埃まみれのパンチパーマ

祖父が削った椀は、四十客あった。

数が合わなかった日は、後にも先にも一日しかない。

平成十九年の、三月の終わりだ。

うちは能登の、七尾湾へ落ちこむような坂の途中で、三代続けて豆腐屋をやっていた。

朝の三時に釜へ火を入れる。

祖父はもう腰が曲がっていたが、湯加減だけは誰にも触らせなかった。

「湯はな、人の顔色と一緒や」

湯気の立ち方を睨みながら、いつもそう言った。

俺は二十二で、まだ豆を潰す係だった。

石臼の音と、井戸のポンプの音と、坂の下から上がってくる潮の匂い。

それが俺の朝のすべてだった。

棚の上には、祖父が二十歳の頃に欅から削り出した椀が四十客、いつも伏せて並んでいた。

湯豆腐の客に出すための椀で、割れれば削り足す。

六十年、数は四十のままだった。

祖父は、その椀を一客ずつ手に取って底を親指でなぞる癖があった。

「これは昭和三十年のや」

「これは、お前の親父が生まれた年に足した分」

削った年を、全部憶えていた。

俺には全部同じに見えた。

朝いちばんの客は、だいたい決まっていた。

漁協の元組合長で、名前を松波さんといった。

七十を過ぎても、まだ朝の四時に湾を見に行く人だった。

「東さん、今日は南風やわ」

そう言って、木綿を一丁だけ買っていく。

祖父はその一丁のために、四時前から湯を見張っていた。

母は「一丁のために火ぃ焚くんかいね」と毎朝笑っていた。

笑いながら、揚げを揚げていた。

裏には、名前のない犬がいた。

誰の犬でもなく、うちのおからを食べに来るだけの犬だった。

祖父はその犬にも湯加減の話をしていた。

そういう朝が、何年も続いていた。

地面が動いたのは、日曜の朝だった。

釜の湯が、床へ半分こぼれた。

石臼が土間を滑って、こちらへ向かってきた。

母が悲鳴を上げたのか、俺が上げたのか、今でもわからない。

収まってから外へ出ると、坂が別の場所になっていた。

瓦が道を埋めていた。

電柱が、坂の角度に逆らって斜めに立っていた。

向かいの魚屋の二階が、一階に座り込むように落ちていた。

音がしなかった。

あれだけの壊れ方をしていて、町がまったく音を立てていなかった。

俺は、静かというのがこんなに怖いものだと初めて知った。

母が「ばあちゃんは」と言った。

離れを見た。

屋根が、地面に近い位置にあった。

俺は瓦の上を這って、名前を呼んだ。

返事はなかった。

もう一度呼んだ。

そのとき、坂の下で人の声がした。

誰かが「こっち! こっち手ぇ貸して!」と叫んでいた。

俺と母は、坂を駆け下りた。

魚屋の奥さんが、割れた窓のところで動けなくなっていた。

十分ほどだったと思う。

戻ったとき、祖母は道端のブロックに座っていた。

頭から白い粉をかぶって、着物の袖が片方裂けていた。

「出られたんか」

母が抱きついた。

祖母は、ぼんやりと空を見ていた。

「腕が、見えた」

それだけ言って、あとは何も言わなかった。

俺はその言葉を、混乱した年寄りの言葉だと思って聞き流した。

その日の夕方、坂の下の水道はどこも止まっていた。

うちの裏の井戸だけが、生きていた。

祖父は店の戸を全部外した。

「湯を沸かせ」

それだけ言った。

母が大鍋にありったけの豆腐と揚げを放り込んで、けんちんにした。

俺は棚から椀を四十客おろして、井戸の水で洗った。

看板は出さなかった。

湯気を出しておけば、それで足りた。

夜には、坂の下から人が上がってきた。

次の日の朝には、店の前から角の郵便局まで列が伸びていた。

着の身着のままの人が多かった。

パジャマの上にジャンパーだけ羽織った婆さんが、裸足にサンダルで並んでいた。

その前に並んでいた中年の男が、黙って自分のカーディガンを脱いだ。

「わし、家残っとるさけ。帰れば着るもんあるわ」

婆さんは何度も断って、それから受け取って、しばらく顔を上げなかった。

