港のはずれの、椅子が六つの店
だし巻きを焼くとき、おかみさんは一巻き目だけ、菜箸を持ち替えました。
右手から、左手へ。二巻き目からは、また右に戻ります。
油の乗った銅の鍋の上で、その一瞬だけ、手の影の向きが変わるのです。
私はそれを、二年のあいだ、ただの癖だと思っていました。
三重県の尾鷲、熊野灘に面した港町です。魚市場の裏手から坂を一本上がって、防波堤の白い先端が窓から見えるあたり。
そこに、つばめ食堂という定食屋があります。
椅子は六脚。カウンターだけの、間口の狭い店です。潮を含んだ風のせいで、暖簾は年に二度は取り替えなければなりません。
私は大学二年の春から、この店で皿を洗わせてもらっています。
はじめは、下宿から歩いて七分という、ただそれだけの理由で選んだ働き口でした。
面接の日、緊張のあまり、私の声は途中で裏返りました。おかみさんは、それを見て、ふふっと笑いました。
「そんなに固うならんでええよ。うちは、来てくれる人みんな家族みたいなもんやから」
採用の返事より先に、賄いのご飯が出てきました。
その日のだし巻きの、皿のいちばん端にあった一切れだけが、やわらかくて、ほんの少し甘かったのを覚えています。
おいしいですと言うと、おかみさんは、そう、とだけ言って背を向けました。
※
祖母の惣菜屋にあった湯気
本当のことを言えば、この店に惹かれた理由が、もうひとつありました。
私を育ててくれた祖母も、昔、隣の町で小さな惣菜屋をやっていたのです。
幼い頃の私は、店の隅に置かれた木の椅子に座って、祖母が大鍋で切り干し大根を炊くのを、いつまでも眺めていました。
湯気で眼鏡が白く曇るたび、祖母は袖でそれを拭いて、また鍋に向かいました。
「おいしいって言うてもらえるとな、疲れがぜんぶ吹き飛ぶんよ」
祖母は、よくそう言って笑っていました。
祖母が亡くなってから、私はずっと、あの台所の湯気のあたたかさを、どこかで探していたのだと思います。
つばめ食堂の暖簾をくぐったとき、昆布と醤油の混ざった匂いがして、胸の奥がぎゅっと縮みました。
店を守っているのは、みんなから「おかみさん」と呼ばれている、七十八歳の女性です。
旦那さんを早くに亡くしてから、半世紀近く、この店をたった一人で続けてきた人でした。
厨房に立つのはおかみさん、表で注文を取るのは私。それだけの店です。
客の多くは、市場で働く人か、朝の漁から帰ってきた人でした。
みな日に焼けていて、声が大きくて、それでいて、おかみさんの前ではどこか子どものような顔になります。
「おかみさん、今日も生きとったか」と笑う漁師の正一さんに、「あんたよりは長生きするわ」と返すおかみさんが、私は好きでした。
正一さんは、毎朝かならず焼き魚定食を頼んで、最後にだし巻きを一切れだけ追加します。
「これを食わな、一日が始まらんのや」
その一言を聞くたび、この店のだし巻きが、誰かの一日をそっと支えているのだと思いました。
いつだったか、なぜ一人で店を続けているのですか、と尋ねたことがあります。
おかみさんは、少しだけ遠くを見てから、こう答えました。
「うちの人がな、最後に食べたのも、この店のだし巻きやったんよ」
「あの人が好きやった味を、誰かが喜んでくれるうちは、まだ続けたいんやわ」
その日から私は、この店の一皿が、ただの料理ではないのだと知りました。
※
「だし巻きだけは、あんたに任せるわ」
この一年で、おかみさんの手のふるえが、少しずつ目立つようになりました。
包丁を握る指先が小刻みに揺れて、見ているこちらが思わず手を出したくなることが増えました。
それでもおかみさんは、弱音を一度も口にしませんでした。
ある日の仕込みの途中で、おかみさんが菜箸を置いて、ふいに言いました。
「だし巻きだけは、これからあんたに任せるわ」
つばめ食堂のだし巻きは、この店の看板です。
ふんわりとして、噛むとだしがじゅわりとあふれる、五十年ぶんの味でした。
任せると言われたとき、私は飛び上がりそうなほど嬉しくて、同時に足がすくむほど怖かったのを覚えています。
嬉しかったのは、信じてもらえたから。怖かったのは、その味を私が崩してしまうかもしれないと思ったからです。
