彼女とフライパン
一人暮らしを始める時、意気込んでフライパンを買った。
ブランドには疎いが、とにかく28センチの物を一本。
それまで料理なんて全くしなかったのだが、一人暮らしだから自分で作るしかない。そう思って買った。
空焼きしたり、油を馴染ませたり、手入れを怠って真っ赤に錆びさせたり。
それを金タワシでゴシゴシやって、また空焼きして油を馴染ませたり。
取り敢えず、目玉焼きは上手になった。
※
彼女が出来た。
凄く可愛いし素直。
だけど、料理は全然ダメだった(笑)。
偶の休みの日には俺が、ちょっとだけ贅沢してステーキを焼いた。
彼女はミディアム、俺はレアが好きだった。
「このフライパンは、お前と出会う前から俺と一緒に暮らしている」
と言ったら、彼女はふくれっ面になって、それから笑った。
俺と彼女は幸せな時間を過ごした。
料理が下手な彼女は、目玉焼きを何度も焦がした。
俺は笑いながら、焦げた目玉焼きを美味しく戴いた。
「大事なフライパンなのにごめんなさい」と、彼女は詫びた。
「大丈夫だよ」と金タワシで擦って空焼きしたら、彼女はフライパンの深く碧い色を
「きれいね」と言った。
※
彼女は突然居なくなった。
事故だった。
俺は今も時々、フライパンを金タワシで擦って空焼きする。
深く碧い色が蘇る。
彼女の「きれいね」という言葉が蘇る。
28センチのフライパンは、俺と一緒に居る。
焦げた目玉焼きはもう食べられないが、フライパンのおかげで彼女の
「きれいね」
という言葉は今でも、いつでも聞けるんだ。