
台所の換気扇がまわる音で、いつも目が覚めた。
まだ外は藍色で、窓の下枠には夜のあいだに積もった雪が、白く盛り上がっている。
その白さの向こうから、出汁と焦げた醤油のにおいが、階段を這うようにのぼってくる。
私にとって朝とは、母がアルミの弁当箱に卵焼きを詰める、あの油のはねる小さな音のことだった。
十四歳の春、私はその音を、自分の手で止めたつもりでいた。
止まっていなかったことを、知るまでに十年かかった。
雪深い北の町の、木造の狭い借家。
隙間風の入る廊下を、靴下越しの足の裏でそろそろと歩くと、台所の電気だけが灯っていた。
その灯りのなかに、いつも母の背中があった。
あの蓋のへこんだアルミの弁当箱は、もとは母が、娘時代に使っていたものだと聞いたことがある。
母もまた、貧しい家に育った。
その箱に麦の混じったごはんを詰めて、山道を歩いて学校へ通ったのだそうだ。
へこみのひとつひとつに、母の子ども時代が、刻まれていたのだ。
その箱を、母は私に持たせていた。
だから本当は、私が恥ずかしがっていたのは、母の歩いてきた道そのものだったのかもしれない。
藍色の朝の換気扇
母は町の総合病院で、早朝の給食を作る仕事をしていた。
家を出るのは午前五時。
それでも母は、私の弁当だけは、自分の手で作ると決めていた。
父は無口な大工で、家では滅多に口をきかない人だった。
仕事は途切れがちで、冬のあいだはほとんど現場がなかった。
我が家に余分な金がないことは、子どもの私にも、痛いほどわかっていた。
給食室では、四百人ぶんの汁物を作ると言っていた。
肩より深い鍋を、木の櫂のような棒でかき回すのだそうだ。
冬は自転車が使えないので、母は雪道を三十分歩いて通った。
長靴の底に、いつも凍った雪の塊がついていた。
それでも母は、弁当のなかに、いつも小さな工夫を忍ばせた。
卵焼きの下に、私の好きな鮭のほぐし身を隠しておいたり。
寒い日には梅干しの横に、蜂蜜を薄く塗った海苔を敷いておいたり。
小学生の頃の私は、昼にその弁当を開けるのが、一日でいちばんの楽しみだった。
「今日は何が入ってるかな」と、蓋を開ける前に、いつも少しだけ胸が高鳴った。
母は時々、弁当箱の隅に、小さな紙を折り込んでおくこともあった。
「今日はさむいよ。がんばれ」
角の丸い、あの字で。
その紙を、私はしばらく筆箱の奥に、こっそり集めていた。
弁当箱に詰められるものの正体を、子どもは取りちがえる。綺麗なお弁当の九歳の子は、私より先にそれを知っていた。
忘れられない弁当が、ひとつある。
小学四年の秋、運動会の朝のことだ。
その年、母は珍しく夜勤明けで、目の下に濃い隈をつくっていた。
それでも母は、いつもの倍の大きさの重箱に、朝から料理を詰めていた。
いなり寿司と、から揚げと、赤いウインナー。
普段は食卓に上らない、ごちそうばかりだった。
「今日くらいはね」と、母は眠そうな目で笑った。
昼、校庭のシートの上でその重箱を開けたとき、隣の子が「うわ、すごいね」と声をあげた。
私は、鼻が高かった。
いなり寿司は、油揚げの口をきちんと折り込んで並べてあった。
三十六個を、母は夜勤明けの手で数えて詰めたのだ。
あとで聞いたが、油揚げは前の日の夜に煮ていたという。
母は観覧席の隅で、疲れた顔のまま、私が食べる様子を、ずっと見ていた。
自分はほとんど箸をつけずに、私の口に運ばれるから揚げの数を、数えるように見ていた。
あのとき私は、母が眠かったことにも、自分が食べていなかったことにも、まるで気づいていなかった。
アルミの弁当箱の蓋
けれど、その楽しみを、私は自分の手で壊してしまう。
中学二年になったばかりの春のことだ。
教室では、購買のパンやコンビニの袋を広げる子が、急に増えていた。