俺は椀を配りながら、鼻の奥がずっと痛かった。

列には、いろんな人がいた。

小学生の男の子が、弟の分と自分の分を両手で持って、こぼしながら歩いていった。

「にいちゃん、こぼれとるよ」

「これはええねん。俺のほうやから」

そう言って、自分の椀のほうを傾けていた。

歯のない爺さんが来て、汁だけくれと言った。

母が揚げを刻んで、柔らかく煮て出した。

爺さんは、それを両手で持って、いつまでも湯気を吸っていた。

途中で祖父が湯加減にこだわり出して、列が十五分止まったこともある。

「じいちゃん、皆待っとるんやって」

「待たせとけ。ぬるいもん出したら、そのほうが失礼や」

列の後ろから笑い声が上がった。

あの町であの二日間に、人が笑ったのを聞いたのは、そのときが初めてだった。

裏の犬まで列に並んでいて、松波さんが「こいつは順番守るぞ」と言った。

皆が、少しだけ笑った。

昼を回った頃、列の途中に、妙に目立つ男がいた。

パンチパーマが、埃で灰色になっていた。

サングラスの右のレンズに、稲妻のようなヒビが走っていた。

半袖から出た腕に、色の褪せた彫り物があった。

右足を、少しだけ引きずっていた。

正直に書く。

来てほしくない類の客だと、俺は思った。

母が「あんた、目ぇ合わさんときや」と俺の袖を引いた。

ところが男は、自分の番になると列を離れた。

「わし、あとでええわ」

そう言って、後ろの婆さんの背を押した。

次に順番が回ってきたときも、同じことをした。

三度目も、同じだった。

男は三度並んで、三度とも、自分の番になると列の後ろへ戻った。

四度目に、俺は椀を押しつけた。

「もう、並ばんでええですから」

男は受け取って、それを脇に抱えたまま、列の外に立った。

飲むでも、よそうでもなかった。

ただ、抱えて立っていた。

そのまま、男は列の脇にいた。

子どもが汁をこぼすと、しゃがんで土間を拭いた。

婆さんが後ろでよろけると、腕を出して支えた。

誰にも礼を言わせなかった。

言われる前に、離れていくからだ。

列が乱れると、黙って端に立って、少しだけ位置をずらす。

それだけで、列がまっすぐになった。

俺は湯を注ぎながら、その様子を横目で見ていた。

見ていながら、まだ「早く帰ればいいのに」と思っていた。

そこへ、四人組が来た。

若い男が二人と、女が二人。

四人とも、髪が乾いていた。

あの町で、あの日、髪が乾いている人間はいなかった。

皆、埃と汗と、消防の水で、どこかしら湿っていた。

四人はデジカメを構えて、崩れた魚屋の前でポーズを取った。

「ちょっとちょっと、こっち入って」

「うわ、やば」

笑い声が、坂の上まで届いた。

列に割り込んで、店先を覗き込んだ。

「ねえ、これ他になんかないの」

「並ばなあかんの? 早う座らせてよ」

「あ、あたし写真だけでいいや。汁いらなーい」

誰も何も言わなかった。

言えなかったのだと思う。

皆、二晩まともに寝ていなかった。

怒る力の残っている人が、その列にはほとんどいなかった。

俺は、鍋の前で手が震えた。

怒りではなかったと思う。

あの二日間、皆が必死に守っていた何かが、目の前で軽く扱われていた。

それが、たまらなかった。

誰も家のことを言わなかった。

誰も、うちが潰れたとも、身内が見つからないとも言わずに並んでいた。

言えば、後ろの人がもっと辛くなるからだ。

その黙りが、あの列を成り立たせていた。

それでも、一番前にいた老人が振り返った。

七十を過ぎた、漁協の元組合長だった。

「あんたら」

声が震えていた。

「見に来たんなら、頼むから、帰ってくれんか」

四人は顔を見合わせて、笑った。

「え、関係なくない?」

「なんか言うとるー」

俺の中で、何かが切れた。

お玉を鍋に置いて、土間から出た。

「すみません」

喉が変な音を立てた。