それは、おかみさんと旦那さんの時間を、預かるということでもありました。
※
五本続けて崩れた朝
それから私は、開店前の誰もいない厨房で、何度もだし巻きを焼きました。
火加減を少し違えるだけで、卵はすぐに固くなったり、だしが流れ出してしまったりします。
最初の頃は、鍋の上でぼろぼろに崩れた卵を見て、こっそり落ち込みました。
ある朝は、五本続けて失敗しました。
卵を割る手が止まって、情けなくて、少しだけ涙ぐんでしまいました。
「私には、向いていないのかもしれません」
思わずそう口にした私に、おかみさんは静かに首を横に振りました。
「卵焼きはな、急いだら負けや。卵の声を聞いて、待ってやり」
それから、だしの取り方も一から教えてくれました。
昆布を前の晩から水に浸しておくこと、沸かしすぎないこと、鰹を入れたらすぐに火を止めること。
「手間を惜しんだぶんだけ、味は正直に薄うなる。料理は、そういうとこ嘘つかへんのよ」
その言葉は、料理のことを言っているようで、生き方そのものを教わっている気がしました。
不思議と、それから少しずつ、形になっていきました。
「うん、今のは上手やった」と言ってもらえた日は、帰り道の坂が、いつもより明るく見えました。
ただ、ひとつだけ、どうしても真似のできないところがありました。
一巻き目です。
おかみさんの焼いただし巻きは、切ったときに、端の一切れだけが違うのです。
わずかに色が薄く、箸で持ち上げると、頼りないほどやわらかい。
私が焼くと、端から端まで、きれいに同じ顔になってしまいます。
「どうしたら、あんなふうになりますか」
そう訊いた私に、おかみさんは、めずらしく答えませんでした。
「そのうち、わかるわ」
それだけ言って、洗い物の水を出しました。
※
雨の日の、客のいない二時間
梅雨に入ると、港町の店は嘘のように暇になります。
漁が出ないと、市場も静かになり、坂を上がってくる人がいなくなるのです。
ある日など、昼過ぎから閉店まで、客が一人も来ませんでした。
おかみさんは、暖簾を出したまま、カウンターの端に腰かけて、ラジオの競馬中継を聞いていました。
「おかみさん、馬券、買うんですか」
「買わへんよ。名前を聞くのが好きなだけ」
その日の四レースに、ハマカゼという馬が出ていました。
おかみさんは、それを聞いて、少しだけ笑いました。
「うちの人の船と、同じ名前や」
雨が屋根を打つ音だけが、二時間ほど続きました。
私は、その静けさが、思いのほか嫌ではありませんでした。
閉店間際になって、ようやく客が一人だけ来ました。
合羽を着た配達の人で、かけそばを一杯だけ食べて、すぐに出ていきました。
おかみさんは、その背中に「気ぃつけてな」と声をかけました。
暖簾を下ろしながら、こう言いました。
「一人でも来てくれたら、その日は開けた甲斐があるんよ」
※
秋の夕方に来た三人
秋の、雨上がりの夕方でした。
その日も、私は厨房でだし巻きを焼いていました。
閉店間際に、親子三人連れが暖簾をくぐってきました。
若いお母さんと、品のいいおばあさん、それに五歳くらいの男の子です。
男の子は椅子の上で落ち着かず、店じゅうをきょろきょろ見回していました。
定食を運んでしばらくすると、おばあさんがゆっくりと私を呼びました。
「このだし巻きを作っているのは、どなたですか」
その瞬間、心臓が縮みあがりました。
きっと、味が薄いとか、焼き加減が悪いとか、そういう話なのだと思ったのです。
手をぎゅっと握って、震えそうになる声をおさえながら、私はカウンターの前に立ちました。
「……作っているのは、私です」
お母さんとおばあさんは顔を見合わせて、それから私の顔をじっと見ました。
その数秒が、永遠のように長く感じられました。
ところが、お母さんが口を開いて言ったのは、思いもよらない言葉でした。
「この子、卵が大嫌いで、家ではどんなふうに作っても、絶対に食べないんです」
その隣で、男の子は黄色いだし巻きを口いっぱいに頬張っていました。
「玉子焼きも、オムレツも、茶碗蒸しも、ぜんぶ口から出してしまうのに」
