
母のガラスのショーケースには、三十年前から、ただの小石がひとつ飾られている。
美しい千代紙を台紙にして、ミニチュアのティーセットやガラス細工の人形と、同じ段に。
その小石を母が「ハイどーぞの石」と呼ぶことを、私は三十四歳になるまで知らなかった。
知ったのは、一歳半の娘が、母にハイどーぞの石を初めて渡した日だ。
これは、私がずっと弟のものだと思っていた愛情が、本当は誰のものだったのかという話だ。
弟の名を呼ぶ声
私には、三歳年下の弟が一人いる。
松江の、宍道湖から少し離れた古い家で、私たちは育った。
父は県庁に勤め、母は近くの小学校の給食室で働いていた。
弟の慎吾は、人懐っこくて、誰にでも笑いかける子だった。
近所のおばさんにも、郵便屋さんにも、「こんにちは」と大きな声で言った。
母は、その弟を溺愛していた。
少なくとも、私にはそう見えた。
夕方、母が玄関で呼ぶ名前は、いつも「慎吾」が先だった。
「慎吾、ご飯よ。……茜も」
私の名前は、いつも「……」のあとだった。
保育園の送り迎えで、母は弟を抱き、私の手を引いた。
抱かれる方と、引かれる方。
その差を、五歳の私はもう知っていた。
母が弟の靴を揃えるとき、私は自分の靴を自分で揃えた。
褒められるかと思ったが、母は「えらいね」とは言わなかった。
「茜は、できる子だから」
その言葉が、私には「見ていない」と同じ意味に聞こえた。
小学校の運動会で、母のカメラは弟の走る姿を追った。
私のリレーの写真は、ピントがずれていた。
アルバムに貼られたその写真の下に、母の字で『茜、二位』と書いてあった。
ぼやけた写真に、順位まで書く意味が、当時の私にはわからなかった。
弟が小学二年で肺炎になった冬、母は一週間、病院に泊まり込んだ。
私は、十一歳で、父と二人分の味噌汁を作った。
母が帰ってきた夜、「茜、ありがとう」と言われた。
嬉しかったはずなのに、私は「別に」と答えた。
母はそのことを、近所の人に姉の思いやりだと話していたらしい。
私の耳には、一度も届かなかった。
抱かれたかったのだと、いまならわかる。
中学の弁当には、毎日、甘い卵焼きが入っていた。
私の好物だ。
弟の弁当にも入っていると思っていたので、特別だとは思わなかった。
弟は卵焼きが嫌いだったと知ったのは、ずっとあとのことだ。
母は給食室で、毎日三百人分の卵を割っていた。
家に帰ってまた卵を焼く手が、誰のための手だったのか、私は考えなかった。
中学の進路相談で、母は先生に「茜なら、どこでも大丈夫です」と言った。
私には「どこでもいい」と聞こえた。
帰り道、母は自転車を押しながら、何度も「寒くない」と聞いた。
私は、三回とも「寒くない」と答えた。
四回目は、聞かれなかった。
そういう小さなことを、私は一つずつ胸の中に積んでいった。
積み上がったものを、私は長い間、寂しさと呼ばなかった。
呼んでしまえば、認めることになると思ったからだ。
十八の春、大阪へ出る朝、母は駅のホームで「茜なら大丈夫」と、もう一度言った。
弟は泣いていた。
母は泣かなかった。
電車が動き出してから、母が顔を背けたのを、私は窓越しに見た。
見なかったことにした。
ガラスのショーケース
母は、小さくて細工の細かいものを集めるのが好きだった。
居間の隅に、少し大きめのガラスのショーケースがあった。
三段で、上の段ほど小さなものが並んでいた。
ミニチュアのティーセット、ガラス細工の鳥、祖母から譲られた象牙の根付。
一番上の段は、小学生の私の背では、少し見上げる高さにあった。
そこに、どう見てもその辺りに落ちているような、ただの石ころがひとつ置かれていた。
灰色で、親指の先ほどの大きさ。
片側だけ、少し白い筋が入っていた。
美しい千代紙を台紙にして、ガラス細工と同じ顔で、そこに座っていた。
