覚えていてくれたんですね

公開日: 家族 | 悲しい話 |

タクシーの車内(フリー写真)

仕事帰りに乗ったタクシーの運転手さんから聞いた話です。

ある夜、駅のロータリーでいつものように客待ちをしていると、血相を変えたサラリーマン風の男性が

「○○病院まで急ぎで!」

とタクシーに飛び乗って来ました。

男はどこかに電話をかけていましたが、相手が受け取らないようです。

ヒーヒー言いながら男は平静を保っていました。

暫くすると男の携帯電話が鳴りました。

「もしもし!母ちゃんの様子は?

そうか…。頼みがあるんだけど、受話器を母ちゃんの耳に当ててあげて!」

優しいけれども芯のある声で、男は勇気づけるように語り始めました。

「おいおい、いつまで寝てる気だよ、朝に散々、人のこと叩き起こしてた癖によ。

今、せっかく働いて、美味いもん食わしてやろうと毎日頑張ってんのに、

俺、まだなんもしてねーよ!死ぬんじゃねーよ!俺が手握るまで息してろよな」

と言って電話を切った後、男は黙りこくっていました。

しかし病院までの道のりはかなり遠かったのです。

運転手は男の苛立ちをヒシヒシと背中で感じ、信号を避けるため裏道などを利用し最善を尽くしました。

暫く走ると再び、男の携帯が鳴りました。

「もしもし…そうか…解かった…もう着くよ」

そう言って電話を切ると、男はまた黙りこくりました。

そうこうしているうちに病院に着き、男は運転手にお詫びを言い、病院の中に消えました。

私はタクシーから降りる間際、お金を渡し、涙ぐんでこう言いました。

「覚えていてくれたんですね。

これはあの時、払い忘れた運賃です。

ありがとうございました」

関連記事

恋人同士(フリー写真)

彼女のために出来ること

まだ一年程前の事です。 彼女がこの世を去りました。病死です。 その彼女と出会ったのは7年前でした。彼女はその頃、大学1年生でした。 彼女には持病があり、 「あと…

シロツメグサ

手話で結ぶ絆

私たちの娘は3歳で、ほとんど聞こえません。 その現実を知った日、私と妻はただただ涙に暮れました。繰り返し泣きました。 難聴という言葉が娘を別の世界の生き物に見せてしまうほ…

カルテを持つ医師(フリー写真)

医者になれ

高校一年生の夏休みに、両親から 「大事な話がある」 と居間に呼び出された。 親父が癌で、もう手術では治り切らない状態であると。 暑さとショックで頭がボーっとして…

ラーメン(フリー写真)

母ちゃんとラーメン

今日、俺は珍しく母ちゃんを外食に誘った。 行き先は、昔からよく行く馴染みのラーメン屋だった。 俺は味噌ラーメンの大盛り、母ちゃんは味噌ラーメンの並盛りを頼んだ。 「昔…

桜吹雪(フリー写真)

母さんのふり

結構前、家の固定電話に電話がかかってきた。 『固定電話にかけてくるなんて、誰かなぁ』 と思いながらも、電話に出てみた。 そしたら、 「もしもし? 俺だけど母さん…

サーカス(フリー写真)

ほどこしと親切

私がまだ十代の頃の話です。 サーカスの入場券を買うために、父と私は長い列に並んで順番を待っていました。 私たちの前に居るのは、ようやくあと一家族だけとなりました。 私…

親子の手

またあなたの子供になりたい

私が6歳のとき、父が再婚し、新しい母親がやって来ました。 「今日からこの人がお前のお母さんだ」と父が紹介したその日から、彼女は私を本当の子供のように可愛がってくれました。 …

手紙

母の願い

毎日の小さな痛みや苦しみがあっても、子供たちが元気でいることが、私にとっての最大の喜びです。子供たちの笑顔や元気な声を聞くと、心から幸せを感じます。子供たちがありがとうと言ってくれる…

妊婦さん(フリー写真)

普通の一家の物語

その昔、大学の同級生の女の子にがりがりに痩せた子が居た。 細身の娘が好みだったので声を掛け、程なく恋仲に。 ある日、 「心臓に大穴が空いていて、苦しい。 子供も…

夕焼け(フリー写真)

少年との約束

俺が入院していた時、隣の小児科病棟に5歳くらいの白血病の男の子が入院していた。 生まれてから一度も外に出られていない子だと聞いた。 ※ ある日、大声で泣く声がするので病室を覗…