手縫いのタスキを渡された朝

マラソン

「四区は、俺の区間や」

親父は、駅伝ごっこのたびに、そう言って俺の肩に手縫いのタスキをかけた。

俺は、その意味を、親父がいなくなってから知った。

小さなころ、親父と一緒に、街中をよく走った。

群馬の山あいの、田舎の町だ。

交通量は少なく、朝の空気は、晴れた日には喉の奥まで冷たかった。

親父は、若いころ、箱根駅伝に出た経験がある。

四区を走ったと、お袋から聞いた。

親父自身は、そのことを、自分から話す人ではなかった。

無口な人だった。

町役場に勤め、家では新聞と野球中継しか見なかった。

それが、走っているときだけは、違った。

走っている時だけは、親父は俺にたくさん話しかけてくれた。

「腕は、肩から振れ」

「上り坂は、前を見るな。足元を見ろ」

「下りは、怖がるな。怖がると、転ぶ」

息を切らしながら言うから、言葉は短い。

短い言葉を、俺は全部覚えている。

霜の降りた朝は、親父の息が、白く長く伸びた。

俺は、その白い息を追いかけて走った。

隣の家の犬が、毎朝、同じ場所で吠えた。

「あいつも、走りたいんや」

親父は、犬に向かって、片手を上げた。

鳥居の下で折り返すとき、親父は必ず、賽銭箱に十円を入れた。

「走らせてもらっとるからな」

帰りは、歩いた。

歩きながら、親父は、自動販売機で牛乳を二本買った。

一本は俺で、一本は親父だった。

牛乳は、冷たくて、喉の奥まで落ちた。

それが、俺の知っている、一番古い親父の姿だ。

お袋は、玄関で、俺たちの帰りを待っていた。

「今日は、どっちが速かった」

「俺」

親父は、黙って、靴を脱いだ。

わざと負けていたことを、俺は、十年後に知った。

箱根を走った男が、五つの子どもに、本気で負けるはずがない。

それでも親父は、毎朝、息を切らして、坂を上ってきた。

俺の背中が、見える距離を、ずっと保ちながら。

普段はちょっと怖かった親父も、その時ばかりは好きだった。

お袋は、裁縫が得意な人だった。

俺が五つのとき、お袋が、タスキを縫ってくれた。

親父の古い練習着を、裂いて縫い直したものだ。

色は、褪せた紺だった。

その手縫いのタスキで、俺と親父は、駅伝ごっこをした。

家の前の坂を上って、神社の鳥居で折り返す。

親父が一区で、俺が四区。

二区と三区は、いない。

いないのに、親父は、鳥居の下で律儀にタスキを外し、俺の肩にかけた。

外すときは、両手だった。

かけるときも、両手だった。

「はい、四区」

そう言って、俺の背中を、軽く押した。

押された勢いで、俺は坂を駆け下りた。

振り返ると、親父は、鳥居の下で、腕を組んで立っていた。

「四区は、俺の区間や」

「なんで」

「一番、しんどいからや」

俺は、それを、親父の照れ隠しだと思っていた。

四区が親父の区間だったのは知っている。

だから、自分の区間を息子に走らせて、楽しんでいるのだと思っていた。

それだけだと、三十年、思っていた。

お袋が縫ったタスキ

中学に入ると、俺は陸上部に入った。

長距離だった。

親父は、何も言わなかった。

言わなかったが、翌日から、朝の走りに、ストップウォッチを持ってきた。

俺の成績は、良かった。

一年の秋には、県の大会に出た。

親父は、いつも応援に来た。

役場を休んで、来た。

スタンドの一番端で、腕を組んで、黙って立っていた。

声は、出さない。

ゴールすると、腕組みを解いて、一度だけ、拳を握った。

それだけだった。

県大会の三千メートルで、俺は八位に入った。

表彰台には届かなかった。

それでも、スタンドの端で、拳が握られた。

帰りの車で、親父は、一言だけ言った。

「ラスト、腕が落ちとった」

褒め言葉だと、わかるようになったのは、ずっと後だ。

親父は、褒めない代わりに、俺の走った距離を、手帳に書いていた。

日付と、距離と、タイム。

その手帳を、俺は、親父がいなくなるまで、見たことがなかった。

