二人目の子供

結婚式(フリー写真)

俺が結婚したのは20歳の頃だった。当時、妻は21歳。学生結婚だった。

二年ほど貧乏しながら幸せに暮らしていたのだが、ある時、妊娠が発覚。

俺は飛び上がるくらい嬉しく、一人ではしゃいでいた。

「無茶はしないで」と言う妻の言葉も無視して、次の日には退学届けを提出。

叔父さんの経営している会社にコネで入れてもらった。

とにかくやる気満々で『働きまくって子供を元気に育てるんだ!』ってなもんだった。

いま考えても単純だったと思う。

しかし、そんな幸せも長くは続かなかった。

その後、暫くして、交通事故で妻がお腹の子と一緒に死んだのだ。

この辺りは本当に今でもよく思い出せない。

何やら言う医者に掴み掛かって殴り飛ばしてしまった事、妻を轢いた車の運転手の弁護士を殴り飛ばした事は薄っすら覚えている。

無茶苦茶だった。

それでも何とか葬式を済ませ、手続きなどもこなし、何日か実家で休んだ後、家に戻った。

それからは日付の感覚も無く、ただ呆然としていた。

テレビも視ず、ただ米を炊いて食う、それだけの毎日だった。

自分が鬱なのだとか、落ち込んでいるのだとか、そういう思考も無かった。

自分でも状況がよく解っていなかったのだと思う。

何となく、カッターで指先を軽く切っては治るまで放置するという、いま思うと殆ど病気のような事を繰り返していた。

夜中に突然、意味も無く涙がぼろぼろ出て来たりもした。

死のうという事すら思い付かなかった。

当時の事を友人や親に聞くと、様子伺いの電話などにはきちんと受け答えしていたというのだが、あまり覚えていない。

恐らくそんなこんなで半年は生活していたと思う。

そんなある日、夢を見た。

どんな夢だったかは殆ど覚えていない。

とにかくひたすら謝っていたように思う。

ふと目が覚めて、

『あぁ…何か悪夢を見たな』

と身体を起こすと、目の前の光景に心臓が止まるかと思った。

目の前に小さな女の子がちょこんと座って俺を見ていた。

『何だこれは、夢か? まだ夢の中に居るのか?』

そう思いながら、自分の心臓の鼓動で視線がぐらつくのを感じた。

咄嗟に水子の霊だと思った。

死んだ俺の子が化けて出たのだと。

その時が初めて、自分の妻と子供が死んだ事をちゃんと認識した時だったように思う。

その子が、

「大人なんだから、ちゃんとしなきゃだめなんだよ!」

と俺を叱り付けた。

もう混乱に次ぐ混乱だ。

汗がダラダラ出て、心臓麻痺で死ぬんじゃないかと思った。

その時、部屋のドアから大慌てで隣の部屋の奥さんが入って来た。

「すみません!この子、勝手に入っちゃって…」

そこでやっと現状を把握した。

よくよく見れば、この子は隣の家の子供で、妻が居た頃は何度も会話を交わした事のある子だった。

ドアを開けっ放しにして寝ていたところに入って来た、実在の人間だ。

幽霊じゃない。

『ああ、違うのか』

と思った瞬間、何だか目の前の膜が剥がれたような感じで、俺はその子にしがみついて号泣していた。

「すいません」と「ありがとうございます」を意味不明に連発していたと思う。

後から聞いた話では、そこの一家は引き篭もっていた俺の事を心配してくれていたらしい。

それで何度も夫婦で何をしてあげたら良いか、と相談していたのだとか。

その相談を一人娘のその子は聞いていて、落ち込んだ大人を励ましてやろうと活を入れに来たらしい。

凄い奴だ。

とにかく、その日が切っ掛けで俺はカウンセリングに通い始め、二ヶ月ほどで何とか職場復帰する事が出来た。

届けも出さずに休んでいた俺を休職扱いにしてくれていた叔父には、本当に感謝している。

隣の夫婦とも仲良くなり、寝起きの悪い旦那を起こしてくれ、とか言う無理のある理由で毎朝家に呼ばれ、朝飯をご馳走になった。

とにかくもう俺の周りの人間が神様のように良い人達だった。

俺は救われたし、妻と子供の死をちゃんと悲しむ事が出来た。

その娘さんが先月結婚した。

(既にその隣室の親子はマイホームを建て引っ越して行ったのだが、今だに仲良くしてもらっている)

