自衛隊の誇り

公民館の椅子は硬かった

弟の座っていた椅子が、ぎい、と鳴ったのを覚えています。

八代の公民館の、背もたれのない折り畳みの椅子です。

六月の終わりで、扇風機が一台だけ首を振っていました。

その年、市の主催で「地域の安全を考える集い」という会がありました。

前の年の豪雨で球磨川の支流が溢れ、私たちの集落が三日水に浸かった。

その後始末に来た部隊の話を聞きたい、という趣旨だったはずです。

弟は制服で来ていました。

私は作業ズボンのまま、いちばん後ろに座っていました。

刈り取りの最中で、本当は来られる日ではありませんでした。

けれど、母が「行ってやれ」と言ったのです。

会が半分ほど進んだところで、前のほうの席から手が挙がりました。

六十くらいの男の人でした。

「自衛隊は無くすべきだと思いますが、隊員の方はどう思われますか」

空気が、少し固くなりました。

司会の職員が何か言いかけて、やめました。

同じ人が続けました。

「自衛隊があるから緊張が生まれる。憲法違反です。どう思われますか」

私は椅子の上で、拳を握っていました。

この会は何のために開かれたのか、と思いました。

弟は、すぐには答えませんでした。

マイクを持ったまま、五秒か六秒、黙っていました。

その沈黙のあいだ、私は弟の指を見ていました。

爪の際に、まだ泥の色が残っていました。

実家の手伝いで、前の週に泥染めをやったからです。

い草の家に生まれて

私の家は、八代でい草を作っています。

祖父の代からですから、私で三代目になります。

い草の年は、冬に苗を植えるところから始まります。

水を張った田で育てて、六月の終わりから七月にかけて刈る。

刈り取りは夜中の二時から始めます。

日が高くなると草が痛むので、涼しいうちに刈ってしまう。

刈ったい草は、その日のうちに泥に染めます。

天然染土という白い粘土を水に溶いて、束のまま浸ける。

そうすると色が落ち着いて、乾いたときに緑が長持ちします。

泥の桶に腕を入れると、指先が見えなくなります。

あの感じは、何年やっても慣れません。

自分の指が水の中で消えて、束の重さだけが手に残る。

引き上げて、乾燥室に入れて、そこからやっと選別です。

い草は一本ずつ長さが違います。

長いものは上等の畳表になり、短いものは値がつかない。

だから刈った束を、長さごとに分けていきます。

その作業に使うのが、振るい板と呼ぶ木の枠です。

斜めに立てた板に目盛りが切ってあって、束を当てて滑らせると、届かないものだけが下へ落ちる。

落ちたぶんは短い側の山になります。

残ったぶんは長い側の山になります。

単純な道具です。

うちで長いこと使っていたのは、弟が中学の技術の時間に作ったものでした。

水に浸かった三日

前の年の七月、集落が水に浸かりました。

支流の堤が切れて、田も家もいっぺんに泥の下です。

刈り取りの終わったばかりの束が、乾燥室ごとやられました。

水が引いたあと、いちばん困ったのは泥ではなく匂いでした。

い草は水を吸うと、独特の甘い腐り方をします。

あの匂いは、いまでも思い出すと喉の奥が閉じます。

父は畳の上に座り込んで、二日間、何もしませんでした。

母は長靴のまま、土間の泥を掻き出していました。

三日目の朝に、部隊が来ました。

うちの集落に入ったのは十人ほどだったと思います。

弟はその中にはいませんでした。

別の地区に出ていたそうです。

隊員の一人が、乾燥室の中を見て言いました。

「これは、まだ使えます」

私は使えないと思っていました。

その人は、束の外側を三本ほど抜いて、中の色を見せてくれました。

外は変色していても、中はまだ青かった。

その日、十人が三時間かけて、外側の傷んだぶんだけを剥がしてくれました。

剥がしたぶんは短くなります。

等級は落ちます。

それでも、売り物になりました。

誰も、感謝の言葉を待つような顔をしていませんでした。

昼に母が握り飯を出そうとして、断られていました。

父はそれをずっと見ていて、夜になってから一言だけ言いました。

「あれは、うちの下の子と同じ顔ばしとる」

目盛りが一つ、内側にずれていた

弟が作った振るい板は、目盛りが一つだけ、内側にずれていました。

正確には、一寸ほど手前に切ってあった。

だからうちの振るいは、他所より短めのところで切れます。

父はそれを見て笑いました。

「おまえは手が雑か」

弟は「はい」と言っただけでした。

直そうという話も出ましたが、結局そのまま使い続けました。

農家の道具は、いったん体が覚えると、正しいかどうかより慣れが勝ちます。

私も二十年、その板で選別してきました。

弟は高校を出て、自衛隊に入りました。

駐屯地は県内でしたが、盆と正月しか帰ってきません。

帰ってくると、必ず乾燥室に顔を出しました。

制服を脱いで、シャツ一枚で束を担ぐ。

そして、いつも短いほうの山を持っていきました。

短いい草は、畳縁の下に隠れる部分に使うか、そうでなければ売り物になりません。

選り分けて、傷んだものを抜いて、使えるぶんだけ拾う。

手間のわりに、金にならない仕事です。

