そのままの部屋

公開日: 家族 | 悲しい話

洗濯バサミ

4年前、会社の友人が交通事故で奥さんと4歳の長男を失いました。飲酒運転の車が彼らを轢いたのです。ニュースでも大きく取り上げられるほどの痛ましい出来事でした。加害者家族も辛い日々を過ごしましたが、当時は友人の悲しみの方が大きかったことを覚えています。

幸いにも、1歳だった娘が残されたことが救いでした。葬儀では、娘の顔を見た女性社員が泣き崩れたのを覚えています。友人は仕事を辞めようとしましたが、娘のために職場復帰を決意。その後の仕事と育児は大変だったと思います。私たちはもちろん、会社や両親、近所の人たちも彼を支えてきました。

去年、友人が初めて家に招いてくれたとき、私たちは一緒に鍋を囲んで過ごしました。その時、彼は一つの和室を見せてくれました。そこは彼の奥さんと長男が使っていた部屋で、洗濯物や玩具がそのままにされていました。部屋を見ると、友人は涙を流しました。

そんな中、娘が現れて「お父さん頑張ろうね。裕太くん(長男の名前)が見てるもんね」と言いました。娘は事故のことを知らないはずでしたが、友人は彼女に真実を伝えていたのです。父と娘は互いに励まし合いながら、亡くなった家族のことを忘れずにいました。

私たちは友人を励ますつもりで訪れたのに、逆に彼らから力をもらいました。酒も手伝って、私たちも涙を流しました。友人の家族のように、私たちもそれぞれの人生で頑張ろうと思いました。

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