坂の途中にあった。

雨が降ると坂はよく滑って、自転車は必ず押して上がる決まりになっていた。

その赤い土は、谷じゅうを歩いてもうちの坂にしか出ない。粒が細かくて、乾いても靴の溝から落ちない。近所の人は「野尻の赤」と呼んで、雨の日に俺の靴を見ては「また上から降りてきたな」と笑った。

母は昼のあいだ、谷の下の作業場でほだ木に種駒を打っていた。

手のひらに金槌のまめが二つ、いつもあった。

妹のなつは小学四年で、母のまめを触るのが好きだった。触っては「かたい」と言い、母は「ようけ打ったけんね」と言う。それだけのやりとりが、うちの晩ごはんの前の合図みたいなものだった。

母の作業場には、椎茸の匂いが染みついていた。

湿った木と、土と、少し甘い胞子の匂いが混ざった匂いだ。俺はその匂いが嫌いだった。中学に上がってから、母の服からその匂いがすると、少し離れて歩くようになった。

参観日に母が来たとき、教室でその匂いがした気がして、俺は最後まで振り向かなかった。

帰り道、なつだけが母の手を引いて歩いていた。

「にいちゃんは、なんで先に行くん」

「暑いけん」

「うそじゃ。にいちゃん、かあちゃんの匂いが嫌なんじゃろ」

俺は返事をしなかった。母は聞こえていないふりをして、なつに「そこ、蛇おるけん端を歩き」と言った。

あの匂いを、いまは年に何度か、山の湿った日に思い出す。思い出すたび、あの日の帰り道の順番をやり直したくなる。

なつは、母のまめを数えるのが癖だった。

右の手のひらに二つ、左の親指の付け根に一つ。夕方、母が作業場から帰ってくると、まず手を取って「今日は増えとらん」と言う。

母は「増えたら困るがな」と言って笑い、そのまま流しに立つ。

その一往復が、うちの家の、いちばん静かで、いちばん確かな時間だった。

俺はその頃、母と口をきくのが面倒でしかたなかった。

部活の道具を土間に放って、返事もせずに通りに近い四畳半へ行く。母が「たかし、雨戸だけは閉めときぃ」と言っても、聞こえないふりをした。

だから、あの晩の記憶で真っ先に出てくるのは、閉めなかった雨戸の隙間の色だ。

七月の終わり、梅雨がなかなか抜けない年だった。

三日ほど降り続いて、四日目の夜に雨脚が強くなった。谷は水の音でいっぱいで、テレビの音がほとんど聞こえなかった。

なつが風呂上がりに、濡れた髪のまま俺の部屋の襖を開けた。

「にいちゃん、川、鳴りよる」

「そりゃ雨じゃ」

「ちがう。石が鳴りよるんよ」

俺は面倒くさくて、枕に顔をうずめたまま「寝ぇ」と言った。

なつはしばらく襖のところに立っていたが、やがて「おやすみ」と言って奥の部屋へ戻っていった。

それが、妹と交わした最後の会話になった。

夜中の一時を回った頃、外の音が急に遠のいた。

雨の音でも川の音でもない、耳が詰まったような静けさが一瞬だけあって、次の瞬間、床が横に動いた。

家がねじれる音というのを、俺はあの晩に初めて聞いた。木がきしむのではなく、木が諦める音だった。

気がつくと俺は、天井だったものと壁だったものの隙間にいた。

右腕が変な方を向いていて、動かすと肩まで熱くなった。折れているとわかったが、痛みよりも土の匂いのほうが強かった。

通りに近い四畳半で寝ていたのが幸いして、俺は自分で這い出せた。

奥の部屋は、だめだった。

母となつが寝ていたあたりには、山から降りてきた土と木と石が、家の高さと同じだけ積み上がっていた。

真っ暗だった。

電気も、街灯も、谷にひとつも残っていない。

懐中電灯を探そうにも、探す場所そのものが無くなっていた。

俺は左手だけで、手当たり次第に土をかいた。

爪がはがれても、はがれたことに気づかなかった。声を出して呼んだが、雨の音に全部吸われて、自分の声すら遠くに聞こえた。

夜が明けて、生き残った近所の人が四、五人来てくれた。

山下のじいさんが、鍬を二本持ってきた。

「たかし、代われ。腕が折れとろうが」

「代われません」

「代われ言うとる」

じいさんは俺の左手から土をむしり取るようにして鍬を握らせ、自分は素手で掘った。八十を過ぎた人の手が、土の中でずっと動いていた。

それでも、だめだった。

大人が五人で半日かかっても、崩れてきた土の量にはまるで届かない。掘っても掘っても、上からまた落ちてくる。

昼を過ぎた頃には、誰も何もしゃべらなくなっていた。

俺はそのとき初めて、自分が泣いていないことに気づいた。涙が出ないというより、体のどこにも水気が残っていない感じがした。

迷彩服の一団を見たのは、日が傾きかけた頃だった。

谷の下の道を、隊列が上がってくる。俺は坂を転げるようにして降りて、道の真ん中で両手を上げた。折れているほうの腕も上げていた。

先頭の人が走ってきて、俺の腕を見るなり「触るな」と言った。

それから、顔を近づけてこう聞いた。

「何人おる」

「二人です。母と、妹です」

「どのへんじゃ」

「奥の部屋。……たぶん、いちばん奥です」

その人は一度だけ頷いて、後ろに手で合図をした。

俺は、そのとき妙なものを見た。

