お母さんの匂い

教壇に立って三十年余り、私にはひとつだけ、生涯忘れられない教え子がいます。

その子のことを思い出すたびに、私はいつも、椿油のかすかな匂いを、鼻の奥に感じるのです。

齢を重ねて、教え子たちの顔も、名前も、少しずつおぼろになっていきます。

それでも、その子のことだけは、昨日のことのように思い出せるのです。

人を見た目で決めつけることが、どれほど罪深いことか。

それを、私は、その子から教わりました。

あれは、私がまだ若い教師だった頃のことです。

新しく受け持った五年生のクラスに、遥人という男の子がいました。

正直に申し上げると、私はその子が、どうしても好きになれませんでした。

いつも同じ服を着て、襟元は薄黒く汚れ、髪には寝ぐせがついたまま。

授業中はぼんやりと窓の外を眺め、話しかけても、うつむいて口を結ぶばかり。

提出物はいつも出ず、机の中はぐちゃぐちゃで、給食もひとりで黙々と食べていました。

雨の日、傘を持たずに来て、びしょ濡れのまま席に着いている日もありました。

私はハンカチを貸すこともせず、ただ床が濡れることを気にしていました。

「遥人くん、また忘れ物ですか」

私はつい、みんなの前で、きつい言い方をしてしまうことがありました。

その子が困った顔で下を向くのを見ても、私の胸は少しも痛みませんでした。

体育の時間、遥人はいつも列の後ろで、ぽつんと立っていました。

運動着を忘れたのか、それとも持っていないのか。私は深く考えもしませんでした。

掃除の時間になると、その子は誰よりも長く、黙って雑巾を絞っていました。

けれど私は、それを『要領が悪い』としか見ていなかったのです。

クラスの子が『遥人くん、くさい』と言って笑ったとき、私は強く叱りませんでした。

心のどこかで、仕方がない、と思ってしまっていた自分がいました。

今思えば、あの頃の私は、教師として、いちばん大切なものを見失っていました。

担任として恥ずかしいことですが、私は成績表の所見欄に、その子の悪いところばかりを書き連ねていたのです。

学期の終わり、指導要録を整理していたときのことでした。

何気なく、遥人の一年生からの記録を、順に目で追っていきました。

一年生の欄には、こう書かれていました。

「明るく朗らか。友達思いで、誰にでも親切。勉強もよくでき、将来がとても楽しみ」

私は、思わず手を止めました。

何かの間違いだ。別の子の記録に違いない。そう思いました。

だって、私の知っている遥人は、こんな子ではないのですから。

けれど、二年生の欄を読んで、私は言葉を失いました。

「母親が病気がちで、家の世話をしなければならず、時々遅刻する」

三年生には、こうありました。

「母の病が重くなり、疲れているのか、授業中に居眠りをすることが増えた」

そして、三年生の後半の記録に、私の指は震えました。

「母、逝去。ひどく気落ちしており、笑顔を見せなくなった」

四年生の欄には、前の担任の、こんな走り書きが残されていました。

「父は生きる気力を失い、酒に溺れている。子に手を上げることもあるようだ。要見守り」

私の胸を、鋭い痛みが貫きました。

だめな子だと決めつけていたその子が、突然、深い悲しみを抱えて必死に生き抜いている、一人の人間として、私の前に立ち現れたのです。

目を開かれる、というのは、ああいう瞬間のことを言うのでしょう。

その夜、私は家に帰っても、記録の文字が頭から離れませんでした。

母を亡くし、父に叩かれ、それでも毎朝、あの子は学校に来ていたのです。

寝ぐせも、汚れた襟も、誰も髪をとかしてくれる人が、いなくなったからでした。

忘れ物は、家に、それを揃えてくれる人が、いなくなったからでした。

私が『だらしない』と決めつけていたものは、すべて、あの子の哀しみのかたちだったのです。

私は布団の中で、自分の浅はかさを恥じ、声を殺して泣きました。

私は、自分がこの数か月、あの子にどんな言葉を投げつけてきたかを思い、いたたまれなくなりました。

私は、これまで自分が書いてきた所見欄を、読み返しました。

『忘れ物が多い』『落ち着きがない』『協調性に欠ける』。

その一行一行が、まるで刃のように、自分に返ってきました。

私は、あの子の哀しみを、ただの欠点として記録していたのです。

教師である前に、人として、恥ずかしいことでした。

その日の放課後、私は教室に残っていた遥人に、思い切って声をかけました。

「遥人くん。先生、夕方まで教室でお仕事をするの。よかったら、一緒に勉強していかない?」

その子は、驚いたように顔を上げました。

「わからないところがあったら、先生が教えてあげる。どう?」

遥人は、少しためらってから、こくりとうなずきました。

「本当に、いいんですか。ぼく、勉強、苦手なのに」

遥人が、小さな声で聞きました。

「大丈夫。ゆっくり、一緒にやればいいの」

私がそう言うと、その子の目が、少しうるんだように見えました。

そして、その日、私は初めて、その子の笑顔を見たのです。

ぎこちなくて、けれど、こぼれるような笑顔でした。

