教壇に立って三十年余り、私にはひとつだけ、生涯忘れられない教え子がいます。
その子のことを思い出すたびに、私はいつも、椿油のかすかな匂いを、鼻の奥に感じるのです。
※
齢を重ねて、教え子たちの顔も、名前も、少しずつおぼろになっていきます。
それでも、その子のことだけは、昨日のことのように思い出せるのです。
人を見た目で決めつけることが、どれほど罪深いことか。
それを、私は、その子から教わりました。
あれは、私がまだ若い教師だった頃のことです。
新しく受け持った五年生のクラスに、遥人という男の子がいました。
正直に申し上げると、私はその子が、どうしても好きになれませんでした。
いつも同じ服を着て、襟元は薄黒く汚れ、髪には寝ぐせがついたまま。
授業中はぼんやりと窓の外を眺め、話しかけても、うつむいて口を結ぶばかり。
提出物はいつも出ず、机の中はぐちゃぐちゃで、給食もひとりで黙々と食べていました。
雨の日、傘を持たずに来て、びしょ濡れのまま席に着いている日もありました。
私はハンカチを貸すこともせず、ただ床が濡れることを気にしていました。
「遥人くん、また忘れ物ですか」
私はつい、みんなの前で、きつい言い方をしてしまうことがありました。
その子が困った顔で下を向くのを見ても、私の胸は少しも痛みませんでした。
体育の時間、遥人はいつも列の後ろで、ぽつんと立っていました。
運動着を忘れたのか、それとも持っていないのか。私は深く考えもしませんでした。
掃除の時間になると、その子は誰よりも長く、黙って雑巾を絞っていました。
けれど私は、それを『要領が悪い』としか見ていなかったのです。
クラスの子が『遥人くん、くさい』と言って笑ったとき、私は強く叱りませんでした。
心のどこかで、仕方がない、と思ってしまっていた自分がいました。
今思えば、あの頃の私は、教師として、いちばん大切なものを見失っていました。
担任として恥ずかしいことですが、私は成績表の所見欄に、その子の悪いところばかりを書き連ねていたのです。
※
学期の終わり、指導要録を整理していたときのことでした。
何気なく、遥人の一年生からの記録を、順に目で追っていきました。
一年生の欄には、こう書かれていました。
「明るく朗らか。友達思いで、誰にでも親切。勉強もよくでき、将来がとても楽しみ」
私は、思わず手を止めました。
何かの間違いだ。別の子の記録に違いない。そう思いました。
だって、私の知っている遥人は、こんな子ではないのですから。
けれど、二年生の欄を読んで、私は言葉を失いました。
「母親が病気がちで、家の世話をしなければならず、時々遅刻する」
三年生には、こうありました。
「母の病が重くなり、疲れているのか、授業中に居眠りをすることが増えた」
そして、三年生の後半の記録に、私の指は震えました。
「母、逝去。ひどく気落ちしており、笑顔を見せなくなった」
四年生の欄には、前の担任の、こんな走り書きが残されていました。
「父は生きる気力を失い、酒に溺れている。子に手を上げることもあるようだ。要見守り」
私の胸を、鋭い痛みが貫きました。
だめな子だと決めつけていたその子が、突然、深い悲しみを抱えて必死に生き抜いている、一人の人間として、私の前に立ち現れたのです。
目を開かれる、というのは、ああいう瞬間のことを言うのでしょう。
その夜、私は家に帰っても、記録の文字が頭から離れませんでした。
母を亡くし、父に叩かれ、それでも毎朝、あの子は学校に来ていたのです。
寝ぐせも、汚れた襟も、誰も髪をとかしてくれる人が、いなくなったからでした。
忘れ物は、家に、それを揃えてくれる人が、いなくなったからでした。
私が『だらしない』と決めつけていたものは、すべて、あの子の哀しみのかたちだったのです。
私は布団の中で、自分の浅はかさを恥じ、声を殺して泣きました。
私は、自分がこの数か月、あの子にどんな言葉を投げつけてきたかを思い、いたたまれなくなりました。
※
私は、これまで自分が書いてきた所見欄を、読み返しました。
『忘れ物が多い』『落ち着きがない』『協調性に欠ける』。
その一行一行が、まるで刃のように、自分に返ってきました。
私は、あの子の哀しみを、ただの欠点として記録していたのです。
教師である前に、人として、恥ずかしいことでした。
その日の放課後、私は教室に残っていた遥人に、思い切って声をかけました。
「遥人くん。先生、夕方まで教室でお仕事をするの。よかったら、一緒に勉強していかない?」
その子は、驚いたように顔を上げました。
「わからないところがあったら、先生が教えてあげる。どう?」
遥人は、少しためらってから、こくりとうなずきました。
「本当に、いいんですか。ぼく、勉強、苦手なのに」
遥人が、小さな声で聞きました。
「大丈夫。ゆっくり、一緒にやればいいの」
私がそう言うと、その子の目が、少しうるんだように見えました。
そして、その日、私は初めて、その子の笑顔を見たのです。
