祖母の家の納屋の奥、藁の匂いがこもった暗がりに、その段ボールは置かれていました。小学四年の夏休み、私はただ手伝いに来ていただけでした。
覗き込むと、生まれたばかりの仔犬が四匹、折り重なって眠っていました。そのうちの一匹だけが、列から外れて、隅でひとり小さく震えていたのです。
いちばん小さくて、いちばん弱そうな、その子に、私は迷わず手を伸ばしました。手のひらに乗せると、骨と毛の塊みたいに軽くて、それでも心臓だけが驚くほど速く鳴っていました。
その鼓動が、私の指先から腕へと伝わってきて、もう離せなくなりました。生き物の体温を、あんなにはっきりと感じたのは、あれが初めてだったように思います。
「ねえ、この子もらってもいい」と祖母に聞くと、困ったように笑って、「お父さんに聞いてごらん」と言いました。
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その晩、夕飯の席で、私は珍しく自分から父に頼みました。「お願い。あの仔犬を飼いたいの」と。
父はしばらく味噌汁の椀を見つめてから、静かに箸を置いて、まっすぐ私を見ました。
「生き物はな、最後まで面倒を見るものだ。散歩も、餌も、病気のときも、全部だ。途中で投げ出すつもりなら、今ここで諦めなさい」
父の声は怒っているわけではなく、ただ静かで、それがかえって重く響きました。子供心にも、これは軽い気持ちで頷いてはいけない言葉だと分かりました。
「投げ出さない。絶対に毎日散歩に行くから」。私はその時、嘘ではなく、本気でそう思っていました。子供の決意というものがどれほど脆いか、まだ知らなかったのです。
母が、柴犬らしいその子に「ナナ」と名付けました。七月に来たから、というだけの単純な理由でした。
翌日、父はホームセンターから赤いリードを買って帰ってきました。「お前が連れて行くんだぞ」。そう言って差し出された赤いリードを、私は宝物のように両手で握りしめました。
その日の夕方の散歩だけは、私は世界でいちばん幸せな飼い主でした。赤いリードの先で弾むように歩くナナが、誇らしくてたまりませんでした。
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最初の数か月、私はよくナナと過ごしました。学校から帰ると、門の前でナナが待っているのです。ランドセルを置く間ももどかしく、私は庭へ飛び出しました。
ナナは私の姿を見ると、全身をくねらせ、尻尾を振り回して喜びました。その喜び方があまりに混じり気がなくて、見ているこちらまで自然と笑顔になりました。
雨の日でさえ、ナナは小屋から顔だけ出して、私の帰りを待っていました。濡れた鼻先と、まっすぐな目が、いつも玄関の方を向いていたのです。
夏祭りの夜、私は一度だけナナを連れて出かけたことがあります。人混みに驚いて私の足にぴたりと寄り添うナナを、私は得意げに「大丈夫だよ」となだめました。屋台の灯りの下、二人で同じ綿菓子の匂いを嗅いだあの夜だけは、今も鮮やかに思い出せます。
けれど、子供の熱は季節よりも早く冷めていきます。冬の朝は布団から出るのがつらく、夏の夕方は友達と遊びに行きたい。気づけば、赤いリードを握っているのは、いつも父になっていました。
「今日は私が行く」と言っては、三日と続きません。私が最後まで続けたのは、餌やりの当番だけ。それすら、母に「ナナのご飯まだよ」と急かされて、ようやく思い出す日が増えていきました。
一度、友達の前でナナに飛びつかれて、私は思わず「やめてよ」と突き放してしまったことがあります。ナナはきょとんとした顔で私を見上げ、それから、しょんぼりと小屋へ戻っていきました。
その背中を、私は今でも時々思い出します。なぜあの時、抱きしめてやらなかったのだろう、と。子供は、自分が誰に守られているのかを、いちばん見落とすものなのかもしれません。
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中学に上がると、私の生活は部活一色になりました。朝練、夕練、土日も試合で、家に帰れば泥のように眠るだけ。ナナと過ごす時間は、加速度的に減っていきました。
それでも、たまに気が向いてボールを投げると、ナナは何歳になっても仔犬のように駆けました。芝生を蹴り、耳を風に倒して、ボールを咥えて戻ってくる。得意げに私の足元へ落とす、その顔がたまらなく好きでした。
ナナは、私の自転車の音を覚えていました。まだ角を曲がる前から、タイヤの軋む音を聞き分けて、門の前で待っているのです。家族の誰よりも早く、ナナだけが私の帰りを知っていました。それがどれほど特別なことだったのか、当時の私はまるで分かっていませんでした。
私はそのことを、当たり前だと思っていました。庭にナナがいる風景が、これから先もずっと続くものだと、信じて疑わなかったのです。
高校受験で気持ちが荒れていた時期、夜中にこっそり庭へ出たことがあります。理由もなく涙が止まらなくて、私はナナの小屋の前にしゃがみ込みました。
ナナは何も聞かず、ただ私の手をぺろりと舐めて、私の膝に頭を乗せました。その重みと温かさだけで、その夜の私は、どうにか息ができたのを覚えています。