『何か霊験あらたかなお守りのようなものなのかな』
私はそう思っていた。
弟が拾ってきたものだろう、とも思った。
母が大事にするものは、弟のものに決まっていたからだ。
私が小学五年の秋、大きな地震があった。
夕方で、母と私と弟が居間にいた。
揺れが始まると、母は弟を抱えて座卓の下に押し込んだ。
それから、立ち上がって、ショーケースへ走った。
ガラスの扉を開けて、母が最初に掴んだのは、一番上の段の石だった。
ティーセットも、ガラスの鳥も、床に落ちて割れた。
母は、石を握った手を胸に当てて、もう一方の手で私の肩を抱いた。
「茜、大丈夫」
揺れが収まったあと、母は割れたガラスを掃きながら、何度も石を確かめていた。
私は、弟のものを先に守ったのだと思った。
そのことを、また胸に積んだ。
千代紙が、ガラスの破片で切れていた。
母は翌日、新しい千代紙を買ってきた。
割れたティーセットは、買い直さなかった。
ガラスの鳥も、そのままになった。
石だけが、新しい千代紙の上に戻った。
空いた段に、母は何も足さなかった。
ショーケースは、それから少し寂しい棚になった。
それでも一番上の段だけは、前と同じ顔をしていた。
一度だけ、聞きかけたことがある。
その冬、ショーケースの前で、母が千代紙を取り替えていた。
古い千代紙を外し、新しい千代紙を敷き、石を元の場所に戻す。
「お母さん、その石、何」
母は、石を置く手を止めずに答えた。
「大事なもの」
「慎吾の?」
母は、少し笑って、私の顔を見た。
何か言おうとして、やめたように見えた。
「茜、お風呂、先に入りなさい」
それだけだった。
私は、聞きかけた言葉を、そのまま胸の中に積んだ。
以来、尋ねなかった。
尋ねなくても、答えは決まっていると思っていた。
千代紙は、毎年、年の初めに取り替えられた。
色は変わっても、柄はいつも鶴だった。
高校を出て、私は大阪の大学へ行き、そのまま東京で就職した。
実家には、年に一度か二度、帰るだけになった。
帰るたびに、ショーケースの石は同じ場所にあった。
千代紙だけが、少しずつ新しくなっていた。
高校二年の年末、大掃除でショーケースを拭いたことがある。
一番上の段に手を伸ばすと、母が台所から「上の段は、触らんで」と言った。
叱る声ではなかった。
それでも私は、やはり弟の宝物なのだと思い、手を引いた。
ハイどーぞの石
二十九歳で、私は東京で出会った人と結婚した。
三十二歳で、娘のサキを授かった。
サキは、言葉より先に、ものを渡すことを覚えた。
おもちゃ、ティッシュ、落ちている糸くず。
何でも拾って、相手の掌に乗せる。
「はい、どーぞ」
私がそう言って受け取ると、サキは満足して、次のものを探しに行った。
母子手帳の余白に、私は『一歳二か月、はいどーぞ、を覚える』と書いた。
サキが一歳半を過ぎた秋、私は娘を連れて松江の実家へ帰った。
母は、初孫のサキを、とても可愛がった。
玄関で、母は最初にサキの名前を呼んだ。
「サキちゃん。……茜も、お帰り」
私は、「……」のあとの自分の名前を、三十年ぶりに聞いた気がした。
胸の奥で、積んできたものが、少しだけ音を立てた。
その午後、母はサキを連れて散歩に出た。
「湖のほうまで、行ってくる」
「寒くない?」
「サキちゃんの帽子、持ったから」
母は、サキの手を引いて出ていった。
抱かずに、引いていた。
サキが、もう歩けるからだ。
わかっていても、私はその後ろ姿を、少し長く見ていた。
サキは、角を曲がる前に、一度振り返って手を振った。
私は、振り返した。
母は、振り返らなかった。
前を見て、サキの歩幅に合わせて、ゆっくり歩いていた。
一時間ほどして、二人は帰ってきた。
サキの頬が赤くて、母の手に、小さな枯れ葉がついていた。
