パソコンが得意な息子へ

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 |

パソコンのある部屋

俺がまだ小学校に上がる前、父親は交通事故で亡くなった。

母親は、女手ひとつで俺を育ててくれた。

家は貧しく、県立高校を受けたが落ちてしまい、私立に通う余裕もなかった。

選んだのは定時制高校。

そして、なんとか卒業はしたものの、俺は就職先も見つからず、ただ毎日をぶらぶらと過ごしていた。

そんな俺に、母はある日ぽつりと呟いた。

「そのうち、いい仕事が見つかるよ」

無理に明るく笑うその顔が、今でも忘れられない。

ある日、母が言った。

「パソコンぐらい使えないと、就職も難しいのかね」

そのまま電器店へ行き、パソコンをローンで買ってくれた。

インターネットの接続も、店の人に頼んでくれた。

帰り道、母が笑いながら言った。

「25万円かあ…こんな大金を使うの、父さんが死んでから初めてだね」

その日から、母はローン返済のために夜遅くまで働くようになった。

俺はというと、無料で遊べるネットゲームにのめり込んでいた。

毎日、朝から晩までゲーム漬け。

でも母は、それを「パソコンの勉強」だと信じていた。

「パソコン、上手になった?」

「いい仕事が見つかるといいね」

そう言って、何度も何度も、優しく笑ってくれた。

ある日、母が職場で倒れた。

病院に運ばれたと聞いて、俺はボロボロの自転車を一時間近く漕いで病院へ向かった。

病室に入ると、母は笑って言った。

「ただの過労だよ、大したことないよ」

そして、額の汗をタオルで拭いてくれた。

「パソコンが上手になったら、いい仕事が見つかって、自動車も買えるからね」

数日後、病院から告げられたのは現実とは思えない診断だった。

「急性白血病で、余命は三か月ほどです」

頭が真っ白になった。

自分がどれだけ母に負担をかけてきたか。

そして、母の想いを踏みにじるように、毎日ゲームばかりしていた自分が情けなかった。

帰り道、自転車を漕ぎながら、母との思い出が次々と浮かんでは消えていった。

帰宅した俺は、自分のゲームアカウントとアイテムをすべて売りに出した。

かなり安く設定したので、すぐに買い手がついた。

翌日、母の好きだったチーズケーキとヨーグルトを、立派な店で買った。

病室でそれを差し出すと、母は驚いて尋ねた。

「こんなお金、どこから…?」

俺は笑いながら嘘をついた。

「パソコンのバイトで8万円もらった」

母は、まるで子どものように嬉しそうに笑った。

「パソコン、上手になったんだね。いい仕事、見つかったんだね」

その顔が、今でも忘れられない。

あんなに信じきった笑顔に、俺は何も言えなかった。

俯いたまま、涙が落ちそうになるのを堪えていた。

それから、たった二週間。

その朝、母は静かに息を引き取った。

誰もいない病室で、母の遺品を片付けていると、看護師さんが声をかけてくれた。

「あなた、パソコンが得意なんですってね。お母さん、毎日のように自慢してたわ」

その一言で、張り詰めていた感情が崩れた。

俺はその場に崩れ落ち、体を震わせて、声を上げて泣いた。

母が遺してくれた無償の愛と、信じてくれた希望。

それに応えられなかった自分の愚かさと悔しさに、涙が止まらなかった。

母さん、ごめん。

そして、本当にありがとう。

今度こそ、俺、ちゃんと前を向いて生きていくよ。

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