素朴なお弁当

公開日: 家族 | 悲しい話 |

赤ちゃんの手を握る母(フリー写真)

私の母は、常に体調を崩しやすい人だった。

そのせいなのかは分からないが、彼女が作ってくれる弁当は決して美しくはなく、素朴だった。

私は毎日、その弁当を持って学校に行くのが恥ずかしかった。

友人たちに見せるのを避けるため、弁当はこっそり食堂のゴミ箱に捨てていた。

ある日、朝に母が私に向かって嬉しそうに、

「今日はあなたの好きな海老を入れてあげたわ」

と言った。

それを聞いた私は素っ気ない返事をしただけで、そのまま学校に出かけた。

そして、人目を避けて弁当の中身を確認した。

案の定、確かに海老は入っていた。

しかし海老の殻の剥き方は雑で、色のバランスも悪く、決して食べる気にはならなかった。

家に帰ると、母がすぐに私に、

「今日の弁当、美味しかった?」

と聞いてきた。

そのときの私は、日頃の鬱憤とイライラが一気に爆発し、

「うるさいな! あんな汚い弁当、捨てたよ! もう作らなくていいから!」

と、つい酷いことを言ってしまった。

母は驚いたような、悲しそうな表情を浮かべて、

「気付かなくてごめんね…」

と言った。

それからというもの、母が弁当を作ることはなくなった。

それから半年が経った頃、母は亡くなった。私の知らない何かの病気だった。

母の遺品を整理していると、日記を見つけた。

日記を開くと、中には弁当に関することがたくさん書かれていた。

「手の震えが止まらず、上手く卵が焼けない」

その日記は、あの悲しい日に終わっていた。

読み終えると、後悔と悲しみのあまり、涙があふれ出した。

関連記事

父の背中(フリー写真)

本当のお金の価値

私が中学校1年生の時の話である。 私は思春期や反抗期の真っ只中ということもあり、少しばかりやんちゃをしていた。 不法侵入をしたり、深夜まで遊んでいたこともあり、警察にはし…

色鉛筆で描かれた線(フリー写真)

弟の物語

私の家族は、父、母、私、弟の四人家族。 弟がまだ六歳の時の話。 弟と私は十二才も歳が離れている。凄く可愛い弟。 だけど私は遊び盛りだったし、家に居れば父と母の取っ組み…

ジッポ(フリー写真)

ジッポとメンソール

俺は煙草は嫌いだ。でも、俺の部屋には一個のジッポがある。 ハートをあしらったデザインは俺の部屋には合わないけど、俺はこのジッポを捨てる事は無いだろう。 一年前。いわゆる合コ…

ネックレス(フリー写真)

大好きなあなた

大好きなあなたは、今も笑っているのでしょうか。 小さい頃に何故かおじいちゃんに引き取られた私(当時7歳)は、そこで三人の男の子に出会いました。 9歳の凄く元気なLと、12歳…

パソコンを操作する手(フリー写真)

遅れて届いた母からのメール

私が中学3年生になって間もなく、母が肺がん告知を受けたことを聞きました。 当時の自分はそれこそ受験や部活のことで頭が一杯で、 『生活は大丈夫なんだろうか』 『お金は…

高校生(フリー写真)

ほら、笑いなよ!

高校2年生の夏、僕は恋をした。 好きで好きで堪らなかった。 その相手を好きになった切っ掛けは、僕がクラスで虐めに遭い落ち込んでいた頃、生きる意味すら分からなくなり教室で一人…

青空(フリー写真)

彼女に会いに行きたい

俺も元カノを亡くしたよ。もう何年も前だけど。 中学の頃に親父が死んでも大して泣かなかったが、これはボロ泣きした。 彼女とは3年ちょい付き合って、俺の我侭で上手く行かなくなり…

父と子(フリー写真)

身体を大事にしろ

今日は父親の13回忌だ。 うちの父は僕が高校生の時に他界している。 死因は末期の膵臓癌だった。 最初に父が身体の不調を訴えて病院で検査を受けた時、肺に水が溜まっていた…

マラソン

継承されるタスキ

小さな頃、親父と一緒に街中をよく走ったものだ。田舎の我が町は交通量も少なく、自然豊かで、晴れた日の空気は格別だった。 親父は若い頃、箱根駅伝に出場した経験がある。走るのが好きで…

女の子の後ろ姿(フリー写真)

温かい家庭

兄家族が俺達の家にやって来て、長女を押し付け引っ越して行った。 兄も兄嫁も甥っ子だけが生き甲斐みたいなところがあったんだよね。 甥っ子は本当に頭が良かったんだ。 勉強…