ぎこちなくて、けれど、こぼれるような笑顔でした。
※
翌朝、私はいつもより早く学校へ行き、遥人が来るのを待ちました。
教室に入ってきたその子に、私は櫛を渡して言いました。
「おはよう。今日は、寝ぐせ、直していこうか」
その子は驚いた顔をしましたが、こくりとうなずきました。
髪をとかすと、ぼさぼさだった前髪が、きれいに整いました。
その日から、遥人の身なりは、少しずつ変わっていきました。
それから遥人は、毎日、放課後の教室に残るようになりました。
自分の机で、予習と復習を、それはもう熱心に続けました。
私は隣の椅子に座って、その子の鉛筆の動きを、そっと見守りました。
わからない漢字を、一緒に何度も書きました。
算数の文章題を、図に描いて、二人で考えました。
窓の外が茜色に染まる教室で、鉛筆の走る音だけが、かさかさと響いていました。
「先生、この字、なんて読むんですか」
遥人が、おずおずと質問してくるようになりました。
「これはね、『幸せ』って読むのよ」
私がそう教えると、その子はノートに、何度もその字を書きました。
あるとき、その子がぽつりと言いました。
「お母さんは、字がとってもきれいだったんです」
私は、鉛筆を持つその小さな手を、そっと包みました。
「そう。だから遥人くんも、きっときれいな字になるわね」
その子は、はにかんで、また鉛筆を動かしました。
教室に差し込む夕日が、二人の机を、あたたかく照らしていました。
ある日の授業で、遥人が初めて、自分から手を挙げました。
小さく、けれどまっすぐに伸びた手を見たとき、私の胸に、大きな喜びがこみ上げました。
その子は、少しずつ、自信を取り戻し始めていたのです。
「遥人くん、よく手を挙げましたね」
授業のあと、私がそう声をかけると、その子は照れくさそうに笑いました。
その笑顔は、もう、あの寂しげな子のものではありませんでした。
クラスの子たちも、いつのまにか、遥人に話しかけるようになっていました。
※
クリスマスの、午後のことでした。
帰りの会が終わると、遥人が、もじもじしながら私のそばへ来ました。
そして、古い包み紙にくるまれた、小さなものを、私の胸にぐいと押し付けたのです。
「先生に。……メリークリスマス」
そう言うと、耳まで真っ赤にして、走って帰っていきました。
職員室で、そっと包みを開いてみると、中から出てきたのは、一本の古い櫛でした。
黄楊の櫛です。歯が少し欠けていて、長く使い込まれたものでした。
櫛からは、椿油の、かすかな匂いがしました。
それは間違いなく、亡くなったあの子のお母さんが、髪をとかすのに使っていたものでした。
あの子にとって、たったひとつ残された、お母さんの形見だったのです。
それを、私にくれた。
欠けた歯の一本一本に、あの子の暮らしの重みが、しみ込んでいるようでした。
母を亡くしてから、あの子はこの櫛を、どんな思いで握りしめてきたのでしょう。
それを、たったひとつの宝物を、あの子は私にくれたのです。
私は、しばらく席を立つことができませんでした。
※
その日の夕暮れ、私はその櫛で、自分の髪をひとなでしました。
椿油の匂いが、ふわりと立ちのぼりました。
そして私は、遥人の家を訪ねてみようと思い立ちました。
教えてもらった住所は、町はずれの、古い平屋でした。
戸を叩くと、散らかった部屋の中で、遥人がひとり、本を読んでいました。
台所には、洗われていない食器が積み上がっていました。
畳の上には、空になった酒の瓶が、いくつも転がっていました。
それでも、部屋の隅の小さな机の上だけは、きちんと片づいていました。
そこには、学校で使う教科書とノートが、大切そうに並べられていました。
顔を上げた遥人は、私に気づくと、はじかれたように駆け寄ってきました。
そして、私の胸に顔をうずめて、こう叫んだのです。
「ああ、お母さんの匂いだ。今日は、最高のクリスマスだ」
その細い肩が、震えていました。
私は、その背中を、ただ黙って、いつまでもさすっていました。
※
※
放課後のある日、遥人が、ぽつぽつと母親の話をしてくれたことがあります。
「お母さんは、いつも椿油で髪をとかしてくれたんです」
「ぼくの頭も、とかしてくれて。いい匂いがして、あったかかった」
「病気になってからも、ぼくが学校に行くとき、玄関で手を振ってくれました」
その子は、遠くを見るような目で、静かに語りました。
「もう、あの匂いを、忘れちゃいそうで。それが、いちばん、こわいんです」
私は、かける言葉が見つからず、ただうなずくことしか、できませんでした。
冬のある日、私は思い切って、遥人の家をもう一度訪ねました。
父親に、一度きちんと会っておきたかったのです。
戸を開けたお父さんは、無精ひげを生やし、疲れ切った顔をしていました。
はじめは、警戒するようにこちらを見ていました。
「遥人くんは、とても頑張り屋さんですよ。この前、授業で手を挙げたんです」
私がそう伝えると、お父さんの表情が、わずかに揺れました。
