音楽の先生がくれた一行

窓辺の音楽室の穏やかな午後

母が小包を送ってきたのは、五月のはじめだった。

段ボール箱の上に、ボールペンで書かれた四行の手紙が乗っていた。

「さなえへ。春から部屋を片付けることにしました。あなたの古いものが出てきたから送ります。いらなければ捨ててください。母より」

七十八歳になった母の字は、右上がりの傾斜がより急になっていた。

わたしは段ボール箱を仕事机の脇に置いたまま、四日間放っておいた。

締め切りがあったわけじゃない。

ただ、描けなかった。

五月に入ってから、画面を開くたびに手が止まる。描きかけのイラストがタブレットの中に三本。クライアントはまだ待ってくれているが、「もう少しお時間を」と返信するたびに、自分の言葉が嘘くさく感じた。

フリーランスとして絵を描いてきて、二十七年になる。

画集を出したこともある。絵本を四冊出したこともある。

それなのに。

五十三歳になったこの春から、わたしは何度も同じ場所で止まっていた。

タブレットのペンを置いて、冷めたコーヒーを飲んで、窓の外を見る。東京の五月の空は高く青かった。そのたびに「自分の絵は本物なのだろうか」という言葉が、どこかから出てきた。

誰かに言われたわけじゃない。

でも、胸の奥で何かがずっと問い続けていた。

五日目の朝、思い切って段ボール箱を開けた。

ランドセルの底に使いかけのクレパスが残っていた。小学生のころ通っていたそろばん教室の賞状が三枚、くるくると巻いてあった。白い布地に刺繍のほつれた運動会の帽子。読みかけで終わった「名探偵ホームズ」の文庫本。

箱の奥には、薄い木の文具箱があった。

蓋に「たむら さなえ」と赤いマジックで書いてある。

わたしの字だ。小学四年生のわたしの字だ。

蓋を開けると、鉛筆が二本と消しゴムの欠片が入っていた。

そして、底に一枚、折り畳まれた紙があった。

五線紙だった。

音符の入っていない、ただの五線紙。罫線が薄い青色で引かれた、楽譜用の紙だった。

丁寧に四つ折りにされていた。

開くと、万年筆の細い字で一行だけ書いてあった。

さなえへ あなたの声は、本物よ。

昭和四十四年の熊本県は、まだ山が深かった。

わたしが通っていた小学校は、八代郡の山の中にある分校で、全校生徒が六十人にも満たなかった。

田島先生が音楽を教えにやってきたのは、わたしが三年生になった春だった。

先生は二十八歳で、熊本市から来ていた。

当時の山の分校に女の先生が来るのはめずらしかったらしく、父が「今年から新しい先生が来るぞ」と言って珍しく早起きした朝のことを覚えている。

田島先生の授業は、他の先生と違った。

歌の授業のとき、先生はいつも窓を開けた。

五月ならば裏山から藤の香りが教室に入ってきた。十月ならば、運動場の銀杏が黄色くなりかけた頃の、少し湿った土の匂いが入ってきた。

「外の声も聞きながら歌いなさい」と先生は言った。

どういう意味かわからなかったけれど、わたしは素直に窓の方を向いて歌った。

先生がわたしの歌声に気づいたのは、その頃だったと思う。

三年生の秋の音楽会で、先生がわたしをソロパートに選んだ。母が「大丈夫なの」と心配したが、本番でわたしは普通に歌えた。うまかったのかどうかわからない。ただ、歌っていると気持ちよかった。

それだけだった。

四年生になってもわたしは放課後、音楽室に顔を出した。

先生がアップライトピアノを弾いていることが多かった。わたしは長椅子の端に座って、窓から外を眺めながら先生の弾く音楽を聞いた。特に話をするわけじゃない。先生も何も言わなかった。

ただ、弾いていた。

わたしは、そういう時間が好きだった。

音楽室の窓から見える裏山に、夕方になると薄紫の霧がかかった。それを眺めながら先生のピアノを聞いていると、体の中が静かになった。学校の時間でも、家の時間でもない、何か別の時間の中に入ったような感覚だった。

家に帰ると、母が台所で夕飯の仕度をしていた。まな板の音と、鍋の湯気と、父が田んぼから戻る長靴の音。それが夕方の匂いだった。音楽室の残響とは全然違う音の中で、わたしはいつも「また明日行こう」と思っていた。

先生とは、音楽のこと以外ほとんど話をしなかった。

それでも、それでよかった。

先生がそこにいて、ピアノを弾いていて、わたしが端に座っている。それだけで十分だった。

ある日、先生が「さなえちゃんは何が好き?」と聞いてきたことがあった。

わたしは少し考えてから「絵を描くのが好きです」と答えた。

先生は「そう」と言って、また弾き続けた。

それだけだったけれど、何かを認めてもらった気がして、わたしはその夜なぜかスケッチブックを開いた。音楽室の窓から見えた裏山の霧を、思い出して描いた。うまくはなかったけれど、描き終えたとき、胸の奥が少し温かかった。

