
今日は父の十三回忌だった。
法要が終わって、僕は久しぶりに作業場へ入った。
父の作業台の抽斗には、売り物にしない蝋細工の膳が、年にひとつずつ増えていた。
子どもの頃から、それは失敗作だと聞かされていた。
抽斗を開けたのは、今日が初めてだ。
中には、十七の蝋細工の膳が、日付順に並んでいた。
父は岐阜の郡上八幡で、食品サンプルを作る職人だった。
店先に飾る、蝋でできた料理を作る仕事だ。
天ぷらの衣、丼の湯気、氷の入ったグラス。
どれも本物より本物らしく見えなければ、売り物にならない。
作業場は年じゅう、蝋と樹脂の甘い匂いがしていた。
郡上八幡は、川と用水路の町だ。
家の裏を流れる水路には、夏でも冷たい水が走っていた。
作業場の窓を開けると、その水音がずっと入ってくる。
父はその音の中で、一日じゅう手だけを動かしていた。
道具は、竹べらと筆と、小さな金串だけだった。
「道具が増えたら、腕が減る」
父がまとまった話をするのは、道具のことだけだった。
僕が小さい頃、父は仕事の手を止めなかった。
話しかけても、返事は「うん」か「あとでな」だった。
それでも、僕は作業場が好きだった。
色を置く前の白い蝋は、雪みたいで、触ると少しあたたかい。
「触るな」と言われたことは、一度もなかった。
父の右手の甲には、古い火傷の跡が三つあった。
見習いの頃、熱い蝋を素手で受けたのだという。
「痛かったやろ」と聞くと、父は首を振った。
「痛いより、もったいなかった」
落とした蝋のほうを惜しむ人だった。
作業台の高さは、父の腰の位置にぴったり合わせてあった。
祖父が作った台だと聞いた。
天板の真ん中だけ、色が薄くなっている。
何十年も、同じ場所に肘を置いてきた跡だった。
父は無口な人で、褒めることも叱ることもしなかった。
僕が試験で百点を取っても、「ふうん」としか言わない。
母のほうが、よほど喜んでくれた。
母は町の旅館で働いていた。
朝が早く、夜が遅い。
それでも夕飯だけは、必ず三人で食べる家だった。
父は食事中もほとんど話さない。
ただ、母の作ったものを、いつも最後の一口まで残さなかった。
「うまいか」と母が聞くと、「ああ」とだけ答える。
その返事の速さで、母は機嫌を測っていたらしい。
父の口数が増えるのは、吉田川の話をするときだけだった。
「昔は、あの橋から飛び込んだんや」
「今の子はやらんのか」
「やらんよ、危ないもん」
「そうか」
そこで会話は終わる。
そういう人だった。
父が最初に体の不調を訴えたのは、僕が高校一年の冬だ。
病院で調べると、肺に水が溜まっていた。
診断は膵臓の病で、すぐに手術の日程が組まれた。
手術は、驚くほど短時間で終わった。
腹を開けた時点で、一目で分かるほど広がっていたという。
取れば、かえって余命を縮める。
医師はそう判断して、そのまま閉じた。
待合室にいた僕は、早すぎる終わりに拍子抜けした。
そして、そのまま告知を受けた。
父はもう助からない。
持って、あと半年だと言われた。
その日の帰り道を、僕はよく覚えている。
母と二人で、病院から駅まで歩いた。
母は途中で一度だけ立ち止まり、道端の自販機を見ていた。
買うわけでもなく、しばらくそこに立っていた。
僕は、何も言えずに横に立っていた。
その晩、父の作業場の電気が点いていた。
誰もいないのに、消し忘れたのだと思った。
翌朝、電気は消えていた。
作業台の上には、白い蝋の塊がひとつ置いてあった。
そのときは、何とも思わなかった。
蛍を入れた瓶
それから半年、父は病院で過ごした。
病状は着実に進んだ。
半年が過ぎる頃には、自力で動くことができなくなっていた。
視力も失い、眼球は白く濁っていた。
それなのに、日々はひどく平穏だった。
