
二十歳の夏に、私はひとりでヨーロッパを回った。
安い周遊券を握りしめただけの、計画らしい計画もない旅だった。
帰国して三十年になるが、旅の話をせがまれるたびに持ち出すのは、いつも同じ一時間半だ。
フランクフルトへ向かう、ルフトハンザの短い便。
窓側に私、通路側にアメリカ人の老人がいた。
その人は席に着くなり、上着の内ポケットから四つ折りの紙を取り出した。
膝の上で一度だけ広げて、すぐにまた畳んでしまった。
折り目のところが白く擦り切れて、角は丸くなっていた。
何度も開かれてきた紙なのだと、見ればわかった。
私はそのとき、地図か何かだろうと思った。
思っただけで、すぐに窓の外へ目を戻した。
若い旅行者には、隣の老人よりも雲のほうが面白かったのだ。
その日の朝まで、私はミュンヘンの安宿にいた。
六人部屋の二段ベッドで、天井に前の客の落書きが残っていた。
四十日の旅程のうち、もう三十日を使い切っていた。
財布の中身と相談しながら、残りの街をどう回るかだけを考えていた。
戦争のことなど、頭のどこにも無かった。
前の晩、同じ部屋のドイツ人の学生と、少しだけ話をした。
彼は私の地図を覗きこんで、フランクフルトの上を指で二度叩いた。
「ここは、古い建物がほとんど残っていない」
どうしてか、と聞いた私に、彼は肩をすくめただけだった。
その仕草の意味を、私は翌日の機内で知ることになる。
白い髭を短く刈りこんだ人だった。
背は高いのに、座ると背中が少しだけ丸くなった。
シートベルトを締める手が、ゆっくりだった。
指の関節が太く、爪が平らで、日に灼けた甲に薄いしみが散っていた。
茶色い革の腕時計を、文字盤を内側にして着けていた。
離陸してしばらくして、その人が英語で話しかけてきた。
「日本人かい」
私が頷くと、嬉しそうに座り直した。
「日本はいい国だ。二度行った。二度とも、京都で道に迷った」
私は笑った。
自分の国を褒められるのは、外国にいるとよけいに嬉しい。
それから三十分ほど、他愛のない話をした。
寿司の話。
新幹線の話。
アメリカにいる孫が、日本のアニメばかり見ているという話。
「あの子は、ロボットの名前を全部覚えている」
「私の名前は、たまに忘れる」
そう言って、老人は自分で笑った。
聞き上手な人だった。
私の拙い英語を、一度も急かさなかった。
単語に詰まると、黙って待った。
待つあいだ、指で膝の上の紙を、そっと押さえていた。
そのころには、機内食の小さなトレイが配られていた。
機内食のパンの耳
老人はパンだけを先に食べた。
耳の部分を几帳面に残して、最後にそこだけを口に入れた。
「子どものころは、パンの耳が嫌いでね」
老人はそう言って、指についた粉を払った。
「兵隊になってから、好きになった」
兵隊、という言葉に、私は少しだけ身構えた。
「どこで兵隊をされていたんですか」
聞いてから、聞かなければよかったと思った。
老人はしばらく、紙コップの縁を見ていた。
それから、窓の外を指した。
「この空だ」
「この空を、私は昔、飛んだことがある」
私は意味がわからなかった。
あなたは飛行機を操縦できるのか、と聞いた。
老人は首を横に振った。
「操縦はしない。私は、下を見る係だった」
下を見る係。
その言葉が胸に落ちるまでに、少し時間がかかった。
「爆撃機に乗っていた」と老人は言った。
「一九四四年だ。ここへ、爆弾を落としに来た」
空調の音が、急に大きく聞こえた。
私は返す言葉を持っていなかった。
持たないまま、窓の外を見た。
眼下は一面の雲で、地面はどこにも見えなかった。
その白い海の下に、これから降りていく街がある。
八十年ちかく前、この人はその街の上にいた。
下を見る係として。
老人はパンの耳を、ゆっくり噛んでいた。