翌朝、私はいつもより早く学校へ行き、遥人が来るのを待ちました。

教室に入ってきたその子に、私は櫛を渡して言いました。

「おはよう。今日は、寝ぐせ、直していこうか」

その子は驚いた顔をしましたが、こくりとうなずきました。

髪をとかすと、ぼさぼさだった前髪が、きれいに整いました。

その日から、遥人の身なりは、少しずつ変わっていきました。

それから遥人は、毎日、放課後の教室に残るようになりました。

自分の机で、予習と復習を、それはもう熱心に続けました。

私は隣の椅子に座って、その子の鉛筆の動きを、そっと見守りました。

わからない漢字を、一緒に何度も書きました。

算数の文章題を、図に描いて、二人で考えました。

窓の外が茜色に染まる教室で、鉛筆の走る音だけが、かさかさと響いていました。

「先生、この字、なんて読むんですか」

遥人が、おずおずと質問してくるようになりました。

「これはね、『幸せ』って読むのよ」

私がそう教えると、その子はノートに、何度もその字を書きました。

あるとき、その子がぽつりと言いました。

「お母さんは、字がとってもきれいだったんです」

私は、鉛筆を持つその小さな手を、そっと包みました。

「そう。だから遥人くんも、きっときれいな字になるわね」

その子は、はにかんで、また鉛筆を動かしました。

教室に差し込む夕日が、二人の机を、あたたかく照らしていました。

ある日の授業で、遥人が初めて、自分から手を挙げました。

小さく、けれどまっすぐに伸びた手を見たとき、私の胸に、大きな喜びがこみ上げました。

その子は、少しずつ、自信を取り戻し始めていたのです。

「遥人くん、よく手を挙げましたね」

授業のあと、私がそう声をかけると、その子は照れくさそうに笑いました。

その笑顔は、もう、あの寂しげな子のものではありませんでした。

クラスの子たちも、いつのまにか、遥人に話しかけるようになっていました。

クリスマスの、午後のことでした。

帰りの会が終わると、遥人が、もじもじしながら私のそばへ来ました。

そして、古い包み紙にくるまれた、小さなものを、私の胸にぐいと押し付けたのです。

「先生に。……メリークリスマス」

そう言うと、耳まで真っ赤にして、走って帰っていきました。

職員室で、そっと包みを開いてみると、中から出てきたのは、一本の古い櫛でした。

黄楊の櫛です。歯が少し欠けていて、長く使い込まれたものでした。

櫛からは、椿油の、かすかな匂いがしました。

それは間違いなく、亡くなったあの子のお母さんが、髪をとかすのに使っていたものでした。

あの子にとって、たったひとつ残された、お母さんの形見だったのです。

それを、私にくれた。

欠けた歯の一本一本に、あの子の暮らしの重みが、しみ込んでいるようでした。

母を亡くしてから、あの子はこの櫛を、どんな思いで握りしめてきたのでしょう。

それを、たったひとつの宝物を、あの子は私にくれたのです。

私は、しばらく席を立つことができませんでした。

その日の夕暮れ、私はその櫛で、自分の髪をひとなでしました。

椿油の匂いが、ふわりと立ちのぼりました。

そして私は、遥人の家を訪ねてみようと思い立ちました。

教えてもらった住所は、町はずれの、古い平屋でした。

戸を叩くと、散らかった部屋の中で、遥人がひとり、本を読んでいました。

台所には、洗われていない食器が積み上がっていました。

畳の上には、空になった酒の瓶が、いくつも転がっていました。

それでも、部屋の隅の小さな机の上だけは、きちんと片づいていました。

そこには、学校で使う教科書とノートが、大切そうに並べられていました。

顔を上げた遥人は、私に気づくと、はじかれたように駆け寄ってきました。

そして、私の胸に顔をうずめて、こう叫んだのです。

「ああ、お母さんの匂いだ。今日は、最高のクリスマスだ」

その細い肩が、震えていました。

私は、その背中を、ただ黙って、いつまでもさすっていました。

放課後のある日、遥人が、ぽつぽつと母親の話をしてくれたことがあります。

「お母さんは、いつも椿油で髪をとかしてくれたんです」

「ぼくの頭も、とかしてくれて。いい匂いがして、あったかかった」

「病気になってからも、ぼくが学校に行くとき、玄関で手を振ってくれました」

その子は、遠くを見るような目で、静かに語りました。

「もう、あの匂いを、忘れちゃいそうで。それが、いちばん、こわいんです」

私は、かける言葉が見つからず、ただうなずくことしか、できませんでした。

冬のある日、私は思い切って、遥人の家をもう一度訪ねました。

父親に、一度きちんと会っておきたかったのです。

戸を開けたお父さんは、無精ひげを生やし、疲れ切った顔をしていました。

はじめは、警戒するようにこちらを見ていました。

「遥人くんは、とても頑張り屋さんですよ。この前、授業で手を挙げたんです」

私がそう伝えると、お父さんの表情が、わずかに揺れました。

「……あいつ、学校で、そんなことを」

