もし生まれ変わったら

公開日: 家族 | 心温まる話 |

父親の手を握る子(フリー写真)

両親が離婚して、若くして妊娠した母親にとっては、望まれた子供ではなかった。

自分が6歳の時に母は別の男性と付き合い、父親も別の女性と関係を持ったため、両親は自分の親権を争う裁判をしていた。

しかし、母の弟である自分の叔父は、

「貴様らは最低だ。どこにでも行ってしまえ。二度とこの子の前に現れるな」

と言い、自分を引き取ってくれた。

当時の自分は、両親のことや突然現れた叔父に戸惑っていた。

しかし叔父は自分を「まーちゃん」と呼び、幼い自分に愛を教えてくれた。

叔父は土木作業員で、自分を毎日迎えに来てくれた。

そして夕飯の材料を買いに行き、プラモデルやキャッチボールをして遊んでくれた。

自分には両親の存在がなく、叔父が自分に与えてくれた愛、優しさ、喜びは忘れられない。

叔父は自分の高校卒業後、服の専門学校に入れてくれ、自分の幸せを常に考えてくれた。

ところが突然病に倒れ、手術後1ヶ月で亡くなってしまった。

自分は咄嗟に「お父さん!」と叫び、叔父の手を握りしめた。

叔父は目を開けて自分の頭を撫で、静かに目を閉じて亡くなった。

今でも、叔父の思い出を振り返ると、涙が止まらなくなる。

自分には実の両親のことを思い出せなくなってしまったが、叔父は自分の父親であり、母親でもあった。

今度生まれ変わったら、本当の親子として生まれたいと思う。

お父さん、今でも会いたいです。

関連記事

バー

最後のショットバー

20歳の誕生日、姉は私を雰囲気の良いショットバーに連れて行ってくれた。初めてのバー体験に圧倒されている私を見て、姉は「緊張してんの? 何か子供の頃のアンタみたい」と笑いながら、彼女が…

お年寄りの手(フリー写真)

おばあちゃんが注いだ愛情

こどもの発達がちょっとゆっくりで、保健センターに通っている。 そこの母子教室の最中、おばあちゃんと男の子が二人、迷い込んで来た。 「すみません、里親会の集まりの会場はここで…

家族(フリー写真)

娘への遺言

レミオロメンの「3月9日」という曲が流れる度に、私は泣きそうになります。 両親は、私が10歳の時に事故死しました。 あの日は家族旅行に行っていました。 帰り道、高速…

河川敷

桂川にて — 最後の親孝行

2006年2月1日、京都市伏見区・桂川の河川敷で、一組の母子が静かに“終わり”を迎えようとしていました。 事件として報じられたのは、無職の片桐康晴被告が、認知症の母親を殺害し、…

結婚式

父娘の絆

土曜日の太陽が、一人娘の結婚式を温かく照らしていた。 私が彼女たち母娘と出会ったのは、私が25歳の時でした。妻は33歳、娘は13歳というスタートでした。 事実、彼女は私の…

ビル

予期せぬ守り神

内定式で初めて彼女と出会った。彼女は私たちの同期だった。 彼女は聡明の代名詞のような人だった。学生時代の論文で賞を受けるほどの才女で、周囲からは期待の新星と見なされていた。 …

月(フリー写真)

月に願いを

俺は今までに三度神頼みをしたことがあった。 一度目は俺が七歳で両親が離婚し、父方の祖父母に預けられていた時。 祖父母はとても厳しく、おまけに 「お前なんて生まれて来な…

結婚式の花嫁さん(フリー写真)

お父さんよりいい男

私の小さい頃の夢は、お父さんのお嫁さんになることでした。 お父さんに対して、嫌いと思ったことも嫌だと思ったこともありませんでした。 周りの友達よりもお父さんとは仲良しだった…

豚骨ラーメン(フリー写真)

父の記憶

俺の父は、俺が6歳の時に死んでしまった。 ガンだった。 確か亡くなった当時の年齢は34歳だったと思う。 今思えばかなりの早死にだった。 呆気なく死んでしまった…

手を繋ぐ夫婦(フリー写真)

最高の両親

ある女性が学生の頃に暴行されました。 男性不信になった彼女はずっと男性を避けていましたが、会社勤めをしているうちに、そんな彼女に熱烈にアタックしてくる人がいました。 その…