優しい味のおにぎり

公開日: 友情 | 悲しい話

アパート

もう20年以上前のことです。古びたアパートでの一人暮らしの日々。

安月給ではあったが、なんとか生計を立てていました。隣の部屋には50代のお父さんと、小学2年生の女の子、陽子ちゃんが暮らしていました。

お父さんとは挨拶を交わす程度でしたが、陽子ちゃんとは洗濯場でよく会い、話す機会が多かったのです。

ある夕方、彼女と話していると、私のお腹が「グー」と鳴りました。陽子ちゃんは「お兄ちゃん、お腹空いてるの?」と心配そうに。

「まあね」と答えると、彼女は「ちょっと待ってて」と言って部屋に入り、しばらくして形のいびつなおにぎりを持ってきてくれました。味は無いけれど、彼女の優しさが心に沁みました。

その後、彼女との出会いは途絶えました。どうしたのかな、と思う程度でしたが、心の隅で気になっていました。

ある日、帰宅すると救急車が止まっていました。大家さんに聞くと、「無理心中だよ」とのこと。

救急隊が担架を運び出してきました。小さな身体が毛布に覆われていました。まさか、陽子ちゃん?

後になって知ったのですが、お父さんは病気がちで、ガスも水道も止められていたそうです。電気も止められ、市役所の職員が事情を聞きにきたときに事件が発覚しました。

「あれ?お兄ちゃん、お腹空いてるの?」彼女の言葉が脳裏に浮かびます。あの時、彼女はすでに食べ物がなかったのでしょうか。

食べるものがないのに、私におにぎりを作ってくれたのです。小さな手で一生懸命に。

涙が溢れました。やるせない気持ちでいっぱいになりました。

その後すぐ引っ越しましたが、今でもあのアパートの近くを通ると、彼女のことを思い出します。

関連記事

妊婦さんのお腹(フリー写真)

命懸けで教えてくれた事

13年前、俺は親元を離れて一人暮らしの大学生という名のろくでなしだった。 自己愛性人格障害の父親に反発しつつも、影響をもろに受けていた。 プライドばかり高く、傲慢さを誇りと…

夕日が見える町並み(フリー写真)

幸せだった日常

嫁と娘が一ヶ月前に死んだ。 交通事故で大破。 単独でした。 知らせを受けた時、出張先でしかも場所が根室だったから、帰るのに一苦労だった。 でもどうやって帰ったの…

椅子と聖書(フリー写真)

特攻隊員の方の手紙

お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならない時が来ました。 晴れて特攻隊員に選ばれ出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けて来ます。 母チャン、母チャンが 私…

瓦礫

震災と姑の愛

結婚当初、姑との関係は上手く噛み合わず、会う度に気疲れしていた。 意地悪されることはなかったが、実母とは違い、姑は喜怒哀楽を直接表現せず、シャキシャキとした仕事ぶりの看護士だっ…

カレーライス(フリー写真)

クロベーの笑顔

俺が小学生の頃の話。 同じクラスに黒田平一(仮名)、通称クロベーというやつが居たんだ。 クロベーの家は母子家庭で、母親とクロベーと弟の3人暮らしだった。 クロベーの一…

病室(フリー写真)

妹からの最後のメール

妹からの最後のメールを見て、命の尊さ、居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛かを実感します。 白血病に冒され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、12年間苦し…

三度目の月

三度、月に祈った夜

俺は、これまでの人生で三度だけ、神様にすがったことがある。 ※ 最初は、七歳のとき。 両親が離婚し、俺は父方の祖父母に預けられた。 祖父母はとても厳しく、愛情…

病院

母は亡くなった

14年も前のこと。 母は亡くなった、癌のせいで。 私たち姉妹は、その事実を知ることなく彼女を見送った。 彼女は私の永遠の尊敬の対象、そして追い続ける理想である。 …

震災(フリー写真)

救助活動

東日本大震災。 辺りは酷い有り様だった。 鳥居の様に積み重なった車、田んぼに浮く漁船。 一階部分は瓦礫で隙間無く埋め尽くされ、道路さえまともに走れない。 明るく…

パラオのサンセットビーチ(フリー写真)

パラオの友情

南洋のパラオ共和国には、小さな島が幾つもある。 そんな島にも、戦争中はご多分に漏れず日本軍が進駐していた。 その島に進駐していた海軍の陸戦隊は、学徒出身の隊長の元、住民たち…