みんなの弁当箱は色つきのプラスチックで、蓋を開けると、冷凍食品の彩りが鮮やかだった。
私のアルミの弁当箱は、蓋がへこんでいて、開けるとかならず梅干しのにおいがした。
きっかけは、たった一言だった。
隣の席の子が、私の箱を見て言ったのだ。
「それ、お父さんの現場のやつ」
悪気はなかったと思う。
笑いも起きなかった。
それでも私は、その日から蓋を机の下で開けるようになった。
それがどうしようもなく、恥ずかしかった。
貧しさが、その一箱に詰まっているような気がして、たまらなかったのだ。
ある朝、私は台所に立つ母の背中に、こう言い放った。
「こんなダサい弁当、もう持っていきたくない」
母の菜箸が、ほんの一瞬だけ、止まった。
「みんなパンとか買ってんだよ。金くれよ。俺だけ弁当とか、恥ずかしいんだよ」
母は、振り返らなかった。
換気扇の音だけが、やけに大きく響いていた。
「……そう。じゃあ、そうしようか」
それだけ言って、母は卵焼きを、そっと箸で寄せた。
私はその卵焼きを見もせずに、かばんを掴んで玄関を出た。
雪解けの水がしみた運動靴が、やけに冷たかったのを、今でも覚えている。
背中で、玄関の戸が閉まる音がした。
そのあと、母がどんな顔で台所に立っていたのか、私は想像もしなかった。
面と向かって言わない親のことを、私は何ひとつ読めていなかった。父からの保護メールの息子も、同じところでつまずいている。
その日から、母は毎朝、三百円を私の机の上に置くようになった。
かわりに私は、昼になると学校を抜け出して、駅前のパン屋で菓子パンを買って食べた。
甘いだけで、すぐに腹の減るパンだった。
クリームパンとメロンパン。
三百円では、その二つと、水道の水しか買えなかった。
それでも私は、みんなと同じ袋を広げられることが、誇らしかった。
恥ずかしさから逃れられた気になって、母の弁当のことなど、すぐに忘れた。
三百円がどこから出ているのか、そのときの私は、一度も考えなかった。
ひとつだけ、私は妙だと思ってもよかったのだ。
三百円の朝も、換気扇の音は、いつもと同じ時刻に鳴っていた。
四時四十分。
母が家を出る二十分前。
私は寝床のなかで、母が自分の弁当を作っているのだと思っていた。
給食室で働く人が自分の弁当を持っていくのを、おかしいとも思わなかった。
あのとき私は、油のはねる音を、まだ毎朝聞いていた。
通用口の白い息
母がどんな顔でその金を用意していたのか、私は長いあいだ、知らなかった。
知ったのは、ずっとあとになってからだ。
あの頃、父が母を、一度だけ問い詰めたことがあったらしい。
「なんであんな我儘を、黙って許すんだ」と。
母は台所の隅で、私に気づかれないように泣きながら、こう答えたそうだ。
「あの子だって、年頃なんだから。恰好をつけたい時期なんだよ。仕方ないの」
父は一度、私を殴ろうとして手を上げたが、母がその腕を掴んで止めたという。
「あの子を、嫌いにさせないで」
そう言ったのだと、ずっとあとで、父が低い声で教えてくれた。
父はそのとき、湯呑みの底を、指で回していた。
「母さんは、あの晩だけ、流しの前で肩が動いとった」
「音は出さん人だからな」
それだけ言って、父はまた新聞に目を落とした。
三百円は、家計のどこを削って、捻出していたのか。
母は昼の自分の食事を、抜くようになっていた。
病院の給食室で、余った切れ端のパンを、立ったまま口にしていたのだと、同僚だった人から、後になって聞いた。
私が甘い菓子パンを齧っていた、その同じ時間に。
母は湯気の立つ厨房で、他人のための味噌汁を、黙ってよそっていたのだ。
一度だけ、忘れられない光景がある。
中学三年の冬、私が忘れ物を取りに、昼前の病院へ立ち寄ったときのことだ。
母は職員通用口の脇で、冷えたパンの端を、寒そうに両手で包んで食べていた。
