忘れてはならない

祖母は、手を繋ぐとき、手のひらではなく手首を掴む人だった。

小さい頃は、それがすこし嫌だった。

骨ばった指がきゅっと輪になって、私の手首に嵌まる。

友達のお母さんたちは、みんな手のひら同士で、指を絡めて繋いでいたから。

「ばあちゃん、手ぇじゃなくて、こっち」

差し出した手のひらを、祖母はやんわり押し戻して、また手首を掴んだ。

「こうしとくほうが、ええんじゃ」

理由は、いつまでも教えてくれなかった。

広島の北、太田川の支流沿いの小さな町に、祖母は一人で暮らしていた。

夏休みになると、東京の私は決まってその家に預けられた。

朝は六時半のラジオ体操の音で起こされ、寝ぼけたまま、近所の空き地まで手首を掴まれて連れて行かれた。

昼は縁側でスイカ、夕方は蚊取り線香の渦、夜は氷枕のごろごろした音。

井戸水で冷やしたラムネの瓶が、手のひらに吸いつくように冷たかったこと。

素麺の薬味の茗荷が苦手だと言うと、祖母は黙って自分の分まで茗荷を足して食べたこと。

今でも夏の朝の匂いを吸い込むと、あの家の薄暗い土間が、胸の奥にすっと立ち上がる。

祖母には、手首のほかにもうひとつ、変わらない癖があった。

コップの水を、決して残さないのだ。

飲みかけの麦茶を流しに捨てようとしたとき、初めて本気の声で叱られた。

「水を粗末にしんさんな」

麦茶でも白湯でも、祖母は最後の一口まで、両手で包むようにして飲み干した。

仏壇の湯呑みの水は、朝と晩、欠かさず新しいものに替えられた。

替えたあとの古い水は、捨てずに、庭の百日紅の根元にゆっくり注がれた。

子供の私は、その理由を訊かなかった。

訊いてはいけない気が、なんとなく、していたのだと思う。

そういえば祖母は、夏祭りの花火にも、一度も行かなかった。

「人混みは、かなわんけえ」

そう言って、花火の上がる夜は、いつもより早く雨戸を閉めた。

遠くで空の鳴る音がするたび、土間で洗い物をする祖母の背中が、ほんの少しだけ硬くなるのを、私は知っていた。

一度だけ、夕涼みに、川へ蛍を見に連れて行ってもらったことがある。

土手の草いきれの中で、光の粒が、水の上をゆっくり流れていった。

「きれいじゃろう」

そう言う祖母の指は、そのあいだじゅう、私の手首を強く掴んで離さなかった。

痛い、と言いかけて、やめた。

水音のするほうを見る祖母の目が、蛍ではない何かを数えているように見えたからだ。

川で泳ぎたいとせがんだときだけは、祖母はどうしても首を縦に振らなかった。

「川はな、見るだけで、ええんじゃ」

泳ぎたい盛りの子供には、ずいぶん退屈な言いつけだった。

それでも祖母の家の夏が嫌いにならなかったのは、退屈の隣に、いつも祖母の気配があったからだと思う。

縫い物をする横顔、豆を剥く指、桶の水で足を洗ってくれる手のひらの固さ。

あの家の夏は、思い出すたびに、少しずつ温度を増していく。

八月六日の朝だけ、あの町は音が変わった。

蝉はいつもどおり鳴いているのに、人の立てる音だけが、すっと引いていく。

商店街のシャッターの開く音も、自転車のベルも、その朝は遠慮がちだった。

テレビはどの局も、同じ式典を映していた。

八時十五分、祖母は仏壇の前に正座して、長いあいだ動かなかった。

割烹着の背中は小さいのに、そのときだけは、山のように見えた。

線香の煙だけが、扇風機を止めた茶の間を、まっすぐ立ちのぼっていた。

私は襖の陰から、その背中を見ていた。

声をかけられない背中というものが、この世にはあるのだと、あの頃に知った。

中学二年の夏、学校の宿題で、平和記念資料館へ行くことになった。

「ばあちゃんも、一緒に行かん?」

祖母は、庭のナスに水をやりながら、こちらを見ずに答えた。

「うちは、ええよ」

「なんで」

「行かんでも、うちの中に、あるけえ」