「……あいつ、学校で、そんなことを」
「はい。お母さんの分まで、一生懸命に生きています」
お父さんは、うつむいて、しばらく黙っていました。
その目に、涙が浮かんでいるのを、私は見ました。
何かが変わるきっかけに、なってくれればいい。私は、そう祈るような気持ちで、帰りました。
翌年、遥人が六年生になると、私はその子の担任ではなくなりました。
けれど、卒業の日、遥人から一枚のカードを受け取りました。
「先生は、僕にとって、お母さんのような人でした。今まで出会った中で、いちばん素敵な先生です」
私は、廊下の隅で、そのカードを何度も読み返しました。
※
それから六年が過ぎ、また一枚のカードが届きました。
「明日は高校の卒業式です。五年生のとき、先生に受け持ってもらえて、本当に幸せでした」
「おかげで、奨学金をいただいて、医学部へ進むことができます」
あの、うつむいてばかりいた子が、医者を志すまでになったのです。
私は、そのカードを仏壇に供えて、あの子のお母さんに、そっと報告しました。
※
その間に、私も歳を取りました。
担任したクラスは、いくつも卒業し、たくさんの子どもたちを送り出しました。
けれど、机の引き出しには、いつもあの黄楊の櫛が、しまってありました。
迷ったとき、疲れたとき、私はその櫛をそっと取り出して、匂いをかぎました。
椿油の匂いは、いつも私に、教師としての初心を思い出させてくれました。
さらに十年の月日が流れ、また、遥人からカードが届きました。
そこには、私と出会えたことへの感謝と、こんな言葉がつづられていました。
「父に叩かれた記憶があるからこそ、僕は、患者さんの痛みがわかる医者になれると思います」
「僕はよく、五年生のときの先生を思い出します。あのままだめになっていたはずの僕を、救ってくださった先生を」
「今でも、僕にとって、最高の先生です」
私は、もう、涙をこらえることができませんでした。
※
そして、その翌年のことです。
届いた封筒を開けると、それは、一枚の結婚式の招待状でした。
新郎の名前の欄に、あの子の名前がありました。
招待状の隅に、あの懐かしい字で、一行だけ、書き添えられていました。
「どうか、母の席に座ってください」
式場に着くと、受付で、あの子が待っていてくれました。
すっかり大人になり、白い医師のような清潔な佇まいの、立派な青年でした。
「先生。来てくださって、ありがとうございます」
深々と頭を下げるその姿に、私は、あのうつむいてばかりいた少年の面影を、確かに見ました。
控室で、あの子は私に、一枚の写真を見せてくれました。
若いお母さんが、幼い遥人を抱いて、やさしく笑っている写真でした。
「この写真、ずっとお守りにしてたんです」
「先生に、いちばんに見てほしくて」
私は、写真の中のお母さんに、心の中で語りかけました。
あなたの息子さんは、こんなに立派になりましたよ、と。
披露宴で、親族席の、母の座るはずだった椅子に、私は座らせてもらいました。
新婦の隣で、あの子が、まぶしそうに私を見ていました。
スピーチの時間、あの子はマイクの前で、こう言いました。
「僕には、母がいません。でも、母のような先生が、いてくれました」
「先生が、僕を人間として見てくれた日から、僕の人生は、始まったんです」
会場が、あたたかい拍手に包まれました。
私は、鞄の中の櫛を、そっと握りしめていました。
私は、あの黄楊の櫛を鞄にそっと忍ばせて、式へ向かいました。
椿油の匂いを、ひとなで、髪にまとって。
あの日、だめな子だと決めつけていた自分を、私は今も恥じています。
けれど、あの子が押し付けてくれた小さな包みが、教師としての私を、本当に育ててくれたのだと思います。
式の帰り際、あの子は私の手を、両手でそっと握りました。
「先生の手、あの頃と同じで、あったかいです」
その言葉に、私は不覚にも、また涙がこぼれました。
帰り道、私は駅のホームで、暮れていく空を、ひとり眺めていました。
あの子の、初めて見せた笑顔。初めて挙げた手。押し付けてくれた小さな包み。
ひとつひとつが、宝物のように、胸によみがえりました。
人は、誰かに信じてもらえたとき、初めて、生き直すことができる。
どんな子の中にも、まだ誰にも見つけられていない光が、きっと宿っているのです。
それを教えてくれたのは、ほかならぬ、あの子でした。
あの櫛は、今も私の手元にあります。
歯の欠けた、小さな黄楊の櫛。
それは、私が教師として受け取った、いちばんの宝物です。
あの子は今も、年に一度、私に便りをくれます。
立派なお医者さんとして、患者さんに寄り添う日々を送っているそうです。
便りの最後には、いつも決まって、こう書かれています。
「先生、椿油の匂いを、忘れないでいてくれますか」
忘れるものですか。私の教師人生の、いちばん大切な匂いなのですから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。