母はいつものように、サキと洗面所へ向かい、手を洗い始めた。
水音が、続いた。
一分、二分。
サキはもう洗面所から出てきて、居間でクッションを叩いていた。
湖の匂いが、サキの帽子から、少しだけした。
私が子どもの頃、学校帰りに持ち帰っていた匂いと、同じだった。
それでも、水音は止まらなかった。
どこか怪我でもして、傷口を洗っているのかと思った。
母は、六十八になっていた。
私は、洗面所を覗いた。
母は、流しの前で、小さな石ころを丁寧に洗っていた。
親指と人差し指で挟んで、水の下で、一面ずつ。
「お母さん、それ、何」
母は、顔を上げずに答えた。
「これは、サキちゃんの、ハイどーぞの石」
「……ハイどーぞの石って、何」
私が怪訝な顔をしたのが面白かったのか、母は笑った。
「湖の近くの道でね、サキちゃんが今日初めて、私に『ハイ、どーぞ』って、この石をくれたの」
母は、石を光にかざした。
「初めての孫からの、初めてのプレゼントだから。記念に持って帰ろうと思って」
私は、黙って見ていた。
母は、石の水を切って、タオルの上に置いた。
それから、言った。
「あんたがまだ赤ちゃんだった頃に、『ハイ、どーぞ』ってくれた石も、ちゃんと大事にとってあるんだよ」
洗面所の水音が、まだ耳に残っていた。
「……私の?」
「そう。あんたが一歳と四か月のとき。宍道湖の岸で、拾って、私にくれた」
私は、居間のほうを振り返った。
ガラスのショーケースが、見えた。
「もしかして、それって、ショーケースの一番上の、千代紙の上に乗ってる小石?」
「そうそう」
母は、何でもないことのように言った。
「あれは、あんたのハイどーぞの石」
母は、タオルの端で指を拭きながら、続けた。
「あんたは、抱かれるのを嫌がる子だった。抱くと、身体を反らせて、下りたがった。慎吾は、抱かれるのが好きな子だった。それだけのことよ」
「……」
「産んで一年四か月、初めてあんたから何かもらったのが、あの石。嬉しくて、この洗面所で洗って、一番上に置いた」
母は、それ以上は言わなかった。
言わなくても、三十年分の説明として、それで足りていた。
洗面所の水音
母は、タオルで手を拭いて、サキの石を持って居間へ行った。
私は、洗面所に一人で立っていた。
蛇口から、水が一滴、落ちた。
三十年、弟のものだと思っていた。
母が一番大事にしているものは、弟のものに決まっていると、思っていた。
一番上の段に置かれていたのは、弟の物ではなく、私の石だった。
その段は、小学生の私の背では、少し見上げる高さにあった。
見上げるのが嫌で、私は見なかった。
見ていれば、聞けたのかもしれない。
聞いていれば、母は答えたのかもしれない。
地震の夕方、母が割れるガラスの中から最初に掴んだのは、私の石だった。
弟を座卓の下に押し込み、私の石を握って、私の肩を抱いた。
母は、あの数十秒で、二人の子どもを両方守っていた。
私は、それを「弟のものを先に」と読んだ。
三十年、読み間違えたまま持っていた。
小学五年の冬、母が何か言おうとして、やめた顔を思い出した。
あのとき、母は「あんたの石よ」と言おうとしたのだと思う。
言わなかったのは、たぶん、言葉にすると、軽くなると思ったからだ。
母は、そういう人だった。
弟の靴を揃え、私には「できる子だから」と言った人だ。
私は、居間へ戻った。
母は、ショーケースの前で、新しい千代紙を取り出していた。
鶴の柄だった。
「折角だし、あんたの隣に飾っておくわ」
母は、一番上の段の、私の石の隣に、千代紙を敷いた。
その上に、サキの石を置いた。
二つの石が、並んだ。
灰色の、ただの小石が二つ。
片方には、白い筋。
もう片方は、少し丸かった。
「お母さん」
「ん」
「千代紙、毎年、変えてたでしょう」
「そうよ。年の初めに」
「どうして」
