戦友を弔うために

公開日: 悲しい話 | 戦時中の話

桜(フリー写真)

インドで傭兵としてパキスタン軍と対峙していた時、遠くから歌が聞こえてきた。

知らない言葉の歌だったが、味方のものではないことは確かなので、銃をそちらに向けた。すると上官に殴り飛ばされた。

何が何だか解らなかったが、不思議なことにパキスタン側でも銃声が止んでいた。

歌声の主は数人のご老人で、我々に気付かないのか、旗を持って一列で歩いて来ていた。

我々側もパキスタン側も、その数人のご老人が通り過ぎて見えなくなるまで、一発の銃弾も発射しなかった。

結局その日から二日間、戦闘は再開されなかった。

停戦命令も出ていないのにどうして戦闘が止んだのか解らず、上官に聞きに行った。

そのご老人たちが歌っていたのは日本の軍歌で、持っていた旗は日の丸だということを聞いた。

その話を聞いて、その夜は泣いた。

物凄く泣いた。

そのご老人たちは、第二次世界大戦で亡くなった戦友を弔いに来ていたのだと知った。

こんな危険地帯なのに、第二次世界大戦から何年も経っているのに、戦友を弔うためにこんな所まで来てくれる人たちが居ることに涙が出た。

後から知ったのだが、パキスタン側もそれが日本人で、かつてインド(パキスタン)独立のためにイギリス軍と戦った方たちだと知り、敬意を表して戦闘を中断したそうだ。

その半年後、傭兵を辞めて日本に留学した。

沢山勉強し、日本語の読み書きも覚えた。

何年も経って日本のお酒が飲めるようになり、桜を見ながら飲んでいた時、桜の花びらがコップに入った。

それを見て急に涙が出てきた。

あのご老人たちのことを思い出した。

日本人が本当に羨ましい。

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