白い息を吐きながら、それでも私を見つけると、母は慌てて笑顔をつくった。
「あら、どうしたの。ちゃんとお昼、食べた」
私はそのとき、ただ「うん」とだけ答えて、逃げるように立ち去った。
母の手のなかの、その小さなパンの意味を、私は考えようともしなかった。
あのときの母の白い息が、今でも、胸の奥で凍りついたまま、溶けない。
高校の卒業式の日、母は仕事を休んで、体育館の後ろに立っていた。
式が終わると、母は照れくさそうに、小さな包みを差し出した。
「お祝い、なんにもできないけど」
開けると、あの日と同じ、少し甘い卵焼きが、詰めてあった。
「あんた、これだけは好きだったから」
包みは、卒業証書の筒の陰に隠すように差し出された。
体育館の後ろには、写真を撮る親たちが並んでいた。
母は、カメラを持っていなかった。
手には、その小さな包みだけがあった。
私はうまく礼が言えず、ただ「ありがとう」とだけ、ぶっきらぼうに呟いた。
あのとき素直になれなかったことを、私は今でも、悔やんでいる。
母は、私が突き返した弁当のことを、ずっと覚えていたのだ。
それでも一度も、責めることをしなかった。
母の字を、私はあとになって何度も読み返した。お袋からの手紙を読むと、あの角の丸い字が、いつも浮かんでくる。
三百円の置き場所
時は流れ、私は隣県の専門学校へ進んだ。
一人暮らしのアパートは、壁の薄い古い建物で、冬になると窓の桟に霜が張った。
学費と家賃で仕送りは尽き、私はいくつものアルバイトを掛け持ちした。
朝はスーパーの品出し、夕方から深夜まで居酒屋の洗い場。
洗い場の水は冷たくて、指の関節が冬中、赤く割れていた。
母と同じ手になっていることに、私はまだ気づいていなかった。
それでも金は、いつも足りなかった。
ある冬、財布に小銭しか残っていない朝が、幾日も続いた。
食堂の一番安い定食すら、もう頼めなかった。
立ちくらみで、駅の階段の途中に、しゃがみ込んだこともあった。
ある晩、私はコンビニの明るい棚の前に、長いこと立っていた。
温かい弁当が、湯気の見えそうな写真の値札とともに、整然と並んでいた。
手のなかの小銭では、そのどれも、買えなかった。
ガラスに映る自分の顔が、ひどく青白く見えた。
そのとき、なぜか不意に、あの少し甘い卵焼きの味が、口のなかに蘇った。
忘れていたはずの、母の味だった。
私は棚の前で、何も買わずに、店を出た。
凍てついた夜道を歩きながら、私は初めて、母に「作ってほしい」と思った。
それは、空腹のためだけではなかった。
あの温かさに、もう一度、触れたかったのだ。
空腹で頭がぼうっとしたまま、私は久しぶりに、実家へ電話をかけた。
用件を言い出せずに、しばらく天気の話などしてから、私はようやく口にした。
「なあ、母さん。悪いんだけど、弁当、作って送ってくれないかな」
口にしてから、自分の言葉に、私自身が驚いた。
あの春の朝に、私が母の背中へ投げつけた言葉を、そのときの私は、すっかり忘れていたのだ。
受話器の向こうで、母が、しばらく黙った。
換気扇の、あの遠い音が、記憶のなかで、小さくまわった。
「……あんた」
母の声は、少しだけ、掠れていた。
「もう、ダサいなんて、二度と言わないなら。作ってあげる。いくらでも、作ってあげるよ」
その瞬間、私は電話口で、立っていられなくなった。
あの朝、母の菜箸が止まった、あの一瞬の意味が。
十年近く経って、ようやく私の身体に、届いたのだ。
「ごめん」と言おうとしたのに、声にならなかった。
母は、それ以上何も聞かず、「わかった。待ってな」とだけ言って、電話を切った。
受話器を置いてからも、私はしばらく、その場から動けなかった。
窓の外では、粉のような雪が、静かに降り始めていた。
あの北の町の、藍色の朝に降っていた雪と、同じ雪だった。
