
二十二時半の食卓
あの夜の引退試合のことを、私は今でも、洗濯機の前で思い出します。大阪の藤井寺に住む、ごく普通の家の話です。
息子は高校三年生で、野球部に入って三年になりました。背番号は十七番で、試合で守備につく機会はほとんどありません。
それでも彼は、誰よりも早く朝のグラウンドに出ていく子でした。私が目を覚ます前に家を出て、帰ってくるのは決まって夜です。
毎朝、私は弁当箱を二つ詰めていました。ひとつは昼の分、もうひとつは練習の合間に食べる、大きなおにぎりの分です。
ご飯を握る手のひらが熱いのを、息子は知らないままだったと思います。それでも空になった弁当箱は、いつも洗い桶の中に、きちんと重ねて置かれていました。
息子の机の上には、一冊の野球ノートがありました。毎日の練習で気づいたことを、小さな字でびっしりと書き込んでいるのです。
勝手に見てはいけないと思いながら、掃除のときに開いた頁には、チームメイトの癖や、守備位置の工夫が、丁寧に並んでいました。自分のことより、仲間のことのほうが多いノートでした。
大阪府予選を目の前にした、土曜日のことです。いつもは遅くとも二十一時までには練習を終え、汗びっしょりで帰ってきます。
玄関のドアが開くと、土と汗とスポーツドリンクの混ざった匂いが、家の中へ流れ込みます。それが我が家の、土曜の夜の合図でした。
けれどその日は、二十一時を過ぎても、玄関は静かなままでした。二十二時になっても、息子は帰りません。
食卓の上では、温め直した唐揚げが、少しずつ冷めていきました。炊飯器の保温ランプだけが、赤く灯っています。
「遅いなあ。連絡くらい、入れたらええのに。」
夫は新聞を広げたまま、顔を上げずにそう言いました。けれどその手が、さっきから同じ頁で止まっていることに、私は気づいていました。
私は台所の時計を見て、スマートフォンを握り直しました。着信は、一件もありません。
最近の息子は、口数が減っていました。夏の大会のベンチ入りメンバーが発表されてから、とくにそうです。
彼の名前は、そのメンバーの中にありませんでした。本人は何も言いませんでしたが、玄関に置かれたスパイクの泥が、日ごとに増えていくのは見ていました。
警察への電話
二十二時半を過ぎた頃、私はとうとう、息子の友だちの家に電話をかけました。同じ野球部で、レギュラーの子の家です。
「夜分にすみません。うちの子、そちらに寄ってませんか。」
出てくれたのは、その子のお母さんでした。
「いいえ。うちの子は、二十時半過ぎに帰ってきましたけど。」
「そうですか。まだ連絡がなくて……」
「あら、それは心配ですね。そういえば、今日は珍しく、ユニフォームを部室に置いて帰ったんですよ。」
その言葉に、私は一瞬だけ引っかかりました。けれど胸のざわつきのほうが、ずっと大きかったのです。
電話を切ると、手のひらが汗ばんでいました。思い余って、今度は警察に連絡してみました。
「今のところ、事故の連絡は入っておりません。」
落ち着いた声が、かえって胸に刺さりました。事故がない。それは安心のはずなのに、どこにも手がかりがない、ということでもありました。
夫は黙って立ち上がり、玄関で自転車の鍵を探しはじめました。
「もう少し待って、帰らんかったら、学校まで見に行こか。」
その低い声に、私はうなずくことしかできませんでした。
雨戸の隙間から、街灯の白い光が、細く床に落ちています。私はその光の筋を見つめながら、最悪の場面ばかりを何度も思い描いていました。
暗い道、すれ違う車、止まったままの自転車。想像は、止めようとするほど、いくつも枝分かれして広がっていきます。
遠くで、近所の犬が一度だけ吠えて、すぐに静かになりました。そのたびに私は、玄関の方を振り返りました。
母親というのは、どうしてこうも、悪いほうへ悪いほうへと考えてしまうのでしょうか。