ホースの水が夕方の光を透かして、地面に細い虹を作っていた。

その横顔が何を見ているのか、十四歳の私には、まだ分からなかった。

資料館には、結局ひとりで行った。

焼けた三輪車や、八時十五分で止まったままの腕時計の前で、同じ年頃の子が黙って立っていた。

覚悟して行ったはずなのに、覚悟というものは、あの場所では何の役にも立たなかった。

帰りのバスの中で、感想文の下書きは、一行も書けなかった。

知った、というだけでは届かない場所があることだけを、知って帰った。

帰り道、商店街の乾物屋のおばちゃんに呼び止められて、冷えた甘酒を貰った。

「靜さんとこの孫じゃろ。資料館、行ってきたんね」

おばちゃんは、私の顔をしばらく見てから、独り言のように言った。

「あの人はな、うちらが知っとるだけでも、ようけのもんを呑み込んで生きてきた人よ」

「けど自分からは、いっぺんも言わんのんよ。偉い人じゃ」

呑み込んできたものが何なのか、そのときの私は、まだ輪郭しか知らなかった。

甘酒の紙コップを、私はその日、最後の一口まで飲み干した。

祖母の癖が、いつの間にか私にも移り始めていた。

その晩、祖母は何も訊かずに、鉄板でお好み焼きを焼いてくれた。

へらで生地を返す音と、ソースの焦げる匂いの向こうで、祖母は一度だけ言った。

「ようけ、見てきたんじゃね」

私は、うん、とだけ答えた。

それでいい、というふうに、祖母は肯いた。

仏壇には、古い白黒写真が一枚、飾ってあった。

学生服の、痩せた少年。

「若うして亡うなった、あんたの伯父さんよ」と、母から聞かされていた。

母より年上のはずのその人は、写真の中で、いつまでも中学生のままだった。

高校三年の夏、進路の相談を口実に、私はまたあの家にいた。

夜、台風の尻尾が町をかすめて、電気が落ちた。

祖母は慣れた手つきで、仏壇の抽斗から蝋燭を出してきた。

小さな火がひとつ、茶の間に灯った。

祖母は、その火から少し離れたところに座った。

「ばあちゃん、もっとこっちに寄りんさい。暗いじゃろ」

「ええんじゃ。火はな、ちいと遠いくらいが、ええ」

雨戸を叩く風の音の合間に、祖母はぽつりと言った。

「うちが十三の、夏じゃった」

それが、始まりだった。

あの朝、祖母は建物疎開の後片付けの作業で、家から離れた町なかにいた。

隣には、四つ下の妹がいた。

佐代ちゃん、という名前を、私はその夜、初めて聞いた。

仏壇のいちばん奥の、小さな位牌の名前だった。

その朝、二人は些細なことで口をきいていなかったという。

佐代は、歌のうまい子だったらしい。

おかっぱの髪を揺らして、姉の真似ばかりして、姉の持ち物を何でも欲しがった。

「うちが髪を切りゃあ、自分も切る言うてきかんし、うちが帯を替えりゃあ、自分も替えるんよ」

「かなわんかったけど、可愛かったんよ」

位牌の中の名前が、その夜、初めて、髪を揺らして笑う女の子になった。

佐代が、祖母の下駄を断りもなく履いてきたのが発端だった。

「鼻緒が緩むけえ、返しんさい言うて、朝から喧嘩しとったんよ」

「あの子が最後に聞いたうちの言葉が、あれじゃなけりゃあ、ええんじゃが」

空が光って、少し遅れて、音とも呼べない音が来た。

気がつくと、さっきまで町だったものの上に、祖母は倒れていたという。

「熱いとか、痛いとか、そがいなもんじゃなかったよ」

「世界がまるごと、裏返ったんじゃ」

祖母は佐代の名を呼び、瓦礫の中から埃だらけの手を引っぱり出した。

二人は手を繋いで、川へ向かって歩いた。

道の両側で目にしたものを、祖母は多くは語らなかった。

「見んさんな、言うて、佐代の顔をうちの袖に押しつけて歩いたんよ」

水を求める声が、そこらじゅうから聞こえたという。

「水はやっちゃいけん、言われとってな」

