
すすきのの口下手な客
Yさんの日記のことを、私は今まで、誰にも話せずにいました。夜の仕事をしていた過去を、うまく説明できる気がしなかったからです。
私はかつて、学費のために、札幌のすすきので夜の仕事をしていました。家に余裕がなく、昼は大学、夜は店という生活でした。
地方から出てきた私に、仕送りはほとんどありませんでした。奨学金だけでは家賃と教科書代に足りず、友人に誘われて、小さなラウンジで働きはじめたのです。
開店前の控室には、香水と整髪料と、温め直した弁当の匂いが混ざっていました。ヒールの高さに慣れない足をさすりながら、鏡の前で笑顔の練習をした日のことを、今でも覚えています。
ママは、厳しい人でした。お酒は飲まされないこと、お客様の私生活を詮索しないこと、帰りは必ずタクシーを呼ぶこと。そのひとつひとつが、あの頃の私を守ってくれていたのだと、今なら分かります。
初めて私の席についてくださったお客様が、Yさんでした。七十歳になるおじいちゃんで、背筋の伸びた、小柄な方です。
Yさんは、ひどく口下手な人でした。私が何を話しても、うん、そうだね、としか返さない人でした。
最初は、嫌われているのかと思いました。会話が続かず、ボトルの氷の溶ける音ばかりが、私たちの間に落ちていきました。
それでもYさんは、毎週、同じ曜日の同じ時間に来てくださいました。カウンターの端の席に座り、薄い水割りを二杯だけ飲んで、静かに私の話を聞いてくれるのです。
水割りの横に小さな手帳を置き、何かを書き留めていました。老眼鏡をずらして、短い鉛筆の先をなめる癖が、可笑しかったのを覚えています。
「今日はね、ゼミの発表で、先生に叱られたんです。」
「うん。そうだね。」
「奨学金の書類が、どうしても間に合わなくて。」
「うん。そうだね。」
何も解決しない相づちでした。それなのに、話し終えるころには、不思議と肩の力が抜けているのです。
他のお客様は、閉店間際になると、アフターに誘ったり、連絡先を聞いたりしました。Yさんは、一度もそんなことを口にしませんでした。
深夜零時になると、静かに席を立ち、背中を向けて帰っていく人でした。扉が閉まる直前、いつも小さく会釈をしていくのです。
深夜零時に帰る人
Yさんには、何度も助けていただきました。教科書代が足りなくて、会計の前で青ざめていた私に、黙って封筒を差し出してくれたこともあります。
「お仕事の分だよ。」
そう言うだけで、その金額が、仕事の対価の範囲を超えていることは、私にも分かりました。けれど、お礼を言おうとすると、Yさんは決まって視線を逸らしました。
「うん。そうだね。」
その一言で、話はいつも終わってしまうのです。
二月の札幌は、息が白く凍る季節です。雪の降る夜、私は母の入院の知らせを受けて、控室で一人、声を殺して泣いていました。
その晩のYさんは、いつもより早く席を立ちました。翌週、受付の人が、小さな紙袋を私に手渡しました。中には、使い捨てのカイロと、毛糸の手袋が入っていました。
手紙は、ありませんでした。差出人の名前も、ありませんでした。けれど私は、それがYさんからだと、疑いもしませんでした。
店の先輩に、一度だけ聞かれたことがあります。
「あの人、あなたに何か期待してるの?」
「分かりません。でも、一度も触れてこないんです。」
先輩は、不思議そうな顔をしていました。私にも、答えが分かりませんでした。
夜の仕事をする人間と、そうでない人間との間には、見えない線があります。Yさんは、その線の向こうとこちらを、静かに行き来しているような人でした。
店の外でも、私はふと、あの背中を思い出すようになっていました。雪道で滑りそうになるたび、手袋の毛糸が、掌をあたたかく包んでくれました。
母の手術は無事に終わり、私は大学の長い冬休みに、実家へ戻ることができました。帰省の前の晩、Yさんにだけ、行き先を告げた覚えがあります。
「うん。そうだね。気をつけて。」
その言葉が、いつもより少しだけ長く聞こえたのは、気のせいではなかったと思います。
最後の夜の翌日
大学の卒業が決まり、私は夜の仕事を辞めることにしました。最後の日も、Yさんはいつもの席に座っていました。
閉店の時刻に、私を見て、短く言いました。
「お疲れ様。」
それだけでした。私は、深く頭を下げることしかできませんでした。
翌日、Yさんから、珍しくメールが届きました。
「これからは昼の人間。夜の仕事で出会った人とは、関わらないで。」
読んだ瞬間、胸の奥が冷たくなりました。突き放されたのだと思ったのです。けれど、何度も読み返すうちに、気づきました。
Yさんは、私のこれからを思って、線を引いてくれたのです。昼の世界で生きていく私が、夜の記憶に引き戻されないように。
それが、あの人の精いっぱいの優しさだったのだと思います。
それ以降、私は年に一度だけ、Yさんの誕生日にメールを送りました。
「お誕生日、おめでとうございます。仕事は、毎日、少しずつ楽しくなってきています。」
返信は、一度もありませんでした。それでも私は、送り続けました。
似た別れの形を、途切れた言葉にも書きました。同じくおじさんとの約束も、不器用な優しさの話です。言葉が途切れても、気持ちまで途切れるわけではないと、私は思っています。
Yさんの日記が届いた日
三年目の秋、見慣れないアドレスから、一通のメールが届きました。差出人は、Yさんの娘さんでした。
「父は先月、病気で旅立ちました。生前、あなたのことをよく話しておりました。」
文面は、丁寧で、静かでした。
「遺品を整理していたら、日記が出てきました。あなたに読んでほしいと思い、お送りします。」
数日後、小包が届きました。包みをほどくと、Yさんの日記だという擦り切れた大学ノートが、六冊入っていました。表紙には、几帳面な字で、年ごとの数字が書かれています。
Yさんの日記の一頁目を開いたとき、私は思わず手で口を押さえました。
「今夜も彼女は、ゼミの発表の話をした。叱られたと言っていたが、顔は晴れていた。」
「奨学金の書類は、間に合っただろうか。」
「彼女は夢に向かって頑張っている。応援していますよ。」
Yさんの日記には、どの頁にも私のことが綴られていました。私が何気なく話した一言を、Yさんは、すべて覚えていたのです。
「母上の手術が成功したと聞く。よかった。今夜の水割りは、いつもより美味い。」
「手袋は、合っただろうか。娘のお古で申し訳なかった。」
「彼女は笑うとき、少し下を向く。その癖が、昔の妻に似ている。」
あの夜に手帳へ書き留めていたのは、私の話だったのです。毎週、水割りの横で、短い鉛筆を動かしていた理由が、六年越しに分かりました。
どの頁の終わりにも、うん、そうだね、と小さく書き添えてありました。あの口癖は、私に向けた相づちであると同時に、自分自身への励ましでもあったのだと、そのとき初めて知りました。
日記の最後の頁には、私の名前と、うん、そうだね、とだけ書かれていました。卒業の日付の下に、震える字でした。
私は、ノートを胸に抱いたまま、しばらく動けませんでした。窓の外では、初雪の前触れのような、冷たい雨が降っていました。
今、私は社会人六年目になりました。仕事が楽しく、毎日を一生懸命に生きています。
天国のYさん、あなたの優しさと応援に、心から感謝しています。
あなたの期待に応えられるよう、これからも頑張ります。