不思議なもので、ナナは私が落ち込んでいる日を、いつも当てました。学校で嫌なことがあった日は、いつもより長く私のそばを離れませんでした。言葉を持たないからこそ、ナナは私の心の天気を、誰よりも正確に読んでいたのだと思います。
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父のことを、書いておきたいと思います。ある冬の早朝、トイレに起きた私は、窓の外に父の背中を見ました。
まだ暗い庭で、父は白い息を吐きながら、あの赤いリードを握っていました。ナナは嬉しそうに父の周りを回り、父はその歩調に合わせて、ゆっくりと歩いていました。
誰に見せるでもなく、文句を言うでもなく。私が投げ出した約束を、父はこの十三年、毎朝毎晩、黙って引き受けていたのです。
あの赤いリードを、いちばん握ったのは、結局、私ではなく父でした。窓越しに見たあの背中の意味を、私が本当に理解するのは、ずっと後になってからのことです。
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製菓の専門学校に進むため、私は十八で家を出ました。街のパン屋の二階に下宿し、朝四時から生地をこねる日々が始まりました。
指先はいつも粉で白く、爪の間にはバターの匂いが染みつきました。休みは月に二日あればいい方で、帰省できるのは盆と正月の、合わせて数日だけ。
家を出る日、車に乗り込む私を、ナナは庭のフェンス越しにじっと見ていました。車が動き出すと、ナナはフェンスに沿って、できる限り走ってついてきました。
角を曲がるまで、ナナはずっと、私の方を見て尻尾を振っていました。その姿が、サイドミラーの中で、少しずつ小さくなっていきました。
上京してしばらく経った頃、母から段ボールの荷物が届きました。実家の野菜と一緒に、写真が一枚入っていたのです。フェンスの前に座り、じっと門の方を見つめるナナの後ろ姿でした。裏には母の字で、『毎日、あなたが帰ってくるのを待っています』と書いてありました。
その写真を、私は下宿の机の前に貼りました。けれど忙しさにかまけて、帰省の回数を増やすことはしませんでした。会いたいと思いながら、いつでも会えると思い込んでいたのです。今になって、その一枚を見るたびに胸が痛みます。
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それでも、帰省して玄関を開けると、ナナは必ず迎えてくれました。「ただいま、ナナ」。そう言うと、ぐるぐると足元を回って、嬉しさを全身で伝えてくるのです。
白くなった口元にも、少し細くなった脚にも、私は気づいていたはずでした。けれど、見ていなかった。私が大人になっていく分だけ、ナナも確実に年老いていることを。
会えるのは年に数日。その数日の間、私はいつも次の仕事のことばかり考えていました。ナナの時間が、私の知らないところで静かに削られていることに、目を向けようとしませんでした。
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その年の暮れ、珍しく母から電話がありました。いつもなら用件だけの母が、その日は長いあいだ黙っていました。
「ナナがね、もう散歩に行かなくなったの」。「年だもんね。無理させないほうがいいよ」。私は軽く受け流しました。事の重さが、まだ分かっていなかったのです。
「立てなくなってきてるの。お医者さんは、もう長くないかもって」。受話器の向こうで、母の声が湿っていました。
私の知っているナナは、庭を駆け、ボールを追い、尻尾を振る犬でした。寝たきりのナナなど、私の頭のどこにも存在していませんでした。
「正月、必ず帰るから。それまで待っててって、伝えて」。電話を切ってから、私は厨房の隅でしばらく動けませんでした。オーブンの熱と、自分の鼓動だけが、やけに大きく感じられました。
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年末の仕事を終え、夜行バスを乗り継いで実家に帰りました。玄関を開けて「ただいま」と言いましたが、足元を回る気配はありませんでした。
居間の隅に毛布を敷かれて、ナナは横たわっていました。私の顔を見ると、尻尾の先だけを、ぱた、ぱた、と動かしました。立ち上がる力は、もう残っていなかったのです。
「ナナ……」。私はその場に膝をつき、痩せた背中をそっと撫でました。骨の形が、手のひらにはっきりと伝わってきました。
毛は薄くなり、撫でると指の間に少しだけ抜けました。それでも、私の手の匂いを確かめるように、ナナは鼻を寄せてきました。その仕草だけは、仔犬の頃と何も変わっていませんでした。
母が静かに言いました。「二、三日前から、こうなの。あなたが来るまでって、頑張ってるみたい」。私は何も言えず、ただナナの頭を撫で続けました。
その日から、私はスプーンで水を含ませ、柔らかくしたごはんを少しずつ口元へ運びました。ナナはほとんど食べられませんでしたが、それでも私の手からだと、わずかに舌を動かしてくれました。飲み込むたびに、痩せた喉が小さく上下するのを、私はじっと見つめていました。
父は、その三日間、あまり居間に入ってきませんでした。台所の窓辺で、外を見ているふりをしていることが多かったように思います。毎朝毎晩、十三年ナナを歩かせた人が、最後にいちばん言葉を失っていたことに、私は後から気づきました。