痛みは多量のモルヒネで抑えられていた。
抑えているだけだと分かっていても、平穏は平穏だった。
このまま、父は生きていけるのではないか。
僕は本気で、そう思いはじめていた。
病室は四階の、川に面した側だった。
窓からは、吉田川に架かる橋の欄干が少しだけ見えた。
父は最初のうち、その橋の話をした。
「あそこから飛び込むんは、水を見んと分からん」
「濁っとる日は、絶対に飛ばんのや」
目が見えなくなってからは、橋の話はしなくなった。
代わりに、水の音の話をするようになった。
「今日は、少し高いな」
雨のあとは、川の音が変わるのだそうだ。
四階の窓は閉まっていたが、父には聞こえていた。
母は毎日、着替えを持って病院へ通った。
僕は週に二度か三度、学校帰りに寄った。
父は、僕が来ても「おう」としか言わない。
見えない目を天井へ向けたまま、話を聞いている。
「今日、模試やった」
「そうか」
「数学だけ、ようできた」
「そうか」
それでも、僕が話すのをやめると、父は少し首を動かした。
聞いているのだと、それで分かった。
同業の職人さんが、何人か見舞いに来た。
みんな、手土産に自分の作ったものを持ってくる。
枕元には、蝋の握り寿司や蝋の苺が並んだ。
父はそれを一度も触らなかった。
「触ったら、直したなるでな」
そう言って、少しだけ笑った。
笑うところを見たのは、その一度きりだった。
弟子だった人が、一度だけ長く残った日がある。
父と二人で、小声で何か話していた。
僕が入ると、話はすぐに止んだ。
その内容を知るのは、十三年後の今日だ。
六月の、金曜の夜だった。
自宅にいた僕は、急に、病院へ行かなければならない気がした。
翌日も学校はある。
それでも、今夜行かなければ、と思った。
最終電車に乗り、駅から五キロの道を歩いた。
蛍の舞う季節だった。
川沿いの草むらに、光が低く流れている。
僕は空いた瓶に、二匹だけ捕まえて入れた。
父の目が見えないことは、分かっていた。
それでも、手土産がほしかったのだと思う。
川沿いの道は、街灯がまばらだった。
足元しか見えない道を、僕は早足で歩いた。
途中で一度、瓶の蓋を確かめた。
蛍が死んでしまっては意味がない気がしたのだ。
病院の裏口の灯りが見えたとき、少しだけ足がゆるんだ。
夜勤の看護師さんが、黙って中へ入れてくれた。
面会時間は、とっくに過ぎていた。
「今日は、いいですよ」とだけ言われた。
病室に入ると、父は起きていた。
「蛍、捕ってきた」
「そうか」
僕は瓶を、父の枕元に置いた。
しばらくして、父が言った。
「今年は、多いな」
僕は、返事ができなかった。
見えるはずがないのだ。
あとになって、看護師さんに教えてもらった。
父は、音を聞いていたのだという。
蛍が瓶の硝子に当たる、かすかな音だ。
数を数えていたわけではない。
当たる間隔で、季節の進み方を測っていたらしい。
「川の音といっしょですよ、って言うてはりました」
看護師さんは、そう言って笑った。
父の耳は、最後まで確かだった。
廊下を歩く人の足音で、誰が来たか分かるという。
母の足音と僕の足音は、区別がついていたらしい。
「お母さんは、右のほうが少し重いんやそうです」
そんなことまで、聞いていたのだ。
学校が終わったら
その夜、僕は病室の簡易ベッドで眠った。
翌朝、目を覚まして学校へ行く支度をした。
出がけに、父が言った。
「学校が終わったら、また来い」
僕は、少し驚いた。
その朝、父の枕元の瓶はもう空だった。
母が夜のうちに、窓から逃がしたのだという。
「一晩、鳴っとったで」と母は言った。
鳴る、という言い方をしたのが、あとで腑に落ちた。
父が僕に「来い」と言ったのは、それが初めてだった。
それまで父は、一度も僕を呼ばなかった。