夫と二人で、学校へ向かう道を歩いてみることにしました。住宅街の外れにある校門は、鎖が掛かり、門灯がひとつだけ点いていました。
グラウンドはもう真っ暗で、ネットの影だけが、風に小さく揺れていました。
「誰もおらんなあ。」
夫の吐いた息が、白く見えそうなほど静かな夜でした。
その静けさが、私たちの不安を、かえって大きくしました。同じ不安は、寮の公衆電話の話を書いたときにも、胸の奥で思い出しました。
引退試合の夜
家に戻ってしばらくすると、夫の携帯が鳴りました。出てみると、息子と同じ学年の保護者からの連絡でした。
夫は電話を切ると、急に表情をゆるめました。
「心配せんでええ。野球部の三年が、焼肉屋におるらしいわ。」
「焼肉?」
「三年生でレギュラーになれんかった部員だけ残ってな、引退試合があったんやて。」
「相手も、よその学校の、レギュラーになれんかった部員たちや。」
私は立ったまま、全身の力が抜けてしまいました。
レギュラーにはなれなかったけれど、同じように三年間、苦しい練習に耐えて、今日まで来た子どもたちです。
補欠にもなれないその子たちの、せめてもの晴れ舞台が、あの夜の引退試合だったのです。
審判は、両校の監督が交代で務めたそうです。スタンドには誰もおらず、声を出すのは、ベンチの仲間だけでした。
試合には、負けたそうです。けれど十二人は、そのまま「焼肉を食べに行こう」という流れになりました。
一人前千円の食べ放題の店でした。肉を焼く煙の中で、あっという間に時間が経ち、気づいて慌てて家へ電話をしたのだそうです。
「監督さんが、粋な計らいをしてくれはったんやて。」
夫は、少し照れたように言いました。
引退試合の段取りを組み、相手校の監督にまで頭を下げて回ったのは、あの監督だったと聞きました。
こんな心にくい演出を、黙ってやってのける大人がいる。それを知っただけで、私は胸の奥が温かくなりました。
似た気持ちを、再生の誓いを書いたときにも覚えました。
人は、黙って差し出された優しさのほうを、いつまでも覚えているものです。
ただ、そのときの私は、まだ、あの電話の一言の意味に気づいていませんでした。
背番号六の洗濯物
二十三時を少し回った頃、玄関のチャイムが鳴りました。
「ただいま。」
息子の声は、いつもより少しだけ、明るく聞こえました。
「おかえり。連絡くらい、しなさい。」
「ごめん。肉、食いすぎて、時間見てへんかった。」
「試合は、どうやったん。」
「負けた。でも、最後に打てた。外野の頭、越えた。」
そう言った息子の目は、玄関の灯りの下で、まっすぐこちらを見ていました。三年間で見た中で、いちばん晴れた顔でした。
「ええから、先にお風呂に入りなさい。」
そう言って、私は息子のスポーツバッグを受け取りました。口からは、土の匂いと焼肉の煙の匂いが、一緒に上がってきます。
洗濯機の前で、泥だらけのユニフォームを広げたとき、私は手を止めました。
脱いだユニフォームの背中には、息子の番号ではなく、六番が縫いつけてありました。十七番のはずの背中に、大きく、白い六。
さっきの電話が、耳の奥でよみがえりました。レギュラーの友だちは、ユニフォームを部室に置いて帰ったのです。忘れたのではなく、置いていったのでした。
六番は、三年間いちばん近くで走ってきた友だちの番号でした。
レギュラーの彼は、最後の夜だけは、自分の背中を仲間に預けたのです。何も言わずに。
風呂場から出てきた息子に、夫は何も言いませんでした。私も、何も尋ねませんでした。
ただ、洗濯機に洗剤を入れ、ゆっくりとスイッチを押しました。
その後、野球好きの知人と話す機会があり、こんな話を聞きました。
「勝った学校の校歌ばかりでなく、負けた学校の校歌も、ちゃんと流してやったらええ。」
負けた方をホームベースに立たせて、勝った方はベンチの前で拍手をして送り出す。そうすれば、どの学校の歌も、同じ重さで球場に響きます。
これが本当の強さであり、優しさではないかと思うのです。