その人の長靴の底には、うちの坂にしかない赤い土が、もうこびりついていた。

気にはなったが、そのときの俺には、それを考えるだけの頭が残っていなかった。

作業は、日が落ちてから始まって、深夜まで続いた。

投光器が回されて、坂の上だけが真っ白になった。

俺は下がっていろと言われて、土嚢の脇に座らされた。誰かが上着をかけてくれた。誰かが、握り飯を半分に割って渡してくれた。飲み込めなくて、口の中でずっと転がしていた。

待っているあいだ、時間の進み方がおかしくなった。

投光器の光の中を、雨がまっすぐ落ちてくる。落ちてくる雨だけがはっきり見えて、それ以外のものは全部、白い靄の向こうにあった。

誰かの無線が、途切れ途切れに何かを言っている。

俺は、なつが最後に言った「石が鳴りよる」を、頭の中で何度も再生していた。

石が鳴る音を、俺は聞いていない。妹には聞こえていた。

あのとき襖を開けて外に出ていたら、と考えかけて、俺はその考えを途中でやめた。やめないと、掘っている人たちに申し訳が立たない気がした。

隊員の一人が、俺の折れた腕に添え木をあててくれた。

「痛いか」

「わかりません」

「わからんのは、痛いんじゃ」

その人は、俺の肩に自分の雨具をかけて、それから何も言わずに持ち場へ戻っていった。

その人は、掘りながら、ときどき手を止めた。

手を止めては、土に耳ではなく額をつけていた。

耳をつけるならわかる。中の音を聞くためだ。だがその人は、額を土に押しつけて、数秒じっとしてから、また鍬を握った。

母が先に出た。

それから、二時間ほどして、なつが出た。

二人とも、もう間に合わなかった。

なつを土の中から抱え出すとき、その人は、汚れていないほうの手拭いを自分の首から外して、妹の顔にかけた。

そして、俺のほうを見ないまま、こう言った。

「ごめんなぁ」

低い、かすれた声だった。

俺は、その言葉を、間に合わなくてすまん、という意味だと思った。

だから、首を振った。

謝られる筋合いはひとつもなかった。この人たちが来なければ、母もなつも土の中に置いたままだったのだ。実際、その二日後に谷の下手で火が出て、うちのあった場所も焼けた。もし来てくれていなかったら、俺は妹を焼け跡から拾うことになっていた。

ただ、あの声の温度だけが、ずっと引っかかっていた。

間に合わなかった詫びにしては、あの「ごめんなぁ」は、私的すぎた。

避難所になった小学校の体育館で、俺は三週間暮らした。

親戚が迎えに来るまでのあいだ、毎日、同じ毛布の同じ折り目の上で目を覚ました。

誰も俺に「かわいそうに」とは言わなかった。谷では、誰かの家がだめになると、その分だけ全員が黙る。黙って握り飯を置いていく。それがこの土地のやり方だった。

山下のじいさんは、素手で掘ったせいで両手が腫れ上がっていた。

「じいさん、手」

「これはな、そのうち治る」

「すみませんでした」

「謝るな。腹が立つ」

じいさんはそれきり何も言わず、俺の毛布のはしを直して帰っていった。

体育館の三週間で、俺が一度だけ声を上げて泣きかけたことがある。

配られた着替えの箱の底に、子ども用の紺色の運動着が一枚だけ紛れていた。名前を書く白い布が、まだ縫いつけられていない新品だった。

なつは二学期から、その色の運動着になるはずだった。

俺はそれを畳んで箱に戻し、蓋をして、外へ出た。

外は、災害があったことが嘘のような晴れだった。

俺は高校を出て、県の土木の仕事に就いた。

治山ダムを見て回る係だ。堰堤の目地を見て、上流の崩れ方を見て、次に落ちそうな斜面に印をつけていく。

選んだ理由を人に聞かれたことがあるが、うまく答えられたことがない。

ただ、雨の音が遠のく夜には、いまでも目が覚める。

十九年目の秋、野尻谷の砂防ダムの点検に入った。

谷はもう八戸しか残っていない。うちの坂は法面で固められて、赤土はコンクリートの下になった。

その堰堤の袖の草が、きれいに刈られていた。

県は年に一度しか刈らない。刈った跡は明らかにそれより新しく、しかも刈り方が丁寧だった。根元を揃えて、刈った草を谷側に落とさないようにまとめてある。

下の集落で聞くと、山下のじいさんの息子が教えてくれた。

「毎年来なさるよ。もう十年以上になるかな。市外の人でな、盆の前に一人で来て、草だけ刈って帰りなさる」

「名前は」

「岸本さん、ゆうたかな。昔、災害派遣で入っとったて聞いたよ」

翌年の八月、俺は堰堤の下で待った。

白髪の、背の低い人が、軽トラックから草刈り機を降ろしていた。

顔を見て、すぐにわかった。十九年前、俺の腕を見て「触るな」と言った人だった。

名乗ると、その人は草刈り機を地面に置いて、長いあいだ何も言わなかった。

それから、深く頭を下げた。

「よかった。大きゅうなられて」

俺は、ずっと言いたかった礼を言った。あの晩のこと、母と妹を出してもらったこと、腕の手当をしてもらったこと。言いながら、十九年ぶんの言葉が全部つかえて、順番がめちゃくちゃになった。

