少女からの手紙

公開日: 震災に関する話

震災(フリー写真)

石井三曹に封筒を渡した少女は、名前も告げずに走り去って行った。

少女は、母親と思しき女性の運転する車でやって来て、偶然近くを歩いていた石井三曹に手紙一通を渡したのである。

石井三曹は、込み上げるものを必死で堪えた。

「胸がいっぱいになりました……。

あの頃は、震災から一ヶ月が経とうとしており、疲れも溜まっていたのですが、あの手紙で『明日からも頑張るぞ!』と皆、勇気が湧いてきたのです。

そして自分たちのやっていることが人々のためになっているんだ、と改めて認識しました」

その後、この手紙は第十四旅団長・井上武陸将補の陣取る女川の指揮所に届けられ、たちまち各派遣部隊に伝わった。

井上旅団長は言う。

「手紙を見た時は、もう体中の血が逆流する程の思いでした。

『よし、どんなことがあっても全員を捜し出すぞ!』という思いが漲ってきましたよ。

うみちゃんは、どんな思いでこの手紙を書いてくれたんだろうと思うと……」

少女が自衛隊に寄せた『日本をたすけてください』という切実な祈りに、全員が奮い立った。

中には、手紙のコピーを手帳に挟んで災害派遣活動に励む隊員も居た。

同県利府町の加瀬沼公園に宿営地を設営した北海道の第一高射特科群のある中隊指揮所にも、この手紙のコピーがボードに貼り付けられた。

東日本大震災から49日目に当たる4月28日、飯野川第二小学校の体育館で、大川小学校の犠牲者の合同慰霊祭が営まれた。

祭壇には七十四の可愛らしい児童の顔写真が並んだ。

その中には、未だ行方不明の6名の児童の写真もあった。

その間も、第十四旅団の隊員たちは、うみちゃんの手紙を胸に、行方不明の児童を捜し続けていたのである。

じえいたいさんへ。

げん気ですか。

つなみのせいで、大川小学校のわたしの、

おともだちがみんな、しんでしまいました。

でも、じえいたいさんが

がんばってくれているので、

わたしもがんばります。

日本をたすけてください。

いつもおうえんしています。

じえいたいさんありがとう。

うみより

自衛隊員の方々(フリー写真)

直立不動の敬礼

2年前、旅行先での駐屯地祭での事。 例によって変な団体が来て、私は嫌な気分になっていた。 するとその集団に向かって、一人の女子高生とおぼしき少女が向かって行く。 少女…

朝焼け空(フリー写真)

自衛隊最大の任務

「若者の代表として、一つだけ言いたいことがあります…」 焼け野原に立つ避難所の一角で、その青年は拡声器を握り締め話し始めた。 真っ赤に泣き腫らした瞳から流れる涙を拭いながら…

カップル(フリー写真)

震災で亡くした彼女

俺の彼女は可愛くて、スタイルが良くて、性格も良くて、正に完璧だった。 高校に入る前に一目惚れした。 彼女も俺に一目惚れしたらしく、向こうから告白してくれたので、喜んで付き合…

阪神淡路大震災(フリー写真)

大切な親友との約束

小学4年生の時、俺はマンションで友達と遊んでいた。 ミニ四駆が流行っていた頃だ。 いつも騒いでいた俺たちは、管理人さんに怒られたものだ。 俺は改造が下手で遅れがちだ…

震災(フリー写真)

救助活動

東日本大震災。 辺りは酷い有り様だった。 鳥居の様に積み重なった車、田んぼに浮く漁船。 一階部分は瓦礫で隙間無く埋め尽くされ、道路さえまともに走れない。 明るく…

青空(フリー写真)

命懸けの呼び掛け

宮城県南三陸町で、震災発生の際に住民へ避難を呼び掛け、多くの命を救った防災無線の音声が完全な形で残っていることが判りました。 亡くなられた町職員の遠藤未希さんの呼び掛けが全て収録…

バイキングのお皿(フリー写真)

埃まみれのパンチパーマ

阪神大震災後の話。 当時、俺はあるファミレスの店員をしていて、震災後はボランティアでバイキングのみのメニューを無料で提供する事になった。 開店と同時に満席になって待ち列が出…

チューリップ(フリー写真)

立派なお義母さん

結婚当初は姑と上手く噛み合わず、会うと気疲れしていた。 意地悪されたりはしなかったけど、気さくでよく大声で笑う実母に比べ、足を悪くするまでずっと看護士として働いていた姑は喜怒哀楽…

バスの車内(フリー写真)

勇気をくれた少年

5年前、15歳の春。 私が訪れたのは、宮城県気仙沼市、震災から4年後のことだった。 少しずつ復興が進み、新しい建物が建っているところもある。 そんな光景を見ながら、…

夕日(フリー写真)

自衛隊の方への感謝

被災した時、俺はまだ中学生でした。 家は全壊しましたが、たまたま通りに近い部屋で寝ていたので腕の骨折だけで済み、自力で脱出することが出来ました。 奥の部屋で寝ていたオカンと…