「そっちは俺がやるけん」

毎回そう言うので、私は毎回、任せていました。

休みに帰ってきてまで、なんでそんな仕事を選ぶのか。

不器用な奴だと思っていました。

そういう人たちも守るのが

公民館の話に戻ります。

弟は、六秒ほど黙ったあとで、マイクをすこし持ち直しました。

そして、こう答えました。

「そういうことを言われる方も守るのが、自衛隊です」

それだけでした。

反論もしませんでしたし、説明も足しませんでした。

会場は静かでした。

手を挙げた男の人は、何か言いかけて、座り直しました。

私は、この会のどちらが正しいかを書きたいわけではありません。

そういうことは、私のような者が決められる話ではないと思っています。

ただ、あのときの弟の声の低さだけが、耳に残りました。

怒っている声ではありませんでした。

勝とうとしている声でもありませんでした。

ずっと前から用意してあった答えを、そのまま出したような声でした。

会が終わって、駐車場で少しだけ話しました。

「よう言うたな」

「あぎゃん言うしかなかろが」

弟はそれだけ言って、軽トラの荷台に手をついていました。

荷台には、その日の朝に刈ったい草が積んでありました。

弟は束の上を手のひらで撫でて、匂いを嗅いでいました。

農協の園田さんが言ったこと

その秋、農協の園田さんが集荷に来ました。

四十年、この地区の等級を見てきた人です。

うちの畳表の等級は、ここ十数年ほとんど落ちていません。

小さい農家にしては、珍しいことなのだそうです。

そのとき園田さんが、振るい板を見て言いました。

「これ、わざとやろ」

私は意味が分かりませんでした。

園田さんは目盛りに指を当てて、続けました。

「一寸手前で切っとるけん、微妙な長さのやつは全部、短いほうに落ちるやろ」

そうです、と答えました。

そこが雑なんです、と。

園田さんは首を振りました。

「逆たい。短いほうに落としとけば、長いほうの山に、混ざりもんが入らん」

等級が落ちるのは、長い山に短いのが一本混じったときです。

だから最初から厳しく落としておけば、上の山は必ず揃う。

かわりに、短い山の量が増えます。

その山を、誰かが手で選り直さないといけない。

ずれた一寸のぶんだけ、短いい草が弟の側へ落ちる仕組みでした。

弟は、はじめから、自分が損をする側に立っていたのです。

中学二年の技術の時間から、ずっとです。

私は乾燥室の柱にもたれて、しばらく動けませんでした。

技術室の後ろの席

園田さんの話を聞いたあと、弟の同級生に会う機会がありました。

いまは市内で自動車の整備工場をやっている男です。

中学の技術の時間、弟の隣の席だったと言いました。

振るい板の話をすると、その男は妙な顔をしました。

「あいつ、あれ、三回作り直しとったよ」

私は初めて聞きました。

最初のは目盛りが正確だったのだそうです。

先生に見せて、合格をもらっていた。

それを弟は、家に持ち帰る前にもう一度作り直した。

三つ目でようやく提出した。

「なんでか訊いたら、家で使うけん、って言うとった」

家で使うから、正確でないほうがいい。

十四の子が、そう考えたということです。

その男は工具箱の蓋を閉めながら、続けました。

「あいつ、成績よかったばい。技術も五やった」

父が「手が雑か」と笑ったとき、弟は「はい」と答えました。

訂正しませんでした。

説明すれば、短い山を誰かに譲らなければならなくなる。

弟は、それが嫌だったのだと思います。

整備工場を出たあと、私はしばらく車を出せませんでした。

ハンドルに手を置いたまま、二十年ぶんの短い山のことを考えていました。

弟が家を出た年

その晩、母に訊きました。

弟が自衛隊を選んだのは、水害の年に部隊が来たからだと思っていました。

私はずっと、そう人に説明してきました。

母は湯呑みを両手で包んで、しばらく黙っていました。

それから、こう言いました。

「あんたが高校辞めた年の冬に、もう決めとったよ」

私は高校二年で学校を辞めています。

父が腰をやって、刈り取りの人手が足りなくなった年です。

辞めると言ったとき、家では誰も止めませんでした。

止められなかったのだと、いまなら分かります。

その冬、弟は母に、進路の紙を見せたそうです。

公務員の欄に印がついていた。

理由は書いていなかった。

母は一度だけ訊いたそうです。

なんで家に残らんとね、と。

弟は、こう答えたそうです。

「兄ちゃんが残ったけん、俺は要らんとやろ」

要らないと言われたわけではありません。

誰もそんなことは言っていない。

けれど弟は、家の飯の数を、自分で一つ減らしたのです。

長いほうの山に、自分は入らないと決めていた。

あの振るい板と、同じことをしていました。

母の指と、父の腰

母の指は、両手とも第一関節が太くなっています。

い草の選別を四十年やると、そうなるのだそうです。

冬になると、指の腹が縦に割れます。

絆創膏を巻くと束が滑るので、母は巻きません。

かわりに、寝る前に蝋のような軟膏を塗って、綿の手袋をして寝ます。

その手袋を、私は子どもの頃から見ていました。