家に帰ると、親父は酒を飲んだ。

普段は飲まない人が、俺が記録を更新した日だけ、飲んだ。

飲むと、少しだけ、口が軽くなった。

「お前と一緒に箱根を走りたかったな」

親父は、いつもそう言った。

「俺が走るときは、もう親父、走れんやろ」

「そうやな」

「じゃあ、無理やん」

「無理やな」

親父は、笑って、湯呑みの酒を飲んだ。

お袋は、台所で、その会話を聞いていた。

聞きながら、針を動かしていた。

手縫いのタスキは、俺が中学に上がるとき、お袋がほどいて縫い直した。

五つのときのタスキは、もう、短かった。

「大きくなったね」

お袋は、縫い終わったタスキを、俺の肩にかけて、長さを見た。

「親父の練習着、まだ残ってたん」

「これで、最後。もう、布がないわ」

お袋は、縫い目を、俺に見せた。

「裏は、二重にしといたから。破れんように」

裏地は、表より、少し厚かった。

俺は、裏地を気にしたことは、一度もなかった。

タスキは、表を見るものだと思っていた。

親父は、縫い直されたタスキを、手に取って、しばらく見ていた。

裏を、返して。

「ええ出来や」

それだけ言って、お袋に返した。

お袋は、何も言わずに、頷いた。

二人のあいだで、何かが決まったような顔だった。

俺は、それを、タスキの出来の話だと思っていた。

最後の布で縫ったタスキは、部屋の壁にかけた。

大会には、学校のタスキを使う。

手縫いのタスキは、親父との朝の走りにしか、使わなかった。

中二の冬、親父が、朝の走りに来なくなった。

役場の仕事が、忙しいのだと言った。

俺は、一人で走った。

一人で走る坂は、長かった。

鳥居の下で、タスキを外しても、かける肩がなかった。

俺は、タスキを自分の肩にかけ直して、四区を走った。

親父がいないと、四区は、ただの坂だった。

親父が来なくなった理由を、俺は、ずっと後で、お袋から聞いた。

「お父さん、あんたに、ついていけんようになったんよ」

「役場が忙しいって」

「そう言うしかなかったんやろ」

親父は、俺より先に、走れなくなっていた。

俺は、それに気づかなかった。

うるせえ出て行けよ

高校でも、陸上を続けた。

続けたが、成績は伸びなかった。

一年の冬から、タイムが、止まった。

止まったまま、二年の夏が来た。

勉強にも、ついていけなかった。

朝、走って、昼、眠って、夜、机に向かって、何も入ってこない。

日々、イライラしていた。

同級生は、進路を決め始めていた。

俺には、陸上しかなかった。

その陸上が、止まっていた。

模試の判定は、どの大学も、届かなかった。

走っても、勉強しても、数字が、動かなかった。

親父は、陸上のことばかり気にした。

「タイムは」

「今日は、どこまで走った」

「フォームが崩れとるんやないか」

夕食のたびに、それだった。

俺には、それが鬱陶しかった。

反抗期だったのかもしれない。

今思えば、それだけではなかった。

親父の期待の重さが、タスキと同じ重さで、肩に乗っていた。

二年の秋のレースで、俺は、過去最悪のタイムを出した。

最後の一キロで、足が止まった。

止まった足を、スタンドの一番端から、親父が見ていた。

拳は、握られなかった。

家に帰ると、俺は、部屋に閉じこもった。

壁の手縫いのタスキを、見ないように、机に向かった。

親父が、部屋に入ってきた。

ノックは、なかった。

「今日のは」

「見てたやろ」

「見とった。最後、腕が落ちとった」

「わかっとる」

「肩から振れ、言うとるやろ」

その瞬間、俺の中で、何かが切れた。

「うるせえ! 出て行けよ!!」

自分でも、驚くほどの声だった。

親父は、立ったまま、俺を見ていた。

何も言わなかった。

言わずに、部屋を出て、襖を閉めた。

閉める音が、小さかった。

その夜、窓から、庭を見た。

親父が、一人で、庭に立っていた。

街灯の下で、腕を、肩から振っていた。

ゆっくりと、何度も。