母は、ショーケースの扉を閉めながら言った。
「汚れるから。あんたの石が、汚れて見えたら、嫌でしょう」
私は、何も言えなかった。
三十年、鶴の千代紙は、私のために取り替えられていた。
サキが、母の膝に上ってきた。
「ばあば、はい、どーぞ」
今度は、クッションの綿くずだった。
母は、両手で受け取った。
「ありがとう。これは、飾らんけどね」
母が笑って、サキが笑った。
私は、台所に立って、やかんに水を入れた。
顔を見られたくなかった。
水の音が、洗面所の水音と同じに聞こえた。
父が帰ってきて、ショーケースを見て、「二つになったか」と言った。
父も、知っていたのだ。
知らなかったのは、私だけだった。
知らないままでいられるように、誰も言わなかったのだと、あとで気づいた。
母が言わなかったから、父も弟も言わなかった。
千代紙の上の二つ
その夜、弟の慎吾が顔を出した。
市内で働いていて、母の様子を見に、週に一度は来るらしい。
サキが寝たあと、台所で、弟と二人で麦茶を飲んだ。
「姉ちゃん、ショーケースの石、見た?」
「……見た。今日、知った」
「俺は、ずっと知ってた」
弟は、湯呑みを両手で持って言った。
「小学校のころ、母さんに聞いたんだ。あの石、何って。俺のかと思って」
「お母さん、何て」
「『茜の』って。それだけ」
弟は、少し笑った。
「俺、あのとき、けっこう悔しかったんだよ。母さん、俺のことは何でも揃えてくれるのに、一番上の段に飾るのは、姉ちゃんのものなんだなって」
私は、麦茶を飲んだ。
味が、わからなかった。
「地震のとき、覚えてる?」
「覚えてる」
「俺、座卓の下から見てた。母さん、俺を押し込んだあと、まっすぐショーケースに行った。石を握って、姉ちゃんの肩を抱いた。俺は、下から、それを見てた」
弟は、湯呑みを置いた。
「母さんは、姉ちゃんのことを、俺には何でも話したよ。茜はできる子だ、茜は自分で靴を揃える、茜は泣かない」
「……泣いてたよ」
「知ってる。母さんも、たぶん知ってた」
弟は、少し間を置いて言った。
「抱かれてたのは俺で、見られてたのは姉ちゃんだった。そういうことだと、俺は思ってる」
抱かれる方と、引かれる方。
私が五歳で知ったと思っていた差は、逆向きの差でもあった。
弟は、三十年、それを一人で持っていた。
私が積んでいたものと、弟が持っていたものは、同じ重さだったのかもしれない。
私は、弟の湯呑みに、麦茶を足した。
「ありがとう」
「何が」
「わからない。でも、ありがとう」
弟は、照れたように、鼻を掻いた。
「卵焼き、俺、嫌いだったんだよ」
「知ってる。今日、わかった」
「母さん、姉ちゃんの弁当にだけ入れてた。俺は、それも悔しかった」
二人で、少し笑った。
台所の窓の外で、宍道湖のほうから風が来て、戸を少し鳴らした。
子どもの頃、毎晩聞いていた音だった。
翌朝、東京へ帰る前に、私はショーケースの前に立った。
一番上の段。
鶴の千代紙の上に、二つの石。
もう、見上げる高さではなかった。
サキが、私の足元で「はい、どーぞ」と、スリッパを渡してくれた。
私は、受け取った。
「ありがとう」
母が、後ろで笑っていた。
その笑い方が、洗面所で石を洗っていたときと同じだと、私は思った。
弟ばかり愛されている、と僻んで過ごしてきた私。
母の愛情は、私にもちゃんと注がれていた。
そのことは、自分が子を産んだ今となれば、もちろん疑いようのないことだ。
ただ、綺麗な千代紙の上にチョコンと大切に飾られた小石が、三十年、私への愛情の形として、見上げる高さに座っていた。
私が見上げなかっただけで。
いま、母のショーケースには、私の分と娘の分の、二つのハイどーぞの石が並んでいる。
千代紙は、今年の正月も、新しい鶴に替わった。
母は、二枚、敷いた。