先輩の声

高校までの三年間、私は教室の中で、誰ともまともに目を合わせずに過ごしていました。

休み時間になると、机に伏せて眠ったふりをするのが、いつのまにか私の習慣になっていました。

そうしていれば、誰も話しかけてはこない。そのことを、私は経験から知っていたのです。

もともと口下手なうえに、一年生の春、ほんの些細なことで小さな笑いものにされてから、私は人前で口を開くのが、心の底から怖くなっていました。

今でも覚えています。一年生の春、国語の朗読で、私はほんの少し声が裏返っただけでした。

それだけのことで、教室に小さな笑いが起きました。

悪意などなかったのかもしれません。けれど私には、その笑いが、長く長く尾を引きました。

それからの私は、自分の声というものが、何より恐ろしくなりました。

声を出せば、また笑われる。だから出さない。そうやって、私は少しずつ、世界から自分の声を引っ込めていったのです。

人と関わらなければ、もう二度と傷つかずにすむ。そう自分に言い聞かせて、私は静かに息をひそめて生きていました。

そんな私が、人前で声を張り上げ、見知らぬ客を笑わせる日が来るなんて、あの頃は想像することすらできませんでした。

大学に入っても、私は何ひとつ変わっていませんでした。

入学式の帰り道、その日も結局、誰ともひと言も交わさなかったことに、心のどこかでほっとしている自分がいました。

そんな私を、構内のベンチで見つけてしまったのが、落語研究会の梶井さんでした。

二つ年上の、やたらと声の大きな、いつも着物のような甚平を羽織った人でした。

文庫本に顔を埋めていた私の前に、いきなり仁王立ちになって、こう言ったのです。

「君、いい顔してるね。落語、向いてるよ」

意味が、まるで分かりませんでした。向いている顔とは、いったいどんな顔のことなのでしょう。

「人を笑わせたことなんて、生まれてから一度もありません」

私が正直にそう答えると、梶井さんはなぜか、心から嬉しそうに目を細めました。

「だからいいんだ。人を笑わせたことのない人間が、はじめて人を笑わせる。落語のいちばん面白いところは、本当はそこなんだよ」

興味はない、時間もない、人前は何より苦手だ。私は断る理由をいくつも並べ立てました。

それなのに梶井さんは、私の言葉をひとつも聞いていないような顔で、ただ機嫌よく笑っているのです。

気づけば私は、その日の夕方には、薄暗い部室の畳の上に、きちんと正座をさせられていました。

梶井さんは、何ごとにおいても、とにかくしつこい人でした。

稽古は週に三度でいいと言ったのに、いつのまにか四度に増やされていました。

扇子の持ち方ひとつで、平気で一時間も直されたことがあります。

「これが蕎麦をすする箸に見えるか。客に、ちゃんと箸に見えるかって聞いてるんだ」

「……見えません」

「だろう。お前の指が、嘘をついてるからだ。客はな、台詞より先に、指の嘘をいちばんに見抜くんだよ」

指の付け根が痛くなるまで、私は何度も何度も、扇子を握り直しました。

古びた畳の匂いと、梶井さんが淹れる、舌が痺れるほど渋いお茶の味は、今でもはっきりと思い出すことができます。

声が小さい、と叱られたこともありました。

「お前の声は、自分の足元にぽとんと落ちてる。客席のいちばん後ろの、あの非常灯のところまで届かせてみろ」

私が蚊の鳴くような声で同じ台詞を繰り返すと、梶井さんは怒るどころか、嬉しそうに小さなノートにメモを取るのです。

「いいぞ。さっきより、ほんの少しだけ、遠くまで届いた」

そのほんの少しの違いを、この人だけは、いつも決して見逃しませんでした。

はじめての客前の稽古では、私は緊張のあまり、最初の一言を三度も噛みました。

部員たちが気まずそうに目を伏せるなか、梶井さんだけが手を叩いて、声をあげて笑ってくれました。

「いいねえ。今の噛み方、わざとやれって言われてもできないよ」

そう言われて、私は生まれて初めて、自分の失敗を、恥ではないものとして受け止めることができました。

稽古の帰り、二人で安い居酒屋に寄ったことがあります。

梶井さんは焼き鳥の串を片手に、めずらしく静かな声で、自分のことを話しはじめました。

「俺もな、昔は人と喋るのが、死ぬほど苦手だったんだ」

意外でした。あれほど声の大きな人が、と。

「中学の頃に親父が長く入院してな。家ん中が、いつもしんとしてた。誰も笑わない家だった」

「ある日、見舞いの帰りに親父がラジオで落語を聴かせてくれて、二人して久しぶりに腹かかえて笑ったんだ。あの一瞬だけ、病気のことを、二人とも忘れられた」

「だから俺は、落語ってのは、人の寂しさのいちばん近くにある芸だと思ってる。笑わせてるんじゃない。寂しさの隣に、座ってやってるんだよ」

私はその夜、はじめて、この人を心から信じてみようと思いました。

別の晩、私は梶井さんに連れられて、町はずれの古い寄席に行きました。

線香によく似た、色あせた座布団の匂いがする、小さな小屋でした。