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実家にいた三日間、私はほとんどナナのそばを離れませんでした。床に座り込み、昔の話を、思い出せる限り話して聞かせました。
「ナナ、覚えてる。私が散歩サボって、お父さんに任せてばっかりだったよね」。「友達の前で、突き放したこともあった。本当に、ごめんね」。
「私、ずっと自分のことばっかりで、ナナのこと、ちゃんと見てなかった」。ナナは時々、力のない尻尾を、ぱた、と振って応えました。
言葉が分かるはずもないのに、私の声の調子を、確かに聴いてくれているようでした。夜は毛布の横に布団を敷いて、ナナの浅い寝息を聞きながら眠りました。
その寝息が、ときどき止まりそうになるたび、私は飛び起きて顔を寄せました。まだ温かい、まだ息をしている。それを確かめるたびに、胸が締めつけられました。
赤いリードは、玄関のフックに掛けられたまま、すっかり色が褪せていました。あんなに得意げに握ったのに、いちばん使ったのは父でした。私はそのリードを外して、ナナの毛布のそばに、そっと置きました。
その夜、私は毛布の横で、子供の頃に教えた『おすわり』や『お手』のことを話しました。覚えたての頃、何度も失敗しては首をかしげていたナナの顔を思い出して、私は声を立てずに笑い、そして泣きました。ナナは目を閉じたまま、私の声を、ただ静かに聴いていました。
※
帰る朝が来ました。街に戻れば、また休みのない日々が待っています。私は毛布の前にしゃがみ、ナナの顔を両手で包みました。
「ナナ、行ってくるね。また春に帰るから」。頭を撫でて立ち上がり、玄関へ向かおうとした、その時でした。背後で、母が小さく息を呑む音がしました。
振り返ると、寝たきりだったはずのナナが、震える脚で立ち上がっていました。前脚を踏ん張り、後ろ脚をよろめかせ、それでも確かに四つ足で地を踏みしめて。
そして、尻尾を、力いっぱい振ったのです。昔と同じ、私を見送るときの、あの振り方で。
「ナナ……立てたの……」。私は駆け寄って、その小さな体を抱きしめました。温かかった。確かに、まだ温かかった。ナナは私の頬を、ざらりとした舌で一度だけ舐めました。
父が黙って車のキーを手に取り、駅まで送ってくれました。後部座席で、私はずっと窓の外を見ていました。父も、最後まで何も言いませんでした。
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駅前のバス停で待っていると、母から電話が鳴りました。出ると、母は泣いていました。
「ナナ、逝ったよ。あなたが出てすぐ、ことんって横になって」。言葉が、すぐには意味を結びませんでした。
「あの子ね、あなたを見送るためだけに、立ったのね」。母の声が、そう続けました。私は人混みの中で、声を殺して泣きました。バスが来ても、しばらく乗れませんでした。
十八で家を出てから、私はいつも『次に帰ったときでいい』と思っていました。次の盆、次の正月、次の春。その『次』の積み重ねが、ナナの一生のほとんどだったことに、私はようやく気づいたのです。
立てなくなった脚で、最後の力をすべて使って、ナナはもう一度だけ立ちました。私を見送るためだけに。
後で母から聞いた話では、ナナは私が玄関を出たあと、もう一度だけ庭の方を見たそうです。十三年、父と歩いたあの庭を。それから、安心したように静かに目を閉じたのだと、母は言いました。
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十三年。私が子供から大人になるまでの、まるごと全部を、ナナはそばで見ていました。
散歩をサボった私を、餌やりすら忘れた私を、友達の前で突き放した私を。それでも毎日、尻尾を振って迎えてくれました。
愛されるに値することなんて、私は何ひとつしていなかった。それでもナナは、最後まで私を待ち、最後まで私を見送ってくれたのです。
あの色褪せた赤いリードを、私はいま、街の部屋の壁に掛けています。握ると、暗い庭で白い息を吐いていた父の背中と、ナナの引く力を、同時に思い出します。
パン屋の朝は早く、今も私は四時に起きて生地をこねています。粉だらけの手で休憩に出ると、壁のリードがふと目に入る瞬間があります。そのたびに、庭を駆けるナナの姿が、はっきりと浮かぶのです。
あの子と過ごした時間は、決して長くはありませんでした。それでも、ナナがくれたものの大きさを思うと、私は今でも胸がいっぱいになります。
あの子が教えてくれたのは、そばにいることそのものの重さでした。何かをしてあげられなくても、ただ待ち、ただ見送ること。それがどれほど深い愛なのかを、私は失ってから知りました。
春になって帰省したとき、庭の隅に小さな石が置かれていました。父が、ナナのために据えたものでした。その前にしゃがむと、あの色褪せた赤いリードを握っていた父の手が、今は何も持たずに膝に置かれていることに気づきました。父も私も、長いあいだ、何も言いませんでした。
ありがとう、ナナ。次に生まれてくるときは、今度こそ、私が毎日、あの赤いリードを握るから。