後悔のないように

公開日: ちょっと切ない話 | 友情

桜

私は幼馴染との突然の別れを経験しました。幼い頃から一緒だった私たちは、保育園での最初の出会いからすぐに親友になりました。私たちのグループには、おままごとが大好きな女の子と、外で遊ぶのが大好きな男の子がいました。

私たちはいつも一緒に遊び、特におままごとは私たちのお気に入りでした。保育園の先生からも「この3人は特に仲がいい」と言われたほどで、その絆はとても強かったです。

歳を重ねるごとに、私たちの友情は深まり、一緒に運動会に参加したり、秋には焼き芋を食べながら手を繋いで遊んだりしました。その頃の写真は今でも私の家に飾られており、その笑顔を見るたびに当時の幸せを思い出します。

しかし、4歳の春、突然の転園で私たちは離ればなれになってしまいました。その日、母が迎えに来て、「明日から新しい保育園に行くんだよ」と告げられた時、私は何も理解できませんでした。2人に別れを告げることもできずに、ただ新しい生活が始まりました。

時は流れ、中学1年生になったある日、偶然にも地元のパン屋でかつての男の子、すなわちそのお店の店長と再会しました。「⚪︎⚪︎くんだよね…!私⚪︎⚪︎!!久しぶり!」と声をかけましたが、彼は私のことを覚えていませんでした。私は涙を堪えながら、「あの時、ばいばいって言えなくてごめん。これ言うのに9年もかかっちゃったね」と言いました。

そして、彼女について尋ねたところ、彼は何も言わずにいました。私はパンを買い、店を後にする際、「もし彼女に会えたら、⚪︎⚪︎(私の名前)が突然いなくなってごめんねって言ってたって伝えて」と言って店を出ました。

この出来事から、私は人との繋がりの大切さを再認識しました。友達や家族を大切にし、当たり前の日々が幸せであることを忘れないようにしましょう。そして、可能な限り「また明日」と手を振って別れを告げましょう。それが最後になるかもしれないからです。

だから、今日この瞬間を大切にし、愛する人たちに感謝の気持ちを伝えましょう。そして、もし明日が来なかったとしても、後悔のないように生きましょう。それが、私が皆に伝えたいメッセージです。

関連記事

冬と春の境界(フリー写真)

人間としての愛

1月の朝がとても寒い時に、必ず思い出す少年がいます。 当時、私は狭心症で休職し、九州の実家にて静養していた時でした。 毎朝、愛犬のテツと散歩していた時に、いつも遅刻して実家…

手(フリー写真)

無償の愛

おじいちゃんは老いから手足が不自由で、トイレも一人で行くのは厳しい。 だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしていた。 おばあちゃん以外が下の世話をするのを嫌がったからだ…

婚約指輪(フリー写真)

脳内フィアンセ

もう十年も前の話。 俺が京都の大学生だった頃、男二人、女二人の四人組でいつも一緒に遊んでいた。 そんな俺たちが四回生になり、めでたく全員就職先も決まった。 「もうこう…

金魚すくいをする女の子(フリー写真)

兄妹の金魚すくい

俺が打っている店(金魚すくい)に、兄妹と思われる7歳ぐらいの女の子と、10歳ぐらいの男の子がやって来た。 妹は他の子供たちが金魚すくいをしているのを興味津々で長い間見ていたが、や…

思い出(フリー写真)

母さんありがとう

母さん、本当にありがとう。 生んでくれてありがとう。 こんな俺でも生んでくれてありがとう。 愛情を注いでくれてありがとう。 沢山笑ってくれてありがとう。 …

夕日とカップル(フリー写真)

優しい貴方へ

元気ですか。 今、何処に居ますか。 生きていますか。 悪い事はもうしていませんか。 貴方と離れてから7年が経ちました。 貴方は私に言いました。 「沢…

家の居間(フリー写真)

妹を守る兄

兄が6歳、私が2歳の頃に両親が離婚した。 私にその当時の記憶は殆ど無く、お父さんが居ないことを気にした覚えもありませんでした。 小学生に上がる頃に母が再婚し、義理の父が本当…

ピンクのチューリップ(フリー写真)

親指姫

6年程前の今頃は花屋に勤めていて、毎日エプロンを着け店先に立っていた。 ある日、小学校1年生ぐらいの女の子が、一人で花を買いに来た。 淡いベージュのセーターに、ピンクのチェ…

花(フリー写真)

母が見せた涙

うちは親父が仕事の続かない人で、いつも貧乏だった。 母さんは俺と兄貴のために、いつも働いていた。ヤクルトの配達や、近所の工場とか…。 土日もゆっくり休んでいたという記憶は無…

赤ちゃんの手

天国に持っていく思い出

「天国にどのシーンを持って行きたい?」と高校生の時、何気なく母に尋ねたことがあります。 「アンタが生まれた瞬間かな」と、母は即答しました。 私たち家族は決して裕福ではあり…