先月の終わりの、よく晴れた午後のことでした。主治医は、レントゲンに映った白い影を指したまま、しばらく言葉を探すように黙り込んでいました。
そして、できるだけ穏やかにしようとする声で、私に残された時間は、あと三月ほどだろうと告げました。覚悟をしていなかったわけではありません。それでも、いざその数字を耳にすると、頭の芯がしびれたように、何も考えられなくなりました。
窓の外では、桜がもう葉桜になりかけていて、風が吹くたびに、淡い緑がさらさらと、乾いた音を立てていました。
不思議なほど、涙は出てきませんでした。ただ、世界がひどく静かに、自分から遠くなってしまったように感じただけでした。自分の体のことなのに、まるで遠い他人の話を聞いているようで、私はぼんやりと、その葉桜の揺れを、いつまでも眺めていました。
※
少し気持ちが落ち着いてから、私は無理を言って、退院の手続きを済ませました。残された日々を、消毒液の匂いのする白い天井を見上げて過ごすのは、どうしても嫌だったのです。
いまの私は、もう一度だけ会っておきたい人を、心の中で指折り数えては、一人ずつ訪ねて歩いています。先週は、幼い頃に世話になった伯母を訪ねました。その前の週は、長く便りの絶えていた、学生時代の友人に会いに行きました。
湿っぽくなるのが嫌で、病のことは誰にも伏せたまま。体の動く日にだけ、いつもと変わらない顔をして、出かけていくのです。会って、他愛のない話をして、笑って別れる。たったそれだけのことが、いまの私には、一日まるごとが宝物のように思えるのでした。
残された時間というものが、こんなにも一日一日を、まばゆく輝かせるのだということを、私はこの歳になって、初めて知りました。
これまでの私は、明日があることを、当たり前のことだと思って生きてきました。やりたいことは、いつかやればいい。会いたい人には、いつか会えばいい。そう思っているうちに、たくさんの「いつか」を、私は取りこぼしてきたのです。
けれど、その「いつか」は、永遠に続くわけではありませんでした。そのことに気づいたとき、私は、残された一日一日を、もう二度と無駄にはすまいと、静かに心に決めました。
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昨日訪ねたのは、高校で山岳部の顧問をしてくださった、谷口先生でした。先生はもう教師を退き、いまは山あいの湖のほとりで、小さな喫茶店を営んでいます。
そもそも私に「山を歩いてみないか」と声をかけてくれたのは、ほかでもない、その谷口先生でした。運動が苦手で、休み時間はいつも教室の隅で本を読んでいた私に、先生はなぜか、目をかけてくれたのです。
入部して初めての夏、私は息も絶え絶えになりながら、急な登山道を登りました。リュックの肩紐が肩に食い込み、ふくらはぎは鉛のように重く、何度も岩に座り込んでは、もう帰りたいと、半泣きになったのを覚えています。
それでも先生は、決して急かしませんでした。私の遅い歩幅にぴたりと合わせて、ただ黙って、後ろをついて歩いてくれました。
ようやく稜線にたどり着いたとき、目の前には、見渡すかぎりの雲海が、朝の光を受けて、白く輝いて広がっていました。風が、汗ばんだ頬を心地よく撫でていきました。
「ほら、ここからが本当の景色だ」
先生は、息を切らした私の隣で、まぶしそうに目を細めて、そう言いました。
あの一言がうれしくて、あの景色が忘れられなくて、私はそれから何度も、何度も山に登るようになったのです。先生はよく「しんどい坂のあとほど、いい景色が待ってる」と言っていました。
忘れられない冬の日もあります。
雪の積もった低い山に登ったとき、私は途中で足を滑らせ、急な斜面を、数メートルほど滑り落ちてしまいました。幸い、大きな怪我はありませんでしたが、私は雪の中で動けなくなり、情けなさと寒さとで、ぼろぼろと泣きました。
そのとき先生は、私を背負って、ゆっくりと山を下りてくれました。背中越しに「怖かったな。でも、よく頑張った」と、何度も言ってくれた、あの声を、私はいまも覚えています。
先生は、できないことを責める人ではありませんでした。できたことを、小さなことでも、必ず見つけて、喜んでくれる人でした。
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卒業して社会に出てからも、私はことあるごとに、あの湖の喫茶店へ通い続けました。古い丸太づくりの店で、扉を開けると、薪ストーブの匂いと、深く煎った珈琲の香りが、いつも混じり合って、私を迎えてくれました。
窓の外には、季節ごとに色を変える湖が、いつも静かに横たわっていました。春には新緑を映し、秋には燃えるような紅葉を映す、その水面を眺めるのが、私は何よりも好きでした。
二十代の半ば、私は仕事に行き詰まり、何もかも投げ出してしまいたくなった夜がありました。職場での人間関係に疲れ果て、自分には何の価値もないように思えて、どうしようもなかったのです。