「はい。お母さんの分まで、一生懸命に生きています」

お父さんは、うつむいて、しばらく黙っていました。

その目に、涙が浮かんでいるのを、私は見ました。

何かが変わるきっかけに、なってくれればいい。私は、そう祈るような気持ちで、帰りました。

翌年、遥人が六年生になると、私はその子の担任ではなくなりました。

けれど、卒業の日、遥人から一枚のカードを受け取りました。

「先生は、僕にとって、お母さんのような人でした。今まで出会った中で、いちばん素敵な先生です」

私は、廊下の隅で、そのカードを何度も読み返しました。

それから六年が過ぎ、また一枚のカードが届きました。

「明日は高校の卒業式です。五年生のとき、先生に受け持ってもらえて、本当に幸せでした」

「おかげで、奨学金をいただいて、医学部へ進むことができます」

あの、うつむいてばかりいた子が、医者を志すまでになったのです。

私は、そのカードを仏壇に供えて、あの子のお母さんに、そっと報告しました。

その間に、私も歳を取りました。

担任したクラスは、いくつも卒業し、たくさんの子どもたちを送り出しました。

けれど、机の引き出しには、いつもあの黄楊の櫛が、しまってありました。

迷ったとき、疲れたとき、私はその櫛をそっと取り出して、匂いをかぎました。

椿油の匂いは、いつも私に、教師としての初心を思い出させてくれました。

さらに十年の月日が流れ、また、遥人からカードが届きました。

そこには、私と出会えたことへの感謝と、こんな言葉がつづられていました。

「父に叩かれた記憶があるからこそ、僕は、患者さんの痛みがわかる医者になれると思います」

「僕はよく、五年生のときの先生を思い出します。あのままだめになっていたはずの僕を、救ってくださった先生を」

「今でも、僕にとって、最高の先生です」

私は、もう、涙をこらえることができませんでした。

そして、その翌年のことです。

届いた封筒を開けると、それは、一枚の結婚式の招待状でした。

新郎の名前の欄に、あの子の名前がありました。

招待状の隅に、あの懐かしい字で、一行だけ、書き添えられていました。

「どうか、母の席に座ってください」

式場に着くと、受付で、あの子が待っていてくれました。

すっかり大人になり、白い医師のような清潔な佇まいの、立派な青年でした。

「先生。来てくださって、ありがとうございます」

深々と頭を下げるその姿に、私は、あのうつむいてばかりいた少年の面影を、確かに見ました。

控室で、あの子は私に、一枚の写真を見せてくれました。

若いお母さんが、幼い遥人を抱いて、やさしく笑っている写真でした。

「この写真、ずっとお守りにしてたんです」

「先生に、いちばんに見てほしくて」

私は、写真の中のお母さんに、心の中で語りかけました。

あなたの息子さんは、こんなに立派になりましたよ、と。

披露宴で、親族席の、母の座るはずだった椅子に、私は座らせてもらいました。

新婦の隣で、あの子が、まぶしそうに私を見ていました。

スピーチの時間、あの子はマイクの前で、こう言いました。

「僕には、母がいません。でも、母のような先生が、いてくれました」

「先生が、僕を人間として見てくれた日から、僕の人生は、始まったんです」

会場が、あたたかい拍手に包まれました。

私は、鞄の中の櫛を、そっと握りしめていました。

私は、あの黄楊の櫛を鞄にそっと忍ばせて、式へ向かいました。

椿油の匂いを、ひとなで、髪にまとって。

あの日、だめな子だと決めつけていた自分を、私は今も恥じています。

けれど、あの子が押し付けてくれた小さな包みが、教師としての私を、本当に育ててくれたのだと思います。

式の帰り際、あの子は私の手を、両手でそっと握りました。

「先生の手、あの頃と同じで、あったかいです」

その言葉に、私は不覚にも、また涙がこぼれました。

帰り道、私は駅のホームで、暮れていく空を、ひとり眺めていました。

あの子の、初めて見せた笑顔。初めて挙げた手。押し付けてくれた小さな包み。

ひとつひとつが、宝物のように、胸によみがえりました。

人は、誰かに信じてもらえたとき、初めて、生き直すことができる。

どんな子の中にも、まだ誰にも見つけられていない光が、きっと宿っているのです。

それを教えてくれたのは、ほかならぬ、あの子でした。

あの櫛は、今も私の手元にあります。

歯の欠けた、小さな黄楊の櫛。

それは、私が教師として受け取った、いちばんの宝物です。

あの子は今も、年に一度、私に便りをくれます。

立派なお医者さんとして、患者さんに寄り添う日々を送っているそうです。

便りの最後には、いつも決まって、こう書かれています。

「先生、椿油の匂いを、忘れないでいてくれますか」

忘れるものですか。私の教師人生の、いちばん大切な匂いなのですから。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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