高校までの三年間、私は教室の中で、誰ともまともに目を合わせずに過ごしていました。
休み時間になると、机に伏せて眠ったふりをするのが、いつのまにか私の習慣になっていました。
そうしていれば、誰も話しかけてはこない。そのことを、私は経験から知っていたのです。
もともと口下手なうえに、一年生の春、ほんの些細なことで小さな笑いものにされてから、私は人前で口を開くのが、心の底から怖くなっていました。
今でも覚えています。一年生の春、国語の朗読で、私はほんの少し声が裏返っただけでした。
それだけのことで、教室に小さな笑いが起きました。
悪意などなかったのかもしれません。けれど私には、その笑いが、長く長く尾を引きました。
それからの私は、自分の声というものが、何より恐ろしくなりました。
声を出せば、また笑われる。だから出さない。そうやって、私は少しずつ、世界から自分の声を引っ込めていったのです。
人と関わらなければ、もう二度と傷つかずにすむ。そう自分に言い聞かせて、私は静かに息をひそめて生きていました。
そんな私が、人前で声を張り上げ、見知らぬ客を笑わせる日が来るなんて、あの頃は想像することすらできませんでした。
※
大学に入っても、私は何ひとつ変わっていませんでした。
入学式の帰り道、その日も結局、誰ともひと言も交わさなかったことに、心のどこかでほっとしている自分がいました。
そんな私を、構内のベンチで見つけてしまったのが、落語研究会の梶井さんでした。
二つ年上の、やたらと声の大きな、いつも着物のような甚平を羽織った人でした。
文庫本に顔を埋めていた私の前に、いきなり仁王立ちになって、こう言ったのです。
「君、いい顔してるね。落語、向いてるよ」
意味が、まるで分かりませんでした。向いている顔とは、いったいどんな顔のことなのでしょう。
「人を笑わせたことなんて、生まれてから一度もありません」
私が正直にそう答えると、梶井さんはなぜか、心から嬉しそうに目を細めました。
「だからいいんだ。人を笑わせたことのない人間が、はじめて人を笑わせる。落語のいちばん面白いところは、本当はそこなんだよ」
興味はない、時間もない、人前は何より苦手だ。私は断る理由をいくつも並べ立てました。
それなのに梶井さんは、私の言葉をひとつも聞いていないような顔で、ただ機嫌よく笑っているのです。
気づけば私は、その日の夕方には、薄暗い部室の畳の上に、きちんと正座をさせられていました。
※
梶井さんは、何ごとにおいても、とにかくしつこい人でした。
稽古は週に三度でいいと言ったのに、いつのまにか四度に増やされていました。
扇子の持ち方ひとつで、平気で一時間も直されたことがあります。
「これが蕎麦をすする箸に見えるか。客に、ちゃんと箸に見えるかって聞いてるんだ」
「……見えません」
「だろう。お前の指が、嘘をついてるからだ。客はな、台詞より先に、指の嘘をいちばんに見抜くんだよ」
指の付け根が痛くなるまで、私は何度も何度も、扇子を握り直しました。
古びた畳の匂いと、梶井さんが淹れる、舌が痺れるほど渋いお茶の味は、今でもはっきりと思い出すことができます。
声が小さい、と叱られたこともありました。
「お前の声は、自分の足元にぽとんと落ちてる。客席のいちばん後ろの、あの非常灯のところまで届かせてみろ」
私が蚊の鳴くような声で同じ台詞を繰り返すと、梶井さんは怒るどころか、嬉しそうに小さなノートにメモを取るのです。
「いいぞ。さっきより、ほんの少しだけ、遠くまで届いた」
そのほんの少しの違いを、この人だけは、いつも決して見逃しませんでした。
はじめての客前の稽古では、私は緊張のあまり、最初の一言を三度も噛みました。
部員たちが気まずそうに目を伏せるなか、梶井さんだけが手を叩いて、声をあげて笑ってくれました。
「いいねえ。今の噛み方、わざとやれって言われてもできないよ」
そう言われて、私は生まれて初めて、自分の失敗を、恥ではないものとして受け止めることができました。
稽古の帰り、二人で安い居酒屋に寄ったことがあります。
梶井さんは焼き鳥の串を片手に、めずらしく静かな声で、自分のことを話しはじめました。
「俺もな、昔は人と喋るのが、死ぬほど苦手だったんだ」
意外でした。あれほど声の大きな人が、と。
「中学の頃に親父が長く入院してな。家ん中が、いつもしんとしてた。誰も笑わない家だった」
「ある日、見舞いの帰りに親父がラジオで落語を聴かせてくれて、二人して久しぶりに腹かかえて笑ったんだ。あの一瞬だけ、病気のことを、二人とも忘れられた」
「だから俺は、落語ってのは、人の寂しさのいちばん近くにある芸だと思ってる。笑わせてるんじゃない。寂しさの隣に、座ってやってるんだよ」
私はその夜、はじめて、この人を心から信じてみようと思いました。
別の晩、私は梶井さんに連れられて、町はずれの古い寄席に行きました。
線香によく似た、色あせた座布団の匂いがする、小さな小屋でした。