「コップ一杯で楽になる人がおるなら、やりゃあええのに。あの頃は、そう教わっとった」

祖母は蝋燭の火を見ずに、火が壁に作る自分の影のほうを見ていた。

川に着いたとき、対岸へ渡る橋は、もう落ちていた。

人の背中で、川面が見えんかった、と祖母は言った。

「流されんように、手ぇ繋いで、岸を歩いたんじゃ」

「ほいでも、後ろからようけ人が押してきてな」

「気がついたら」

祖母はそこで、長いこと黙った。

蝋燭の芯が、ちりっと小さく鳴った。

「妹の手をな、うちが、離したんじゃ」

声は、静かだった。

静かなまま、七十年分の重さをしていた。

「握っとった手のひらがな、汗と泥で、ぬるうなっとってな」

「するっと、抜けたんよ」

「名前を呼んだけど、人がようけおって、もう、どこが佐代か分からんかった」

「下駄がな。うちの下駄だけが、岸に残っとった」

私は、何も言えなかった。

励ましも相槌も、その夜の茶の間では、全部嘘の音がする気がした。

代わりに、祖母の手を取った。

祖母の指が、いつものように、私の手首に回った。

そのとき、分かってしまった。

「手のひらはな、汗で滑るけえ。手首なら、離れんじゃろ」

祖母は、笑おうとして、失敗した。

七十年ものあいだ、この人は誰の手を繋ぐときも、あの川岸に立ち続けていたのだ。

井戸水のコップも、仏壇の湯呑みも、必ず飲み干される最後の一口も。

ぜんぶ、あの日どうしてもやれなかった、一杯の水だったのだ。

祖母はそれから、堰が切れたようにではなく、水が染みるように、ぽつり、ぽつりと話した。

戦後、髪がごっそり抜けて、手ぬぐいを被って隠したこと。

人並みに縁談があって、「ピカの血じゃけえ」と、先方の親の一言で消えたこと。

やっと就いた縫製の仕事を、理由も告げられんまま辞めさせられたこと。

「化け物、言われたことも、あるんよ」

それを言うとき、祖母は怒っても、涙ぐんでもいなかった。

ただ、湯呑みの底を、じっと見ていた。

そんな祖母に、「わしも同じじゃけえ」と言って笑った男の人がいた。

雨の電停で、黙って傘を半分差しかけてきた人だったという。

「傘の骨が二本折れとってな。濡れんのはうちだけで、あの人はずぶ濡れよ」

それが、祖父だった。

祖父も同じ夏を潜った人で、だから二人のあいだには、説明のいらない沈黙があったのだと思う。

祖父は、私が生まれる前の年に、先に旅立った。

納戸には、骨の折れたままの古い蝙蝠傘が、ずっと立てかけてあった。

「直しゃあええのに」と言う母に、祖母は「これは、これでええんじゃ」とだけ答えていた。

二人のあいだに生まれた長男——写真の伯父は、八つのときに白血病を発症した。

「病院の廊下がな、夏じゃのに、寒うてなあ」

「あの子はな、注射のあとでも、うちに笑うて見せるんよ」

「虫が好きでな。図鑑を枕元に置いて、退院したら蝉を捕りに行く言うて」

伯父は、十五になる少し前に、旅立った。

「骨壺がな」

祖母は、湯呑みを両手で包むように持ち直した。

「軽うてなあ。あんまり軽うて、蓋を開けるまで、空じゃ思うたんよ」

原爆は、一度落ちて終わりのものではなかった。

祖母の体の中で、家族の暦の中で、それは何十年も、落ち続けていた。

あの日から何十年も経った今でも、広島には、被爆者手帳を持つ人が幾万という数で暮らしている。

名前も知られないまま、数にさえ入れられなかった人が、その何倍もいたことも。

数字で覚えたことは、数字のまま冷えていく。

だから祖母は、数字ではなく、妹の下駄の話をしたのだと思う。

母もまた、就職の面接で本籍地を見られ、「ご両親はお元気?」と念を押すように訊かれた世代だった。

そして私も、結婚の挨拶の席で、相手のお父さんの箸が一瞬止まるのを見た。

「おばあさま、広島の方なんですね」