田島先生がいなくなると聞いたのは、四年生の三月のことだった。

転任だった。

朝のホームルームで担任の竹田先生から聞かされたとき、クラスの誰かが「えっ」と声を上げた。わたしは声を出さなかった。

ただ、給食を半分残した。

転任式は翌週の金曜日だった。

その前日の木曜日、わたしは放課後また音楽室へ行った。

先生はいた。

ピアノの上の楽譜を整理していた。

引き出しを開けたり閉めたりしながら、先生はわたしが入ってきても振り向かなかった。わたしも何も言わなかった。いつもの長椅子に座って、窓の外を見た。

山の上の方に、まだ少し雪が残っていた。

雪解けの水が、窓の下の側溝をさらさらと流れていた。

しばらくして先生が言った。

「さなえちゃん、音楽は好き?」

窓の外を見たまま、わたしはうなずいた。

先生は「そう」とだけ言って、また楽譜の整理に戻った。

それ以上のことは、何もなかった。

わたしは「先生、行ってしまうんですか」と言えなかった。

言葉が喉のあたりで固まって、どうしても出てこなかった。

帰り際に先生が「ちょっと待って」と言って、机の引き出しから何かを出した。

五線紙だった。

先生は机の上でさらさらと何か書いて、四つ折りにして、わたしに差し出した。

「家に帰ってから読みなさい」

わたしは受け取った。

でも、家に帰っても読まなかった。

なぜ読まなかったのか、今でもよくわからない。

鞄の中に入れたまま、そのうちに文具箱の底に紛れ込んで、翌日の転任式では先生が体育館の壇上で礼をするのを見ていた。泣いている子がいた。男の子が一人、声を出して泣いた。わたしは泣かなかった。泣き方がわからなかった。

先生は去っていった。

わたしはその五線紙をどこに仕舞ったのかも、その後ずっと忘れていた。

先生が最後に音楽室で弾いたのがどんな曲だったか、今でも思い出せない。

でも、あの薄暗い春の夕方の、窓から射し込む斜めの光のことは、今でも覚えている。

中学に上がった春から、音楽室に行くこともなくなった。

歌うのが好きだったことも、しだいに遠くなっていった。

段ボールの文具箱の底に折り畳まれていた五線紙を、わたしは東京の仕事机の前でひらいた。

万年筆の字は、五十七年経っても滲んでいなかった。

さなえへ あなたの声は、本物よ。

たった一行だった。

それだけだった。

わたしはしばらく、その紙を手の中に持ったまま、動けなかった。

五十七年前の、あの木曜日の音楽室。

先生がさらさらと書いた、その一行を、わたしは読まなかった。

十歳のわたしには読むべき理由がわからなくて、どこかに仕舞い込んで、そのまま忘れた。

転任式が終わってからは、田島先生のことをあまり考えなかった。中学に上がって、高校に上がって、東京の美術大学に進んで、絵の仕事を始めて、二十七年が過ぎた。

声は、使わなかった。

歌うことも、声に出して何かを語ることも、いつの頃からかしなくなった。絵を描くことの方が、言葉よりも声よりも、ずっと自分に合っていると思っていたから。

でも、今のわたしは描けない。

五月のはじめから、描けないでいる。

本物じゃないのかもしれない、と思っていた。

ずっとそう思っていた。

五線紙を持ったまま、わたしはもう一度その一行を読んだ。

さなえへ あなたの声は、本物よ。

先生は「声」と書いた。

絵、とは書かなかった。

二十八歳の田島先生が十歳のさなえに言いたかったのは、きっと歌声のことだった。

でも五十三歳のわたしには、何か別のことに聞こえた。

外から届く声。自分の中から出てくる声。物を作るときに、静かに流れているあの感覚。誰かに向けて出すのではなく、ただ自分が本物だと思うものへ向かっていく力。

それを先生は「声」と呼んだのかもしれない、と思った。

それとも思い過ごしかもしれない。

二十八歳の先生には、そんなに深い意味はなかったかもしれない。ただ、四年生の女の子が音楽室にいつも来てくれるのが嬉しくて、転任前の最後の日に、何かひとつ残していきたくて、書いた一行だったのかもしれない。

どちらでも、もう確かめる術はない。

田島先生は今、どこにいるのだろう。

二十八歳だったから、今は八十歳を過ぎている計算だ。

元気でいるだろうか。

ピアノを、まだ弾いているだろうか。

熊本の山の、あの音楽室から見えた裏山の薄紫の霧を、先生も時々思い出すだろうか。

わたしは五線紙をそっと畳み直した。

それから、机の引き出しから画鋲を一本取り出した。

仕事机の右上の壁に、その五線紙を留めた。

万年筆の一行が、正面を向いた。

画面を開いた。

タブレットのペンを持った。

描きかけのままになっていたイラストが開いた。

四月から止まっていた、海の絵だった。

波の先の白さを、ずっとうまく描けなかった。何度直しても、本物じゃない気がした。

でも今度は、手が動いた。

根拠なんてなかった。

ただ、右上の壁に貼られた五線紙の一行が、なぜかそこにあるだけで、ペンを動かす気持ちになった。

窓の外では、東京の五月の風が、ベランダの洗濯物を揺らしていた。

その五線紙は今も、わたしの仕事机の右隅に貼ってある。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

ラクリマを応援する

いつもお読みいただき、ありがとうございます。
当サイトは個人で運営しており、いただいたご支援はサーバー代やドメインの維持費に大切に使わせていただきます。

月額 150円(初月無料)または 480円 の買い切りで、
広告のない、静かな読書体験をお届けします。

プランを見る
メンバーなのに広告が表示される方

ブラウザを変えた・Cookieを削除した場合は、登録のメールアドレスを入力してください。

読んでいただけるだけで、十分に励みになります。
それでも応援したいと思ってくださる方へ、心より感謝いたします。