親戚が少ないからという理由で式にまで呼ばれ、親族紹介の後、その子と話す時間があった。

俺とその子は口が悪い感じの関係で(15歳も年が離れているのに)、その日もあまりにも綺麗になったその子に動揺して

「オメーもまだ18歳なのに結婚しちゃって、勿体無いな」

などと俺が言うと、笑いながら

「寂しいのか、あんた?(笑)」

などと言いやがるので、

「寂しいよ!」

と言ってしまった。

「俺は昔、お前に助けてもらった。お前のお父さんとお母さんにも助けてもらった。

だからお前の事が大好きだ。だから寂しい!」

と捲し立てると、また号泣していた。

30歳を過ぎたおっさんがヒックヒック言いながら花嫁の前で号泣だ。かなり恥ずかしい。

気付くとその子も大泣きだ。

新郎側はびっくりしただろうな。

親以外のおっさんと新婦が大泣きしているんだから。

俺は今でも結局独り身だが、その子が困ったら何が何でも助けてやろうと思っている。

恥ずかしいのでその子には言わないけどな。

もう俺にとって、あの子は自分の娘みたいなものなのだ。

俺の二人目の子供だ。

本当に、ありがとう、ありがとう。いつまでも幸せにな。

関連記事

山からの眺め(フリー写真)

命があるということ

普通に生きて来ただけなのに、いつの間にか取り返しのつかないガンになっていた。 先月の26日に、あと三ヶ月くらいしか生きられないと言われた。 今は無理を言って退院し、色々な人…

青い花(フリー写真)

良い香りに包まれる

小さい頃から、寂しかったり悲しかったり困ったりすると、何だか良い香りに包まれるような気がしていた。 場所や季節が違っても、大勢の中に居る時も一人きりで居る時もいつも同じ香りだから…

通帳(フリー写真)

ばあちゃんの封筒

糖尿病を患っていて、目が見えなかったばあちゃん。 一番家が近くて、よく遊びに来る私を随分可愛がってくれた。 思えば、小さい頃の記憶は、殆どばあちゃんと一緒に居た気がする(母…

お見舞いの花(フリー写真)

父の唯一の楽しみ

私の家系は少し複雑な家庭で、父と母は離婚して別々に暮らしています。 私は三姉妹の末っ子で、父に会いに行くのも私だけでした。 姉二人なんて、父と十年近く会っていません。 ※…

手(フリー写真)

無償の愛

おじいちゃんは老いから手足が不自由で、トイレも一人で行くのは厳しい。 だから、いつもはおばあちゃんが下の世話をしていた。 おばあちゃん以外が下の世話をするのを嫌がったからだ…

タクシー(フリー写真)

母の愛

俺は母子家庭で育った。 当然物凄く貧乏で、それが嫌で嫌で仕方がなかった。 だから俺は馬鹿なりに一生懸命勉強して、隣の県の大きな町の専門学校に入ることができた。 そし…

彼女(フリー写真)

忘れられない暗証番号

元号が昭和から平成に変わろうとしていた頃の話です。 当時、私は二十代半ば。彼女も同じ年でした。 いよいよ付き合おうかという時期に、彼女から私に泣きながらの電話…。 「…

カップルの後ろ姿

届かぬ想い

関係を迫ると、「あなたは紳士じゃない」と言われた。 けれど、関係を迫らなければ、「あなたは男じゃない」と責められた。 何度も君の部屋を訪ねると、「もっと一人の時間が欲しい…

高校野球のボール(フリー写真)

本当の優しさ

大阪の藤井寺に住んで居られる原田さんというお母さんの話です。 息子さんは高校三年生。阪南大高校の野球部に入り、レギュラーを目指して頑張って来ました。 ※ 大阪府予選…

花

災害の中での大きな力

宮城県民の私は、朝からスーパーに並んでいました。 私の前にいたのは、母親と泣きべそをかいている子供。 その子供は、壊れたニンテンドーDSを大事に持っていました。画面には亀…