誰に見せるでもない、フォームの確認だった。

俺は、カーテンを閉めた。

閉めたことを、今も悔いている。

俺は、その小さな音を、今も忘れられない。

怒鳴り返されたほうが、楽だった。

その後、俺は陸上部を退部した。

走ることも、やめた。

壁のタスキは、机の引き出しの奥に、押し込んだ。

親父とは、口をきかなくなった。

親父も、何も言わなかった。

食卓で、新聞を広げ、野球中継を見て、寝た。

俺が走ることをやめたことを、親父がどう思ったのか、聞かなかった。

聞かないまま、高校を出て、俺は町を出た。

東京で、就職した。

走らない生活は、楽だった。

楽で、空っぽだった。

通勤の駅の階段を、俺は、一段ずつ上った。

二段飛ばしで駆け上がる若い社員を、後ろから見ていた。

腕を、肩から振っている奴は、一人もいなかった。

俺も、振らなかった。

振らない腕は、重かった。

正月には、帰らなかった。

テレビで、箱根駅伝だけは、見た。

四区の中継のとき、俺は、チャンネルを変えた。

変えてから、戻した。

戻してから、また変えた。

それを、八年、繰り返した。

お袋からの年賀状には、毎年、同じ一行があった。

「お父さんは、今年も四区を見ています」

俺は、返事を書かなかった。

書けなかった。

息子が教えてくれたという話を、だいぶ後になって読んだ。

親が子に教えたつもりのことを、子が親に返す話だった。

俺は、親父に、何も返していなかった。

走ってきたのか

親父が倒れたのは、俺が二十六の春だった。

お袋からの電話だった。

「お父さん、入院したんよ」

「どこが」

「胃。もう、だいぶ悪いって」

末期の病だった。

医師は、半年、と言ったという。

俺は、電話を切ったあと、しばらく、玄関に立っていた。

親父とのわだかまりを、解消できずにいた。

八年、口をきいていなかった。

今さら、何を言えばいいのか、わからなかった。

わからないまま、二か月が過ぎた。

お袋は、週に一度、電話をくれた。

「食欲はあるよ」

「今日は、庭を見とった」

「あんたのことは、聞かんよ。でも、新聞の駅伝の記事、切り抜いとる」

俺は、「そうか」としか言えなかった。

東京の仕事を言い訳にして、帰らなかった。

ある朝、お袋から、また電話があった。

「お父さんね、昨日の夜、変なこと言うんよ」

「何」

「亮が、走ってくるかもしれんから、窓を開けとけって」

俺は、何も言えなかった。

「病院の窓なんか、開かんのに」

お袋は、笑っていた。

笑っている声が、泣いていた。

俺は、その日のうちに、新幹線に乗った。

駅から病院までは、バスで二十分だった。

バスは、来なかった。

俺は、走った。

八年ぶりに、走った。

最初の百メートルで、脇腹が痛んだ。

二百メートルで、革靴の踵が擦れた。

三百メートルで、八年分の体が、重く沈んだ。

それでも、坂の手前で、足元を見た。

親父の言葉が、勝手に、足を動かしていた。

スーツで、革靴で、駅から病院までの坂を、走った。

腕は、肩から振った。

上り坂では、足元を見た。

息が切れて、肺が焼けた。

それでも、足は、止まらなかった。

病院の自動ドアを、走って入った。

病室に着いたとき、俺は、汗で濡れていた。

親父は、ベッドで、やせていた。

八年で、親父は、小さくなっていた。

俺を見て、親父は、ゆっくりと目を開けた。

「走ってきたのか」

小さな声だった。

「バスが、来んかった」

「そうか」

親父は、枕の横から、何かを取り出した。

手縫いのタスキだった。

俺が引き出しの奥に押し込んだ、あのタスキだった。

色は、もっと褪せて、ぼろぼろだった。

「お袋が、持ってきた」

親父は、タスキを、俺のほうに差し出した。

手が、震えていた。

俺は、受け取った。

「走るのは、楽しいだろ」

親父は、笑っていた。

やせた顔で、笑っていた。

俺は、何も言えなかった。

言えないまま、頷いた。

