未読のメッセージ

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 | 心温まる話 |

花

青春の嵐が吹き荒れる中学三年生の春、突然の母の病気の診断を受け入れることができませんでした。

試験と部活動に明け暮れる日々に追われ、未来への不安と金銭的な心配に頭がいっぱいでした。

5月のある日、母が入院すると聞かされました。時々家に戻る母の姿を見て、きっと治ると信じて疑いませんでした。

夏が過ぎ、水泳部を引退した私には急に手に余る時間ができました。

その時間を父に導かれ、病院への毎日のお見舞いに費やしましたが、内心では早く帰りたいとばかり思っていました。

そして2ヶ月後、母は静かにこの世を去りました。

そのときの私は、涙は流したものの死の実感は薄く、あまりのあっけなさに内心で感じるものがありました。

人がこの世を去る瞬間は、思っていたよりもずっと静かで、呆気ないものでした。

時間が経ち、父と親族の手を借りながら、日常を取り戻し、目指していた高校への道を歩み始めました。

しかし新しい環境ではすぐにつまずき、中学時代の水泳の輝きも、受験での休憩がスランプをもたらし、光を失いました。

学年末のテストが終わり、ふとした気まぐれで昔使っていたフリーメールの受信ボックスを開きました。

スパムメールをいくつか笑い飛ばす中、見覚えのあるメールアドレスが。それは母からでした。

開いてみれば、そこには愛情あふれるメッセージが次々と。

『誕生日おめでとう』

『東北大会出場おめでとう』

『ちゃんとご飯食べた?』

『父のことを手伝ってあげてね』

その文字たちは、母の温もりをそのままに、私に語りかけていました。

私の目から涙が溢れ、心は後悔でいっぱいになりました。新しいメールアドレスを教えなかったこと、感謝の言葉を直接言えなかったこと。

母がいない世界と、母が死んだ現実が同じ意味を持ったのは、その瞬間でした。

パソコンの画面に向かい、一年以上遅れた返信を打ち込みます。

「ごめんなさい。ありがとう。大好きです」

関連記事

コーヒー

父の献身

私の両親は小さな喫茶店を営んでいて、私はその一人娘です。父は中卒ですが、非常に真面目な人でした。 バブルが弾け景気が悪化すると、父は仕事の合間にお店を母に任せ、バイトを始めまし…

オフィス(フリー素材)

祖父の形をした幻

私の名前は中島洋二、会社員であり、幸せな家庭の父親です。 家族は妻と二人の子供、それから母親がいます。 しかし、私にとっての大切な家族の一人に、私の祖父がいます。 …

母と子

母の強さ

母は、バツニです。 1人目の旦那さんで兄と私を産み、2人目の旦那さんで妹を産みました。 1人目の父はギャンブル依存症で、多額な借金を抱え家に帰って来ないほどパチンコをして…

夏の部屋(フリー写真)

残された兄妹

3年前、金融屋をやっていたんだけど、その年の夏の話。 いつものように追い込みを掛けに行ったら、親はとっくに消えていたんだけど、子供が二人置いて行かれていた。 5歳と3歳。上…

駅

再生の贈り物

私には本当の親がいない。物心ついたときにはすでに施設で育てられていました。親が生きているのか、死んでいるのかもわからないまま、私はただ普通に生きてきました。 施設での唯一の家族…

味噌焼きおにぎり(フリー写真)

祖母の味噌焼きおにぎり

僕には祖母がいる。 祖父は僕が生まれる前に亡くなった。 だから、祖母は大変だったらしい。 祖父は保険に入っておらず、残されたのは煙草畑と田んぼと仔牛くらいだった。 …

靴を持つ夫婦(フリー写真)

二つの指輪

「もう死にたい…。もうやだよ…。つらいよ…」 妻は産婦人科の待合室で、人目もはばからず泣いていた。 前回の流産の時、私の妹が妻に言った言葉…。 「中絶経験があったりす…

雨の日の紫陽花(フリー写真)

いってらっしゃい

もう二十年ほど前の話です。 私が小さい頃に親が離婚しました。 どちらの親も私を引き取ろうとせず、施設に預けられ育ちました。 そして三歳くらいの時に、今の親にもらわれた…

駅のホーム(フリー写真)

母を守る子

昔は JR大久保駅(兵庫県)から通勤していたのですが、週2日は午前10時までに舞子に着けば良い時期がありました。 朝はゆっくりできるし、電車は空いていて快適でした。 ホー…

オフィス(フリー写真)

苦手だった部長

その時の部長は凄く冷たくて、いつもインテリ独特のオーラを張り巡らせている人だった。 飲みに誘っても来ることは無いし、忘年会などでも一人で淡々と飲むようなタイプ。 俺はよく怒…