悪気のない、ただの相槌だったのかもしれない。

それでも、あの一瞬の間を、私はまだ忘れられずにいる。

「知っとることと、想うことは、違うけえね」

蝋燭の火を挟んで、祖母は最後にそう言った。

「あんたはあんたの分だけ、想うてくれりゃあ、ええ」

それから、少しだけ間を置いて、祖母は付け足した。

「ほんまはな、忘れたい思うた日も、ようけあったんよ」

「忘れたら楽になる。ほいでも、うちが忘れたら、佐代がおった証拠が、この世からのうなる」

「じゃけえ、覚えとる。しんどうても、覚えとるほうを選んだんじゃ」

忘れないことは、祖母にとって、義務ではなく選択だった。

毎朝毎晩、湯呑みの水を替えるたびに、選び直し続けた選択だった。

電気はいつの間にか復旧していたのに、私たちはしばらく、火を消さずにいた。

祖母は五年前の冬に、九十一で旅立った。

眠っているうちの、静かな最期だったという。

納棺のとき、私は井戸水を汲んだ小さな瓶を、そっと入れさせてもらった。

「佐代ちゃんと、半分こしてね」

それだけ書いた紙を、瓶の首に結んだ。

葬儀の日、見覚えのない年配の女の人が、深く頭を下げに来た。

近くの小学校の、元教頭先生だという。

「靜枝さんには、六年生の平和学習で、十年も語り部をしていただきました」

私と母は、顔を見合わせた。

あの祖母が、教室で、子供たちの前で、あの夏を語っていたのだ。

「最初の年にな、こうおっしゃったんです。うちの中にあるもんは、うちと一緒に燃やしたらいけん気がしてきた、と」

行かんでも、うちの中にあるけえ——そう言った人は、最後には、その中身を配って歩く人になっていた。

私の知らないところで、祖母は何十回も、あの川岸に立ち直していたのだ。

しんどうても、覚えとるほうを選んだ——蝋燭の夜の言葉が、そこでようやく、私の中で像を結んだ。

教頭先生は帰り際、「手首の話をなさるとき、子供らはみんな、自分の手首を握るんですよ」と教えてくれた。

形見に貰ったのは、あの湯呑みだった。

縁が一箇所だけ薄くなっている。七十年、同じ場所に口をつけて飲み干し続けた、その跡だった。

今朝は八月六日で、東京の私の部屋にも、あの式典の中継が流れている。

チャンネルを替えれば、いつもどおりの朝の番組をやっている。

広島を離れると、八月六日は、こんなにも普通の顔をした一日なのだ。

それが、たまらなく怖いときがある。

忘れるというのは、きっと、悪意の顔をしていない。

ただの忙しい朝の顔をして、静かに来る。

四歳の娘が、画面から響く鐘の音に、ふしぎそうな顔を上げた。

「これ、なあに」

「大事な日なんよ」

気がつけば、祖母の言葉の形のままで、答えていた。

娘がもう少し大きくなったら、あの蝋燭の夜の話を、そのまま手渡そうと思う。

怖がらせるためではなく、想うための入り口として。

去年の夏、私は二十年ぶりに、ひとりで資料館を訪ねた。

止まったままの腕時計の前に、やはり、あの日の私と同じ年頃の子が立っていた。

その子は、しばらく展示を見つめたあと、自分の手首を、そっと握った。

教頭先生の言葉は、本当だった。

祖母の話は、祖母が旅立ったあとも、知らない子の手首の上で、生きていた。

祖母の湯呑みに水を注ぎ、最後の一口まで飲み干してから、私は娘と家を出た。

保育園までの道で、私は娘と手を繋ぐ。

手首ではなく、手のひらを。

汗ばんだ小さな手のひらを、私は、握り直した。

滑らないように。

離さないように。

町のどこかで、鐘が鳴っているような気がした。

東京の空に、そんな音は届かないはずなのに。

八時十五分。

私は道の途中で足を止めて、目を閉じた。

娘の手のひらだけは、離さなかった。

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