弟も見ていたはずです。

父の腰は、私が高校を辞めた年に壊れました。

刈り取り機を担いだまま、田の中で動けなくなったのです。

三時間、誰も気づきませんでした。

夜中の田は、隣の畝でも人が見えません。

見つけたのは弟でした。

当時、中学三年です。

父を背負って上がったと、あとで母から聞きました。

父は九十キロ近くありました。

弟はそのとき、何も言わなかったそうです。

翌朝、いつもどおり学校へ行ったと。

私が高校を辞めると言ったのは、その二か月後です。

辞めると決めたのは私でしたが、決めさせたのは、あの夜の田だったのだと思います。

そして弟も、同じ夜に、別の決め方をしていた。

兄弟というのは、同じ場所で違うものを見ています。

泥の匂いのする制服

翌年の春、弟が久しぶりに三日の休みで帰ってきました。

私は乾燥室で、短い山の前に立って待っていました。

「今年は、こっちは俺がやる」

そう言うと、弟は少し困った顔をしました。

「なんね、急に」

「園田さんに聞いた」

それだけで通じたようでした。

弟は何も言わずに、長いほうの山の前に立ちました。

二人で、それぞれの山を選りました。

長い山は早く終わります。

短い山は、日が暮れても終わりません。

弟は自分の作業が終わったあと、黙って私の隣に来ました。

結局、二人で短い山をやりました。

「兄ちゃん、遅か」

「二十年、おまえに任せとったけんな」

弟が声を出して笑ったのを、たぶん十年ぶりに聞きました。

乾燥室は暑くて、二人とも汗だくでした。

泥染めの匂いは、汗と混ざると土の匂いになります。

公民館で嗅いだのと、同じ匂いでした。

スーパーの駐車場で

去年の冬、市内のスーパーの駐車場で、あの人に会いました。

公民館で手を挙げた、六十くらいの男の人です。

向こうが先に気づいて、会釈をしてきました。

私は畳表の束を軽トラに積んでいるところでした。

その人は、しばらく黙って束を見ていました。

それから、こう言いました。

「あのときは、失礼なことを言いました」

私は何と答えていいか分かりませんでした。

その人は続けました。

「わたしの父は、戦争で兄をなくしとります」

「だけん、ああいう会があると、どうしても口が出る」

そういう理由があったのだ、と初めて知りました。

正しいか正しくないかの話ではなかった。

その人にも、譲れない山があったというだけのことです。

私は「弟に伝えます」とだけ言いました。

その人は頭を下げて、買い物袋を提げて行きました。

軽トラのドアを閉めてから、私は気づきました。

弟の答えは、あの人を言い負かすためのものではなかった。

あの人ごと引き受ける、という意味だったのです。

だから六秒、黙っていたのだと思います。

守るという言葉について

あれから何年も経ちました。

弟はいまも部隊にいます。

私はいまも、同じ振るい板を使っています。

目盛りは直していません。

直したら、うちの畳表は少しだけ楽になって、少しだけ落ちるでしょう。

公民館での答えを、私はいまでも時々思い出します。

あのとき弟が言ったことの中身を、私は長いあいだ、立派な台詞として覚えていました。

いまは少し違う覚え方をしています。

守るというのは、誰かの側に立つことではないのだと思います。

自分が短いほうの山を持つ、というだけのことです。

それを二十年、一度も言わずにやる人がいる。

私はその人の兄です。

刈り取りの夜は、いまも二時に起きます。

田に入ると、水がまだ夜の温度をしています。

弟が帰ってくる盆までに、今年も短い山を作っておくつもりです。

去年から、選別の途中で手を止める癖がつきました。

落ちていくい草を、一本だけ拾って、長さを見る。

あと一寸あれば上の山に入ったはずのものです。

その一本を短い山に置くたびに、私は弟の顔を思い出します。

父はもう田に入れませんが、乾燥室の椅子には毎日座っています。

何もしないで、束の匂いを嗅いでいるだけです。

先月、その父が急に言いました。

「あん振るい、ようできとるばい」

二十年前に「手が雑か」と笑った人と、同じ人の言葉です。

私は「そうやね」とだけ答えました。

父が気づいたのがいつだったのか、訊いていません。

たぶん、ずっと前から知っていたのだと思います。

知っていて、言わないでいた。

この家は、そういうふうにできています。

弟に、園田さんの話をしたことはまだありません。

言えば、あれは偶然だと言うに決まっています。

だから言いません。

かわりに、盆に帰ってきたら、短い山の前に二つ椅子を置いておくつもりです。

一つは弟の。

もう一つは、私の。

書き終えて

身内の本当の気持ちが、道具や癖の形で何年も遅れて届く。

そういう話ばかりを、私はこの土地で聞いてきました。

兄の側から見た沈黙の話として兄の口笛と踵だけ減った靴を、頭を下げるという行為の重さの話として息子の「ありがとうございました」を、あわせて置いておきます。

泣ける話・感動する実話まとめ|ラクリマ

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