終電を乗り継いで、私は閉店間際のその店に、転がり込むように駆け込みました。そして、カウンターの隅の席に座るなり、こらえきれずに、声を殺して泣いたのです。
先生は、理由を聞きませんでした。ただ、湯気の立つ温かい珈琲を一杯、私の前にそっと置いてくれました。
「逃げてもいい。逃げるのは、決して負けじゃないんだ」
先生は、布巾でカップを磨きながら、ぽつりと言いました。
「ただ、逃げ方だけは、自分で選べ。人に流されて、何となく逃げるな。それだけは、約束しろ」
その言葉に、私はその後の人生で、何度も、何度も救われることになりました。気づけば谷口先生は、私にとって、もう一人の父親のような存在になっていたのです。
あの夜、店を出る間際に、先生は私に古い文庫本を一冊くれました。山の写真がたくさん載った、小さな本でした。
「行き詰まったら、これを開け。山は、逃げも隠れもしないからな」
その本は、いまでも私の枕もとにあります。頁をめくるたびに、薪ストーブの匂いと、あの夜の珈琲の温かさが、よみがえってくるようでした。
※
昨日も、私はいつものカウンターで、先生と他愛のない話をしていました。高校時代のこと、卒業してからのこと、先生がいまこだわっているという、珈琲豆の産地の話。
湯気の向こうで、目尻に皺を寄せて笑う先生の顔を見ていると、私はつかのま、自分の体のことを、すっかり忘れていられました。
けれど、ふいに先生が、カップを置く手を止めて、私の顔をじっと見つめました。その目は、いつになく真剣でした。
「お前、最近、昔の仲間に挨拶して回ってるそうだな」
私の心臓が、とくん、と大きく跳ねました。
「様子がおかしいと、何人かから聞いた。……お前、何かあったのか」
私は、ごまかすことができませんでした。ほかの誰に隠しても、この人にだけは、嘘をつきたくなかったのです。
「……誰にも、言わないでほしいんです」
そう前置きして、私は病のことと、残された時間のことを、ぽつり、ぽつりと、自分でも驚くほど静かに話しました。
先生は、最後まで、何も言いませんでした。ただ、冷めかけた私の珈琲に、角砂糖をもう一つ、そっと落としてくれただけでした。
「甘くしておけ。今日くらいは、いいだろう」
そう言った先生の声が、ほんの少しだけ、震えていました。窓の外の湖が、夕日を浴びて、橙色に染まり始めていました。
※
長い沈黙のあと、私たちは店を出ました。外はもう薄暗くなっていて、湖の上を、冷たい夕風が渡っていきました。
「お前、まだ、少しは歩けるか」
先生が、暮れていく空を見上げたまま、聞きました。
「座っている分には、平気です」
そう答えると、先生は「ちょっと待ってろ」と言い残して、店の裏のほうへ消えていきました。
しばらくして戻ってきた先生の手には、古い手漕ぎボートの櫂が、二本握られていました。塗装の剥げた、使い込まれた櫂でした。
「昔から、お前に見せたかった景色があるんだ」
「明日の朝、付き合え。うんと早いぞ。日の出前だ」
そのいたずらっぽい目を見て、断る理由など、私にはどこにもありませんでした。
※
翌朝、まだ空に星の残る時刻に、私は約束どおり、湖のほとりに立っていました。吐く息は白く、頬を刺す空気は、痛いほどに澄んでいました。
水面には朝靄が低く這い、対岸の山々は、まだ濃い藍色の中で、深く眠っているようでした。あたりには、人の気配ひとつありませんでした。
先生は、小さな木のボートを岸に寄せると、私に節くれだった大きな手を差し出しました。
「ほら、ゆっくり乗れ。慌てるな」
揺れる舟に身を預けると、濡れた木の匂いと、湖のすこし青臭い匂いが、つんと鼻をくすぐりました。座面の木は、しっとりと夜露に濡れて、冷たさが、じわりと体に伝わってきました。
先生が櫂を入れるたびに、ぴちゃ、ぴちゃ、と、静かな水音が、波紋とともに広がっていきました。その音のほかには、遠くで水鳥が一度だけ鳴いた、おそろしいほど深い静けさでした。
「私も、漕ぐのを手伝います」
そう言って櫂に手を伸ばしましたが、私の指には、もう、ほとんど力が残っていませんでした。櫂は、頼りなく水面を滑るばかりで、ちっとも舟を進めてはくれません。
自分の手が、こんなにも頼りなくなっていたのかと、私は思わず、うつむいてしまいました。
そんな私を見て、先生は、首に巻いていた手ぬぐいを、すっと外しました。そして、私の両の手首を、櫂の柄にそっと結わえ、その上から、ごつごつとした大きな手を、しっかりと重ねてくれたのです。
「これで、ちゃんと一緒に漕いでることになる」
結び目を通して、先生の手のひらの温かさが、私の冷えきった指先に、じんわりと、ゆっくり伝わってきました。
二人で漕ぐ舟は、ほとんど進んでいないのではないかと思うほど、ゆっくりでした。それでも、確かに、少しずつ、前へと進んでいました。
※
湖の真ん中あたりで、先生は、ふと櫂を止めました。
ちょうどそのとき、対岸の山の端から、朝日が一筋、白い靄を裂いて、まっすぐに差し込んできました。