「このお店のだし巻きだけは、いつも残さず食べるんです」
おばあさんが、しわの寄った手で、小さなメモ帳とペンを差し出しました。
「もしご迷惑でなかったら、作り方を教えていただけませんか」
私はとっさに、これはおかみさんに確認しなければ、と思いました。
「少々お待ちください」と、できるだけ冷静を装って厨房に下がりました。
けれど暖簾の裏に入った途端、こらえていたものが、ぼろぼろとあふれて止まらなくなりました。
※
暖簾の裏で泣いた日
自分の焼いたものを、こんなふうに言ってもらえる日が来るとは、思っていませんでした。
正一さんが毎朝だし巻きを頼んでくれる、あの気持ちが、少しだけわかった気がしました。
惣菜屋の隅で笑っていた祖母の顔が、ふっと胸によみがえりました。
厨房に入ると、おかみさんは、もうすべてを聞いていたようでした。
「話は聞こえとったよ。教えてあげなさい」
そう言って、ふるえる手で、一枚の紙をそっと握らせてくれました。
私が戻るより先に、書いて用意してくれていたのです。
その紙の字も、少し揺れていました。
「ええんですか。お店の味を、教えてしもうて」
おかみさんは、穏やかに笑いました。
「味は、独り占めするもんやない。喜んでくれる人がおるなら、いくらでも分けてやり」
そして、揚げたての唐揚げを経木に包んで、こう言いました。
「これも持っていき。うちのいちばんの自慢やから」
私はテーブルに戻り、メモと、湯気の立つ唐揚げを並べました。
「これは、お店からの気持ちです」
男の子は満面の笑みで「ありがとう」と言ってくれました。
三人が帰ったあと、私はとうとう、厨房でわんわん泣いてしまいました。
おかみさんは、ふるえる手で私の背中をゆっくりさすりながら、言いました。
「飯屋の幸せはな、お客さんにうまいと言うてもらえること、それだけや」
「だから今のあんたは、この店でいちばんの幸せもんやで」
小さな窓から、橙色に染まった港の空が見えていました。
※
正一さんが教えてくれた持ち方
その話には、続きがあります。
三週間ほど経った朝のことでした。
正一さんがいつもより早く来て、カウンターの端に座りました。
おかみさんは奥で洗い物をしていて、厨房には私だけでした。
焼いているのを、正一さんはしばらく黙って見ていました。
そして、ぽつりと言いました。
「あんた、一巻き目、右のままやな」
手が止まりました。
「おかみさんは、そこだけ左に持ち替えますよね」
「そらそうや」と、正一さんは焼き魚をつつきながら言いました。
「あれはな、旦那さんの持ち方や」
私は、鍋の火を弱めました。
「タケさんは、左利きやった。だし巻き焼くのが、めっぽう上手でな」
「おかみさんは、右利きや。せやから、最初の一巻きだけ、旦那さんの手ぇで焼くんよ」
「あの人がおらんようになってから、ずっとや。もう五十年になるかな」
正一さんは、そこで一度、湯呑みを置きました。
「わしらはな、みんな知っとる。知っとって、誰も言わんのや」
「言うたら、おかみさんが、やめてしまう気がするやろ」
店の奥で、水の音が続いていました。
私は、返事ができませんでした。
※
レシピに書かれていなかった一行
その日の夜、下宿に帰って、私はあのレシピの写しを引き出しから出しました。
おかみさんの字で、細かく書かれています。
卵は四つ、だしは百二十、薄口は小さじ一、みりんは小さじ二。
鍋の温度の見方も、油を引く布のことも、切り分けるまでの置き時間も。
書ける限りのことが、ぜんぶ書いてありました。
けれど、一巻き目のことだけが、どこにも書いてありませんでした。
忘れたのではないのだと思います。
あれは、書いて渡せるものではなかったのです。
レシピを渡すことと、あの一手を渡すことは、別のことでした。
おかみさんが教えなかったのは、味ではなく、あの人の手つきでした。
その晩、私はなかなか眠れませんでした。
※
甘い一切れは、いつも皿の端にあった
もうひとつ、気づいたことがあります。
あの男の子が食べていたのを、私は思い出そうとしました。
最初にどこから箸をつけたか。
皿の、いちばん端の一切れです。
色の薄い、やわらかい、あの一切れでした。
