幸せな食卓

公開日: 夫婦 | 家族 | 心温まる話

ハンバーグ(フリー写真)

結婚して子供が出来て、ホカホカした食卓にみんな笑顔で並んでたりして、時々泣きそうなほどの幸せを噛み締める。

荒みじんの玉葱が入ったでっかいハンバーグや、大皿一杯の散らし寿司。妻と子供には、自分が子供の頃に満たされなかったものを埋めてもらっている。

ケチャップで名前を書いたオムライス、釜で炊いたお米の綺麗な狐色のお焦げ、ジャガイモとニンジンのゴロゴロしたカレー。

みんな夢見るだけで一度も与えられなかったものだ。

年の数だけロウソクの立ったケーキも。

何だか三十歳を過ぎた今になってようやく、切ない気分にならずに見られるようになった。

最初の頃は幸せな食卓に座るたび『何で俺がこんな所に居るんだろ』なんて思ったけど。

子供には自分が経験したような一人きりの惨めな食卓とか、親も不在で金も食べ物も無くてひもじい思いなどは絶対にさせたくないな。

うちの親は本当に酷かったの。きっと当時のうちのご飯を見たら、みんな残飯かと思うよ。

幸か不幸か自立して生きて来られた。優しい嫁とも出会えた。元気な子供も出来た。

だから、俺はきっと神様は居ると思う。

新婚当時は妻に出された物を食べていた。暫くして(確か長男を妊娠した頃だったか)、

「ね、好きなもの何でも作るよ、何食べたい?」

と聞かれたから、思わず

「おっきいハンバーグ」

と答えた。

我ながら三十歳を過ぎて何言っているんだ思ったけど、妻はニッと笑い、小さ目の座布団のような超巨大ハンバーグを作ってくれた。

俺のことを見ていて、何か感じたのかな。爪楊枝のちっちゃな旗が立っていて、お手製ハンバーグソースで『○○くん(はぁと)』と書いてあった。

俺は妻だけではなく、初めて家庭と母親を手に入れたんじゃないのかな。

関連記事

パソコン(フリー写真)

母からのメール

私が中学3年生になって間もなく、母が肺がんであるという診断を受けたことを聞きました。 当時の自分は受験や部活のことで頭が一杯で、生活は大丈夫なのだろうか、お金は大丈夫なのだろう…

学校の教室(フリー写真)

初めての親友

中学3年生の夏。私に不登校でオタクな女の子の友達が出来た。 切っ掛けは些細なことだった。担任の先生が、 「運動会の練習をするから、△△ちゃんを呼びに行って!」 と、何…

渓流(フリー写真)

お母さんと呼んだ日

私がまだ小学2年生の頃、継母が父の後妻として一緒に住むことになった。 特に苛められたとかそういうことは無かったのだけど、何だか馴染めなくて、いつまで経っても「お母さん」と呼べない…

空と太陽の光(フリー写真)

平和な世界で

あなたへ あなたが、戦地にお向かいになってからもう、何度目の夜でしょう。 娘も、こんなに大きくなって。 あなた、見ていてくれていますか? あの時、私はあなたに言…

乾杯(フリー写真)

俺の夢

僕達兄弟には元々親が居らず、養護施設で育ちました。 3つ上の兄は、中学を出るとすぐに鳶の住み込みで見習いになり、その給料は全て貯金していました。 そのお金で僕は私立の高校を…

バスの車内(フリー写真)

乗客全員の拍手

今から16年程前、12月も半ばを過ぎた頃の話です。 私は体調を壊し、東京にある中野坂上の病院へ週二回、通院していました。 その日は今にも雪が降り出しそうな空で、とても寒い日…

母(フリー写真)

母のビデオテープ

俺は小さい頃に母親を亡くしている。 それで中学生の頃は恥ずかしいほどグレた。 親父の留守中、家に金が無いかタンスの中を探していると、一本のビデオテープがあった。 俺は…

父と子(フリー写真)

俺には母親がいない。 俺を産んですぐ事故で死んでしまったらしい。 産まれた時から耳が聞こえなかった俺は、物心ついた時にはもう既に簡単な手話を使っていた。 耳が聞こえな…

恋人同士(フリー写真)

がんばろうや

親父がサラ金で借金を作って逃げた。 それで、とうの昔に別居していた母さんと住む事になった。 友達にも母さんにも明るく振る舞っているけど、正直参っている。 「あんたは強…

ディズニーランド(フリー写真)

親子三人で

秋も大分深まってまいりました。 ディズニーランドのスタッフの皆様、いつも私たちに素敵な夢をありがとうございます。 今月、数年ぶりに主人とディズニーランドに遊びに行かせていた…