頷いた拍子に、汗が、タスキの上に落ちた。

「四区は」

親父は、そこまで言って、目を閉じた。

続きは、なかった。

俺は、その日から、実家に泊まった。

毎朝、家の前の坂を走った。

鳥居の下で、賽銭箱に十円を入れた。

走ったあと、病院へ行った。

親父は、日ごとに、言葉が減った。

それでも、俺が病室に入ると、必ず、窓のほうを見た。

「窓、開かんよ」

お袋が言うと、親父は、少しだけ笑った。

俺は、汗の匂いのまま、ベッドの横に座った。

親父は、鼻で、小さく息を吸った。

匂いで、走ってきたとわかる人だった。

最後の日の朝、俺は、鳥居の下で、タスキを外した。

かける肩は、なかった。

自分の肩にかけ直して、坂を駆け下りた。

病院に着くと、親父は、もう、目を開けなかった。

俺は、汗の匂いのまま、親父の手を握った。

親父の指が、俺の手の甲を、一度、押した。

背中を押すときと、同じ強さだった。

親父が旅立ったのは、その十日後だった。

手縫いのタスキの裏

葬儀が終わって、実家の部屋に戻った。

机の上に、タスキを置いた。

置いて、しばらく、見ていた。

ぼろくさいタスキだった。

縫い目が、ところどころ、ほつれていた。

俺は、ほつれた縫い目を、指でなぞった。

なぞっていて、気づいた。

裏地の、端のほうに、何かが書いてあった。

油性のペンで、小さく。

お袋の字ではなかった。

親父の、角ばった字だった。

「四区 亮」

その横に、年が書いてあった。

俺が生まれた年だった。

俺は、タスキを、裏返したまま、動けなかった。

このタスキは、お袋が最後の布で縫い直したものだ。

中学に上がる年に。

その前のタスキは、俺が五つのときに縫われた。

親父の練習着を裂いて。

その練習着に、親父は、俺が生まれた年に、書いていた。

四区、亮、と。

俺が走れるようになるより、ずっと前に。

一番、しんどいからや。

親父は、そう言っていた。

一番しんどい区間を、親父は、自分の区間だと言った。

言いながら、ずっと、俺にかけていた。

親父は、俺が生まれた年に、もう四区を俺に譲っていた。

一番しんどい区間を、生まれたばかりの息子に。

「四区は、俺の区間や」

そう言って、俺の肩にかけ続けた理由が、そこにあった。

俺は、タスキを抱えて、泣いた。

お袋が、親父の手帳を、持ってきた。

最初のページに、俺の生まれた日があった。

その横に、「四区」と、一言。

距離もタイムも、まだ、何もない。

ただ、区間だけが、決まっていた。

その下に、小さく、鉛筆の字があった。

「追いつかれるまで、走る」

親父は、その通りにした。

中二の冬まで、親父は、走った。

親父との思い出、親父の夢、鳥居の下の小さな手が、全部、一度に来た。

お袋が、襖の向こうから、「見つけたんね」と言った。

「知っとったん」

「縫い直すとき、見た。残すように縫ったんよ」

裏を二重にしたのは、破れんようにではなかった。

字を、守るためだった。

お袋は、それを、十四年、黙っていた。

俺は、翌朝、タスキを肩にかけて、家の前の坂を走った。

鳥居の下で、タスキを外した。

かける肩は、なかった。

俺は、自分の肩にかけ直して、四区を走った。

今、俺には、息子がいる。

三つになる。

ハイどーぞの石が二つ並んだ日の話のように、親が子に渡すものは、渡した本人が思うより、ずっと前から用意されている。

親父と走ったあの道を、今は、息子を連れて走る。

鳥居の下で、俺は、手縫いのタスキを息子の肩にかける。

「四区は、俺の区間や」

息子は、意味もわからず、笑って坂を駆け下りる。

いつか、このタスキの裏を、息子が見つける日が来る。

その日まで、俺は、四区を走り続ける。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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