「あのころは、食べ物を残すやつがいなかった」
「帰ってこられるかどうか、わからないからだ」
「基地で朝に出るパンは、いつも端が硬くてね」
「硬いのを残すやつは、たいてい、その日にいなくなった」
それだけ言って、また黙った。
膝の上の紙が、また少しだけ位置を直された。
私は自分のトレイを見下ろした。
温めすぎたパスタと、四角いパンと、蓋の開いた小さなバター。
私はそれまでの旅で、何度も食べ物を残していた。
そのことが、急に恥ずかしくなった。
バターを全部塗って、パンを最後まで食べた。
老人は何も言わなかった。
ただ、私の手元を一度だけ見て、また窓の外へ目を戻した。
しばらくして、老人がコーヒーを断った。
「胃が、昔から弱くてね」
「収容所で、一度おかしくしてから」
言ったあとで、まずいことを言ったという顔をした。
「すまない。旅の途中の子に、する話じゃない」
私は首を横に振った。
本当は、少しだけ振っただけだった。
心のうちでは、早くこの話が終わってほしいと思っていた。
フランクフルトの空
その話をしてから、老人は急にしぼんだように見えた。
さっきまで背筋が伸びていたのに、肩から力が抜けていた。
窓の外を見る目が、雲ではなく、その下を探しているようだった。
「私の飛行機は、三十六回この空に来た」
「三十七回目は、来られなかった」
「落ちたのは、麦の畑だった」
落ちた、という言い方を、老人は淡々と使った。
自慢でも、後悔でもない言い方だった。
ただ、起きたことを述べているだけの声だった。
高度は八千に近かったという。
その高さから見る街は、模型の町のようだったと老人は言った。
「屋根も、教会も、豆粒だ」
「豆粒には、においが無い」
「においが無いものは、こわくないんだ」
私はその言い方を、三十年間ずっと覚えている。
人が人にひどいことをできる仕組みを、これほど短く言った言葉を、私は他に知らない。
「畑の人たちが、私を納屋まで引きずってくれた」
「敵の兵隊だとわかっていて、それでも水を飲ませてくれた」
「バケツの水だ。藁の匂いがした」
「そのあと、私は捕虜になった。戦争が終わるまで、ずっとだ」
収容所では、毎朝ジャガイモのスープが出たそうだ。
「薄い。けれど、温かかった」
「温かいものを配るのは、手間がかかる」
「あれを毎朝続けた人間が、向こうにもいたということだ」
納屋に引きずってくれたのは、五十がらみの夫婦と、その娘だったという。
娘はまだ十五、六で、バケツを持つ手がふるえていた。
「私の飛行機が落としたもので、その子の学校が焼けていた」
「それでも、水を持ってきた」
「私はそのとき、ありがとうと言えなかった」
「言葉を知らなかったからじゃない。顔を上げられなかったんだ」
老人はそこで、いったん話を切った。
座席のポケットに入っていた雑誌を、意味もなく出して、また戻した。
私は頷くことしかできなかった。
十九か二十の若さでは、その重さを受け止める器がなかったのだ。
正直に書いておくと、私はそのとき、少しだけ困っていた。
隣の席でこんなにしょんぼりされては、旅の気分が台なしになる。
そんなふうに思ってしまったのだ。
三十年経った今でも、私はそのことを、いちばん恥じている。
老人はしばらくして、私のほうを向いた。
「平和はいちばん大事なことだ」
「日本人の君には、それがわかるだろう」
私はただ頷いた。
わかります、と言えるほど、私は何も知らなかった。
老人は私の顔を見て、少しだけ笑った。
「わからなくていい。わからないほうが、いい時代だ」
そのあと、老人は窓に映る自分の顔を少し見ていた。
「君くらいの年のとき、私はもう三十六回ここへ来ていた」
「君は、地図を持って来た」
「そのほうがいい。ずっといい」