遠く離れていても、母のいる台所と、私のいる冷たい部屋を、同じ雪がつないでいる気がした。
その夜、私は久しぶりに、声を出して泣いた。
空腹のためではなかった。
あの春の朝から、母がずっと抱えていたものの重さに、ようやく手が届いた気がして。
水切り籠の定位置
三日後、宅配便の箱が届いた。
開けると、緩衝材のあいだから、あの蓋のへこんだアルミの弁当箱が、出てきた。
保冷剤で冷えてはいたが、詰められていたのは、まぎれもなく、あの卵焼きだった。
少し甘くて、端がわずかに焦げている、母の卵焼き。
梅干しのにおいがした。
卵焼きの下には、私の好きな鮭のほぐし身が、昔と同じように、隠してあった。
箱の底に、小さな紙が、折りたたんであった。
母の、角の丸い字で、こう書いてあった。
「無理して痩せないこと。ごはんは残さず食べること。母より」
筆箱の奥に集めていた、あの紙と、同じ字だった。
私はアパートの冷たい床に座り込んだまま、その卵焼きを一切れ、口に入れた。
甘さが、喉の奥で、滲んだ。
そのとき、ひとつ、引っかかったことがある。
アルミの弁当箱の内側の角に、新しい傷が増えていた。
菜箸の先が当たって、細かく擦れた、白い傷だ。
十年、使っていない箱に、なぜ新しい傷があるのか。
その春休み、私は夜行バスに揺られて、久しぶりに実家へ帰った。
町に着くと、道の端にはまだ、汚れた雪が残っていた。
玄関の戸を開けた瞬間、味噌汁のにおいが、体ごと包んできた。
「おかえり」
台所から顔を出した母は、少し痩せて見えた。
食卓には、私の好きなものばかりが、並んでいた。
鮭の塩焼き、里芋の煮っころがし、そして、あの卵焼き。
私が箸を動かすあいだ、母は向かいに座って、ただそれを見ていた。
自分の茶碗には、ほとんど手をつけずに。
運動会のあの日と、病院の通用口のあの冬と、同じ姿だった。
けれど今度は、私も、それに気づいた。
「母さんも、食べなよ」
私がそう言うと、母は少し驚いた顔をして、それから、ゆっくり箸を取った。
「あんたが、そんなこと言うようになるなんてね」
その夜、私は台所に立って、水を飲んだ。
流しの横の水切り籠に、あのアルミの弁当箱が、伏せて置かれていた。
洗ったばかりで、まだ濡れていた。
私が送り返したのは、まだ三日前だ。
籠の中で、蓋と身は、決まった向きで重ねてあった。
蓋のへこんだ側を下にして、水が切れるように立てかけてある。
それは、私が小学生のころから見てきた、置き方だった。
十年ぶりに出した箱を、人はその向きで置けない。
母は、私の箱を、もう一度使っている。
隣の部屋で、父が新聞をめくる音がした。
私は、父のところへ行って、小さな声で聞いた。
「あの弁当箱、母さん、ずっと使ってた」
父は新聞を下ろさずに、しばらく黙っていた。
それから、ぼそりと言った。
「毎朝、詰めとった」
「お前に出すのを、やめただけだ」
母が毎朝詰めていたのは、自分の弁当ではなかった。
三百円を机に置いたあと、母はその箱を持って、病院へ行っていた。
そして、給食室の隅で、私のぶんの弁当を、ひとりで食べていたのだ。
通用口の脇で母が包んでいた冷えたパンの端は、弁当を食べ終えたあとの、二つめの昼だった。
母は、私が突き返したあとも、三年ぶん、毎朝同じ弁当を作り続けていた。
換気扇の音は、一日も止まっていなかった。
止めたつもりでいたのは、私だけだった。
翌朝、私はまだ暗いうちに目を覚ました。
台所の電気が灯っていた。
その灯りのなかに、母の背中があった。
菜箸の先が、アルミの弁当箱の角に、かつ、と当たった。
私は階段の途中に立って、その音を聞いていた。
そして、二十年ぶんの朝を、一段ずつ降りていった。
「母さん」
背中が、振り返った。
「俺の、入れといて」