来なくていい、とも言わない。
ただ、呼ばなかった。
理由も、あとから知った。
父は面会が終わるたび、看護師さんにこう言っていたそうだ。
「あの子には、無理させんといてください」
「学校があるんやから、来んでええんです」
呼ばなかったのは、来させたくなかったからだった。
そのくせ、僕が来ると父は少しだけ姿勢を直した。
背中の下の枕を、看護師さんに直させるのだ。
「息子が来るときだけ、うるさいんですよ」
看護師さんは、そう言っていた。
学校では、僕はいつもと同じようにしていた。
友人にも、父のことは話さなかった。
話すと、本当になってしまう気がしていた。
担任の先生だけは、知っていたらしい。
遅刻しても、何も言われなかった。
そのことに気づいたのは、卒業してからだ。
その日の夕方、僕は簡単に夕飯を済ませて病院へ向かった。
病室で、三人でとりとめのない話をした。
母が、家の梅が今年は豊作だと言った。
「梅酒、漬けたで」
「そうか」
「退院したら、飲めるな」
父は、それには答えなかった。
母が梅の話をしたのは、たぶんわざとだった。
先の話をすれば、先があることになる。
父は答えず、天井のほうを向いていた。
「橋、まだあるか」
ふいに、そんなことを聞いた。
「あるよ」と僕が答えると、「そうか」と言った。
橋があるかどうかを、父は確かめたのだと思う。
町の形が、まだ自分の知っているとおりであることを。
消灯時間は早い。
娯楽もないので、僕は早々に簡易ベッドに入った。
硬いベッドの上で、うとうとしていたときだった。
父が、突然、大声で僕の名前を叫んだ。
病室じゅうに響く声だった。
目が見えないから、僕を探しているのだと思った。
「ここに居るよ」
僕がそう答えると、父は少し間を置いた。
それから、はっきりとした声で言った。
「身体を大事にしろ」
突然、何を言うのだろうと思った。
それが、父の最後の言葉になった。
直後に容態が急変した。
痛み止めは、もう気休めにもならなかった。
駆けつけた担当医は、今夜が山だと言った。
越えられない山だということは、すぐに分かった。
六時間後、父は息を引き取った。
あとで、夜勤の看護師さんが教えてくれた。
父は毎晩、消灯のあとに小さく僕の名前を呼んでいたという。
返事の方向で、簡易ベッドの位置を覚えていたのだ。
「息子さんが泊まらはった日だけですよ」
あの夜、父が大声を出したのは、探すためではなかった。
位置は、もう分かっていたのだ。
分かっていて、それでも大声を出した。
届く声で言わなければならないことが、あったからだと思う。
抽斗の蝋細工の膳
十三回忌の今日、僕は初めてその抽斗を開けた。
十七の蝋細工の膳は、どれも掌に載るくらいの大きさだった。
椀と皿と、小鉢がひとつ。
箸置きまで作ってある。
裏に、鉛筆で日付が書いてあった。
十七の膳の日付は、どれも僕の誕生日の翌日だった。
誕生日の当日ではない。
翌日だ。
母に聞くと、理由は簡単だった。
「当日は、家におったやろ」
父は、家族といた日には作らなかった。
翌日、作業場にこもって、前の晩の食卓を再現していたのだ。
献立を見ていくと、確かに覚えのあるものが並んでいた。
三個目は、鶏の唐揚げと味噌汁。
七個目は、母が失敗して固くなった茶碗蒸し。
十一個目には、僕が中学で好きになった冷やし中華があった。
どれも、店に並ぶような料理ではない。
家の食卓そのものだった。
四個目の膳には、皿の端に小さな欠けまで作ってあった。
うちの皿は、確かに一枚だけ縁が欠けていた。
九個目は、正月の膳だ。
黒豆の艶が、本物より少しだけ強い。
「これは、ちょっと張り切りすぎやね」
母がそう言って、久しぶりに声を出して笑った。
十二個目には、母の作った肉じゃがが載っていた。