「出て行ってもらえますか」

その瞬間、肩をポンと叩かれた。

男が、俺の前に出た。

椀を土間の縁に置いて、腕をまくった。

彫り物が、日に晒された。

誰も息をしなかった。

「おい、にいちゃんら」

低い声だった。

怒鳴ってはいなかった。

「はよう家帰って、テレビでも見とらんかい」

それだけだった。

四人は何も言わずに坂を下りていった。

下に停めてあった白い車には、埃が一粒もついていなかった。

あの日、あの町で、あんなに綺麗な車は他になかった。

男は腕まくりを戻して、俺のほうを向いた。

サングラスのヒビの向こうは、見えなかった。

「兄ちゃん」

「喧嘩したらあかん」

「そういうのは、わしらの仕事や」

俺は何と返していいかわからず、頭を下げた。

男は、それを見ていなかった。

もう坂の下を見ていた。

白い車のテールランプが、角を曲がって消えるところだった。

「ええ車やったな」

ぽつりと、そう言った。

怒っている声ではなかった。

むしろ、羨ましがっているような、軽い声だった。

その軽さが、いまも耳に残っている。

そう言って、少しだけ笑った。

俺は、慌てて椀を差し出した。

「まだ温いんで、食べてってください」

男は首を横に振った。

「もう、ええわ」

そして、俺には一生忘れられない一言を置いていった。

「湯気、ありがとうな」

食事ではなく、湯気に礼を言われたのは、あれが最初で最後だ。

男は右足を引きずりながら、坂を上っていった。

途中で一度だけ立ち止まって、電柱に手をついた。

それから、また上っていった。

俺はその後ろ姿を、角を曲がって見えなくなるまで見ていた。

店に戻ると、母が土間で立ったままだった。

「あんた」

お玉を握ったままだった。

「目ぇ合わさんときや、なんて言うて、ごめんな」

俺は返事ができなかった。

祖父は釜のほうを向いたまま、こう言った。

「湯はな、誰に配ったかで味は変わらん」

「変わるのは、配った側の顔つきや」

その日、店を閉めたのは夜の九時過ぎだった。

俺は井戸端にしゃがんで、椀を洗った。

洗いながら、いつもの癖で数えた。

三十九。

もう一度、数えた。

三十九。

棚を見た。

一客だけ、朝おろしたときと同じ向きで、伏せてあった。

四十客のうち、一客だけが、その日ついに濡れなかった。

男は最後の一人が椀を受け取るのを見届けてから、空のまま椀を返していったのだ。

俺は、しばらくその椀を持ったまま動けなかった。

土間の隅に、赤黒い砂粒が落ちていた。

掃いても掃いても、その一点だけ、色が残った。

一週間して、祖母が仮設の風呂から帰ってきた。

湯呑みを両手で包んだまま、ふと言った。

「あんた、あの日、彫り物の人おったやろ」

俺は箸を止めた。

「腕に、観音さんの入った人」

祖母は、あの朝、離れの下敷きになっていた。

俺たちが表の様子を見に出た、ほんの十分ほどの間のことだった。

戻ったときには、祖母は道端に座らされていた。

誰が出したのか、その時は誰も知らなかった。

「わしの上の梁をな」

祖母は湯呑みを見ていた。

「持ち上げてくれた人の腕に、同じ観音さんがおったんや」

「顔は、見とらん。上向いとったさけ、腕しか見えんかった」

それから、少しだけ笑った。

「あの晩から、ずっと掘っとったんやろな」

俺は椀を洗う手を止めた。

あの朝、道端に座った祖母が言った「腕が、見えた」という言葉を思い出した。

混乱した年寄りの言葉だと思って、俺は聞き流した。

祖母は、ずっと同じことを言っていたのだ。

「顔を見んかったのが、心残りやわ」

祖母はそう言って、湯呑みの底を見た。

「せめて、あんたが一杯出しといてくれたらよかったのに」

俺は、出したと言えなかった。

出したが、飲ませられなかった。

後で消防団の川端さんに聞いた。

あの晩、瓦を素手で除けていた男がいたという。

