
俺が六歳のとき、親父が再婚して、新しい母親がやってきた。
「今日からこの人がお前のお母さんだ」
そう言って紹介された女性は、優しく微笑んでいた。
家族とか血のつながりなんて、まだ何もわからなかった俺にとって――その人こそが、母親だった。
※
それから数年が経ち、俺が中学生になった頃。
突然、親父が事故でこの世を去った。
葬儀の場には、親父の親族は誰ひとりとして姿を見せなかった。
後から聞いた話では、親父は子どもの頃に両親を亡くし、親戚中をたらい回しにされていたそうだ。
心に深い傷を負い、大人になってからはすべての縁を断ち切ったという。
※
葬式のあと、俺の今後について話し合いが持たれた。
義母の両親は、娘の結婚相手に「連れ子」がいたことを快く思っていなかった。
一方で、生みの母の両親は、「若い義母には荷が重すぎる」と言って、俺を引き取ろうとしていた。
そのとき、義母はずっと黙って双方の話を聞いていた。
だが、ひとしきり話が終わったあと、静かに、けれど力強く言った。
「この子は、私の子です」
「血がつながっていなくても、私の子どもです。どうか、この子は私に任せてください」
物腰のやわらかい義母が、こんなにも強い口調で訴えたのは、初めてだった。
驚きとともに、胸の奥に熱いものが込み上げた。
結局、義母の言葉が通り、俺はふたりきりで義母と暮らすことになった。
※
稼ぎ頭だった親父を失い、義母は生活のすべてを背負った。
朝も夜もなく働き、俺の受験の頃には、ほとんど自分の時間も持たずに支えてくれた。
高校三年になり、俺は家計のことを考えて、就職を選ぼうと思っていた。
でも、義母ははっきりと言った。
「大学に行きなさい」
「お金のことは、母さんがなんとかするから」
俺は驚いた。
なんで、実の息子でもない俺に、こんなに一生懸命になってくれるんだろう。
呆れるほどまっすぐな言葉が、どうしようもなく嬉しくて、気づいたら泣いていた。
義母の想いに背中を押され、俺は受験勉強を始めた。
浪人はできない。落ちるわけにはいかない。
勉強は得意じゃなかったが、必死で挑んだ。
大した大学じゃなかったけれど、合格通知が届いたときの、義母の泣き笑いの顔は、今でも目に焼きついている。
※
大学では、生活費くらいは自分で賄おうと決めた。
高校の頃から続けていたバイト漬けの日々は、四年間変わらなかった。
それでも留年せずに卒業できたのは、義母の応援があったからだ。
就職も決まり、ようやく社会人としてスタートを切った。
初任給で、義母に小さなプレゼントを買った。
たいした物じゃなかったけど、義母は何度も「ありがとう」と言いながら、泣いてくれた。
俺も、つられて泣いてしまった。
感謝すべきは俺の方なのに。
※
それから数年。俺も三十歳を迎える頃、結婚を考える人ができた。
義母は、心から喜んでくれた。
「これで、あんたも一人前だね」
そう言ってくれた笑顔が、少し寂しげにも見えた。
同居を提案したが、「お嫁さんに悪いから」と、やんわり断られた。
妻も義母との同居を希望していたが、義母の意思は固かった。
※
ところが、結婚して一年ほど経ったある日、義母が倒れた。
幸い命に別状はなかったが、もう何かあってからでは遅いと思い、俺は半ば強引に同居を決めた。
義母は、孫の顔を見せるたびに、嬉しそうに笑っていた。
妻とも本当の親子のように仲良くしてくれて、我が家は笑顔で溢れていた。
※
そんな日々が、永遠に続くと思っていた。
だが先月、義母は突然、くも膜下出血で帰らぬ人となった。
通夜の晩、妻がぽつりと話してくれた。
「あなたのお母さんね、実は……子どもが産めない体だったんだって」
その事実を、俺は知らなかった。
※
義母は、親父との結婚も最初は断っていたという。
けれど親父は言った。
「俺たちには、もう子どもがいるじゃないか」
「俺の息子の母親になってくれないか」
その言葉に、義母は泣きながらうなずいたそうだ。
「みっともないプロポーズだったけど、あんなに嬉しかったことはない」
そう語っていた、と妻は教えてくれた。
その瞬間、言葉が出なかった。
ただただ、涙があふれて止まらなかった。
親父の不器用な優しさ。
義母の真っすぐな覚悟。
俺はあのとき、ようやくすべてを理解した気がした。
※
妻も泣いていた。
それを見ていた子どもたちも、何が起きたか分からないまま、泣き出した。
家族全員で、義母のことを想いながら、ただ泣いた。
※
母さん――
血はつながっていないけれど、あなたは間違いなく、俺の母さんです。
生みの母には申し訳ないけれど、俺にとって、あなた以上の母はいません。
親父、そっちで会えたら、どうか母さんを褒めてやってください。
あなたの選んだ人は、本当に素晴らしい人でした。
※
母さん――
もし生まれ変われるのなら、もう一度あなたの子どもになりたい。
今度は、あなたの本当の子どもとして。
突然いなくなってしまったから、きちんと感謝の言葉を伝えられなかった。
でも、どうしても言わせてください。
本当に、ありがとう。
心の底から、ありがとう。