一巻き目は、鍋がまだ十分に温まりきっていないところに落ちます。
だから火が甘く、だしが多く残って、ほんのり甘くなるのです。
私が面接の日に食べた、あの端の一切れも、同じものでした。
卵が嫌いな子でも、あの一切れだけは食べられる。
それは偶然ではありませんでした。
翌朝、思い切っておかみさんに訊きました。
「旦那さんも、卵が苦手やったんですか」
おかみさんは、菜箸を持つ手を止めました。
それから、少し笑いました。
「よう気づいたな」
「あの人な、船に乗る前は、卵の匂いが駄目でな。よう残しよった」
「せやから、最初の一巻きだけ、わざと生ぬるいとこで焼いたんよ。甘うなるから」
「そしたら、それだけは食べるようになって」
「そのうち、ぜんぶ食べるようになって」
「ほんで、最後に食べたのも、それやった」
おかみさんは、それだけ言って、また鍋に向かいました。
「唐揚げはな、あの人が卵を残しよった頃に、かわりに出しとったもんよ」
あの日、唐揚げを包んでくれた理由が、ようやくわかりました。
卵が食べられない子のために、五十年前と同じことをしていたのです。
※
手のふるえと、任せるという言葉
おかみさんが「任せる」と言った本当の意味も、そのとき腑に落ちました。
手がふるえると、いちばん先に難しくなるのは、持ち替えです。
右から左へ、菜箸を空中で渡す。あの一瞬に、指の力が要ります。
焼くことができなくなったのではありません。
あの人の手つきを、続けられなくなったのです。
それを誰にも言わずに、おかみさんは私に鍋を譲りました。
「あんたのだし巻きは、あんたの焼き方でええんよ」
ある日、そう言われました。
「うちのは、うちの分や。真似せんでええ」
私は、その言葉に、素直にうなずけませんでした。
教わらなかったものを、それでも受け継ぎたいと思ってしまったのです。
それからしばらく、私は開店前の厨房で、一巻き目だけを何度も焼きました。
右から左へ、菜箸を持ち替える。
最初の十本は、みごとに崩れました。
左手は、卵の重さを知らないのです。
三十本目くらいで、ようやく形になりました。
色の薄い、やわらかい、頼りない一切れができました。
それを賄いの皿に載せて、おかみさんの前に置きました。
おかみさんは、しばらくそれを見ていました。
それから、端の一切れを箸で持ち上げて、口に運びました。
何も言いませんでした。
ただ、目のふちを、割烹着の袖でひとつ、押さえました。
※
一巻き目を、私が持ち替える日
おかみさんの手のふるえは、今も少しずつ進んでいます。
いつか、この店に立てなくなる日が来ることも、うすうすわかっています。
それでも、今朝も二人で暖簾を出しました。
正一さんは相変わらず、焼き魚定食にだし巻きを一切れ足します。
「今日のは、ええ焼けやな」
そう言って、いちばん端の一切れから箸をつけます。
私が一巻き目で菜箸を持ち替えるのを、正一さんは、もう何も言わずに見ています。
先月から、市場の若い子が、週に二日だけ手伝いに来るようになりました。
その子に、一度だけ訊かれました。
「なんで、最初だけ持ち替えるんですか」
私は、こう答えました。
「これは、あとで自分で見つけるものやから」
おかみさんが私にしたのと、同じことをしていました。
祖母の惣菜屋にあった湯気のあたたかさを、私は今、自分の手で作っています。
誰かのために手を動かして、その人が「おいしい」と笑ってくれる。
それ以上に幸せなことを、私はまだ知りません。
けれど、幸せというのは、たぶん、そのもう一段だけ奥にもあります。
自分がいなくなったあとも、誰かの手が同じ形を作っていること。
おかみさんが五十年かけて守ってきたのは、そちらのほうだった気がするのです。
今日も、卵を四つ割ります。
鍋がまだ生ぬるいうちに、最初のひとすくいを落とします。
右手から、左手へ。
その一瞬だけ、この小さな厨房に、会ったことのない人の手が重なります。
季節の食卓と家族の記憶については、母の肉じゃがにも書かれています。手仕事を継ぐということについては、手作りのアルバムもあわせてお読みいただけたら幸いです。