その人は、聞き終えてから、静かにこう言った。

「わしは、あんたに謝らんといけんことが、ひとつあります」

その日の朝、まだ夜が明ける前のことだったという。

先発の小隊は、谷の下から順に人のいる家をあたっていた。無線で入った情報では、谷の上手に三人、下手の公民館に十四人が孤立していた。

その人は、坂を上って、うちの前まで来た。

崩れた土の量を見て、声をかけて、耳を澄ませた。返事はなかった。

そこへ、下手の公民館が水を被り始めたという無線が入った。

十四人と、返事のない二人。

その人は、坂を下りた。

「決まりです。決まりのとおりに動きました。それでも、下りるとき、足がな、なかなか前に出んかった」

公民館の十四人は全員助かった。そのうちの一人は、俺の同級生の妹だった。俺はその子が助かったことを、当たり前のように喜んできた。

そして昼過ぎ、部隊はもう一度、坂を上がってきた。

あの晩、俺が道の真ん中で両手を上げたとき、その人の長靴には、もう「野尻の赤」がついていた。

あの人は、夜が明けるより前に、一度、この坂を上っとる。

そして、一度、下りている。

「ごめんなぁ、いうんは、間に合わんかったことじゃのうて、いっぺん、通り過ぎたことじゃったんです」

俺は、堰堤の袖の、刈られたばかりの草の匂いの中で、それを聞いた。

土に額をつけていた意味も、そのときわかった。あれは音を聞いていたのではない。中にいる人に、詫びていたのだ。

俺は、その人を恨まなかった。

恨みようがない。あの朝、返事のない二人を選んでいたら、十四人のうちの何人かが、いま生きていない。

そう言うと、その人は首を横に振った。

「頭ではわかっとります。四十年、それでやってきましたけん」

「じゃあ」

「頭がわかっても、足は憶えとるんです。あの坂を下りたときの足が」

だから毎年、盆の前に、堰堤の草を刈りに来るのだという。

誰に頼まれたわけでもない。手を合わせに来るのは違う気がして、ただ、草を刈って帰る。

俺は、その日から、その人と一緒に刈るようになった。

二人で刈ると、半日が二時間で終わる。終わったあと、堰堤に腰かけて、麦茶を飲む。話すことはあまりない。谷の水音を聞いている時間のほうが長い。

その年の盆、俺たちは草を刈ったあと、堰堤の上流まで歩いた。

崩れた斜面には十九年ぶんの木が生えて、もう斜面だったことがわからない。ただ、下を掘れば「野尻の赤」が出る。俺は職業柄、それを知っている。

「この土はな」と、その人が言った。

「靴の溝から、なかなか落ちんのです」

「知っとります。うちの坂の土ですけん」

「あの日、宿舎に帰って長靴を洗いました。三回洗って、それでも溝の奥に残っとった」

その人はそこで少し黙って、麦茶の蓋を閉めた。

「わしは、それを見て、はじめて座り込みました」

俺は何も言えなかった。

言葉の代わりに、刈った草を谷側に落とさないよう、足でそっと道の内側へ寄せた。

去年、その人が刈り方のコツを教えてくれた。

「刈った草はな、谷に落とさんように。落とすと、次の雨で目地に詰まるけん」

「はい」

「あんたの仕事じゃろが。わしが教えることじゃないな」

そう言って、初めて笑った。

別れ際、その人は軽トラックの荷台に草刈り機を積みながら、こちらを見ずに言った。

「妹さんの名前を、教えてもろてもええですか」

「なつ、といいます。夏の、なつです」

その人は口の中で二度、その名を繰り返した。

「十九年、名前を知らんまま来ました」

「知らんまま、毎年、来てくださっとったんですね」

返事はなかった。荷台のあおりを閉める音だけが、谷に短く響いた。

母のまめを、俺は触ったことがない。

触っていたのは、なつだけだった。

いま、俺の左の手のひらにも、同じところにまめが二つある。草刈り機の柄が当たる場所だ。

それを見つけた夜に、初めて泣いた。十九年遅れの涙だった。

俺は、いまも坂の下で仕事をしている。

斜面に印をつけながら、この谷のどこかで、また誰かが決まりのとおりに動く日のことを考える。

そのとき、通り過ぎる側になる人がいる。

その人は、たぶん一生、その坂の土を靴から落とせない。

だから俺は、この場所を借りて、もう一度だけ書いておきたい。

あの日、あの晩、来てくださって、本当にありがとうございました。

通り過ぎてくださって、ありがとうございました。

おかげで、いまも十四人が生きています。

そして俺は、妹の顔にかけられた手拭いの白さを、一生忘れません。

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