高座では、年老いた師匠が、長い人情噺をしみじみと演っていました。

その日の客は、たったの七人でした。

けれど、その七人が、みな声を殺して泣いていたのです。

ふと隣を見ると、あれほど騒がしいはずの梶井さんが、まっすぐ前を向いたまま、静かに頬を濡らしていました。

「梶井さん、泣いてます」

「泣いてない。煙が、目にしみただけだ」

線香も煙草も、その小屋のどこにも焚かれてはいませんでした。

その横顔を見たとき、私はこの人をうるさいとばかり思っていた自分を、心の底から恥じました。

入部して一週間で、私は一度、辞めようとしました。

やはり人前は無理だと、退部届を握りしめて部室の前まで行ったのです。

ところが扉を開ける前に、廊下の角から梶井さんがひょいと顔を出しました。

「逃げるな、とは言わない。けど、もう一回だけ、俺の前で喋ってから決めろ」

その夜、私は誰もいない部室で、梶井さんひとりを客にして、たどたどしく小噺を演りました。

演り終えると、梶井さんは静かに言いました。

「ほら、お前、ちゃんと最後まで喋れたじゃないか」

気づけば退部届は、私のかばんの底で、くしゃくしゃになっていました。

気づけば私は、ほぼ毎日、梶井さんと過ごすようになっていました。

人と関わるのが怖かったはずなのに、その怖さを忘れている時間が、少しずつ、確かに増えていったのです。

二年目の冬、私はついに、部内の発表会で、ひとり高座に上がりました。

声は震え、サゲの直前で、間が痛いほど長く空いてしまいました。

それでも客席のいちばん後ろで、梶井さんが大きく頷いていたのを、私は今でも忘れません。

終わったあと、梶井さんは私の肩を一度だけ強く叩いて、こう言いました。

「お前はもう、教室の隅で眠ったふりをしてた頃のお前じゃないよ」

私が、昔の自分の話をした覚えは、一度もありませんでした。

それなのに、この人にはなぜか、私のすべてが見えているようでした。

その言葉を、私はそっと胸の奥にしまい込み、自分だけのお守りにしました。

二年目の夏、地元の商店街の夏祭りで、私は屋外の小さな高座に上がりました。

提灯の灯りと、焼きそばのソースの匂いが、夜風に混じっていました。

私が拙い小噺のサゲを言った瞬間、最前列の子どもが、けらけらと声をあげて笑いました。

その笑い声につられて、まわりの大人たちまで笑い出したのです。

人を笑わせたことなど一度もない、と言い張っていた私が、はじめて人を笑わせた夜でした。

高座を降りると、梶井さんが缶のラムネを一本、黙って差し出してくれました。

「な。向いてるって言ったろ」

ぬるくなったラムネが、その夜はやけに甘く感じられました。

その春、私は入ってきた後輩に、はじめて扇子の持ち方を教えました。

梶井さんの口真似をして偉そうに教える私を見て、当の梶井さんは、隅で腹を抱えて笑っていました。

梶井さんが倒れたのは、その年が明けて、すぐのことでした。

くも膜下出血だったと、あとになって聞きました。

いつもの稽古の時間になっても、あの大きな声は、二度と部室に響いてはきませんでした。

知らせを受け取ったとき、私はただ、大学の廊下の真ん中で、立ち尽くしていました。

失って初めて分かる、という言葉の本当の意味を、私はそのとき、骨身にしみて知りました。

振り返れば、大学に入ってからの思い出の、ほとんどすべてに、あの人がいたのです。

無愛想な私の隣で、ずっと笑い続けてくれた人でした。

うるさくて、しつこくて、そして、誰よりも優しい人でした。

どうして、と何度も思いました。どうして、よりによって、あの人なのか、と。

葬儀の日、私はなぜか涙が出ませんでした。

実感が、どうしても追いついてこなかったのです。

帰りぎわ、梶井さんのお母さんが、あの人の使い込んだ扇子を、そっと私の手に握らせてくれました。

「あの子、あなたの噺をいちばん楽しみにしてたんですよ」

その言葉を聞いた帰りの電車で、私はようやく、声を殺して泣きました。

あの人がいなくなった部室は、急に広く、そして寒く感じられました。

渋いお茶を淹れる人も、声が小さいと叱る人も、もういません。

私は毎日その畳の上に座り、ひとり、扇子を握り直しました。

そうしていないと、自分まで消えてしまいそうな気がしたのです。

追善の高座が決まってから、私はあの人の声を、もう一度聞きたくなりました。

梶井さんのお母さんに頼んで、生前に録られた稽古の音源を、何本か借りました。

古いボイスレコーダーから流れてきたのは、まぎれもない、あの大きな声でした。

「もっと遠くまで届かせろ」と、テープの中の梶井さんが、私を叱っていました。

私はその声に合わせて、何度も同じ場面を繰り返し稽古しました。

夜が更けるたびに、あの人の間の取り方が、息づかいが、少しずつ自分の体に染み込んでいくのが分かりました。

父と息子の噺の、いちばん切ない場面で、テープの中のあの人は、必ず一拍、長く沈黙を置いていました。

その沈黙の意味を、私はようやく理解しはじめていました。

