
父は、電話に出るとき、いつも一呼吸おいてから話し始める人でした。
もしもし、の前に、必ず短い間があります。
子どものころは、それが少し嫌でした。
何か言われる前に、こちらを一度量られているような気がしたのです。
湯を流す町
埼玉の川口は、鋳物の町です。
いまはマンションばかりになりましたが、私が小さいころは、路地に入ると砂と鉄の匂いがしました。
父は、その工場のひとつで長く働いていました。
溶けた鉄のことを、あの人たちは湯と呼びます。
千数百度のものを湯と呼ぶ神経が、私にはずっと不思議でした。
父の作業服は、母がいつも別にして洗っていました。
洗濯機に入れる前に、庭で一度はたきます。
そうすると、細かい砂が落ちて、コンクリートの上に丸い跡ができるのです。
その跡を、私は何度も見ています。
けれど、父が働いているところは、一度も見ていません。
見に行こうと思ったことすら、ありませんでした。
小学六年の社会科見学で、市内の鋳物工場を見せてもらったことがあります。
父のところではなく、もっと大きい工場でした。
取鍋から湯が落ちる瞬間に、私は一歩下がりました。
橙色というより、白に近い色でした。
案内の人が言いました。
「湯は、急がせると怒るんだよ」
子どもを笑わせるための言い方だと思って、私も笑いました。
帰ってから、父にその話をしませんでした。
同じ仕事をしている人に、見てきた話をするのが、なぜか恥ずかしかったのです。
父の手のひらは、いつも乾いていました。
握ると、紙やすりのような音がしそうな手です。
爪は短く、深いところまで切ってありました。
砂型を扱う人は、爪を伸ばさないのだそうです。
ひとつだけ、覚えている場面があります。
小学校に上がる前の夏、父が私を肩車で祭りに連れて行きました。
そのとき、父の頭を掴んだ私の手が、汗で滑りました。
父は歩きながら、片手で私の足首を持ち直しました。
持ち直す前に、一度、止まったのを覚えています。
いま思えば、あれも間でした。
話さない家
父は無口な人ではありません。
テレビに向かってはよく喋りました。
ただ、私に向かっては、あまり喋りませんでした。
「飯」
「風呂」
そういう単語だけで、二十何年が過ぎていました。
家で酒を飲むことはありました。
けれど、二人で外へ出たことは一度もありません。
中学の三者面談に、父が来たことがあります。
母が仕事を替えられない年で、代わりに来たのです。
作業服のまま、教室のうしろの小さい椅子に座っていました。
先生が成績の話をしているあいだ、父はずっと膝に手を置いていました。
帰り道、私は少し離れて歩きました。
作業服が恥ずかしかったのです。
父は、そのことに気づいていたと思います。
気づいていて、歩く速さを変えませんでした。
あの日のことを、私は二十年、誰にも話していません。
私が就職して家を出るとき、父は玄関で一度だけ、何か言いかけました。
結局、言いませんでした。
私も、待ちませんでした。
母の位置
母は、父と私のあいだで、ずっと通訳のようなことをしていました。
父が何も言わない日に、「お父さん、あんたの試合、休み取ろうとしてたよ」と教えてくれるのは母でした。
私はそれを、母の優しさだと思っていました。
いまは、少し違うと思っています。
言わない人と、言わない子のあいだに立ち続けるのは、そうとうに疲れる役目です。
母はそれを、二十何年やりました。
あの土曜に夕飯を作らなかったのは、その役目を降りた日だったのかもしれません。
降りなければ、私たちは一生、母を挟んだままだったでしょう。
※
連発する
二十代の終わりに、私は物流倉庫の管理の仕事に移りました。
入出庫の数字を合わせる仕事です。
合っていて当たり前、合わなければ全部こちらのせい、という種類の仕事でした。
最初の年は、うまくいきました。
二年目の秋から、崩れました。
一度、棚番の登録を間違えました。
翌週、別のところで似た間違いをしました。
ミスというのは、一つ出ると次が出やすくなります。
叱られた翌日は、指先が冷えて、確認の手が余計に遅くなるのです。
遅くなると、また抜けます。
秋の終わりには、終業後に一人で棚を回るようになりました。
倉庫は、夜になると音がよく響きます。
自分の足音と、遠くで動いているフォークリフトの警告音だけ。
懐中電灯で棚札を照らしながら、私は同じ列を三度数えました。
三度とも違う数字が出た夜がありました。
もう数のせいではないのだと、そのとき分かりました。
それでも、四度目を数えました。
数えているあいだだけは、何かをしている気になれたからです。
「お前、最近どうした」
そう言われるうちは、まだよかったのだと思います。
そのうち、何も言われなくなりました。
朝、駐車場で車を停めてから、降りるまでに十分かかるようになりました。
叱られない日々
叱られなくなってからのほうが、しんどかったと思います。
叱られているうちは、まだ直せる人だと思われています。
何も言われなくなると、そこが分からなくなります。
