大切な親友との約束

公開日: 悲しい話 | 震災に関する話

阪神淡路大震災(フリー写真)

小学4年生の時、俺はマンションで友達と遊んでいた。

ミニ四駆が流行っていた頃だ。

いつも騒いでいた俺たちは、管理人さんに怒られたものだ。

俺は改造が下手で遅れがちだった。

友達の一人が「肉抜きしてやるから貸してや」と言った。

俺はどうしても一番になりたかったのでミニ四駆を貸し、改造をお願いした。

「休みが終わったら学校に持って行くわ」と言われ、楽しみにしていた。

休み明けの1月17日。

俺たちはその日も遊んでいた。

俺は電球の傘にぶつかって額を切ったが、何とか無事だった。

公園に避難した俺たちは4人揃ったが、後の1人が来なかった。

心配になって、俺たちは親父とでそいつの家の前に行った。

1階部分は見る影もなく、2階しかなかった。

そいつの姉貴が2階で寝ていたらしく、無事に出て来たがワンワン泣いていた。

「お母さん、お父さん、○○、何してんのよ!早く寝てらんと早く出て来てや」と泣いていた。

俺たちはただ立ち尽くすばかりで何もできず、それぞれ親戚の家や知り合いの家に避難することになってしまった。

そして2月に入り、新聞で死亡者名を確認すると、そいつとその両親の名前が載っていた。

俺は地元に一旦戻った。

2月20日の合同慰霊祭。

そこで、あいつの姉貴が俺に話しかけてきた。

「これ、〇〇くんに渡したいと思って持ってきました」

と、スプレー塗装が剥げているボロボロのミニ四駆とメモを渡してくれた。

メモには、

『ちょっとオマケでスプレーもしといたで。

これでお前もいっちょまえになれるな。

次に走る時、楽しみにしてるで』

と書かれていた。

その時、涙がこぼれた。

あれから9年、色褪せてもう動くことはないだろうミニ四駆。

今も、部屋の机の上に置いている。

関連記事

震災の写真

震災を生き抜く少年の記録

「お父さんが軽トラで帰っていった姿を見ました。津波にのみ込まれませんように」と祈っていました。 巨大地震と大津波が東日本を襲ったあの日、子供たちは何を見、その後をどう生きたのか…

手を繋ぐ恋人(フリー写真)

握り返してくれた手

今から6年前の話です。 僕がまだ十代で、携帯電話も普及しておらずポケベル全盛期の時代の事です。 僕はその頃、高校を出て働いていたのですが、二つ年上の女性と付き合っていました…

青い花(フリー写真)

ママの棺

この間、1歳半の息子を連れて友人の家へ行った時に、友人の祖母から聞いた話です。 ※ 友人がちょうど1歳半の時、お母さんが癌になったそうです。 気付いた時にはもう手遅れで、一ヶ…

時計台

約束の午後五時

僕の友達が、事故で亡くなった。 本当に突然の出来事で、何が何だか理解できず、涙すら出なかった。 葬式には、クラスの仲間やたくさんの友達が集まっていた。 遺影の中の彼…

手のひら(フリー写真)

出会い

昔、美術館でバイトをしていた。 その日の仕事は、地元の公募展の受け付け作業。 一緒に審査員の先生も一人同席してくれる。 その時に同席してくれたのは、優しいおじいちゃん…

日記帳(フリー写真)

親孝行したい時に

高校を卒業してから4年間、何もせずに家でお金を使うことしかしていなかった。 オンラインゲームをしたりゲームを買ったり。偶に親に怒鳴り散らしたりもした。 そんな駄目な俺が2…

病室(フリー写真)

妹からの最後のメール

妹からの最後のメールを見て、命の尊さ、居なくなって残された者の悲しみがどれほど苦痛かを実感します。 白血病に冒され、親、兄弟でも骨髄移植は不適合でドナーも見つからず、12年間苦し…

夕日(フリー写真)

戦時中のパラオにて

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人が居た。 「あそこでみんな、死んで行ったんだ…」 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人は呟いた。 ※ 太平洋戦争の時、その島には日本軍が進駐…

瓦礫

災害の中での希望と絶望

東日本大震災が発生した。 辺りは想像を絶する光景に変わっていた。鳥居のように積み重なった車、田んぼに浮かぶ漁船。一階部分は瓦礫で隙間なく埋め尽くされ、道路さえまともに走れない状…

飛行機雲(フリー写真)

きっと天国では

二十歳でヨーロッパに旅をした時の実話をいっちょう。 ルフトハンザの国内線に乗ってフランクフルト上空に居た時、隣に座っていたアメリカ人のじい様に話し掛けられた。 日本は良い国…