それまで灰色だった水面が、その瞬間、こぼれた金を一面に流したように、きらきらと、まばゆく光りました。
あまりの美しさに、私は「きれいですね」と言ったきり、あとの言葉を失ってしまいました。胸の奥が、熱くなりました。
先生は、前を向いたまま、いつもより低い声で、ゆっくりと話し始めました。
「この先、苦しいことも、辛いことも、たくさんあると思う」
「もう嫌だ、何もかも終わりにしたいと、そう思う夜も、きっと来る」
「その時は、いつでも呼べ。夜中だろうが、何があろうが、こうして、漕いで行くから」
そして、ひときわ静かに、けれど、はっきりとした声で、こう続けました。
「まだ、お前は生きてる。まだ、間に合う。諦めるな」
結わえられた手首の上で、先生の手が、痛いほど強く、重なりました。
ふと見ると、ずっと前を向いていたはずの先生も、頬を濡らして、泣いていました。
私たちは、その金色の朝日の中で、まるで子どものように、声を上げて泣きました。湖の真ん中で、ただ二人きりで、いつまでも。
どれくらい、そうしていたでしょう。やがて靄がすっかり晴れて、湖の全体が、朝の光に包まれていきました。
水鳥の群れが、水面を滑るように飛び立っていきました。その羽音が、しんとした空気を、やわらかく震わせました。
「さあ、戻るか。体が冷える」
先生は、私の手首の結び目を、ゆっくりとほどいてくれました。手ぬぐいには、二人の涙と、朝露とが、しっとりと染み込んでいました。
※
帰り道、先生は私を駅まで送りながら、ぽつりと言いました。「また、来いよ。何度でも、漕いでやるから」と。
私は、その言葉に、ただ何度もうなずくことしか、できませんでした。
そして週明けに、私は一度、病院へ戻ることを決めました。あの朝、私は生まれて初めて、心の底から「まだ、生きていたい」と、そう思えたからです。
治療がうまくいくのかどうかは、分かりません。奇跡が起きるなどと、都合のいいことを思っているわけでもありません。
それでも、もう少しだけ、足掻いてみようと思います。先生がくれた、あの夜明けの景色を、もう一度この目で見るために。
――以上が、私が闘病ノートの、最後の頁に書き残していた文章です。
※
ここから先は、彼女の友人だった、私が書かせていただきます。上の文章を書いた彼女が静かに旅立って、今日で、ちょうど三年になりました。
長くなりますが、彼女のことを、どうか少しだけ、知ってやってください。
※
彼女が亡くなったあと、私はご家族から、一冊の古びた大学ノートを預かりました。色のあせた表紙には、彼女らしい几帳面な字で「闘病ノート」と書かれていました。
頁をめくると、検査の数値や、その日の体調や、飲んだ薬の名前が、細かく記されていました。読んでいるだけで、彼女がどれほど苦しい日々を過ごしていたかが、伝わってきました。
けれど、それらの淡々とした記録に混じって、たくさんの言葉が、一つひとつ、とても丁寧に書き写されていたのです。
それは、彼女が通っていた患者会で、同じ病と向き合う人たちが、彼女に贈った言葉でした。
「今日も会えて、うれしい」
「あなたの笑顔に、こっちが救われている」
「また来週も、ここで待っているからね」
短い、けれど温かいその一つひとつを、彼女は宝物のように、何度も何度も、書き写していたのです。インクの色が、頁によって違っていました。きっと、何日もかけて、書き写したのでしょう。
ノートのいちばん後ろには、こんな一文が、ひときわ大きな字で書かれていました。
「ひとりじゃないと、教えてくれて、ありがとう」
誰に宛てたものなのかは、書かれていませんでした。けれどそれはきっと、彼女を支えてくれたすべての人へ向けた、彼女からの、精いっぱいの返事だったのだと思います。
※
亡くなる数日前、面会に行った私に、彼女は枕もとから、弱々しい声で言いました。
「ねえ、……あのノートが、読みたいの」
「こんな時に、何言ってるのよ」
私は、わざと明るく、そう言って笑い飛ばしてしまいました。いま思えば、なんてことを言ってしまったのだろうと、悔やまれてなりません。
彼女はきっと、もう一度、あの言葉たちに会いたかったのだと思います。自分を支えてくれた、たくさんの温かさに、もう一度だけ、触れたかったのでしょう。
意識が混濁する、最期の間際まで、彼女は確かに、足掻き続けました。谷口先生に教わったとおり、最後の最後まで、自分の漕ぎ方で、前へ進もうとしていました。
※
だから、どうか、彼女に代わって、私に言わせてください。
患者会で、彼女に温かい言葉をくださった、皆さま。あの言葉の一つひとつが、彼女の最後の日々を、確かに、明るく照らしていました。
彼女は、本当に、最後まで笑っていました。それはきっと、皆さまがくれた、たくさんの小さな光の、おかげです。
本当に、本当に、ありがとうございました。
命があるということが、誰かと過ごせるということが、こんなにも有り難いことなのだと、彼女が、最後に私へ、教えてくれました。