迷惑かけてごめんな

公開日: ちょっと切ない話 | 家族 | 祖父母

老夫婦(フリー写真)

私のじいちゃんは、私が生まれるまでアルコール中毒だったと聞いた。

酒に酔い潰れ、仕事を休む日も少なくなかったという。

ばあちゃんは何度も離婚を考えたと聞いた。

でも、ばあちゃんは我慢して離婚せず、家を守って来た。

じいちゃんは無口で、あまり自分のことを喋らない性格だ。

だからばあちゃんに対しても冷たそうに見えた。

私が小さい頃も、よく口喧嘩していたのを憶えている。

でも私は、ばあちゃんもじいちゃんも大好きだった。

私が小学校の頃にばあちゃんは乳癌になり、闘病生活が始まった。

全摘しなかったため、治ったと思ったらまた再発した。

私が20歳になったばかりの頃、ばあちゃんは医師からもう長くないと言われた。

じいちゃんは毎日、何回もばあちゃんのお見舞いに行っていた。

でも何も話さず、顔を見て帰る感じだった。

それでも毎日毎日、お見舞いは欠かさなかった。

数週間後、ばあちゃんは静かに息を引き取った。

ばあちゃんを火葬場に運ぶ時、じいちゃんが泣きながら

「○○(ばあちゃんの名前)を連れてかないでくれ」

と言っていた。

私は思わず涙が出た。

葬儀が終わってから、じいちゃんはずっと元気が無かった。

毎日、仏壇の前で何か唱えていた。

こっそり聞いてみたら、

「○○、迷惑かけてごめんな。

俺もいつになるか分からないけど、○○のところに行くから、待っててくれ」

私は涙が止まらなかった。

あんな姿のじいちゃんなんて、見たことが無かった。

それからじいちゃんは少し明るくなった。

いっぱい話すようになった。

じいちゃん、ばあちゃんの分まで生きてください。

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