一身独立

公開日: 仕事 | 心温まる話

太陽(フリー写真)

私が小さな建築関係のメーカーの担当営業をしていた頃の話です。

私の担当区域には、小さな個人商店がありました。

先代の社長を亡くし、若くして社長になった社長には二人の男の子が居ました。

経営は苦しく、競合犇めく地域で経験の無さも手伝い、大手にお客さんを持って行かれ、見ているのも悲惨な状況の中で必死に頑張る社長の姿がありました。

苦しい経営の割には支払いは良く、無理も言わず、若い私にも優しくしてくれました。

「一緒に成長しような」

と、いつだって前向きな社長が私も大好きで、いつもそこにお邪魔しては商売の話やガンダムの話に花を咲かせていました。

私の会社には特別な得意先に配る野球券(東京ドーム)があり、先代の社長が健在で売り上げが好調だった時には、偶に配ったりもしていました。

しかし担当営業に配分される年間シート割り当ては、昨今の不況で大幅に減り、貴重な営業ツールとなっていました。

ある日、社長が

「○○君、頼みがあるんだけど…」

と私に切り出して来て、

「来月、隼人の誕生日なんだけどな…。野球好きなんだよな。

この売り上げじゃもらえないと思うんだけど…頼む!」

と珍しく我儘を言って来る社長の言葉に断り切れず、野球券をあげました。

しかし社長はその月に事故で亡くなり、野球券は仏壇に飾られることになりました。

棺桶の隣に楽しみにしていた野球券がそっと置かれているのを見た時は、涙が止まりませんでした。

数ヶ月後、会社は倒産しました。

それから8年後、私は分不相応にも営業3課長の任を受けました。

そして二次面接の面接官をしていた時、懐かしい声が聞こえました。

「○○大学の○○隼人です。よろしくお願いします」

私には彼が誰かすぐに解りました。あまりに声がそっくりだったのです。

私は彼に一つだけ質問をしました。

「将来の夢は何ですか?」

そしたら、面接で言わなくて良いことを堂々と言うのです。

「独立して会社を興すことです。父を超えたいんです」

私は隣に居た人事部長に言いました。

「僕が預かります…」

彼は今年、営業戦略拡販商品のトップセールスに選ばれることになりました。

会社を辞めて独立したいと言った時は、もう止める気はありません。

関連記事

虹

天からの手紙

妊娠と同時に、夫の癌が発覚しました。彼は子供の顔を一目見るまで頑張ると決心していましたが、残念ながら間に合いませんでした。夫が亡くなってからは、私一人で息子を育てています。息子は本当…

教室

見落とされた優しさ

私は昔から何事にも無関心で無愛想でした。友達は少なく、恋愛経験もほとんどありませんでした。偽りの笑顔やうそをついて生きる日々は、いじめの対象になることもありました。 中学1年の…

夕日(フリー写真)

戦時中のパラオにて

遠い南の島に、日本の歌を歌う老人が居た。 「あそこでみんな、死んで行ったんだ…」 沖に浮かぶ島を指差しながら、老人は呟いた。 ※ 太平洋戦争の時、その島には日本軍が進駐…

野球

懐かしの大声援

実家の母親は一人暮らしです。父親は健在ですが、6年前から施設に入っています。そのため、2年前に実家近くに家を買いました。しかし、私は県外で単身赴任中のため、私の家族が実家を頻繁に訪れ…

味噌焼きおにぎり(フリー写真)

祖母の味噌焼きおにぎり

僕には祖母がいる。 祖父は僕が生まれる前に亡くなった。 だから、祖母は大変だったらしい。 祖父は保険に入っておらず、残されたのは煙草畑と田んぼと仔牛くらいだった。 …

青い花(フリー写真)

良い香りに包まれる

小さい頃から、寂しかったり悲しかったり困ったりすると、何だか良い香りに包まれるような気がしていた。 場所や季節が違っても、大勢の中に居る時も一人きりで居る時もいつも同じ香りだから…

道場(フリー写真)

強い意志

半年程前に「強くなりたい」と相撲道場に入部して来た子。 はっきり言って運動神経も無く、体もひ弱です。 あまりここに書くのも憚られますが、とても切ない過去を持つ子供なんです。…

花束

深く、不器用な愛情

私は先天性の障害を持つ足で生まれました。 幼い私が、治療で下半身がギプスに覆われた時のことです。 痛みで泣き叫んだ夜、疲れ果てて眠った私を見て、強がりの父が涙を流していま…

おばあちゃんの手(フリー写真)

祖母から孫への想い

俺は母とおばあちゃんの三人で暮らしている。 母と親父は離婚していない。 パチンコなどのギャンブルで借金を作る駄目な親父だった。 母子家庭というのはやはり経済的に苦しく…

カップル

変わらずそばに

事故に遭い、足が不自由になってしまいました。車椅子がなければ外に出ることも、トイレに行くこともままなりません。多くの友人が去っていきましたが、彼だけは事故前から変わらずにそばにいてく…