私は自分の膝の上の、折り目だらけの観光地図を見た。
赤いボールペンで、行きたい美術館に丸をつけてあった。
その丸のひとつひとつが、急に軽いもののように思えた。
軽いことが悪いのではない。
軽いものを持って歩ける世代に、私は生まれただけだ。
それを老人は、たぶん喜んでくれていた。
それから、膝の紙を手に取った。
今度は四つ折りの紙を畳んだまま、私のほうへ差し出した。
四つ折りの紙の住所
受け取った四つ折りの紙は、思ったよりも薄かった。
開くと、折り目が四本、白く筋になっていた。
真ん中に、万年筆で書かれたドイツ語の住所があった。
インクが褪せて、青が灰色に近くなっていた。
その下に、数字が一行だけ並んでいた。
日付のように見えたが、年が抜けていた。
「私の字じゃない」と老人は言った。
「向こうが書いた」
「毎年ここへ行く。今年で、二十六回目だ」
二十六回。
私はその数を、口の中で繰り返した。
「お友だちですか」
老人は返事をしなかった。
代わりに、紙の下の数字を指でなぞった。
「これは、飛行機が落ちた時刻だ」
「向こうが覚えていた。私は覚えていなかった」
毎年、何をするのかと私は聞いた。
「畑へ行く。それから、家で昼を食べる」
「奥さんがスープを作る。ジャガイモのだ」
「毎年、同じものを出される」
老人はそこで、初めて少しだけ照れた顔をした。
「うまいとは言わない。けれど、私は毎年それを食べに行く」
最初に会った年は、二人とも何も話せなかったそうだ。
居間の椅子に向かい合って座って、三時間ほど黙っていたという。
「三時間だ。長いだろう」
「けれど、帰るときに、向こうが握手の手を出した」
「その手が、私より震えていた」
二年目から、少しずつ言葉が出るようになった。
三年目に、二人で麦畑まで歩いた。
落ちた場所には、目印も碑も無かった。
「無くていい、と向こうが言った」
「畑は、麦を作るところだからと」
四年目からは、奥さんが同席するようになった。
英語もドイツ語も、ほとんど通じないままだったという。
「それでも、皿を出す手つきでわかることがある」
「私が来るのを、嫌がってはいなかった」
十年目のとき、奥さんが古い写真を一枚だけ見せてくれた。
若い制服姿の、痩せた男が写っていた。
「悪い顔はしていなかった」と老人は言った。
「どこにでもいる、若い男の顔だ」
「私も、あのころは、そういう顔をしていたはずだ」
客室の灯が、着陸のために少し暗くなった。
薄暗がりの中で、紙の折り目だけが白く浮いて見えた。
私は紙を丁寧に畳み直して、老人に返した。
老人はそれを、内ポケットのいちばん奥に入れた。
胸を一度、上から軽く押さえた。
そこにあることを、手で確かめるような押さえ方だった。
戦争をくぐった人が何を持ち歩いているのかを、私はそのとき初めて考えた。
戦地で背負われた恩と、最後の約束を書き残した人の話を、私は後年になって読んだ。
人は、渡されたものを返すために、ずいぶん遠くまで行くのだと思う。
雲海の上の約束
ベルトのサインが灯って、機体が雲に入った。
窓が白一色になって、何も見えなくなった。
老人は背もたれに頭をつけて、目を細めた。
「きっと天国では」
そう言って、少し間を置いた。
「アメリカもイギリスも日本もドイツも、みんな仲良く飛んでいるよ」
私は雲を見た。
見ながら、たくさんの国の飛行機が、ぶつからずに飛んでいる絵を思い浮かべた。
きれいな空想だと思った。
そのときは、空想だと思っていたのだ。
雲を抜けると、急に畑が見えた。
緑と茶色が、定規で引いたように四角く並んでいた。
老人はその畑を、ずっと見ていた。
顔を近づけすぎて、窓に息が白く曇った。
曇ったところを、袖口で拭いた。
「今年は、迎えが来ない」
ぽつりと、そう言った。