高座では、年老いた師匠が、長い人情噺をしみじみと演っていました。
その日の客は、たったの七人でした。
けれど、その七人が、みな声を殺して泣いていたのです。
ふと隣を見ると、あれほど騒がしいはずの梶井さんが、まっすぐ前を向いたまま、静かに頬を濡らしていました。
「梶井さん、泣いてます」
「泣いてない。煙が、目にしみただけだ」
線香も煙草も、その小屋のどこにも焚かれてはいませんでした。
その横顔を見たとき、私はこの人をうるさいとばかり思っていた自分を、心の底から恥じました。
※
入部して一週間で、私は一度、辞めようとしました。
やはり人前は無理だと、退部届を握りしめて部室の前まで行ったのです。
ところが扉を開ける前に、廊下の角から梶井さんがひょいと顔を出しました。
「逃げるな、とは言わない。けど、もう一回だけ、俺の前で喋ってから決めろ」
その夜、私は誰もいない部室で、梶井さんひとりを客にして、たどたどしく小噺を演りました。
演り終えると、梶井さんは静かに言いました。
「ほら、お前、ちゃんと最後まで喋れたじゃないか」
気づけば退部届は、私のかばんの底で、くしゃくしゃになっていました。
※
気づけば私は、ほぼ毎日、梶井さんと過ごすようになっていました。
人と関わるのが怖かったはずなのに、その怖さを忘れている時間が、少しずつ、確かに増えていったのです。
二年目の冬、私はついに、部内の発表会で、ひとり高座に上がりました。
声は震え、サゲの直前で、間が痛いほど長く空いてしまいました。
それでも客席のいちばん後ろで、梶井さんが大きく頷いていたのを、私は今でも忘れません。
終わったあと、梶井さんは私の肩を一度だけ強く叩いて、こう言いました。
「お前はもう、教室の隅で眠ったふりをしてた頃のお前じゃないよ」
私が、昔の自分の話をした覚えは、一度もありませんでした。
それなのに、この人にはなぜか、私のすべてが見えているようでした。
その言葉を、私はそっと胸の奥にしまい込み、自分だけのお守りにしました。
二年目の夏、地元の商店街の夏祭りで、私は屋外の小さな高座に上がりました。
提灯の灯りと、焼きそばのソースの匂いが、夜風に混じっていました。
私が拙い小噺のサゲを言った瞬間、最前列の子どもが、けらけらと声をあげて笑いました。
その笑い声につられて、まわりの大人たちまで笑い出したのです。
人を笑わせたことなど一度もない、と言い張っていた私が、はじめて人を笑わせた夜でした。
高座を降りると、梶井さんが缶のラムネを一本、黙って差し出してくれました。
「な。向いてるって言ったろ」
ぬるくなったラムネが、その夜はやけに甘く感じられました。
※
その春、私は入ってきた後輩に、はじめて扇子の持ち方を教えました。
梶井さんの口真似をして偉そうに教える私を見て、当の梶井さんは、隅で腹を抱えて笑っていました。
※
梶井さんが倒れたのは、その年が明けて、すぐのことでした。
くも膜下出血だったと、あとになって聞きました。
いつもの稽古の時間になっても、あの大きな声は、二度と部室に響いてはきませんでした。
知らせを受け取ったとき、私はただ、大学の廊下の真ん中で、立ち尽くしていました。
失って初めて分かる、という言葉の本当の意味を、私はそのとき、骨身にしみて知りました。
振り返れば、大学に入ってからの思い出の、ほとんどすべてに、あの人がいたのです。
無愛想な私の隣で、ずっと笑い続けてくれた人でした。
うるさくて、しつこくて、そして、誰よりも優しい人でした。
どうして、と何度も思いました。どうして、よりによって、あの人なのか、と。
葬儀の日、私はなぜか涙が出ませんでした。
実感が、どうしても追いついてこなかったのです。
帰りぎわ、梶井さんのお母さんが、あの人の使い込んだ扇子を、そっと私の手に握らせてくれました。
「あの子、あなたの噺をいちばん楽しみにしてたんですよ」
その言葉を聞いた帰りの電車で、私はようやく、声を殺して泣きました。
あの人がいなくなった部室は、急に広く、そして寒く感じられました。
渋いお茶を淹れる人も、声が小さいと叱る人も、もういません。
私は毎日その畳の上に座り、ひとり、扇子を握り直しました。
そうしていないと、自分まで消えてしまいそうな気がしたのです。
※
追善の高座が決まってから、私はあの人の声を、もう一度聞きたくなりました。
梶井さんのお母さんに頼んで、生前に録られた稽古の音源を、何本か借りました。
古いボイスレコーダーから流れてきたのは、まぎれもない、あの大きな声でした。
「もっと遠くまで届かせろ」と、テープの中の梶井さんが、私を叱っていました。
私はその声に合わせて、何度も同じ場面を繰り返し稽古しました。
夜が更けるたびに、あの人の間の取り方が、息づかいが、少しずつ自分の体に染み込んでいくのが分かりました。
父と息子の噺の、いちばん切ない場面で、テープの中のあの人は、必ず一拍、長く沈黙を置いていました。