朝礼で自分の名前が呼ばれないことに、いちいち意味を探すようになりました。
昼は、車のなかでパンを食べていました。
休憩室に行くと、誰かに気を遣わせる気がしたのです。
いま思えば、気を遣わせていたのは、その行動のほうでした。
人は、しんどくなると、まわりを守っているつもりで、まわりを困らせます。
それが分かるまでに、私は一年かけました。
もう仕事がしんどい
その年の十一月に、私は実家に顔を出しました。
用事があったわけではありません。
部屋に一人でいるのが、うまくできなくなっていました。
台所で母と話して、居間でテレビを見て、それだけで帰るつもりでした。
実家の台所は、換気扇の音が大きい家でした。
母は、その音のなかで、いつも背中を向けて喋ります。
「ちゃんと食べてる?」
「食べてるよ」
「顔がね」
それ以上は訊かれませんでした。
訊かれていたら、私はきっと何も言えなかったと思います。
訊かれなかったから、玄関で漏れたのです。
玄関で靴を履きながら、私は独り言のつもりで言いました。
「もう仕事がしんどい……」
父は、居間にいました。
聞こえていないと思いました。
返事もありませんでした。
その日は、そのまま帰りました。
三日置いてから
電話が来たのは、三日後の夜です。
画面に父の名前が出て、私は少し身構えました。
出ると、いつもの間がありました。
「もしもし」
「うん」
「今週末、飲みに行くか」
私は、返事に詰まりました。
誘われたことが、生まれて初めてだったからです。
「……いいけど」
「じゃあ土曜、六時に」
それで切れました。
用件だけの電話でした。
あとになって母に聞くと、父はその三日のあいだ、二度、受話器を持って戻したそうです。
「かける前に、ずいぶん考えとったよ」
思いつきで誘われたのだと、私はそのとき思っていました。
※
初めての二人
連れて行かれたのは、駅から少し離れた居酒屋でした。
暖簾が油で濃い色になっていて、引き戸が最後だけ引っかかる店です。
「よお」
大将が、父を見て言いました。
「珍しいね、連れがいるなんて」
「息子」
「へえ」
大将は、それ以上は訊きませんでした。
カウンターの端から二番目に、父は座りました。
迷わずに座ったので、そこが決まった席なのだと分かりました。
父は瓶ビールを頼んで、私のコップに注いでから、自分のに注ぎました。
その順番を、私は初めて見ました。
家では、いつも自分の湯呑みが先の人でした。
店には、常連が三人ほどいました。
誰も、こちらを見ませんでした。
見ないのが作法の店なのだと、あとで分かりました。
父は、煮込みと焼き鳥を二本だけ頼みました。
いつも同じものを頼むのだそうです。
「決めとくと、考えんで済むから」
父の箸の持ち方が、家で見るときより丁寧でした。
私は、父が外でどんな顔をしているのかを、その晩まで知りませんでした。
知らないまま、三十年、同じ家にいたのです。
私は、仕事の話をしました。
数字が合わないこと、確認が遅いこと、辞めようか迷っていること。
父は、一度も口を挟みませんでした。
頷きもしませんでした。
ただ、私が黙るたびに、少し待ってくれました。
喋りながら、私は何度も、途中で止まりました。
言いたいことが、うまく順番にならないのです。
そのたびに父は、コップを持ったまま待っていました。
急かされなかったので、私は最後まで喋りきりました。
最後まで喋ったのは、たぶん十年ぶりでした。
勘定は、半分ずつでした。
私が全部出すと言うと、父は首を振りました。
「奢ると、お前が次に来にくうなる」
そのときは、意味が分かりませんでした。
次がある前提で言われていたのだと、あとから気づきました。
うまくいかんかった日の店
途中で、私は訊きました。
「この店、長いの」
「三十年」
「三十年、来てて、なんで一回も連れてこなかったの」
父は、しばらく考えてから言いました。
「ここは、うまくいかんかった日に寄る店だから」
「……そう」
「家に持って帰るもんでもないだろ」
三十年ぶんの、うまくいかなかった日が、この椅子の上にありました。
私はそれを、その晩まで一つも知りませんでした。
子どもというのは、親の失敗を数えないものです。
父が家で機嫌の悪かった日を、私はいくつも覚えています。
けれど、その前に父がここへ寄っていたことは、考えたこともありませんでした。
寄らずに帰った日もあったはずです。
それが、どの日だったのかは、もう分かりません。
特別な子
二本目の途中で、父が言いました。
「お前が生まれた時な」
「うん」
「なんとも言えん、不思議な気持ちになったんだよ」
私は、コップを置きました。
「初めての子だったからな。この子は特別な子だって、その時思った」
「……」
「今でも、その気持ちは変わらん」
父は、そこで一度、間を置きました。
電話に出るときと同じ間でした。
「だから、いくら辛いことがあろうが、苦しもうが、俺と母さんがお前のことをそう思ってると、思っていてくれ」
それだけ言って、父は焼き鳥のほうを向きました。