人参の面取りまで、丁寧にしてある。
母は、面取りなどしない人だ。
父の中の食卓は、実物より少しだけ整っていた。
十四個目には、僕の嫌いだった椎茸が入っていた。
その年から、僕は椎茸を食べるようになっている。
父は、食べられるようになったものを、必ず入れていた。
食べなかった年のものは、どこにも見当たらない。
十七の膳は、僕が食べられるようになったものの記録でもあった。
父は、僕が育っていくところを、蝋で数えていたのだと思う。
十五個目から、器が一回り小さくなっていた。
椀も皿も、明らかに縮んでいる。
父が体の不調を感じはじめたのは、その年からだったらしい。
食べられる量が減った分だけ、器が小さくなっていた。
それを、父は誰にも言わなかった。
母も、気づいていなかったという。
「あの人、茶碗も自分で洗うようになったんよ」
残した量を見られたくなかったのだと、今なら分かる。
十六個目の膳には、椀がひとつしかなかった。
小鉢も箸置きも、そこにはない。
その年の誕生日、父は入院の検査で家にいなかった。
母が病院へ弁当を持っていったのだという。
椀ひとつは、その弁当の汁物だった。
父は、その日の食卓も再現していた。
母は、その膳を長いあいだ手に持っていた。
「これ、うちが持っていった弁当やわ」
そう言ったきり、しばらく黙っていた。
親が黙って続けていたことは、たいてい後から分かる。
四歳の娘が回していたビデオレターの話を読んだことがある。
どちらも、本人は最後まで何も説明していない。
父も、同じだった。
白いままの椀
十七個目だけが、ほかと違っていた。
日付が、僕の誕生日の三か月も前になっている。
僕が高校一年の、冬だ。
手術のあと、告知を受けたのと同じ月だった。
父は病院から一度だけ、外泊の許可をもらって家に帰っている。
あの二日で、これを作ったのだ。
外泊の二日間、父は作業場から出てこなかった。
母は何度か様子を見に行ったが、声はかけなかったという。
「邪魔したらあかん気がしたんよ」
帰りの車の中で、父は一度だけ言ったそうだ。
「間に合うた」
何が間に合ったのか、母は聞き返せなかった。
戻ったその週から、父の目は急に見えにくくなった。
「間に合うた」は、そのことだったらしい。
外泊から戻った父を、弟子だった人が一度だけ見舞っている。
そのとき父は、色の名前を三つ、繰り返し確かめたそうだ。
「唐揚げの茶色は、どれを混ぜるんやったかな」
確かめて、それきり作業の話はしなくなった。
十七個目の膳だけ、色が置かれていなかった。
椀も皿も、白い蝋のままだった。
父の弟子だった人に、僕はそれを見せた。
「これはね、形はもう完成してます」
「色は、いちばん最後に置くんです」
「置く前に、目がいかんようになったんでしょう」
父は、僕の十七の誕生日に立ち会えないと知っていた。
だから、三か月前に先に作った。
作って、色だけを残した。
僕は、白い椀を掌に載せてみた。
触ると、記憶のとおり、少しあたたかい気がした。
「身体を大事にしろ」
あの言葉の意味を、僕は長いあいだ考えてきた。
最後の力で、息子の健康を案じたのだと思ってきた。
それも、たぶん間違いではない。
けれど今日、抽斗を開けて、少し違うことを思った。
父は、十七年ぶんの食卓を蝋で残した人だ。
人が生きるということを、食卓の形でしか言えなかった人だ。
あの一言は、その人が最後に選んだ、いちばん短い言い方だった。
僕は今、東京で同じ仕事をしている。
蝋ではなく樹脂を使うが、色はやはり最後に置く。
作業台の抽斗には、白い椀がひとつ入っている。
今日、僕はそこに、初めて色を置いた。
父が置くはずだった色を、僕が置いた。
仕上がった膳は、十八年前の誕生日の、母の唐揚げだ。