その沈黙の意味を、私はようやく理解しはじめていました。
言葉にできない想いほど、人は黙ってしまうのだと。
※
あの人は、稽古のあいまに、よくこんなことを言っていました。
「人情噺ってのはな、泣かせようとした瞬間に、嘘くさくなる」
「泣かせるんじゃない。ただ、本当のことを、丁寧に喋るんだ。そうすりゃ、客が勝手に泣くんだよ」
当時の私には、その違いがよく分かりませんでした。
けれど、あの人を見送ったあとの私には、痛いほど分かるようになりました。
本当のことを、丁寧に喋る。それだけで、人の胸は震えるのだと。
梶井さんは、そのことを、最後まで、身をもって私に教えてくれていたのです。
※
その春、卒業生を送る、追善の落語会が開かれることになりました。
梶井さんが、卒業の高座で演るはずだった演目がありました。
不器用な父と息子の、長く続いたすれ違いを描いた、人情噺です。
誰がその一席を継ぐのか。部のなかで、静かな相談がしばらく続きました。
気づくと、自分の手が挙がっていることに、私自身が、いちばん驚いていました。
人前が、この世でいちばん苦手だったはずの、あの私が、です。
当日、高座の座布団の脇には、あの人の形見の扇子を、私が静かに置きました。
舞台袖から覗くと、客席は、立ち見が出るほどの満員でした。
照明の熱が、頬にじりじりと届いてきます。
名前を呼ばれ、私は深く息を吸い込んで、高座へと歩み出ました。
客席のざわめきが、波が引くように、すっと静かになっていきました。
噺は、序盤こそ、稽古どおりに運びました。
けれど、ちょうど中ほどの、いちばん大事な場面で、私はサゲへ向かう一言を、すっと失くしてしまったのです。
頭の中が、真っ白になりました。
客席の視線が、いっせいに、私に刺さってくるのを感じました。
時間が、止まってしまったように、長く長く感じられました。
ここで止まれば、あの人の最後の高座を、私が汚すことになる。
扇子を握る指先が、細かく震えました。
もうだめだ。そう思って、目を閉じかけた、まさにその時でした。
「行ってこい」
耳のすぐ後ろで、あの大きな、聞き慣れた声がしました。
稽古のたびに、私を高座へと送り出してくれた、あの人の口癖でした。
失くしたはずの一言が、不思議なほど自然に、私の口をついて出てきました。
そこから先のことは、自分でも、よく覚えていません。
ただ、言葉が、せき止められていた川の水のように、あふれ出していきました。
演じながら、私の頭の中には、あの人との日々が、次々とよみがえっていました。
渋いお茶も、缶のラムネも、寄席で見た濡れた横顔も、すべてが今のこの一席のためにあった気がしました。
父が息子を許す最後の場面で、私はもう、誰の噺を演っているのか分からなくなっていました。
私が梶井さんなのか、梶井さんが私なのか。
その境目が、ふっと溶けてなくなった瞬間でした。
父が、息子に背を向けたまま、ぽつりと詫びる台詞のところで、客席のあちこちから、洟をすする音が上がりました。
私は、込み上げてくるものを必死でこらえながら、最後の一言まで、演じきりました。
サゲを言い終えて、深く頭を下げたとき、拍手は、しばらく鳴り止みませんでした。
※
高座を降りたあと、後輩のひとりが、目を真っ赤にして駆け寄ってきました。
「先輩の噺、梶井さんがそこにいるみたいでした」
その言葉に、私は何も返せず、ただ深くうなずくことしかできませんでした。
私たちは二人とも、しばらく言葉もなく、まだ温もりの残る高座を見つめていました。
※
幕が下りたあと、私は誰もいない楽屋で、あの扇子をそっと額に当てました。
胸の奥が、熱くて、熱くて、どうしようもありませんでした。
あの一言は、本当に聞こえたのでしょうか。
それとも、あの人にもう一度会いたいという私の願いが、見せた幻だったのでしょうか。
今でも、その答えは分かりません。
けれど、これだけは確かだと、私は思っています。
いまの高座は、二人ぶんでした。
私ひとりの力では、決して、あの場所には立てませんでした。
教室の隅で眠ったふりをしていた私を、世界の外へと連れ出してくれた人がいた。
その事実だけで、私の人生は、もう十分に報われた気がしています。
卒業してからも、私はあの扇子を、今も大切に持っています。
高座に上がる前には、決まってそっと額に当てるのが、私の小さな習慣になりました。
そうすると、不思議と、背中のあたりがすっと温かくなるのです。
あの夜から、私は声を出すことが、もう怖くなくなりました。
声は、人を傷つけるためにあるのではない。誰かの寂しさの隣に、座るためにあるのだと、今は思えます。
梶井さんが私に遺してくれたのは、扇子だけではありませんでした。
自分の声で、誰かの心に届くことを、もう一度信じる力でした。
あの声は、一生忘れません。
ありがとうございました。そして、本当に、お疲れさまでした。