私は、しばらく何も言えませんでした。
自分に自信がなくなっていた人間に、いちばん効く言葉でした。
あとで父の宿帳の余白という話を読んだとき、私はこの晩のことを思い出しました。
父親というのは、書かないところに書く人たちなのだと思います。
帰り道は、二人で駅まで歩きました。
十一月の夜で、川からの風が来ていました。
父は、少し前を歩いていました。
その背中が、思っていたよりも小さいことに、私はそこで気づきました。
改札の前で、父は振り向かずに手を上げました。
「じゃあな」
「うん」
それで終わりです。
肩を叩かれもしませんでした。
そういう別れ方のほうが、私には効きました。
※
三日目のガラス
その話には、続きがあります。
正月に実家へ帰ったとき、母が台所で教えてくれました。
「特別な子だって思ったのはね、生まれた時じゃないの」
「え」
「三日目よ」
私は、生まれてすぐ保育器に入っていたそうです。
数字は低かったけれど、危ないというほどではなかった。
それでも父は、三日間、仕事のあとに毎晩病院へ来ていました。
ガラスの前に立って、何もせずに帰る。
「不思議な気持ち、って言ったでしょう」
「言ってた」
「あれね、こわかったのよ」
嬉しさの話だと思って聞いていた言葉が、こわさの話でした。
ガラス越しに三日立った人が、三十年後に、居酒屋で同じ言葉を選んだのです。
母は、引き出しから古い手帳を出してきました。
父の字で、三日ぶんの数字が並んでいました。
体重と、体温と、時刻。
看護師さんが読み上げるのを、ガラスの前で書き写していたのだそうです。
「なんで書いてたの」
「さあ。書くことしかなかったんじゃないの」
数字は、四日目で止まっていました。
保育器から出た日です。
その次の行に、一行だけ、父の字で書いてありました。
「あたたかかった」
母は、そのあとに一つ足しました。
「あの土曜ね、私、夕飯作らなかったのよ」
「……知ってたんだ」
「知ってたわよ」
母は、笑いもせずにそう言いました。
知っていて、何も言わずに二人を外へ出す。
この家は、そういうやり方でずっと回っていたのだと思います。
頑張ったよという話に出てくる家族も、たぶん同じ種類の人たちです。
大事なことを、言わずに置いておける人たち。
父の入院は、心臓の手術でした。
命に関わるものではありませんでしたが、しばらく仕事は無理だと言われました。
見舞いに行くと、父はテレビを消して、こちらを見ました。
「仕事、どうだ」
「まあ、なんとか」
「そうか」
それだけでした。
あの居酒屋の晩から、私は一度も辞めたいと言っていません。
言わなくなったのは、仕事が楽になったからではありません。
辞めたいと言える場所が、家の外に一つできたからです。
鋳巣
次にその店へ行ったのは、父が入院した年の春でした。
一人で暖簾をくぐると、大将が私を覚えていました。
「端から二番目、空いてるよ」
私は、父の席に座りました。
大将は、頼んでもいないのに瓶を出して、それから昔の話をしました。
父が二十代のころ、この店で親方に叱られていたこと。
そのころの父は、湯を流すのが早すぎる職人だったこと。
「急いで流すと、なかに空洞ができるんだよ」
「空洞」
「鋳巣ってやつ。外から見えないの。割って初めて分かる」
だから、湯を流す前には間を置く。
気泡が抜けるのを待ってから、流す。
あの一呼吸は、湯を流す前に置く間と同じでした。
大将は、それから少しだけ声を落としました。
「湯ってのはね、待ってる時間がいちばん怖いんだよ」
「怖い」
「冷めるからね。待ちすぎても駄目なの」
早すぎれば空洞が残り、遅すぎれば流れなくなる。
三日という間の長さを、私はそこで思い返しました。
受話器を二度持って、二度戻して、三日目にかけた人がいます。
あれは迷っていた三日ではなく、待っていた三日だったのだと思います。
「あの人がそれを覚えたの、遅かったんだよ」
大将は、栓を抜きながら言いました。
「子どもが生まれた年だったかな。急に、間を置くようになった」
父が一呼吸を覚えたのは、私が生まれた年からでした。
※
寄ってから帰る
いま、私は同じ会社で、下に何人か付くようになりました。
電話に出るとき、一呼吸おいてから話し始めます。
意識してそうしているわけではありません。
気がついたら、そうなっていました。
あの晩から、私は仕事のやり方を一つだけ変えました。
数字が合わないとき、すぐに数え直さないことにしたのです。
一度、台のところまで戻って、水を飲んでから、それから数える。
それだけで、間違いがはっきり減りました。
急いで流すと、なかに空洞ができる。
倉庫の棚も、たぶん同じでした。
下に付いた者に、私はこの話をしません。
言えば、やり方の押しつけになるからです。
ただ、電話に出る前に間を置く子が一人いて、その子のことは黙って見ています。
そして、うまくいかなかった日は、あの店に寄ってから帰ります。
端から二番目に座って、一本だけ飲んで帰る。
家に持って帰るものではないからです。