言葉にできない想いほど、人は黙ってしまうのだと。

あの人は、稽古のあいまに、よくこんなことを言っていました。

「人情噺ってのはな、泣かせようとした瞬間に、嘘くさくなる」

「泣かせるんじゃない。ただ、本当のことを、丁寧に喋るんだ。そうすりゃ、客が勝手に泣くんだよ」

当時の私には、その違いがよく分かりませんでした。

けれど、あの人を見送ったあとの私には、痛いほど分かるようになりました。

本当のことを、丁寧に喋る。それだけで、人の胸は震えるのだと。

梶井さんは、そのことを、最後まで、身をもって私に教えてくれていたのです。

その春、卒業生を送る、追善の落語会が開かれることになりました。

梶井さんが、卒業の高座で演るはずだった演目がありました。

不器用な父と息子の、長く続いたすれ違いを描いた、人情噺です。

誰がその一席を継ぐのか。部のなかで、静かな相談がしばらく続きました。

気づくと、自分の手が挙がっていることに、私自身が、いちばん驚いていました。

人前が、この世でいちばん苦手だったはずの、あの私が、です。

当日、高座の座布団の脇には、あの人の形見の扇子を、私が静かに置きました。

舞台袖から覗くと、客席は、立ち見が出るほどの満員でした。

照明の熱が、頬にじりじりと届いてきます。

名前を呼ばれ、私は深く息を吸い込んで、高座へと歩み出ました。

客席のざわめきが、波が引くように、すっと静かになっていきました。

噺は、序盤こそ、稽古どおりに運びました。

けれど、ちょうど中ほどの、いちばん大事な場面で、私はサゲへ向かう一言を、すっと失くしてしまったのです。

頭の中が、真っ白になりました。

客席の視線が、いっせいに、私に刺さってくるのを感じました。

時間が、止まってしまったように、長く長く感じられました。

ここで止まれば、あの人の最後の高座を、私が汚すことになる。

扇子を握る指先が、細かく震えました。

もうだめだ。そう思って、目を閉じかけた、まさにその時でした。

「行ってこい」

耳のすぐ後ろで、あの大きな、聞き慣れた声がしました。

稽古のたびに、私を高座へと送り出してくれた、あの人の口癖でした。

失くしたはずの一言が、不思議なほど自然に、私の口をついて出てきました。

そこから先のことは、自分でも、よく覚えていません。

ただ、言葉が、せき止められていた川の水のように、あふれ出していきました。

演じながら、私の頭の中には、あの人との日々が、次々とよみがえっていました。

渋いお茶も、缶のラムネも、寄席で見た濡れた横顔も、すべてが今のこの一席のためにあった気がしました。

父が息子を許す最後の場面で、私はもう、誰の噺を演っているのか分からなくなっていました。

私が梶井さんなのか、梶井さんが私なのか。

その境目が、ふっと溶けてなくなった瞬間でした。

父が、息子に背を向けたまま、ぽつりと詫びる台詞のところで、客席のあちこちから、洟をすする音が上がりました。

私は、込み上げてくるものを必死でこらえながら、最後の一言まで、演じきりました。

サゲを言い終えて、深く頭を下げたとき、拍手は、しばらく鳴り止みませんでした。

高座を降りたあと、後輩のひとりが、目を真っ赤にして駆け寄ってきました。

「先輩の噺、梶井さんがそこにいるみたいでした」

その言葉に、私は何も返せず、ただ深くうなずくことしかできませんでした。

私たちは二人とも、しばらく言葉もなく、まだ温もりの残る高座を見つめていました。

幕が下りたあと、私は誰もいない楽屋で、あの扇子をそっと額に当てました。

胸の奥が、熱くて、熱くて、どうしようもありませんでした。

あの一言は、本当に聞こえたのでしょうか。

それとも、あの人にもう一度会いたいという私の願いが、見せた幻だったのでしょうか。

今でも、その答えは分かりません。

けれど、これだけは確かだと、私は思っています。

いまの高座は、二人ぶんでした。

私ひとりの力では、決して、あの場所には立てませんでした。

教室の隅で眠ったふりをしていた私を、世界の外へと連れ出してくれた人がいた。

その事実だけで、私の人生は、もう十分に報われた気がしています。

卒業してからも、私はあの扇子を、今も大切に持っています。

高座に上がる前には、決まってそっと額に当てるのが、私の小さな習慣になりました。

そうすると、不思議と、背中のあたりがすっと温かくなるのです。

あの夜から、私は声を出すことが、もう怖くなくなりました。

声は、人を傷つけるためにあるのではない。誰かの寂しさの隣に、座るためにあるのだと、今は思えます。

梶井さんが私に遺してくれたのは、扇子だけではありませんでした。

自分の声で、誰かの心に届くことを、もう一度信じる力でした。

あの声は、一生忘れません。

ありがとうございました。そして、本当に、お疲れさまでした。

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