長靴の中が濡れていて、川端さんが替えを渡そうとしたら断られたという。

「ええわ、脱いだら履けんようになるさけ」

川端さんは、そのとき初めて男の足に気づいたという。

長靴の縁から、砂と一緒に赤いものが滲んでいた。

「病院行ってくれ」と言ったら、笑って断られた。

「わし、順番あとでええわ」

そう言ったそうだ。

俺が三度聞いたのと、同じ言葉だった。

あの人は、あの二日間、ずっと同じことを言い続けていた。

そう言ったそうだ。

だからサングラスにヒビが入っていた。

だから髪が埃で灰色だった。

だから右足を引きずっていた。

だから、三度並んで、三度とも列を離れた。

あの人は腹が減っていなかったのではない。

湯が足りるかどうかを、列の後ろから数えていたのだと思う。

自分の一杯を引けば、後ろの誰かに回る。

ただ、それだけの計算を、二晩眠らずに掘り続けた体でやっていた。

俺は長いこと、あの人の職業を、勝手に決めつけていた。

目を合わせるなと言われて、素直に合わせなかった。

髪が乾いているというだけで信用する目を、俺は持っていた。

それが恥ずかしくて、二十二の春から、ずっと胸の底に沈んでいる。

祖父は、その年の秋に逝った。

最後の三日は、湯加減の話ばかりしていた。

椀のことは、一度も言わなかった。

ただ、一客だけ伏せてあるのを見ても、何も訊かなかった。

訊かないというのが、祖父の返事だったのだと思う。

母は今も、あの日の四人組の話になると口をつぐむ。

怒るのではなく、自分の言った一言のほうを悔いている。

家族の中で、あの人のことを言葉にできた者は、結局ひとりもいなかった。

一度だけ、似た後ろ姿を見たことがある。

七年ほど前、金沢の駅前だった。

信号待ちの人混みの中に、右足を引きずって歩く男がいた。

髪はもう白くて、パンチパーマでもなかった。

それでも、俺は足が止まった。

声をかけようとして、何と言えばいいのかわからなかった。

あのとき湯を渡した者です、と言ったところで、渡せていない。

信号が変わって、その背中は横断歩道の向こうへ流れていった。

俺は、追わなかった。

追えばよかったと、いまでも思う。

思いながら、たぶん次も追えないだろうとも思う。

あのとき差し出せなかった一杯を、俺はまだ、どこにも渡せていない。

あれから十八年が経った。

祖父も祖母も、もういない。

俺が三代目になって、朝の三時に釜へ火を入れている。

湯加減は、いまだに祖父ほどうまくいかない。

棚には、今も椀が四十客ある。

一客だけ、伏せたままにしてある。

能登でも、どこでも、地面が揺れたと聞くと、俺はまず釜に火を入れる。

誰も来ない晩もある。

それでも、湯気だけは誰にでも配れる。

去年の正月にも、この地面は揺れた。

店は傾いたが、井戸はまた生きていた。

俺は戸を外して、湯を沸かした。

七つになる息子が、椀を並べるのを手伝った。

「じいちゃんの椀、なんで一個だけ裏返しなん」

「使わんことにしとるんや」

「なんで」

俺は、うまく説明できなかった。

いつか話せるだろうかと思いながら、まだ話せていない。

あの人がどこの誰だったのか、俺は今も知らない。

名乗らなかったし、俺も訊かなかった。

訊いていたら、あの人は答えなかったと思う。

名乗るという行為は、礼を受け取るということだ。

あの人は、それをしないと決めていた人だった。

だから俺は、名前の代わりに椀を一客、伏せておくことにした。

数が合わない棚を、毎朝見る。

それが、俺なりの憶え方だ。

思い出すのはいつも同じ景色だ。

埃まみれのパンチパーマと、ヒビの入ったサングラスと、右足を引きずりながら坂を上っていく背中。

礼を言うのは、こっちのはずだった。

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