「春に、先に逝った」
「家には奥さんがいる。だから、行く」
私は、あの住所の主が誰なのかを、そこで初めて尋ねた。
老人は少しのあいだ黙って、それから短く答えた。
「私を落とした男だ」
夜の戦闘機に乗っていた操縦士だという。
戦後しばらくして、生き残った乗員の名簿をたどり、向こうから手紙が来たそうだ。
謝罪ではなく、あの夜の時刻と高度だけが書いてあった。
老人はその手紙に、自分の記憶していた時刻を書いて返した。
二つの時刻は、四分ずれていた。
どちらが正しいのかを確かめるために、二人は文通を始めた。
やがて、資料を突き合わせるだけでは埋まらないとわかった。
それで、会うことにしたのだという。
「四分を合わせるのに、二十六年かかった」
老人はそう言って、少し笑った。
「結局、四分は合わなかった」
「合わないまま、毎年スープを飲んだ」
私は、その四分のことを何度も考えるようになった。
撃った側と撃たれた側で、同じ夜の時計が合わないという事実を。
どちらかが嘘をついているわけではない。
ただ、人が覚えていられる精度には限りがあるのだと思う。
それでも二人は、合わない四分を挟んで、二十六回も向かい合った。
合わせるためではなく、合わないことを一緒に抱えるために。
人が誰かを許すというのは、こういう形をしているのかもしれない。
言葉で片をつけるのではなく、同じ食卓に何度も座ること。
二十六回という回数だけが、そのことを証明している。
紙に書かれていたのは、この人を撃ち落とした男の住所だった。
メンフィス・ベルの夜
着陸すると、老人は「よい旅を」と言って、先に立ち上がった。
通路で振り返って、もう一度だけ胸を押さえた。
内ポケットの四つ折りの紙を、確かめる仕草だった。
それが、私が見た最後の姿だった。
名前も聞かなかった。
連絡先も交換しなかった。
二十歳の私は、そういうことに気が回らなかった。
それから三十年、私は『メンフィス・ベル』という映画を観るたびに、少しだけ泣く。
爆撃機の乗員が、無事に基地へ帰る話だ。
画面に映るのは、たしかに帰ってきた側の物語である。
それでも私は、帰れなかった一回のほうを思ってしまう。
麦畑と、納屋と、水を飲ませた手のことを。
太陽を見てからようやく言えることもあるのだと、いつか読んだ話を思い出す。
あの機内で老人が口にした天国は、空想ではなかったのだと、今ならわかる。
あの人には、もう先に飛んでいる相手がいたのだ。
だから、みんな仲良く飛んでいるよ、と言えたのだ。
四十になった年、私は仕事でもう一度フランクフルトへ行った。
空いた半日で、郊外へ出る電車に乗った。
住所を覚えていたわけではない。
ただ、麦の畑を一度、自分の足で歩いてみたかった。
六月の畑は、思ったよりずっと背が高かった。
穂が肩のあたりまであって、風が通ると、海のような音がした。
この下に人が落ちたのだと思うと、足がすくんだ。
帰りの電車で、私は窓に額をつけて、少しだけ泣いた。
隣に座っていた人は、何も言わなかった。
ただ、降りる駅で立ち上がるとき、私の肩を一度だけ軽く叩いていった。
あの機内で、私が老人にしてあげられなかったことを、その人はしてくれた。
娘が去年、修学旅行で初めて飛行機に乗った。
窓側がよかった、と帰ってきて言った。
雲の上は白くて、何も無かったと言って、少し不満そうだった。
何も無いのがいいんだ、と私は言った。
娘は意味がわからないという顔をして、風呂に入りに行った。
それでいいと思う。
わからないほうが、いい時代だ。
私は今も、飛行機に乗ると窓側を選ぶ。
雲海の上に出ると、つい目で探してしまう。
何を探しているのかは、自分でもわからない。
ただ、内ポケットを一度、上から押さえる癖だけがついた。